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オーウェンはしっかり縛ったあとに、もう少しだけティティの能力で回復をさせてやる。
しっかり地下牢に閉じ込めて、あとはヴォーゲントからの連絡を待つだけだ。おそらく、長くは生きられないだろう。
牢屋の向こうにいるオーウェンを、メイストは哀れに思った。レベルを99まで上げるには、それなりの経験を積んできたのだろう。どんな卑怯なことをしても、どんなごまかしをしても、レベルだけは嘘をつかない。その者の強さを証明する、絶対の基準だから。
「なんでこんなことになっちまったんだろうな……」
メイストのの言葉の意味を、ロニーもわかっている。メイストが、勇者に対し羨望の気持ちを持っていることはロニーが一番知っていた。
「いくら腕っぷしが強くても、こいつは気持ちが〈真の勇者〉じゃなかった。リミットオーバーできないことがわかって、腐っちまったのかもしれねえし……こういう奴だから、リミットオーバーできなかったのかもしれねえ……まあ、本当のところは奴にしかわかんねえよ」
ロニーは励ますように、メイストの肩をポンと叩いた。メイストは、オーウェンから取り外した首輪を手の中でもてあそんだ。
ロニーが地下室を出て行く。次にオーウェンに会うときは、既に彼の命運は決まっているだろう。
メイストは視線を牢屋の中に残しながら、ようやく背を向けた。
長い螺旋階段を上がり、城へと戻る。
「それ、ティティちゃんの首についてたのと同じ奴だろ?」
「ああ。掘り込まれてる呪術の文様が同じだから……オーウェンは、これでパワーアップしてたんだな。一度、説明書も確認してみる」
「俺はティティちゃんがオーウェンを一発で倒しちまったときは、冷や冷やしたぞ!まさか、この子が〈真の勇者〉なのか!と思ってなぁ。ティティちゃんのあの強さも、首輪の力ってことだろ?」
「ああ。でも、それだけじゃレベルが見えない説明がつかない。治癒の力のこともな」
「だからやっぱり、そこは――〈天恵の姫〉、ってことなんじゃないか?だって、俺たちはあの子のおかげでこうしていられるんだぞ?」
ロニーがひび割れた鎧を叩いた。ロニーの言う通りだった。ティティがいなければ、今頃オーウェンがルミノクス地方の覇者となっていた。
「ティティが〈天恵の姫〉、か……」
「何だよ。嫌なのか?」
「嫌っつうか――」
オーウェンの言葉を遮るように、城のほうから悲鳴が聞こえてくる。
今風呂に入っているはずの、ティティのものだった。
「あっ、待て!メイスト!早っ……」
矢のように飛んでいくメイストに対し、ロニーは階段を駆け上がる他、追いつく方法がなかった。
メイストが風呂場に飛び込むと、ティティの体から光り輝く煙が出ていくところだった。
「どうした!」
「ぎゃー!ま、魔王様っ!」
ティティは慌てて湯船に浸かる。乳白色の湯のため、浸かってしまえば体は見えなかった。
「あ、悪い」
「魔王様!ティティが湯船に浸かった途端、体があんな感じで……」
「なんだ……攻撃を受けたってわけじゃねえんだな」
メイストはマントを捲り上げて濡れないように抱え、湯船に近づいていく。それから、背中を向けているティティを注視した。風呂の湯気とは明らかに違う、煌きを含んだ煙がティティの体から発されている。
「この風呂の湯には、状態異常を回復する薬を入れてある。死に際の魔導士に捕まえられただろ。ああいうときには、呪いをかけられることが多いんだ。念のためと思ったんだが……これは呪いとは違うんじゃないか?」
「ん?ティティ、ちょっとこっち見て」
モニクが、〈眼〉を使って、ティティを見る。
「あれ……ティティ、あんた、レベルが見えるわ!」
客間に入ったメイストは、驚いていた。城から追い出したはずのノーバディや、他の下働きの魔族たちがかいがいしく働いていた。ある者は食事の準備をし、ある者は壊れた城の修理をしている。
「へへへ……みんな城の前にいたんだよ。やっぱり、魔王様のところにいたいって」
彼らを城に招き入れたドラゴンが、意味深に笑った。
「ったく……どいつもこいつも」
「あ、照れてる」
「照れてねーよ」
ドラゴンの視線を振り払うようにして、メイストはティティの元へと向かった。その手には、空っぽの缶を持っている。
「お前の心当たりってのは、これか?」
メイストが差し出した容器を見て、ティティが「あっ」と声をあげた。
「んだっす!これだぁ……これが、肌にかかってさっきの煙と同じ色に変わって、おらの肌に吸い込まれてしまったんだ」
「これは魔族の世界の道具で、不純な粉〈インプルパウダー〉っていうんだ。そうか……お前、これを被ってたのか。元々、魔族が人間に化けるときに、魔導士とかにレベルやステータスを見抜かれないように使うためのものだ」
「はああ~……」
「しかし、レベルがあるのはいいけど……」
ロニーががっくりと肩を落とす。「97って……」
そう、ティティのレベルは凄まじく高かった。ロニーを遥かに越え、あのオーウェンに届かんとする勢いだったのだ。
「一体どういうことなんだ!三十年、勇者一筋でやってきた俺を差し置いて、このものすんごい数値はー!」
「な、何かの間違いなんでねえのか?おら、これまでモンスターを倒したこともねえし……なあ、モニク」
「……ううん、倒してるかも」
「えっ」
その場にいた全員が、モニクを見つめる。
「ティティ、毎日虫退治してたじゃない?魔王の城って特別な結界があるから、長く住んでる生き物は魔力を帯びてくるでしょ。ドラゴンについてるノミと同じよ。それが少量でも、ティティみたいに毎日あれだけ退治してたら……」
「レベルが上がる、と……」
信じられないが、それなら説明がついた。
「それに、ティティはデリランテの一撃を受け止めてるし、オーウェンにトドメを刺してるもんね」
「ちょっと待てよ!毎度のようにメイストと剣を交えてた俺はどうなるんだっ!毎年欠かさず武者修行に出てるし、モンスターを倒した数ならティティちゃんにも負けねえぞ!だったら、俺だってレベルが上がったっていいはずだろおっ?」
「経験値っていうのは、新たな経験を得たときに溜まるもんだ。お前は毎度俺に挑んできて、学習してねえだろ。武者修行だって、低レベルのばっかり倒してきたんじゃねえのか。お前のは武者修行っつーより、旅行だろ」
容赦ない一言が、ロニーにナイフのようにサクサクと刺さっていく。
「でもさあ、モップで勇者を倒しちゃうって、強くてもティティらしいっていうか、なんていうか……」ドラゴンがふふっと笑う。
「それもね、魔王様があげたものだから、もしかしたら……“魔王のモップ”みたいな、特別な意味を持っちゃったのかもね。このモップ、結構値打ち品になってるかも」モニクが呆れたように笑う。
「おいメイスト!俺にも何かくれ!」
「ほれ」
メイストが、紅茶に浸かっていたスプーンを差し出した。視線は膝の上に広げた紙の上だ。彼は〈不純の粉〉と共に持ち出してきた、首輪の説明書を読んでいた。
「こんなのが武器の勇者なんて嫌だー!」
「だったら他に頼らず強くなれ」
「んだよ!ロニーさん……おらの力は全部道具のおかげで、偶然だ!」
ティティはモップを強く握り締めた。
自分を守ってくれたのは、全部メイストのくれたものや、この城で暮らしていたから得たものだ。それに、カナシ村から助けられたのも、デリランテから生きて逃げることができたのも、オーウェンに殺されずに済んだのも、全部、誰かのおかげだ。
「おらは勇者でもなんでもねえ。魔王様の生贄だべ!」
だが、ロニーは納得しない。
「それだけの能力があるのに、勿体ねえよ!経験値やレベルの上がり方は、みんな一緒じゃない。そいつの素質も影響するんだ。たった数回の戦闘で、もうレベル97だなんて、才能としか思えない。リミットオーバーを目指して、勇者をやってみるっていうのもいいんじゃないか?」
「あんた、魔王様の前で勇者になることを勧めてどうするのよ!」モニクが憤慨して、ロニーの鎧を蹴り飛ばした。
「……ティティはどうしたい?お前が望むなら、今度は勇者として生きていけるように、準備する」
「え……」
「俺はお前になら、倒されてもいいよ。俺が魔王をやめたいからじゃなく……お前になら、いい」
メイストは、ティティの顔をまっすぐに見つめた。手元から顔を上げて。いつも大事な話をするときには視線をそらしていたのに。
彼が視線をそらすのは、相手の気持ちを目の当たりにしたくないからだ。でも、今日は違う。
「魔王様まで!ティティはね――」
モニクの後ろにいたドラゴンが、尻尾の先でモニクの口をぴたりと塞ぐ。
ティティもまた、メイストの顔を見つめ返した。彼の言葉がそのままティティに入ってきても、それは思った以上に高い温度を持っていた。
深い森の中を、胸元を押さえながら走っていく男がいる。モンスターがうようよしているというのに、彼は武器を持っておらず、防具も身につけていない。
彼はレベルが99に達しているだけあり、夜通し走り続けてもライフは十分にあった。食らったのは一撃だけで、そのダメージもほとんど回復している。月明かりと星の位置を頼りに、彼は森を東に向かっていた。ヒロイの都を目指しているのだ。
一心不乱に走っていた男だが、立木の枝で目の横を切った。半回転しながら地面に倒れこむ。ちょうど木の葉の切れ目で、広場のようになっている場所だ。月明かりを遮るものはなく、頬を撫でると血に濡れた手元がよく見えた。
「はぁっ、はぁっ……くそっ、どうして……なぜ私が……!」
彼に影がかかった。月が雲で隠れたのか、そうなれば森を移動することはできない……そんなことを考えながら顔を上げると、目の前に黒いマントが見えた。倒れこむ男――オーウェンと月明かりの間に、彼が割って入ったのだ。
「デ、デリランテ!」
「よう、勇者様。お疲れ様だな」
魔王の姿を見とめた瞬間、オーウェンは掴みかかった。
「貴様が力を貸すと言ったのではないか!こんなことになったのは、貴様のせいだぞ!」
「はぁ~?俺は、テメェがぶっ倒したロニーとかいうあの勇者を片付ける……それだけの話だったろうが。倒し損ねたのはテメェが弱かったからだろ」
「お主が寄越した首輪!あれがリミットオーバーと同等の効果があるのではなかったのか!実際は、小娘の一撃でこのザマだぞ!」
「あーあー、わかったよ」
デリランテは、オーウェンの言葉に大げさに耳を塞ぐ。だが、興奮したオーウェンは口が止まらない。
「貴様は私をハメたのだろう!私の力に恐れを成し、協力を装って近づき――」
デリランテの眼の色が変わった。それは怒りや、オーウェンの言葉が気に障ったからではなく、彼が雷の鞭を使用したからだった。オーウェンの全身を包む眩い光を捉えても、雷の支配者たる彼は瞬きひとつしなかった。
オーウェンは黄金の光に絡め取られ、そのまま息絶えた。デリランテが残念そうな顔をしたのは、防具も武器もなかったとはいえ、彼があまりにもあっさりと死んでしまったからだ。冬の木のように硬く細くなってしまったオーウェンを、無造作に放り投げる。
デリランテがオーウェンに近づいたのは、魔王同士の領地争いは禁じられているからだった。それを決めたのはあの忌まわしい魔王会議だが――それに逆らってまでヴォーゲントに楯突くほど愚かではなかった。ヴォーゲントとの力量に差があることは、自分が一番よく知っているからだ。
だから、オーウェンを利用しようとした。彼にルミノクスを制覇させ、折を見て倒すつもりでいた。可能なら、他の地域の魔王もやらせてよかった。
だが、結局はデリランテの見込み違いだったようだ。
「ちょっと考えたら、わかんねえのかよ。メイストが死ねば計画通り、テメェが死んだら俺にとったら勇者様がいなくなってラッキーだ。どう転んだって、俺に損はなかった。ちったぁ、そういうことも考えねェとな――あァ、もう死んでたか。テメェが俺に話をさせねェからだぞ」
この勇者はレベル99だったというのに、大した力は持っていなかった。あちこちの魔王を倒したら、もしかしたらリミットオーバーするかもしれないし、そうなったら倒す楽しみもあったのに――デリランテは、待っていたプレゼントが貰えなかったような悲しみを覚えた。
人が焼けた匂いを嗅ぎつけて、魔族たちがやってくる。低脳な魔族で、犬猫と大して変わらない。魔王デリランテの存在を彼らは意識するわけでもなく、オーウェンの真っ黒な死体にかじりついていく。もうちょっと軽めに焼いてやりゃあよかったな、とデリランテは思った。
「おらは……」
ティティの答えは決まっていた。ただ、どう言葉にすればいいのかわからなかった。この躊躇が、なぜ自分の体の体温を上げているのかもよくわからない。
「……え、何であの子顔赤いの。赤いわよね?」ドラゴンの尻尾をよけて、モニクが小声で呟いた。
「鈍いなー。モニクはお子様だなー」
意味深に笑うロニーに、ドラゴンもわかったように首を上下に動かしている。
さっきまではメイストをしっかり見つめることができたのに、今のティティは視線をあちこちに動かして落ち着かない。それでもようやく、意を決したように口を開いた。
「おら、魔王様にお仕えしてえです。だって、おらは魔王様の生贄だもの」
メイストから貰ったモップを、ティティは強く握り締めた。
メイストの返事は、小さな笑顔と共に。
「そうだな。……お前は俺の生贄だ」
笑っているのに、その横顔には魔王としての自信があった。これが、メイストという魔王なのだ。
「さぁーて、それじゃあ俺は退散しますかね!」
ロニーがニヤニヤと笑いながら、パンと手を叩いた。
「ええっ?なしてだ!お祝いのパーティーの準備をしてるだよ!」
「そうだよ。食ってけよ。もったいねえだろ」
「だってさあ~。なあ~、ドラゴン?」
「ねえ?ふふふ……」
「さっきから、あんたたち何なのっ?気持ち悪い!」
メイストは説明書を読むのを切り上げて、テーブルの上に伏せる。
その説明書に、メイストが最後まで目を通したのは、数時間後のこと。宴もそこそこにきっちりとベッドに入ったメイストが、朝起きてからのことだった。
ティティがつけていた首輪に、治癒を行う能力を宿す効果など、無かったのだ。
果たしてティティの治癒力とは一体何だったのか――それがわかるのは、また新たな事件が起きた時だった。




