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【第9話】

『ニュース速報です。都内で【DOF】が大量に検知され、大勢の死者を出しています。【DOF】は渡されても絶対に食べないでください。繰り返します――』



 そんな日本語が、どこからか流れてきた。



「あ、シア先輩。ニュース速報出ましたよ」


「本当?」



 滂沱《ぼうだ》の涙を流す頭髪が異様に寂しくなった中年男の胸倉を解放し、ユーシアはリヴが指し示した方向を見やる。


 どこかのオフィスビルの、どこかの階層。フロア全体をぶち抜くという贅沢な環境の中、業務用として置かれたらしい大型テレビから緊迫した声が流れてくる。

 大型テレビの液晶画面に映ったスーツ姿の男性が、手元のニュース原稿を読み上げながら街の異常事態を告げている。その言葉は日本語で構成されているのでユーシアにはよく分からないのだが、時折、問題となっている【DOF】という単語が聞こえてくるので摂取しないように呼びかけているのだろう。


 まあ、そう呼びかけたところで無駄だろうが。



「具体的には? やっぱり摂取しないように呼びかけてる?」


「そうですね。そんな内容になるかと思います」



 草臥《くたび》れた様子の青年を足蹴にするリヴは、テレビ画面を眺めて鼻を鳴らす。



「『絶対に食べないでください』ですって。無理やり食わせているのでどうにもなりませんよ」


「それは確かにそうだね」



 うう、という呻き声が耳朶に触れる。


 ワンフロアを丸ごと使用した贅沢なオフィス空間。ずらりと並んだパソコンの群れと、夜の時間帯だと言うのに仕事が終わらず残業する社会人。ただでさえ可哀想な環境に身を置いているにも関わらず、今や地獄のような様相となっていた。

 オフィスビルの警備を突破してきた2人の【OD】によって蹂躙された会社は、パソコンが銃弾で撃ち抜かれていたりコーヒーの入ったカップが床にひっくり返ってカーペットにシミを作っていたりと酷い状態だった。まだ残って仕事に従事していた会社員たちは、殴られて蹴られての暴行の末に口へチョコレート型の【DOF】を捩じ込まれて一般人の輪を簡単に外された。残業などをしていたばかりに、人間を捨てる羽目になってしまったのだ。


 地面に倒れ伏す何人かの会社員たちを眺め、ユーシアは這いずってでも逃げようとする小太りの中年を見やる。顔面は汗と涙と鼻水でぐちゃぐちゃの状態だった。



「外に出たら死んじゃうかな?」


「まず間違いなく、無事に家へ帰ることは出来ないでしょうね」



 相手が絶望に叩き落とされようと、ユーシアとリヴには関係のない話である。最初からネオ・東京には地獄として仕立て上げるつもりだったから目標達成とも言えようか。

 さながら鳥籠の中に閉じ込められた地獄である。今まで厄災から隔絶されたクリーンな都市部は、今や逃げることさえ不可能な地獄と化した。哀れな小鳥たちである昨日までただの一般人だった連中は、たった1粒のチョコレートで人生を台無しにするのだ。


 すると、



『ここで何をしている!?』


「ん?」


「あら、警備員ですね」


「警備員なんてまともに働くんだ。椅子に座って監視カメラを確認して、あとはのんびりコーヒーを啜れば仕事終了ってイメージだけど」


「日本人は真面目ですからね」



 フロアの異変を感じ取って駆けつけたらしい警備員が、何やら鬼気迫る表情でユーシアとリヴから視線を外すことなく無線機でどこかに連絡をしている。リヴが通訳をしてくれているが、要は応援を呼ぶ為の連絡を取っているようだ。

 これで応援が来たら面倒である。こちらはただでさえ2人だけしかいないのだから、余計な戦いは避けて然るべきだ。


 ユーシアは自動拳銃を砂色のコートの下から取り出すと、



「リヴ君」


「了解です」



 真っ黒なレインコートの袖から注射器を滑り落とし、その先端を首筋に突き刺すリヴ。シリンダー内で揺れる透明な液体を体内に注入すると、フッとまるで幽霊のように姿を掻き消した。


 相棒が【OD】としての異能力を発動すると同時に、ユーシアは自動拳銃で警備員を照準する。引き攣ったような表情で両手を上げる警備員だが、狙うのは彼自身の眉間ではない。そもそもユーシアの弾丸では心地よい眠りをお届けするだけなので痛くもない。

 狙うのは警備員の肩に取り付けられた無線機だ。今や応援を呼ばれた状態だが、これ以上に増えると面倒臭い。自動拳銃で警備員の肩に取り付けられた無線機を狙ったユーシアは、そのまま引き金を引いた。


 寸分違わず、弾丸は警備員の肩に括り付けられた無線機を吹き飛ばす。火花が散り、何か硬いものが砕け散るような音が鼓膜を揺らす。警備員が撃たれた恐怖からグッと表情が強張った。



『…………?』


『何を安心しているんですか』


『えッ、ぎゃああああ!!』



 警備員の口から悲鳴が上がる。


 背後に幽霊の如く姿を見せたリヴが、警備員の首に腕を回す。苦しそうに身を捩る警備員の膝裏を蹴飛ばして転ばせると、馬乗りになって何発か顔面を殴りつけた。

 肉と骨を叩く鈍い音が鼓膜を震わせる。くぐもった悲鳴が漏れ、殴るたびに『もッ、やめッ』『だずッ』など言葉にならない助けを求める声が聞こえてくるも、リヴの手は容赦がなかった。


 抵抗できなくなる程度に殴って弱らせたところで、リヴは警備員の口をこじ開ける。指先で摘んでいるのは【DOF】が混ぜ込まれたチョコレートだ。



『ほら、お口を開けましょうね。美味しい美味しいチョコレートをあげましょうか』


『むぐッ、ふぐうううッ』


『どうしました、あまりに美味しいから涙でも出てきますか? それはそれはよかったですね、最後の晩餐がこんなに甘ぁいチョコレートで』



 涙を流し、首をかろうじて振ってチョコレートを拒否するも、馬乗りの状態で身体を固定されているので無理やりチョコレートを口の中に入れられてしまう。吐き出されないように口を押さえ込まれ、さらに鼻の穴も塞がれて呼吸を阻害される。

 もごもごと何やら叫んでいたが、無意味だ。口の中の温度で溶け出したチョコレートの苦味と甘味に襲い掛かられ、警備員は全身を脱力させる。もう抵抗しても意味がないと悟ったのだろう。


 リヴはそこで、警備員をようやく解放する。ズタボロにされた警備員は、その場に転がったまま動こうとしない。



「リヴ君、窒息死させちゃった? あまりつまらないことをしないでよ」


「そんな無粋なことはしませんよ。ちゃんと息してます」



 リヴはこれが証拠だと言わんばかりに、警備員の腹を思い切り踏みつけた。警備員の口から苦悶の声が漏れ、痛そうに身体を縮こまらせる。


 すると、バタバタと足音が複数聞こえてきた。

 どうやら警備員の通報を受けて、応援が駆けつけてしまったらしい。日本人は労働に対して本当に真面目である。警備員なんて適当に仕事をして過ごせば、命を捨てることもないのに。


 ユーシアは自動拳銃の残弾数を確認しながら、



「あーあ、寄ってきちゃった。どうすんの、リヴ君」


「ご心配なく。実はチョコレートの他にいいものもユーリさんに調合してもらいまして」


「魔法のお薬? それで女体化したらお前さんのことをぶん殴るからね」


「そんな高価なものを不特定多数を相手にする為に用意しませんよ。シア先輩の飲むコーヒーにどうやって仕込もうか考えるぐらいです」


「お前さんからもらうコーヒーは絶対に飲まないって今決めた」



 そんな言葉の応酬を繰り返しながら、リヴが円筒形の物体を取り出す。



「じゃーん、スモークグレネードです」


「へえ、いいじゃん」


「しかも中身の煙は濃度の高めな【DOF】です」


「最高じゃん」


「まあ中身がちょっと濃度が高いもんで、あまり弾数は用意できなかったんですけれど」



 最初からそれを使えばよかっただろ、という意見はこの際無視である。気にしてはいけない。


 ドタバタと大量の警備員が、フロアに雪崩れ込んできた。全員揃って愚かなことに、ガスマスクなどを装備していない。これでは「我々を【OD】に変えてください」と言っているようなものではないか。

 リヴが銀色の円筒を握りしめていることに、警備員たちは警戒心を露わにする。その警戒心を持ち合わせるなら、少しは【DOF】についての知識を備えるべきだったのに。


 銀色の円筒に突き刺さるピンを引き抜いたリヴは、正確なコントロールでそれを警備員たちめがけて投げ込む。



「ようこそ地獄へ!!」


「せいぜい死ぬまで苦しみなよ」



 ユーシアとリヴが手向けの言葉を警備員たちにやると共に、床に落ちた銀色の円筒から白い煙が噴き出す。

 濃度の高い【DOF】に襲い掛かられ、警備員たちは激しく咳き込んでいた。慌てた様子でその場から逃げ出すも、濃度の高い【DOF】は彼らの鼻から侵入して簡単に一般人の概念から外れさせる。煙を少しでも吸えば漏れなく【OD】の仲間入りだ。


 白い煙に包まれたオフィスフロアから、ユーシアとリヴは姿を消す。悲鳴と怒号が遠くの方で聞こえてきた。

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