【第1話】
ドンドンドン、という荒々しいノックが部屋の外から聞こえてきた。
「んー……ん゛」
部屋のベッドで丸まって眠っていたユーシアは、部屋中に響き渡るノックによって叩き起こされる。
どうせ魔都は【OD】だらけで仕事が出来る環境が整っていないのに、日本人は定刻で働こうとするのが真面目な人種である。ほとんど社畜と言ってもいいぐらいだ。仕事は仕事、プライベートはプライベートで分けるお国柄で育ってきたユーシアから考えられない真面目さである。
とにかく最悪の目覚めであることには変わらない。惰眠を貪るチャンスだったのに、朝早くからノックをしてくる馬鹿野郎のせいで台無しである。これはもう脳天に銃弾の1発でもぶち込まなければ気が済まない。
寝癖だらけの金髪をそのままに、ユーシアは枕元に忍ばせた自動拳銃を手に取る。銃弾が装填されていることを確認してからベッドを出ると、
「うるっせえんですよクソが!! 誰だ!?」
「わあお、リヴ君いつのまに俺のベッドに潜り込んでたの?」
部屋の訪問者に対して絶叫したリヴは、何とユーシアのベッドから跳ね起きていた。昨日の夜に寝る際は「僕は1階のソファで寝ますので」とか言うので遠慮なくベッドを使わせてもらったら、何故かいつのまにか寝床に潜り込まれていた。相変わらずユーシアのベッドに潜り込むことが好きなご様子である。
リヴは黒いカーディガンとスウェットという寛ぐのに最適な部屋着の格好のまま階段を駆け下り、それから「おらぁ!! 誰だこの不届者!!」と叫びながら玄関に向かっていく。寝起きとは思えない素早い行動である。
一瞬で消えた相棒の姿に苦笑するユーシアに、まだ眠たげな声が投げかけられる。
「おにーちゃん、だぁれ……?」
「ユーシアさん、誰かお客さんですか?」
「多分そうだろうけど、俺たちで対応するから大丈夫だよ」
2台並んだベッドのうち、ユーシアが使っていたベッドの隣で眠っていたネアとスノウリリィもまたノックを目覚ましに起きてしまった。2人揃って何だか眠たそうである。
特にネアはまだ夢の世界に片足を突っ込んでいるのか、ふらふらと頭を揺らしていた。そのままベッドに押し倒せばまた夢の世界に旅立ちそうな勢いである。
ユーシアはネアを再びベッドに寝かせてやると、
「お客さんはお兄ちゃんが対応してくるから、ネアちゃんはまだ寝てな。リリィちゃんは悪いけど、朝ご飯を用意してくれる? 1人分ね」
「え? 私がですか?」
スノウリリィが驚いたように聞き返してくるのを背中で受け止めて、ユーシアは自動拳銃を片手に階段を下りる。
玄関先ではリヴが来訪者を口汚く罵っており、また来訪者も朝から喧しい胴間声で応じている。リヴの罵倒も来訪者のトチ狂った胴間声で掻き消されている節さえあった。
この胴間声には聞き覚えがある。年齢も年齢だし、元々は戦車を乗り回していた軍人だ。時間はきっちり把握しているだろうし、早起きは彼にとって常識なのだろう。ユーシアやリヴのように好き勝手に殺して、奪ってという悪党の生活を良しとしない。
痛みを訴えてくる頭を振ったユーシアは、自動拳銃を隠して玄関先に顔を出す。
「やあ、おはよう。ラインバーツ少佐殿」
「おお、おはよう!! 寝坊助ども!!」
猛獣のような強面に笑顔を見せる筋骨隆々の男――ヘルエスト・ラインバーツは呵々と笑う。
「弛んでるんじゃねえのか? 早起きして身体を動かさねえと、いざって時に戦えねえぞ?」
「ご心配どうも。幸いにも優秀な前衛のおかげで俺はあまり動く労力を使わなくていい職業なんでね」
「何だ、オレか!?」
「寝言は寝て言いなよ。互いに信頼できるほど、一緒に戦った覚えはないよ」
調子に乗ったことを言う『血染めの虎』に厳しめな口調で吐き捨てるユーシア。一連の言葉のやり取りでリヴの視線に鋭さが増したのだが、ヘルエストはどうやら気づいていない模様である。
「弛んだ意識を持つ連中には、こうして直々にオレが稽古をつけてやってんだ。お前らも来い!! その弛んだ性根を叩き直してやる!!」
「遠慮するよ、まだお腹も弛んでないしね」
「遠慮します。というか稽古なんていつの時代の話ですか、現代にそぐわないですよ常識ぐらいアップデートしろよおっさん」
何だか時代にそぐわないことを言い出し始めたヘルエストに、ユーシアとリヴは揃って拒否の姿勢を突きつけた。特にリヴに至っては暴言のおまけ付きである。寝ていたところを荒々しいノックで叩き起こしてきたヘルエストを恨んでいる節さえあった。
ヘルエストは「そうか!!」と断られたにも関わらず笑っている。最初から断られることを想定していたらしい。もしそうだとするならば稽古などに誘わないで、こんな朝早くからノックで叩き起こしてこないでほしいものだ。
ユーシアはヘルエストを見やり、
「で、何か用なの?」
「おう、稽古ってのはまあついでみたいなモンだがな。今日はお前らの初仕事だ」
ヘルエストは豪快に笑うと、
「本日、一〇二〇より調達作戦を開始する。戦力として所属する以上は、お前らも絶対に参加しろよ」
「言い方が軍人っぽいなぁ」
「悪いな、癖になってるんだよ」
いかにも軍人らしい言い回しで仕事のご命令をわざわざ届けにきてくれたようだ、朝からご苦労なことである。
ユーシアとリヴは互いの顔を見合わせた。
このコミュニティ『レジスタンス』で世話になる以上、悪党でも働かなければならない時が来る。ユーシアとリヴはこの集団に所属する際に戦力として売り込んでいるのだから、必然的に作戦などに加担させられるののだ。
働かざる者、食うべからずである。その精神ぐらい、ユーシアとリヴにも搭載済みだ。鍵付き個室という高待遇も受けているので、労働で返すのは当然のことである。
「分かったよ、どこに集合すればいいの?」
「〇九〇〇に中央広場だな。地上まで来いよ、駅舎が目印だ」
「そっかぁ、今の時間帯って分かってる?」
「〇六〇〇だな!!」
満面の笑みを見せるヘルエストに、ユーシアは「そうだよ」と頷く。
そう、今の時刻は6時過ぎである。冗談ではない、勘弁してほしい。9時が集合時間ならもう少しぐらい眠ることだって出来たのに、この頭のおかしい元軍人に叩き起こされたのだからご機嫌だって悪くなる。
まあユーシアは大人なので、報復に後ろから狙ってやるとか考える訳がない。仕事は仕事、プライベートはプライベートで分けるのがユーシアの流儀である。
ただし、今はプライベートの時間である。
「ユーシアさん、お食事が出来ましたよ」
「ああ、ありがとうリリィちゃん」
スノウリリィの呼び声に、ユーシアは笑顔で応じる。
「いやね、今から朝ご飯を食べようかなと思ってたんだ。ラインバーツ少佐もどう?」
「お、いいのか? じゃあ相伴に」
ヘルエストはユーシアが突き出してきた皿を前に固まる。
真っ白なプラスチック製の皿の上には、紫色のスライムがモコモコと蠢いていた。一体何を作ったのか分からないが、とにかく人間が食ったら危ない代物であるというのは見た目で判断できる。しかも皿の上を動き回るスライムから「ゔおおおお」という呻き声まで聞こえてきた。
こんな名状し難いスライムを朝食と称して突き出されれば、一般人は混乱する。【OD】だって同様だ。実際、ユーシアとリヴも初めてスノウリリィの料理の腕前を目の当たりにした時はこの世の地獄を見たものだ。
泣き出しそうな表情を見せたヘルエストは、弱々しい声でユーシアに問いかける。
「何だこれは?」
「さあ?」
「さあって何だ」
「分からないよ。リリィちゃんの邪神崇拝料理なんて」
「邪神崇拝料理!?」
ヘルエストは目を剥いて驚いた。
もういっそ【OD】としての異能力としてカウントした方がいいのかもしれないが、これがスノウリリィの料理の腕前である。祈るだけで食事が劇物に早変わりしてしまうのだ。目玉焼きを作っても、ホットケーキミックスでホットケーキを焼いても何だかおかしなものが出来上がってしまう必殺料理人である。
彼女が言うには「皆さんが今日も元気に過ごせるように祈った」らしいのだが、もはや邪神を崇拝していると言っても過言ではない。これを食ったら邪神の信者になりかねない。
「いや、いいわ。急に腹いっぱいに」
「リヴ君」
「了解です」
リヴがすぐさまヘルエストの背後に回り、羽交締めにする。ヘルエストは背後に現れたリヴに目を剥いていたが、その隙に彼の顔面へ紫色のスライムを叩きつける。
ヘルエストの口からくぐもった悲鳴が聞こえてきたが、構うものか。食べ物を粗末にするのが悪いのだ。
その後、スノウリリィの作った邪神崇拝料理を食ったヘルエストは「パンツが空を飛んでいる」と奇声を発しながらどこかに走り去ってしまった。