【第5話】
得体の知れない真っ黒てるてる坊主から逃げ、ユーシアとリヴはトンネル内に設けられた扉の向こう側に飛び込む。
「何なのあれ、めちゃくちゃ怖いんだけど」
「おそらく元同業者の誰かでしょうね。知りませんけど」
「魔法の言葉だよね、その『知りませんけど』ってさ。本当に便利」
あまりの出来事に座り込んでしまったユーシアは、深くを息を吐いた。
リヴと同じような真っ黒てるてる坊主の格好を好むなど、少なくともユーシアの知り合いにはいない。リヴの知り合いにはいそうな雰囲気なので、彼が元々所属していた日本国大統領お抱えの諜報機関『カゲロウ』のメンバーか誰かだろう。
雰囲気も似たようなものだったし、ユーシアが撃った弾丸を最低限の身のこなしで回避できてしまう身体能力と動体視力はリヴと同程度の高さでなければ不可能だ。諜報機関『カゲロウ』の諜報員の能力はリヴを見てきて身に染みているので、絶対にあれは優秀な諜報員だろう。
座り込んだユーシアの背中を軽く蹴飛ばしたリヴは、
「ほら早く立ってくださいよ、行きますよ」
「もうちょっと休ませてよ」
「追っ手がいるのに休んでいる暇などあると思ってるんですか?」
「うええ」
いつにも増してリヴがスパルタである。それだけ追いかけてくる相手が只者ではないと判断している様子だ。
仕方なしにユーシアは立ち上がり、重い身体を引き摺って先導するリヴの背中を追いかける。懐中電灯を片手にリヴが進んでいくのは、随分と使われていないことが予想される狭い階段だ。
コンクリートで構成された階段は非常に狭く、ユーシアも天井に頭がギリギリ届くか否かという具合である。アーチ状にどこまでも伸びていく階段には明かりのつかない蛍光灯が等間隔に並び、錆びた手摺も壁に取り付けられている。かつてはトンネル修繕の業者が使用していたらしいのだが、これだけ狭ければ犯罪者も身を隠しやすいのではないか。
手摺を掴むユーシアは、
「うわ、ザラッとした」
「錆びてますよ。随分と使われていないようですし」
「リヴ君はよく階段を手摺も掴まずに上れるね。尊敬するよ」
「この程度は当然でしょう」
これが常識だと言わんばかりに返すリヴに、ユーシアは改めて相棒の優秀さを実感した。いやまあ、疲れる素振りも見せずに階段を上っていけるのは当たり前か。
そう考えると、ユーシアの運動不足ぶりが際立つ。昔はそんなことなどなかったのに、今ではちょっとマラソンしただけで疲れが出る。やはり運動不足になっているのは否定できない。
階段を上りながらため息を吐いたユーシアは、小声でポツリと呟く。
「運動しよ……ラインバーツ少佐とか巻き込んで……」
「やたらめったらうるせえ声で『だらしねえぞ、死神ィ』なんて言ってきますよ。まずはご自分でランニングでも始めたらいかがです?」
「うわ聞こえてたの? ていうかラインバーツ少佐の声真似が上手すぎて逆に引くんだけど」
「引くって何ですか、引かれても困るんですけど。声真似に関しては真似しやすい相手が悪いと思いません?」
「真似しやすいのかなぁ、絶対に出来ないと思うよあんな大きな声。声帯がぶっ壊れるって」
「ここでも僕の優秀さが発揮されてしまったようですね」
「声真似って諜報員時代のスキルか何かだった?」
暗く狭い階段に、ユーシアとリヴの緊張感のないやり取りが響き渡る。その先で待ち受けているだろう、ネオ・東京の煌びやかな街並みを悪党はただひたすら目指すのだった。
☆
数分後のことである。
「よいしょ」
重たい扉をリヴが開けると、薄暗い路地裏のような場所に出てきた。
ほんの僅かに開いた扉から顔だけを出し、ユーシアとリヴの2人がかりで周囲を確認する。周囲を確認するだけならリヴよりも視力が格段に優れたユーシアの方に軍配が上がる。
路地裏にはゴミが散乱しており、独特の匂いが鼻孔を掠める。ポリバケツいっぱいに詰め込まれているのは飲食店から出るだろう生ゴミの山だった。何か食べるものはないかとばかりに野良猫や野良犬などがポリバケツの周囲に集まっており、ポリバケツからはみ出た袋を破こうと牙や爪で引っ掻いていた。
そして狭い路地裏の向こう側に、宝石をひっくり返したかのような煌びやかな街並みがほんの少しだけ確認できた。あの路地裏の向こうにあるのがネオ・東京だろう。
「クリア」
「おお、軍人っぽい」
「元だけどね」
ユーシアは重たい扉を開けて、野生動物の溜まり場になっている路地裏に飛び出す。自動拳銃を引き抜き、自前の消音器を銃身に取り付けた。
大勢の人間が集まる中で銃火器などの武器を身につけるのであれば、ネックとなる銃声をまずどうにかすべきである。銃声を響かせて人間を1人殺せば、すぐに増援がやってくるのだ。それはまるで害虫のようである、1人見たら30人はやってくるようなアレである。
感心するような眼差しを向けるリヴに、ユーシアは「で?」と振り返る。
「どこに行こうか」
「【DOF】が常にスキャニングされている状態なので、街の中を歩けば強制的に見つかりますね。軍隊もすぐに動くでしょうし」
「それなんだよなぁ、困る」
リヴの言葉に、ユーシアは顔を顰める。
ネオ・東京は【DOF】のないクリーンな街並みということがウリであり、もし【DOF】を摂取した【OD】が街を出歩いていると即座に分かってしまうのだ。体内に取り込まれた【DOF】を常にスキャニングしているので、【OD】だと判明した瞬間に死ぬ可能性が高まる。一般人であればもれなく死んでいるかもしれない。
もし下手にネオ・東京の街並みを歩けば、ユーシアとリヴの命が危険である。【OD】の判定が終われば次に武力行使が始まり、最終的には軍隊まで出動してくる。軍隊を相手取るならば、せめて足となる車がほしいところだ。
――そんな常識的なことが脳裏をよぎるも、悪党には関係なかった。
「ま、いいかぁ。お高いゼリーをお土産に出来れば今回はそれでよしとしよう」
「百貨店とか行きますか? この時間帯であればもう閉店していると思いますので、侵入は楽だと思いますよ」
「あ、いいね。どこにあるか分かる? やっぱり地図アプリとかないとダメかな」
「僕も不安ですね。ネオ・東京が出来る前に僕は出国してしまったので、まだこの街のどこに何があるかなんて把握しきれていない部分があります」
体内の【DOF】をスキャニングされて【OD】と判断されれば死ぬ確率が格段に上昇する最悪の街に飛び込んでもなお、ユーシアもリヴは「まあ、いいか」という判断が出来た。頭の螺子など、とうの昔にない。
どうせ武器を持った一般人よりも【OD】の方が強く、さらに戦闘経験も豊富なユーシアとリヴであれば軍隊が出てこようが何だろうが関係ない。数でしか圧倒できない一般人を哀れに思う他はない。
そんなことをヘラヘラと考えていた矢先のことだ。
――じゃりッ。
耳朶に触れる足音と、視界の端で認識できた真っ黒なレインコートを身につけた人影。
追いかけてくるだろうな、とは感じていた。ただその追いかけてくるのが早すぎる。やはりネオ・東京に熟知した諜報機関『カゲロウ』の誰かに違いない。
今度は真っ暗闇なトンネル内部と違って、僅かながらも明かりがあるから振り返らずともユーシアは姿を認識できた。同じくリヴも気配で分かったのか、目深に被ったレインコートのフードの下でうんざりしたような表情を見せている。
「追いかけてきたね」
「追いかけてきましたね」
「逃げるしかないよね」
「出来れば有利な状況に持ち込みたいところです」
ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせる。
人数的にはこちらが有利かもしれないが、地の利は圧倒的に相手へ軍配が上がる。出来れば有利な状況に持ち込みたいところである。
そんな訳で、
「路地裏を逃げ回ればいいでしょうね。逃げましょう」
「ひいい、また走るの!?」
「また走りますよ、ほら頑張って」
「頑張りたくないよぉ」
路地裏を駆け出すリヴの背中を、ユーシアは半泣きで追いかけることになった。また走る羽目になってしまった。




