【第5話】
トンネルの内部はやはり暗い。
「これどこに向かってるの?」
「トンネルや線路の修理などで設けられた業者用の通用口ですね。ちょうどその付近がネオ・東京になりますので」
足元の悪さに神経をすり減らしながら、ユーシアはリヴの背中を追いかける。
古びた線路が敷かれている影響で足場は非常に悪く、しかも視界は闇に塗り潰されている状態なので懐中電灯がなければ前に進むことすらままならない。それどころか懐中電灯の僅かな明かりでさえ目の前の闇より向こうを払うことが出来ないのだ。
地下鉄内を歩き回るということがないので新鮮な気分ではあるのだが、歩きにくいことこの上ない。電車が来ないので線路の上を悠々と歩けるのが少しだけ楽しい。
「地下鉄内って電車が通るから歩けないし、何かちょっと新鮮だな」
「海外で地下鉄のご経験は?」
「一応はあるけど、まあ治安が悪いからね。あんまり乗りたくはなかったなぁ」
特にいきなり電車内で飲酒しだしたり、でけえパンを食べ始めた時には我が目を疑ったものである。日本だとそういったことがないと【DOF】が出回る前に日本旅行をした知り合いが言っていたような気がした。
揉め事を起こしたりするのもザラにあるので、地下鉄はあまり利用したくない交通手段だった。治安のいい場所なんて本当にどこにもなかったし、【DOF】が出回り始めてからそれがより顕著となった。
リヴは「そうですか」と応じ、
「僕はこうして線路内を侵入経路として使うこともありましたので、慣れたものですよ」
「ここってお前さんが現役で使っていた道ってこと?」
「まあそうですね。あの時はまだ電車が走っていたので危険でしたが、便利でしたよ。【OD】の異能力を使わなくてもバレませんからね」
「怖ッ」
ユーシアは思わず身震いしてしまった。
今でこそ電車が走っていないから線路の上を歩いても平気なものだが、リヴが現役の諜報官だった時代は電車がびゅんびゅんと通っているこの場所を侵入経路として利用していたのか。電車に轢かれようものならミンチになることは確定しているのに、よくもまあやるものである。
現在とは違い、昔のリヴは多少の無茶なことを難なくこなしていたところを考えると相当優秀な諜報官だったのだろう。諜報機関側としても手放すのは惜しいと思わなかったのか。ユーシアがリヴを諜報官として雇用する側だったら絶対に引き留めている。
懐から【DOF】の黒い煙草の箱を取り出したユーシアは、真っ黒な煙草を口に咥えて安物のライターで火を灯す。
「お前さんって優秀だったんだなぁ、電車がびゅんびゅん走ってる中でこんなしっかり歩けるなんて。俺なんか電車が走ってないからまだいいけど、これで電車が走っていたら死んでるって」
「シア先輩、稀に見る鈍臭さですもんね。狙撃の腕前がなかったら何が出来たんですかね」
「辛辣だな、俺は褒めたのに」
「だって事実じゃないですか。たまには運動したらどうですか」
事実をグサグサと容赦なく刺され、ユーシアは苦笑するしかなかった。いやまあ、自分でも多少は改善しようと努力はしているつもりなのだが、その努力が身を結んでいないようである。悲しいかな。
「ところでシア先輩、ネオ・東京に行ったら何をするおつもりですか?」
「え? あー、うん。どうしようか」
そういえばよく考えていなかったことに、ユーシアはふわふわと応じる。
ネオ・東京に侵入しておきたいとは言ったものの、ネオ・東京に侵入してやることがない。せいぜいやることと言えば強盗ぐらいだが、奪いたいものなんて存在しないのだ。
帰りを待つネアの為に甘いケーキでも狙うべきだろうか。昼間のバラエティ番組で見かけたスフレパンケーキを食べたそうにしていたが、スフレパンケーキを狙って強奪するのは難しい。そもそも、持ち帰りに適していないメニューなので持ち帰る頃にはすっかりぺちゃんこにでもなっていそうだ。
首を捻るユーシアは、
「ネアちゃんの為に甘いものでも持ってきたいところだけど、持ち帰ることって出来るかな」
「容器に入っているものなら可能では? プリンとかゼリーとか」
「あ、ゼリーいいな。カラフルで果物入っていたら最高かも」
「ではゼリー系を狙いましょうか。どうせ高級品しか置いていないんでしょうし、強奪してくださいと言っているようなものではないですか」
「誰もそんなことは言ってないんだよなぁ。でもまあ奪うけども」
倫理観をゴミ箱に捨て去った悪党に、金銭を払って食べ物を買うなどという常識は備わっていなかった。そもそも魔都では貨幣価値がゼロに等しく、物々交換かネオ・東京に運び込まれる品物を強奪して生活が成り立っているのだから仕方がないと言えば仕方がない。
ネオ・東京は煌びやかな街だったし、高い技術を持つまともな日本人が集結している場所である。それはもう見た目も華やかで美味しいものがたくさんあることだろう。ネアも大いに喜んでくれそうである。
そういう方針を固めたその時、
――じゃりッ。
ユーシアとリヴたちのものではない足音が、闇に支配されるトンネル内にやたら大きく響き渡る。
線路の剥き出しとなったコンクリートを踏みしめる音だった。音は認識できたものの、姿が闇に隠れているのでユーシアの視力では確認できない。この場所がユーシアにとっての鬼門となるとは思わなかった。
足音が聞こえたと同時に、リヴの歩みも止まる。背中を追いかけていたユーシアも必然的に足を止めざるを得なかったが、背中からひしひしと感じる圧迫感から見ても足を止めるのは妥当な判断である。
「シア先輩、気づきましたか?」
「うん、いるよね。気配は感じる、見えないけど」
「暗い中では狙撃手も形無しですね」
「うるさいな、ちゃんと確認してほしければ暗視ゴーグルでも寄越しなよ」
暗視ゴーグルでもあれば暗闇でも狙撃は可能だが、あいにくとそんな都合のいいものはこの場にない。懐中電灯で照らして状況を確認する他はなかった。
ユーシアが自動拳銃を懐から引き抜くと同時に、リヴは懐中電灯を消す。それからユーシアの背後を照らすように、再び懐中電灯をつけた。
強烈な光が闇に沈むトンネル内を照らす。その先にいたのはどこまでも闇の中を伸びていく線路とトンネル内に書き込まれた何らかの暗号、それから。
リヴのように真っ黒なレインコートで身体全体をすっぽりと覆い隠した、見慣れない誰か。
「ッ!!」
ユーシアはほぼ反射的に自動拳銃の引き金を引いていた。
真っ黒なレインコートを身につけた、邪悪なてるてる坊主のような見た目の何某は身を捻ってユーシアの撃った自動拳銃の弾丸を回避する。自動拳銃の弾丸を最低限の身のこなしで回避するのだから只者ではない。
まさかリヴを追いかけてきた日本国大統領のお抱え諜報機関である『カゲロウ』からの追手だろうか。連中は過去に何人か相手にしたことがあるのだが、面倒なことこの上ない相手だと認識している。
「あれ誰? リヴ君の双子のお兄ちゃん?」
「僕に兄弟はいませんよ。いたらいたで殺します、邪魔なので」
リヴはレインコートの袖から銀色の筒を滑り落とす。その筒の上部に取り付けられた栓を口に咥えて引き抜くと、トンネル内に佇む真っ黒なレインコート姿の何某めがけてぶん投げた。
銀色の筒が相手の足元に落ちると同時、網膜を焼かんばかりの強烈な光と耳を劈く轟音が炸裂する。強力すぎるスタングレネードを間近で受ければ、あの邪悪な見た目のてるてる坊主野郎もただでは済まないだろう。
ユーシアとリヴは身を翻すと、
「シア先輩、走りますよ。すぐそこなんで急いで」
「ひいい、こんな足場の悪い場所なんて走りたくないんだけど!!」
「我儘を言わないでくださいほら走る走る」
「リヴ君が連れて行ってよぉ」
「甘ったれたことを言わんでください」
線路の上という非常に足場の悪い場所を全力疾走する羽目になり、ユーシアは半べそを掻きながらリヴの背中を追いかけるのだった。




