【第7話】
――記憶にあるのは凍てつく吹雪と、遠雷の如き大砲の音。
「くあ」
「緊張感ねえなぁ、ユーシア」
「ないよ」
雪道を走る輸送車の揺れに身を任せ、ユーシアは眠気を振り払うように欠伸をする。隣に座っていた同僚が「起きてろよ」と脇腹を小突くが、眠くて仕方がない。
ユーシアにとっては普段と同じ仕事の時間である。痺れを切らした敵の【OD】が間抜けにも拠点から顔を出したところを狙い撃ち、誰に殺されたのかも認識されることなく地獄に送ってやるだけだ。【DOF】に手を出したことを後悔する時間さえ与えない。
相棒である純白の狙撃銃を収めた箱を抱えるユーシアは、
「目標を撃破すれば終わり。シンプルでしょ」
「やっぱり『白い死神』様は言うことが違うぜ」
「そのあだ名は止めてって言ったでしょ。止めないとお前さんの脳天を狙うよ」
眠たい目を擦りながら脅しかけると、同僚の顔が明らかに引き攣った。友軍だろうがユーシアの声音が本気だと悟ったのだろう、両手を上げた彼は降参だとばかりに態度で示す。
もちろん、本気で友軍誤射を狙おうとは思わない。ユーシアは自分の狙撃の腕前に絶対の自信を持っている。余興を除いて友軍を狙うような真似をすれば、狙撃手としての名折れだ。
座り心地があまりよくない輸送車の硬い椅子に身体を預け、ユーシアは欠伸を1つしてから瞳を閉じる。どうせあと30分もしないうちに作戦の目標地点である。休めるうちに休んでおくのも仕事の一環だ。
――遠雷のような大砲の轟音が、腹の底に重たく響く。
それが不吉な目覚まし時計となり、ユーシアは堪らず瞼を持ち上げる。
真っ白に染まった輸送車の窓。その向こうを蠢く四角い影は、おそらく友軍の戦車だ。太い砲身が灰色の空へと向けられており、けたたましい轟音を奏でて火を噴く。
ずらりと並んだ戦車の群れが、雪を孕んだ冷たい風の中に沈んでいる。撃破目標に設定された【OD】の根城となっている建造物は見えないものの、遠くで何かが破壊される音を聞き取った。この吹雪の中でも的確に砲撃を成功させる辺り、かなり腕のいい戦車乗りなのだろう。
「うるさいなぁ」
「ラインバーツ少佐の戦車隊だろ。【OD】の拠点制覇数はピカイチだって聞くぞ」
ユーシアが独りごちると、愚痴を聞いていた同僚が補足してくれる。
ラインバーツという名前に聞き覚えがあった。ユーシアは「ああ」と如何にも興味なさげに応じる。
確かあれは、たまたま仕事で戦線が一緒になったからか。熊のような上背に整髪剤で白い髪を塗り固め、炯々と輝く琥珀の双眸が獰猛な光を宿していた。部下らしい軍人に胴間声で出発の準備を命じており、自らもまた戦車に乗り込んで先陣を切って突き進む姿は勇者のようだ。
先頭を進む彼を乗せた戦車は、あろうことか【OD】を轢き潰して血潮で作られた道を敷いた。断末魔は砲声で掻き消し、まるで蟻を踏みつけて遊ぶ子供のように【OD】を轢き殺していく姿は勇者ではない。狂人のそれだ。
「『血染めの虎』って誰かが言ってたけどさぁ、どちらかと言えば白熊だよね。獰猛で人間の血の味を覚えた熊さんだよ」
「あながち間違いじゃねえかもな。誰だろ、虎って言い始めた奴」
笑う同僚をよそに、ユーシアは再び瞳を閉じる。
立場が違う、得意なことも違う。ならば今後、ユーシアとかの狂人が交わることはない。頭の片隅で覚えておく程度の認識がちょうどいい。
出来れば今後もお近づきにはなりたくないものだ。砲声のせいで狂った胴間声で襲われたら、ユーシアの聴覚に何らかの悪影響でも及ばしそうである。
遠雷の如く鳴り響く砲声を子守唄に、ユーシアはしばしの休息に身を任せるのだった。
☆
――そう、あのヘルエスト・ラインバーツとは交わるつもりなんてなかった。
なのに何故か目の前にいる。
そして丸太のように太い両腕でユーシアを抱きしめ、出会えたことに対して喜びを露わにしていた。その胴間声がユーシアの耳へダイレクトに突き刺さり、頭痛を誘発させるどころか鼓膜を破る勢いで反響する。
唖然とするユーシアをよそに、ヘルエストはまるで子供のようにはしゃいでいた。琥珀色の瞳を輝かせ、ユーシアの背骨を折る勢いで抱きしめてくる。
「何だ死神ィ、テメェ全然飯食ってねえのか!? やけに細いじゃねえかァ!!」
「うるさいうるさいうるさい離れて」
「おっと」
ユーシアはヘルエストを突き飛ばし、痛みを訴える耳を押さえる。何かもう耳鳴りが止まない。
突き飛ばされたヘルエストは目を白黒させていたが、戯れ合いだと勘違いしたのかニィと口の葉を持ち上げて笑う。唇から覗いた犬歯は肉食獣の牙を想起させた。
血染めの虎と呼び声高い軍人が、この【OD】だらけの魔都にいることが驚きである。どういう経緯で【OD】の道を選んだのか不明だが、察知はしたくない。事情に首を突っ込むと面倒臭い。
「シア先輩、お知り合いですか? 何か仲良さそうにハグしちゃってましたけど」
「仲良く見えてるとしたら眼球を取り替えてきなよ、リヴ君。それとも節穴だからぶち抜いてあげようか」
ヘルエストとの関係性を『仲良し』で片付けようとした相棒の真っ黒てるてる坊主に、ユーシアは自動拳銃を突きつけてやった。どうせ異能力の影響で撃たれても傷つくことはないのだ、このまま永遠に眠らせてやった方がいいかもしれない。
一方のリヴは自分の吐いた言葉に対して後悔はないのか、しれっと明後日の方向を見上げて誤魔化していた。誤魔化し方が雑である。それで騙されてやるほどユーシアも優しくはない。
そんなリヴに、ヘルエストが目を付けない訳がなかった。
「何だテメェ、ちっこいなァ!! しかも雨じゃねえのにレインコートなんて着て頭おかしいんじゃねえの!?」
「ぎゃあああああ僕は男とハグをするような仲にはなりたくないんですよ離れろ離れろコラァ!!」
「何だよ恥ずかしがるなよ!! 友好の証じゃねえか!!」
「考え方が外国人!! クソがよ!!」
ヘルエストに抱きしめられたリヴは、暴言を吐き散らかして何とか抵抗していた。だがヘルエストの方に体格で軍配が上がっており、両腕ごと自由を奪われているので【DOF】を摂取して脱出することも叶わない。まるでぬいぐるみかお人形のように抱きかかえられているのは面白い。
しかもヘルエストの胴間声が耳に突き刺さるのか、リヴはレインコートのフードの下でひっそりと顔を顰めていた。彼の声がうるさいのは、ユーシアも身を持って味わった。
ジタバタとヘルエストの太い腕の中で暴れるリヴは、
「シア先輩、助けてくださいよ!! 可愛い後輩を見捨てないでください!!」
「わあ、リヴ君もう少佐と仲良くなったの? ハグまでしちゃって仲良しさんだね」
「これのどこが仲良しに見えるんだ、アンタの目はついに節穴になったんですか!?」
「お前さんがついさっき言ったことじゃない。やり返されてカッカするんじゃないよ。懲りたら余計なことを言わないことだね」
ユーシアはしれっとリヴを見捨て、
「で、ラインバーツ少佐殿は一体どんなご用事で? まさか挨拶だけ?」
「おう!!」
「まさかのだったよ」
ヘルエストの元気がよすぎる返事に、ユーシアはどう反応していいのか困惑する。喧嘩でも売られるのかと思ったが、相手はあくまで『白い死神』でありユーシアの顔を拝みにきただけのようだ。
抱きかかえていたリヴを解放したヘルエストは「じゃあな!!」と短い挨拶を残して、大股でユーシアたちの部屋から立ち去った。嵐のような男である。それぐらい頭の螺子が緩んでいなければ【OD】を戦車で轢き殺そうという考えに至らないだろう。
取り残されたのは【DOF】の調合に来たユーリカだけである。廊下の奥に消えていく熊のような上背の男が姿を消したことで苦笑した彼は、台車を僅かに揺すって部屋を訪れた目的を告げる。
「入っていいか? 【DOF】の調合、次の客も待たせてるんだよ」
「……ああ、うん。お願い」
嵐のような男に振り回されて放心状態のユーシアは、とりあえずユーリカを部屋に招き入れてやるのだった。




