【第7話】
目標を見失った。
「クソ、見失った。やはり手練れだな」
廃れたオフィスビルの屋上で腹這いになる狙撃手――オトミヤ・フユキは極小の舌打ちを漏らす。
有名な狙撃手だとは聞いていたが、その勘はやはり凄まじい。組織に拾われてまだ3年程度のフユキでは、相手の実力の足元にも及ばないことを実感している。
昼間の狙撃も完璧だったはずなのに、どうしてか弾丸を避けられてしまったのだ。完全に殺せたと思っていたのに弾丸は空振りし、連中はまだ生きている。組織に所属する人間として失敗する訳にはいかないのに。
歯を噛み締めるフユキは、
「すみません、見失いました」
『油断するな。相手はあの織部だぞ』
耳に嵌め込んだインカムから、年上らしい深みのある男性の声が聞こえてくる。フユキの先輩からの叱責だ。
織部、という名前を聞いてフユキは身震いする。武者震いと言い訳をすることも出来たが、単純に怖かった。
話を聞いているだけでも現実離れしているのだ。数々の難関任務を単独で遂行し、あらゆる乗り物を操縦する技術を身につけ、幅広い国の言葉さえも習得し、挙げ句の果てに暗殺の腕前は超一流など漫画かアニメの中だけの世界だと思っていた。そんな完璧超人がこの世に存在するのかと鼻で笑ったぐらいだ。
フユキは改めて思う――相手をしているのは、只者ではないのだと。
「やっぱりいるんですね、そんな完璧超人みたいな存在が」
『ああ、実在したよ。まだお前よりも若いってのに、とんでもなく優秀な諜報員がな』
インカム越しに吐き捨てる先輩は、
『何でもそつなくこなす奴だった。上司から「やれ」と言われたことに対して何でもやってたよ。それこそ他国の大統領だって暗殺できるんじゃないかってぐらいの技術を身につけてた。実際に、何人も要人を闇に葬っているぐらいだしな』
「でも、そんな完璧超人を殺害なんて出来るんですか」
『相手は出奔してから何年も帰ってきてないんだ。こっちには最新の兵器などがわんさかいるが、相手の持っているものは旧式ばかり。腕前は劣っていても技術はこっちに軍配が上がってる』
先輩は自信満々に言うものの、フユキはどうしても不安が拭えない。
昼間に狙撃を失敗した時、確実にこちらを見ていたあの金髪の男。撃破目標である真っ黒なレインコートを身につけた青年の側に控える、純白にカラーリングした狙撃銃を操る珍しい狙撃手。
通称『白い死神』――ユーシア・レゾナントール。かつて勃発した【OD】による暴動、革命戦争に終止符を打った英雄だ。百発百中を誇る天才狙撃手が、まさかの撃破目標最大の味方である。
ただでさえ隙のない撃破目標なのに、さらに難易度を引き上げるのがあの狙撃手の存在である。離れる瞬間などなく、戦場ではいつだって側にいる邪魔な奴だ。
「あいつから先に仕留めれば」
撃破目標は、確実に動揺するはずだ。
暗視ゴーグルの倍率を調整して、フユキは狙撃対象を頭の中で切り替える。まずはあの英雄様の眉間をぶち抜いてから、ゆっくりと撃破目標である真っ黒なレインコートの青年の姿を探せばいい。
手練れの狙撃手だからどうした。英雄だから何だ。こちらは血反吐を吐くような思いで訓練を重ね、僅か3年でここまで到達して見せたのだ。狙撃の才能は間違いなくあると言ってもいい。
再び対面のオフィスビルの屋上に暗視ゴーグルで補正をかけた視線を投げかけると、
「ご機嫌よう」
ガチ、と後頭部に硬い何かが押し付けられた。
冷や汗が全身に噴き出る。心臓が止まるような、そんな衝撃が背後から。
だってそんな、あり得ない。数分前まではあのビルの屋上で、純白の狙撃銃を駆る狙撃手と一緒にいたはずなのに。
フユキはゆっくりと、首だけを背後に向ける。
「よくもまあ狙ってきましたね。アンタの狙撃の腕前を讃えて、こちらのデリバリーです」
フユキの背後に立っていたのは、真っ黒なレインコートを身につけた青年である。
夜の闇に解ける黒いレインコート、必要最低限に露出を抑えた邪悪なてるてる坊主の如き出立ち。振り返ったフユキの眉間に自動拳銃を突きつけた彼は、空いたもう片方の手に握った円筒状のものを掲げて笑う。
円筒に取り付けられた栓を口に咥えた青年は、
「花火はお好きですか? 僕は意外と好きなんですよ、風流でしょう?」
そう言って円筒形の物体の栓を引き抜くと、ポンとそれを上空に放り投げた。
次の瞬間。
網膜を焼かんばかりの強烈な光が、フユキを襲いかかる。暗視ゴーグルで視界を確保していたフユキは、あまりの眩しさにのたうつのだった。
☆
時は数分前に遡る。
『どう? そっちは』
「阿呆ですね、単独でビルにいるようです。これでは背後なんて狙いたい放題じゃないですか」
ユーシアが狙撃ポイントとして選んだオフィスビルの向かいにある建物にあっさりと侵入を果たしたリヴは、誰もいないのをいいことに携帯電話で呑気に通話をしながら真っ暗なビル内を彷徨う。
目的地は屋上である。誰かいるものかと警戒して敵陣に足を踏み入れたはいいものの、誰もいなくて拍子抜けだ。狙撃手なのに自分1人でどうにかしようだなんて愚かである。
ユーシアもリヴの厳しい意見に同意するように『うわ、それは馬鹿だね』と言う。
『人目があるような場所ならまだしも、ない場所で単独行動は危険だよね。俺のように視野が広いなら多少は応じることも出来なくはないと思うんだけど』
「シア先輩、無駄に視野が広いですもんね。僕が背後で変顔してるのも見てましたし」
『本当に、見えてないと思って何してんだろうこの阿呆の子とか思ったよ。ていうか無駄にって何? 向こう岸にいるなら狙えるからね?』
「撃ってもいいですけどちゃんと迎えにきてくださいよ。優しいキッスもご所望です」
『所望しないで、爆薬を口に詰め込んで殺してやる』
相変わらず手厳しい相棒の狙撃手に、リヴは苦笑する。まあ、これぐらいの軽口の応酬が出来るぐらいの間柄がちょうどいいのだ。
「というか、ちゃんと隠れてます? スタングレネードを投げる手筈ですけど、任務遂行してくれなきゃ困りますよ」
『当然でしょ、俺のことを舐めないでくれる? もうこっちは準備万端なんだから』
「見つからないでくださいよ。僕、遠距離だけは本当に苦手なんで」
『何年こっちがクソみたいな戦場で生き残ってると思ってるのさ。そんな簡単にやられるタマじゃないからね』
リヴは「では通話を切りますね」と告げて、電話を切る。電話番号を登録しているのは身内ぐらいのもので、この時間帯はネアもスノウリリィもぐっすり夢の中にいる。電源をつけっぱなしにしていても電話をかけてくることはないだろう。
ユーシアもまた言い忘れがあったとか言って折り返しの電話をかけてくることはない。リヴのやることなすことをよく分かっていらっしゃる、理解のある相棒様である。
携帯電話を落とさないようにレインコートの下へしまい込み、リヴはついに屋上の扉の前に立つ。冷たいドアノブを捻ると、キィと細やかな音を立てて扉が開いた。
「標的確認」
ちょっとだけ、ユーシアが言いそうなことを真似て呟いてみる。通話が繋がっていれば、確実に鼻で笑われそうだ。
件の狙撃手は、屋上に腹這いの状態で対面のビルを狙っている様子だった。何やら日本語でどこかと会話をしているので、インカムでも装備しているのだろう。よく見かける一般的な狙撃銃を構え、ユーシアとリヴがまたのこのこと屋上に現れる瞬間を待っているようだ。
獲物が屋上にやってくるものだと確信しているからか、こちらに視線が向けられることはない。ユーシアであれば間違いなく扉を開けた時点で気づくはずなのに、あの狙撃手はやはり愚か者だ。
リヴは静かにレインコートの袖から自動拳銃を滑り落とす。弾丸が装填されていることを確認してから、屋上に足を踏み入れた。
『あいつから先に仕留めれば』
譫言のように呟いた馬鹿な狙撃手の後頭部に、リヴは自動拳銃の銃口を突きつける。
『ご機嫌よう』
紡いだ言葉は、あえて日本語だ。
愚かな狙撃手が、ゆっくりとリヴに振り返る。その目元には暗視ゴーグルが装着されており、簡単に外れないようにバンドが後頭部をぐるりと締め付けている形式のものである。一般的な形の装備でよかった。
硬直する狙撃手へ自動拳銃を突きつけたまま、リヴはもう片方の手にスタングレネードを滑り落とす。本来の目的はこちらだ、相手を殺すことではない。
『よくもまあ狙ってきましたね。アンタの狙撃の腕前を讃えて、こちらのデリバリーです』
スタングレネードの栓を口に咥えて引き抜いたリヴは、
『花火はお好きですか? 僕は意外と好きなんですよ、風流でしょう?』
そう言って、ポンとスタングレネードを放る。
自分がスタングレネードの閃光にやられないように屋上へ伏せると同時、背後で盛大な爆発音が耳朶を打つ。
特大の花火は打ち上げた。あとは相棒がこの馬鹿野郎の脳天をぶち抜いてくれれば終わりである。




