BGB 第十三話 「烏」
その羽と風が意識をかりとるほどの黒の三本足。
タイヨウから見て左側から吹き付ける風は台風そのものだった。
少し身を低くして体勢を整える。
そしてその姿をしかと目に捉えた。
2mはあろうかという両翼に三本の足。
それ以外はなんら烏と変わらない。
ただ、それは見た目上の話だ。
その中身。
どんな生き物であっても力は持っている。
それは生きていくうえで常に生産され消費されるものだからだ。
あるいは生命力といいかえてもいいかもしれない。
そして、力のコントロールについては人より努力したと自負するタイヨウには大抵の生き物のソレをおぼろげながら感知することができる。
ただし、神は別だ。
神器を知る術がもとより人間には備えられていないように、神の力そのもの、あるいは神の全貌をたかだか人間が感知できるわけがない。
意図的に神が力を放てば別だが。
神器にふれたからか、タイヨウにはエペレの存在は、その力はなんとなくそこにあるとだけうっすらと感じられている。
だからこそ昨日遭遇したよくわからない男に神ではないかと疑念を持った。
そして現在、目の前にいる大烏の力はやはり感じられない。
いくらその翼が大きいとはいえ、それが起こす風がなぜこうも強いのか。
「待って、カラスさん、ダメ」
エペレがいつの間にかタイヨウと烏の間に入り、烏の動きを止める。
「そいつはよそもんじゃぞ!無警戒に近づけるな!」
クワっと眼を見開きけたたましく叫ぶ。
「カラスさん、大丈夫だよ。この人たち、悪い人じゃない」
「何を根拠にそんなことを言うか!」
烏は今にも飛び掛からんとするほどの勢いだ。
「悪い人ならわかる。昔お父さんたちに会いに来た人もわかったもん私」
「わかったもんじゃないわい!良いからそやつらをつまみ出さんか!無理というならわしが!」
「カラスさん」
その言葉が伽藍堂に響いた、その瞬間である。
空気が文字通り変わった。
暖かく心地よいものだった空気は一変。
重苦しく冷たい水底のようなものへと。
「それ以上いうと、怒るよ」
そのエペレの表情は見えない。
タイヨウのすぐそばのハクはいつの間にか、タイヨウの袖を握って尻尾をよせていた。
「……何かあってからじゃ知らんぞ」
「大丈夫、絶対」
烏が諦めると、エペレが発していた重苦しい空気は霧消し、元のやわらかな空気に戻る。
その変わりように、タイヨウは虚をつかれた思いだった。
翼をおりたたみ、カタと爪をならしながら烏が床に降りる。
ぴょこぴょことはねながらその大烏はタイヨウの前まで来て、首を少しひねりながら、じっとタイヨウの顔をまじまじと見る。
「名は?」
「タイヨウだ」
真名は言わなかった。
神かもしれないという可能性がある以上、うかつには言えない。
エペレには毒気を抜かれていたのか圧倒されていたのか、それとも別の何かか。
あの瞬間にこぼしていたが。
「たいそうな名じゃのう……。で、そっちは竜か。めずらしい」
その視線を動かしつつ、ハクを見た烏がいう。
「お前、オレがわかるのか」
一瞬で見抜かれたハクが驚きを声にする。
もちろんその見た目だけとっても頭をおおうような二本の角に、長い尻尾。
異様に白い肌など、人外であることはすぐにわかる。
だがそれだけで正体を看破するのは話が別だ。
「長いこと生きとりゃ、感じでだいたいわかるわい。小童ども、一応言っといてやるが、口には気を付けるんじゃぞ。娘っ子の手前、荒立てる気はないが、わしの気はそう長くはないでな」
そう言うと、またヒョコヒョコとはねながらいつの間にか腰を下ろしていたエペレの隣に座る。
「で、そもそもおぬしらは何しに娘のところに来たんじゃ?ここは容易に人が来れるところではないはずじゃが」
「タイヨウと約束したんだよ、今日、会うって」
その問いにタイヨウではなくエペレが答える。
「約束ぅ……?」
反応したのは烏ではなくハクだった。
タイヨウの背中をペシリと尻尾がはたく。
「……なんだよ」
「別に」
ハクはすっと視線を逸らした。
ペちペちと尻尾が背をたたき続ける。
なじるような感じ。
あとでなだめとかなきゃなと心に留めつつ、本題を切り出す。
「エペレ、それから……」
「わしのことはカラスでよい」
「わかった。エペレ、カラス。確認したいことがまず二つ。この世界に君たち以外の存在ってあるのか?俺たちみたいな外から来たんじゃない生き物」
「……外?」
少し眉を顰め、エペレが問う。
「ねぇ、タイヨウ、外から来たんだよね?」
その返答に、タイヨウは一つのことを理解した。
このエペレという少女が、この世界しか知らないということを。
考えればわかることではあったが、想定外だった。
「タイヨウとやら。少し話がある。ついて来い」
唐突に、烏がその場で翼を広げ飛び立った。
有無を言わせず。
タイヨウの背中あたりを大きな足でとらえると、そのまま強くはばたき、屋敷を後にした。
「ちょ、おい!」
「安心せい、とって食ったりはせん」
「あ、行っちゃった」
「タイヨウ!」
ハクは咄嗟の出来事に反応できず、思わず立ったはいいものの、目の前の神の落ち着きっぷりを見てどうするべきか迷っている。
「大丈夫だよ、ハクちゃん。少し気難しいけどあのカラスさん、悪い人じゃないから」
人っていうのもおかしいのかな、とぼそりエペレがつぶやく。
その安穏とした雰囲気にハクも追うことはやめてその場にとどまることにした。
いざとなれば、タイヨウの術式をたどってすぐに駆けつけることができる。
だから大丈夫、と。
胸の内にひそかに響かせて。
「ところでハクちゃん」
「うん?」
「待っている間は暇だし、狩りにでもいこうか」
エペレの神社のような家から烏の翼で数分。
森の中の、ふと開けたところにタイヨウはどさっと落とされた。
上空5mくらいから。
「いだッ!」
これといった予備動作もなく、タイヨウは思いっきり地面に身体をうちつけていた。
「……いてぇ……」
多少の緩和は咄嗟の術式で行ったものの、所詮多少である。
「それくらいで文句をいうない」
当の落とした烏はそのまま寝転がっているタイヨウの腹に着地した。
「……そこに乗られると起き上がれないんだが」
「まぁ、そう言うな。そこから何が見える?」
「何がって……」
地に寝転がった状態で見えるのは高い木々とその間に移る青い空だけだ。
「……太陽がない?」
「その通り。この世界にはそんなものはない」
「どういう……いや、そうか。神か」
「おぬし、見た目によらず回転が良いな。そうじゃあの子がいる以上、この世界に太陽はいらない。あの子自体が太陽じゃからな。じゃからあの子が眠れば陽は落ちるし、あの子が眼をさませば陽は登る」
神には二種類の存在がある。
元からなにかを司どって生まれるものと、なにもないところにただ、人の信じるという心だけで発生するものの二種類だ。
神話に並べられる神はもっぱら前者であり、力の格が人類には理解しえないものもまた前者である。
すなわち。
「太陽神なのか……エペレは」
多くの神話がある中で太陽を司る神が主神として扱われるものが多数ある。
代表的なところでいえば日本神話のアマテラス、それにエジプト神話のラーだ。
「人間の定義などどうでもよい。今からお主に言うことを心しておけ」
烏の表情というのはさすがにタイヨウにはわからないが、その声に真剣味を帯びていることだけは嫌でもわかった。
「あの子は外の、本当の世界を知らない、父親の“金髭の死熊”が作り出したこの世界でずっと生きてきた」
「“金髭の死熊”……」
おそらく、それが師匠の友人だった神の名だろう。
そしてエペレが遠くへ行ったと、未だに帰りを待っている父の名のはずだ。
「じゃからあの子は外なんて言われてもわからんじゃろうし、わしらが説明しようにも恐らく理解できんじゃろ」
「……だろうな」
他人に説明することで最も難しいのは学問上の理論ではない。
「常識」だ。
「わしはあの子を外に出してやりたいと思うとる」
その願いは口にするのは容易いが、簡単にできることではない。
「この世界を捨てさせるってことか……?」
半信半疑でタイヨウは聞いた。
「元よりこの世界は、あの子のものではない。“金髭の死熊”のもんじゃ。父と娘ゆえに成り立っておるが、遠からず壊れるじゃろ。現に今日もたかだか侵入者一人ごときに揺れよった」
「……!やっぱり、あれは敵なのか」
「敵かどうかはしらんが、よからぬものであることに間違いはないじゃろ。娘っ子がなんにも気づいておらんのがまだ幸いじゃが」
はぁと烏が溜息をつく。
その姿はどこまでも人間くさかった。
「あの調子じゃと遠からずこの世界に入ってくる。今までまともにこの世界に入ったのは“金髭の死熊”の友人と、そいつが手引きした連中、ようするにお主らだけじゃ。じゃから話は戻すが、この世界に外の人間はお主ら以外はおらん。逆に、この世界で生まれたのもわしと娘っ子以外はおらんよ」
「……そうか」
タイヨウがその質問をした意図はただ一つ。
神器を持ち去りうる存在がいるのか、ということの確認だ。
「さて、質問は答えてやった。いらん情報も含めてな」
烏は饒舌に続ける。
「術者ならば、この先にわしが言うことはわかるな?」
烏の言わんとすること、それは術者にとっての大原則。
術を使うには力がいる。
力を込めるにはそれなりの努力がいる。
この世のすべてには原因と結果がある。
それは不変であり、不偏だ。
「聞くよ。とってくわないんだったらな」
「ケッ。ぬかしよるわ……」
少し、ほんの少しその烏が笑ったような気がした。
「あの娘を……守ってやってほしい。導いてやってほしい」
その烏の言はあまりにも抽象的だった。
だがそれだけに、その言葉には重みがあった。
「神を守れって言うのか。どこの馬の骨とも知れない俺に」
「確かに突拍子もないかもしれん。じゃが、お主のコレは、そんな生半可に掲げとるんか?」
グリグリと、その大きな足でタイヨウの腹が押される。
そこにあるのはカタカナ三文字。
「昔、友人から聞いた。“マオウ”というのは人間の頂点なんじゃろ」
言外に烏は言う。
それを掲げるならば、神の一柱くらい守ってみせよ、と。
「いいのか?」
その言葉に烏は目を見開く。
俺が守っていいのか、という半ば挑戦のような宣言。
「ふっ」
少し笑い、その視線をちらとだけ右にやった。
「そう来るとは思わなんだ。ただの夢なら砕いてやろうかと思うたが。あぁ頼む」
お辞儀をするかのように、烏は頭を下げる。
その姿を見たタイヨウは言う。
「安心してくれ。それくらいの覚悟、とうの昔にできている」




