【第4話】
その夜である。
「誰もいないね」
「いないですね、夜更かしをしないとは感心なことです」
深夜のトーキョー・ステーションを歩くユーシアとリヴは、あまりの静けさに感心する。目撃者がいないことは歓迎するべきだ。
誰も彼も寝静まり、トーキョー・ステーション内も明かりが落とされている。地下大迷宮が真っ暗になってしまうと歩行さえ困難な状況に陥ってしまうので、懐中電灯を片手に迷宮を彷徨っていた。
もちろん目的地は決まっている。今もなお壁の向こうでキラキラと目に優しくない明かりを発するネオ・東京に潜入するべく、地下鉄の線路を利用するのだ。
ユーシアは手にした懐中電灯で天井を照らし、
「お、あったよ」
「誰かいます?」
「明かりの届く範囲には誰もいないな。この先は分からないけど」
天井から吊り下げられた看板で『蓬莱線』の乗り場であることを確認したユーシアは、次いで足元を照らす。
出入り口を塞ぐように残された自動改札は、侵入者を拒むように閉ざされたままだ。貨幣価値がなくなった現在、運賃を自動計算してくれる自動改札の存在はもはや邪魔な門番である。簡単に撤去することも出来ないので、こうして残されたままなのだろうが。
ちょうど閉ざされた門は腰の位置までしかないので、ユーシアは簡単に跨ぐことが出来た。あっさりと蓬莱線のホームに侵入すると、リヴを懐中電灯で照らして自動改札を飛び越えやすくしてやる。
「ちょっとやってみたいことがあるんですけど」
「何よ、リヴ君。こんな時に?」
「誰もいないからこそテンション上がりません? 俗に言う『深夜テンション』って奴ですよ」
リヴの言葉に、ユーシアは「あー」と納得する。微妙な気持ちだが、まあ分からないでもない。誰もいないと自由奔放な考えになりがちだ。
自動改札から少しだけ距離を取ったリヴは、改札めがけて走り出す。スピードを維持した状態で勢いよく自動改札に手をつくと、反動を利用して飛び越えてくる。その姿はハリウッドスターのアクションさながらの乗り越え方だった。
さすがの身体能力を発揮して華麗に着地を決めたリヴは「ひゅう、やりました」とちょっと嬉しそうに言う。確かにあれは誰でも憧れはある。
「まあ、こういうのってシア先輩みたいな長身の外国人がやったら似合うんでしょうけど」
「無理かなぁ、ハードル走とか苦手だったもん。足に引っかかっちゃう」
「鈍臭そうですもんね、シア先輩」
「後ろから狙うよ、リヴ君」
「明日の朝にはしっかり起こしてくださいね。優しくしてください」
「永遠に目覚めさせないから安心して」
ユーシアとリヴの緊張感のないやり取りが、暗闇の中に反響する。
懐中電灯で行き先を照らし、階段にも十分に注意しながら下りていく。自動改札と階段を乗り越えてしまえばあっという間に蓬莱線のホームである。
低い天井を太い柱が何本も支えており、鉄製のベンチが等間隔で配置されている。『売り切れ』の文字が明滅する明かりの消えた自動販売機が物寂しげな空気を漂わせており、かつてはこの場所も栄えていたのかと実感させる。
ホームゲートが敷かれた線路に視線をやったユーシアは、
「無理やり開ける?」
「いえ、普通に乗り越えますけど」
リヴが平然と言うものだから、ユーシアは「えー」とつい言葉を漏らしてしまった。
「ここから飛び降りたら足がジーンってなったりしない?」
「我慢してくださいよ、それぐらい。大人でしょう」
「大人でも我慢できない時ってあるものだよ」
「文句を言うな喧しいな」
リヴからピシャリと一喝されてしまい、ユーシアは「分かったよ、もう」と唇を尖らせる。
このホームゲートを飛び越えるのは少しばかり難易度が高い。自動改札よりも高さがあるし、ホームゲートを飛び越えた先にあるのは底なし沼のように暗い線路である。迂闊に距離感を間違えるとうっかり怪我でもしそうだ。
加えて明かりがないことも懸念される。ユーシアが握っている懐中電灯以外の光源はないので、自然とユーシアも懐中電灯を握ってホームゲートを飛び越えるという芸当を要求されていた。しかもこっちは純白の狙撃銃を詰め込んだライフルケースを背負っているのだ。
ユーシアはリヴの肩を叩き、
「先に行って」
「はいはい、分かりました」
身体能力に自信のないユーシアの事情を察知したリヴは、仕方がないと言わんばかりの口振りで応じる。
ピタリと閉ざされたホームゲートの前に立つなり、先程の自動改札と同じ要領で軽々と飛び越えた。飛び越えた先に足場はなく、彼の姿は暗闇の中に落ちていく。遅れて着地するような音が耳朶に触れた。
ホームゲートの下に開けられた隙間からリヴが手を差し込むと、
「懐中電灯をください。あとアンタの背負ってる仕事道具も」
「丁寧に扱ってね」
「いつも丁寧でしょう」
ホームゲートの下から伸びてきたリヴの手に懐中電灯を握らせ、それからユーシアは背負っていたライフルケースをホームゲートのすぐ近くに置く。ホームゲートの隙間からライフルケースを差し込むことは出来ないので、彼の【OD】としての異能力を使ってもらう。
懐中電灯を回収したリヴは足元となるホームゲートを照らし、置かれたライフルケースは異能力を使用して何もなかったかのように姿が消えた。親指サイズまで縮められたユーシアのライフルケースは、難なくホームゲートの隙間を通り抜けて回収される。
ようやく準備が整ったところでユーシアはホームゲートを乗り越えるべく、腕の力で身体を持ち上げる。それからホームゲートに足をかけ、手を滑らせないように気をつけながら乗り越える。
「――――そこで何をしているんだい」
その時、背後で聞き覚えのある声が投げかけられた。
「シア先輩、見つかりました」
「分かってる、リヴ君。見えてるよ」
背後から浴びせられる人工的な光に、ユーシアは全てを察する。視野が広いので振り返らずとも2人を発見した人物が分かってしまった。
褐色肌にドレッドヘア、水着のような露出の多い服装――ユーリカと同業者であるナディアだ。蓬莱線の売店を根城にしているので遭遇するだろうとは思っていたが、まさかこんな夜中まで起きているとは想定外である。
懐中電灯で照らしてくるナディアは、ユーシアとリヴの存在を確かに認識すると音もなく瞳を眇める。
「こんな夜中まで起きてるなんて悪い子じゃないかい」
「そっちこそ、夜更かしは美容の大敵だよ」
そう言って、ユーシアはホームゲートを乗り越えた。
乗り越えただけで、足はホームゲートの向こう側に残る僅かな足場に引っかけられている。リヴのようにホームゲートを華麗に飛び越えて線路の上に着地を果たすことが出来るほど、ユーシアは身体能力に自信がない。
ホームゲートにしがみついた状態で、ユーシアは砂色のコートの下から自動拳銃を引き抜く。
「見逃して、このことを黙っておいてくれないと」
「――めくるめく夢の世界に招待します、さよならグンナイ」
「あれぇ!?」
いつのまにかリヴがナディアの背後に出現し、彼女の首筋に注射器を突き刺していた。その中身を投与されたことでナディアは膝から崩れ落ちた。
死んだかと思えば、彼女の口から聞こえてきたのは健康的ないびきである。どうやら本気で眠っているようだった。ユーシアが銃弾を消費しないでも済んでしまった。
リヴは空になった注射器を回収すると、
「こういう時の為に、ユーリさんのところから強力な睡眠薬を仕入れてきました。前後の記憶も混濁するようです」
「さすがだね、リヴ君」
「お褒めに預かり光栄です」
再びホームゲートをハリウッド俳優の如く飛び越えるリヴへ追随するように、ユーシアも線路に飛び降りる。意外とホームから線路までは高さがあり、飛び降りたことでジンとした痛みが足裏から伝わってきた。
「案内しますね」
「お願い」
懐中電灯を片手に先導するリヴからライフルケースを預かり、ユーシアは先に進む相棒の背中を追いかけるのだった。




