【第6話】
数多あるビルの屋上に潜み、周辺警戒をしていた時だった。
「…………」
サア、と冷たい夜風が頬を撫でる感覚に、ユーシアは顔を上げる。
首筋にチクチクと針で突かれているような感覚がある。純白の狙撃銃を手繰り寄せて照準器を覗き込み、夜の闇に沈む世界にぐるりと視線を巡らせた。
暗視用の照準器をあらかじめ取り付けていたから、視界が不明瞭でも十分に見える。地上では哨戒任務に勤しむ同じコミュニティに所属する【OD】たちが銃火器を片手に周囲を警戒しており、懐中電灯で行先を照らして見回りもしている。
ならば、この首筋を針で突き刺すような嫌な感覚はどこから?
「ッ、いた」
「いました?」
暗視用の照準器に映り込んだ人影に、ユーシアは息を呑む。遅れてリヴも反応していた。
対面のビルから確認できた、真っ黒な人影。防弾チョッキにゴーグル、頭部を守るヘルメットなど重装備である。その人影に寄り添う形で黒光りする狙撃銃が、三脚に乗せられた状態で待機させられていた。
腹這いになったあの人物は、こちらに銃口を向けたままピタリと動きを止めている。あれは、嫌な予感しかしなかった。
ユーシアは照準器から顔を跳ね上げ、隣に寄ってきたリヴを突き飛ばす。それから自らもまた伏せると、
「起きるな!!」
「ッ」
2人揃って屋上に伏せた瞬間、タァンという細い銃声が夜空に響き渡る。
相手が射出した銃弾が射抜いたのは、ユーシアの純白の狙撃銃に取り付けた暗視用の照準器だった。レンズを粉々に粉砕し、銃身から外れてひしゃげた状態で屋上の床に転がる。
照準器だけを狙って撃ってくるとは、相手もなかなかの狙撃の腕前を持っていると言ってもいい。照準器を覗き込んだままでいれば、今度はユーシアの眼球が無事で済まなかった。
いいや、それよりも。
「あの野郎ッ!! あの照準器、高かったんだよ!?」
「わざわざ純白にカラーリングするから高くなるんじゃないですかね」
「喧しいわ、いいでしょ別に。白って格好いいでしょ!!」
ひしゃげて転がる照準器を悲しんでいる暇などなく、ユーシアは純白の狙撃銃を拾い上げて銃把に頬を寄せる。
寸前まで敵の位置は見ていたから把握している。暗闇の中でも意識を集中させれば、その中を蠢く人影のようなものは認識できる。
相手が第2射を放ってくるより先に、ユーシアは引き金を引いた。細く長い銃声が響き渡り、射出された弾丸が対面にある墓石のようなビルの屋上めがけてすっ飛んでいく。
しかし、
「わあッ!?」
「撃ってきましたね」
「言ってる場合!?」
タァン、という2度目の銃声。
ユーシアは慌てて純白の狙撃銃を抱えて、ビルの硬い屋上を転がる。硬い床の上を転がったせいで全身が微妙に痛い。
どうやらユーシアの弾丸は外れたらしい。おかげで元気な2発目が叩き込まれることになった。幸いにも撃たれた弾丸は外れたようで、硬いコンクリートを穿つ耳障りな音が夜の闇に吸い込まれていく。
極小の舌打ちを漏らしたユーシアは、
「ここじゃいい的だよ。まずは逃げないと」
「そうですね、撃たれたらシア先輩みたいに眠るだけならいいんですけど」
「よくないよ。相手にキスされなきゃ起きないよ」
「前言撤回します。僕の唇はシア先輩専用なので」
「気持ち悪いことを言わないでくれるかな?」
純白の狙撃銃と開けっ放しにしていたライフルケースを抱え、ユーシアとリヴはビルの屋上から撤退する。撤退する際も開け放った屋上の扉に銃弾がぶち当たり、ガイン!! という馬鹿みたいに大きな音を奏でた。
これだけ正確に狙ってくるということは、相手も暗視用の装備を持っていると予想していい。羨ましいことこの上ない装備である、これが終わったら死体から暗視用の照準器を奪い取ってやりたいところだ。
薄暗い階段を駆け下りるユーシアは「あーもう」と呻く。
「照準器をお釈迦にされた恨みは晴らしてやるんだから」
「どうしますか? 相手の居場所は把握できていませんが」
「どうしようかなぁ、手当たり次第に爆弾を投げればいいかなぁ!!」
ユーシアはヤケクソ気味に叫ぶ。
どうせ相手は狙撃ポイントから動くのにも時間がかかりそうである。荷物をまとめて、あの高いビルから飛び降りるなどという自殺行為はしないはずだ。パラシュートでも使えば今度はユーシアのいい的である。
ならば、相手が狙撃ポイントして選んでいたオフィスビルに侵入した上で、室内決戦を申し入れるか。正直なところ、屋外の方がユーシアはありがたいのだが。
すると、先導するように走っていたリヴがピタリと足を止める。
「爆弾ですか」
「何、リヴ君。何か思いついた?」
「ええ、まあ。手当たり次第に爆弾を投げるという部分でいい案がありますね」
暗闇の中、リヴがユーシアに振り返る。窓から差し込んでくる月明かりが、レインコートのフード下に隠された彼の白皙の顔を浮かび上がらせる。
「僕が囮になったらどうです?」
「殺すよ」
「話を聞いてくださいよ。僕以上の殺意に満ちてませんか?」
「お前さんが自殺を選ぶような人間だとは思わなかったけどな」
ユーシアが純白の狙撃銃を構えることに対して、リヴは両手を上げて敵意がないことを示してくる。
現状、リヴはネオ・東京の人員から狙われている身だ。ネオ・東京の最奥に座す日本国大統領の直轄の諜報機関『カゲロウ』に所属していたが、退職届を上司の顔面に叩きつけて出奔してきたのだ。
それを、諜報機関『カゲロウ』側は許していなかった。諜報機関を正規の手続きで辞めることは不可能で、出奔すれば間違いなく追っ手によって殺害される。機密情報を握っているかもしれないという情報を鑑みれば分からなくもないのだが、何の情報も握っていないリヴを殺害しようだなんて馬鹿げている。
あの狙撃手だって、どうせ『カゲロウ』の1人だろう。囮になりに行けば「殺してください」と言っているようなものではないか。
「悪いね、リヴ君。『カゲロウ』ってのにお前さんの命を奪われるぐらいなら、今ここで俺が殺してあげるよ」
「僕があんな雑魚に負けるとでも思っているんですか。心外ですね」
「じゃあ何で囮になりに行くって発想になったの? もしかしてドMに目覚めた?」
「常日頃から変態紳士と呼ばれていますが、さすがにそこまで変態に堕ちていませんよ。紳士を舐めないでいただけませんか」
リヴは「違いますよ、死にに行きません」と言い、
「暗視用の照準器は、明るい場所では使えませんよね。照準器じゃなくても暗視用のゴーグルなんて使えないと思うんですよ」
「そうだね」
「シア先輩、わざわざ暗視用のゴーグルがあるのに暗視用の照準器なんて使います? 照準器のみが暗視用のものだったら背後から狙われても対応できませんが、暗視用ゴーグルだったら背後から狙われても自動拳銃で対応できると思いません?」
「なるほどね」
リヴの言わんとすることに、ユーシアは納得したように頷く。
確かに常識で考えれば、暗視用の照準器のみを用いるのではなく暗視用ゴーグルを装備すれば色々な状況に対応できる。特に照準器のみでは背後から襲いかかってきた敵兵に対応できないが、暗視用ゴーグルを装備していれば自動拳銃なり何なりで十分に対応できる。
そして暗視用ゴーグルは、簡単に外すことが出来ない。頭をしっかり固定するようにバンドを巻き付けてしまうから、着脱も一手間かかる。
リヴはレインコートの袖から円筒形の物体を滑り落とし、
「こちら、スタングレネードになります」
「俺は裸眼だから、対岸から見えるぐらいにめっちゃ照らして」
「めちゃくちゃ投げますので大丈夫です」
リヴのやろうとしていることを完全に理解したユーシアは、彼が囮になる作戦を受け入れるのだった。多分、この作戦が最も効率よく相手を仕留めることが出来る。




