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【第8話】

 ポストに箱が届いた。



「おかあさん……?」



 薄暗い部屋の中に1人で過ごす子供は、新聞受けに滑り落ちてきた箱を見つける。

 高級感あふれるその箱は、金色のリボンが結ばれた綺麗なものだった。その子供が大人になるまで食べられそうにないような代物だったのだ。


 もう何日も食事がないまま、ゴミ溜めの部屋で過ごす子供は堪らず金色のリボンを解く。蓋を開けると、甘い香りが鼻孔を掠めた。



「ちょこだ……!!」



 艶やかな茶色い粒たちを前に、子供の落ち窪んだ瞳が輝いた。





 コトン、という音がした。



「へあッ!?」



 パソコンの前を陣取るその男の口から、やけに甲高い悲鳴が漏れた。


 漫画やライトノベル、フィギュアやアニメのDVDボックスなどで溢れ返る雑多な部屋。隙間にカップ麺の空き容器や空っぽのペットボトルなどのゴミが点在する。

 そんな『汚い』と感想が先行する部屋に、見覚えのない箱が置いてあった。やけに高級感のある化粧箱である。高級なお菓子を詰め込む際に使用される箱だ。金色のリボンで飾られており、男の古傷が何故かジクジクと痛む。



「ば、バレンタインのチョコレートかよ……」



 悪態を吐いた男だが、樽のように突き出た腹がぐぅと鳴る。空腹を訴えてくる腹をさすり、それから男は何の疑問も持たずに箱に手を伸ばす。

 金色のリボンを解いて蓋を開けると、ふわりとチョコレート特有の甘やかな香りが鼻孔をくすぐる。仕切りによって区分けされた粒状のチョコレートとご対面を果たした。


 ハート型のチョコレートを指先で摘んだ男は、目線の高さにそれを掲げる。



「まあいっか……」



 そうして、焦茶色の表面に黄ばんだ前歯を突き立てた。





 ぴんぽーん、とインターフォンが鳴る。



「あら……?」



 タワーマンションの1室、ちょうど夕飯の支度をしていた専業主婦の女性は料理の手を止める。


 壁に取り付けられたモニターには来客を告げるランプが点灯していた。宅配業者でも来たのだろうか。主人である男は女性に何の前触れもなく荷物を注文したりするので、自宅には結構な頻度で宅配業者がやってきていた。

 パタパタとモニターに歩み寄り、ボタンを押してインターフォン前に立つ人物を画面に表示させる。鮮明に映し出されたのは、どこか宅配業者らしくない男性だった。


 くすんだ金髪に無精髭、何だか不安そうにカメラの前に立つ。



「はい……」



 女性がカメラ越しに応じると、すぐ脇から黒髪の青年がひょこりと顔を出す。



『お届け物です。SNSでチョコレートを注文しましたね?』


「あ、はい。そうです」


『玄関にチョコレートの袋をかけさせていただきました。ご主人と一緒にご賞味ください』


「わざわざご丁寧にありがとうございます」



 女性がそう応じると、黒髪の青年は金髪の男を連れて去っていく。金髪の男は女性と青年が会話をしている間も困惑した表情を浮かべていたので、おそらく日本語が堪能ではないのだろう。


 インターフォンの映像を切断し、女性は玄関に向かう。

 慎重に鍵を外して扉を開けると、外側のドアノブに高級感のあるデザインの紙袋が引っかかっていた。中身を確認すると紙袋と同じ見た目をしたお菓子の化粧箱が入っている。痩せると噂されているチョコレートだ。


 最近はそういった代物も多いし、SNSでは色々なダイエット用の食品の情報も溢れている。これも同じようなものだろう。



「まあどうせ眉唾なんでしょうけど。チョコレートだから主人も怪しむことなく食べるだろうし」



 チョコレートの袋を手にして、女性は足取り軽く台所に戻っていく。今日の晩酌のお供は、この高級そうな見た目のチョコレートだ。



 ☆



 そこら辺の企業にタワーマンション、一軒家。

 ユーシアとリヴは、次々と【DOF】が混入されたチョコレートをポストに投函していく。建物内に人がいれば「お届け物です」で通用してしまった。防犯意識というものがネオ・東京には存在していないのか。


 オフィスビルから悠々とした足取りで出てくるユーシアとリヴは、防犯カメラを警戒してすぐに路地裏へ引っ込む。



「配りましたね」


「いやぁ、ここまで量産できるなんてユーリさんは凄いね。あとで物凄いお金を請求されそう」


「SNSの方も好調なので、そちらの収入で相殺してやります」



 そんな会話の中に混ざり込む、銃声と悲鳴。


 きゅらきゅらきゅら、という死の足音が忍び寄る。【DOF】の成分を検出して【OD】を処刑する為にネオ・東京が開発した殺戮兵器だ。あのドラム缶みたいなロボットが街中を行き交い、ユーシアとリヴがばら撒いた【DOF】入りのチョコレートを口にした元一般人を殺して回っているのだろう。

 まだまだ【DOF】に関して情報を得ていないからこんな結末を辿ることになるのだ。可哀想に、ネオ・東京という閉じ込められた地獄の檻で彼らは死んでいく。


 どさくさに紛れて自分用に整えた煙草型の【DOF】を取り出すユーシアは、真っ黒い煙草を咥えると先端に安物のライターで火を灯す。



「ニュース速報が流れるまでまだ時間はあるかな?」


「今頃、情報収集してニュース原稿でも作っているのでは?」


「じゃあもうちょっと配る余地はありそうだね」


「それか無理やり食わせるのでもいいですよ。その方が楽です」



 相変わらず暴力的な思考回路を持つリヴの提案に、ユーシアは「そうやってもいいけど、人手がなぁ」と苦笑する。


 この場にいるのはユーシアとリヴの2人だけだ。無理やり相手に食わせるとなれば、押さえつける係と食わせる係の最低でも2人は必要になってくる。ネオ・東京の惨劇をまだ知らない一般人がどれほどいるか分からない以上、無理やり食わせる方法は得策ではない。

 せめてもう何人か応援がいれば話は別なのだが、高望みは出来ない状況だ。これはユーシアとリヴの独断専行だ。誰かに相談すれば「無茶なことを」と止めるに決まっている。


 すると、



『お、お前ら、お前らぁッ』


「ん? 誰?」


「見た目的には浮浪者でしょうか。公園にでも住んでいるホームレスでは?」



 暗い路地裏の奥から、何やら足元が覚束ないボロボロの格好をした老人が歩み寄ってきた。その肩から止めどなく血が溢れ出ており、痛々しい傷跡となっている。おそらく表通りの惨劇に巻き込まれた一般人だろう。

 真っ白な髭に隠された唇を振るわせ、嗄れた声で何かを叫ぶ。日本語なのでユーシアには理解できない。日本語が堪能なリヴの反応を伺うも、真っ黒なレインコートのフードに隠れた彼の横顔は冷めたものだった。


 リヴはユーシアの脇腹を小突き、



「ちょうどいい、あれに無理やり食わせてやりましょうか」


「ねえ、何て言ってたの? よく分からないんだけど」


「聞かなくていいですよ、あんなの。どうでもいいです、僕も内容を忘れました」



 ユーシアの質問にリヴは曖昧な答えを返し、レインコートの袖から注射器を滑り落とす。首筋に針を突き刺し、シリンダー内に揺れる透明な液体を体内に投与すると、その姿がさながら幽霊の如くフッと掻き消えた。

 消えたリヴに、浮浪者のような格好をした老人が驚きに目を見開く。リヴの行方を探そうと周囲に視線を巡らせるも、彼の姿はすでに老人の背後にあった。


 逆手に握ったナイフを傷ついていない方の肩に突き刺すと、老人の口から悲鳴が迸る。膝から崩れ落ちた老人を踏みつけ、コンクリートの地面に縫い止めた。



「シア先輩、チョコレートあります?」


「あるよ」



 砂色のコートのポケットに入れておいた、安物のチョコレートを相棒に渡す。先程、メイド服姿でネオ・東京の路地裏を中心に配り歩いていたものだ。

 安物のチョコレートを受け取ったリヴは、慣れた手つきで包装紙を引き剥がす。中身のチョコレートを指先で摘むと、ふがふがと暴れる老人の口の中に遠慮なく突き入れた。指先が涎に塗れることも構わず、簡単に吐き出させないように口の奥に入れて無理やり顎を閉じさせる。


 なおも暴れる老人の襟首を引っ掴んだリヴは、



「はい、地獄にどうぞ行ってらっしゃい」



 相手が叫ぶことも厭わず、表通りめがけて放り捨てる。


 背中から硬いコンクリートの地面に転がる老人。そこにきゅらきゅらとキャタピラを軋ませて歩み寄るドラム缶型の死神。側面から伸びた機関銃が老人に突きつけられる。

 連なる銃声。弾丸が、鶏ガラのように痩せ細った老人の身体を余すところなく射抜いていく。血溜まりの中に倒れた肉塊を金属製のアームで掴んだドラム缶型の死神は、そのままずるずる死体を引き摺ってどこかに向かう。


 立ち去るロボットを路地裏から見送ったユーシアとリヴは、



「ここは逃げるが勝ちだね」


「どこか別の場所に行きましょうか」


「ね」



 短くなった真っ黒い煙草を携帯用灰皿に潰し、ユーシアとリヴは路地裏を経由して新たな地獄を作り出すべく人通りの多い場所を目指す。

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