【第4話】
『妹に何するんだ』
少年期特有の低めの声が背後から聞こえてきた時、ユーシアは即座に動いていた。
「ふんぬッ」
『ぐはあッ!?』
お菓子の箱をスノウリリィへと反射的に押し付けたユーシアは、純白の狙撃銃を槍に見立てて背後に立つ人物へと突き刺す。銃把が何か柔らかい音を抉ると同時に、膝から崩れ落ちるような音が続く。
背後を振り返ると、黒髪に黒い瞳を持った少年が苦しそうに鳩尾を押さえていた。彼の口から飛び出てきた言語は日本語である。自然と彼が日本人であるという方程式が出来上がる。
蹲る少年に純白の狙撃銃を突きつけたユーシアは、
「何、この子。どこから出てきたの?」
「シア先輩、それだけじゃないですよ」
リヴの警戒するような眼差しが周辺に向けられる。
視力に自信があるユーシアもまた、すでに異変を感じ取っていた。リヴとも長い付き合いになるので、彼が言わんとしていることは分かる。
高層ビル群のどこから湧いて出てきたのか、武装をした大勢の人間が遠巻きにユーシアとリヴの姿を観察していた。刺股や鉄パイプといった簡素な武器から自動拳銃や軽機関銃といった銃火器系、中には柿やきび団子といった飛び道具まで揃っていた。人数差はあるものの、緊張気味な表情は戦い慣れていないと言ってもいい。
黒いレインコートの下から大振りの軍用ナイフを滑り落としたリヴは、逆手にそれを握りしめて言う。
「どうしますか、殺しますか」
「ネアちゃんとリリィちゃんがいるからなぁ、あまり下手なことは出来ない」
ユーシアはそう言って、純白の狙撃銃で蹲る少年の頭部を軽く小突く。
「立ちなよ、人質はお前さんだ」
『このッ!!』
弾かれたように立ち上がった少年は、右手を振り抜く。
反射的に身を仰け反らせて回避するが、少年の右手はフックのように鋭かった。銀色の輝きを閃かせて、ユーシアの肌を引き裂こうとして空を切る。
右手のフックが空振りしたことで少年の黒曜石の瞳を見開くが、
「手が滑りましたぁ」
『ごばあッ』
リヴが横から容赦のない拳を、少年の頬めがけて突き刺す。
少年の口から白いものが弾け飛んだ。倒れ込む少年の顔面を踏みつけ、蹴飛ばし、相手から抵抗する力を奪っていく。
動きが鈍くなったところで無理やり座らせると、その側頭部にレインコートの袖から滑り落とした自動拳銃を突きつけた。すでに引き金には指がかけられており、即座に射殺する意思を見せつける。顔が血塗れの少年はされるがままだ。
ユーシアは遠巻きに観察してくる大勢の人間どもを見回し、
「飛び道具系の武器を持っている奴は全員捨てな、武装解除が確認できなかったらこの人質を殺すよ」
「日本語訳でいいですかね」
「お願い」
リヴに日本語訳を依頼すると、彼はユーシアの言葉を簡単に日本語へ翻訳して警戒した様子の連中に投げかける。
日本語訳を受け取った名も知らない連中は、顔を見合わせる。どうせ仲間意識などない、大は小を兼ねると言いつつ少年を口減らしの為に見捨てるつもりだろう。1人を切り捨てて大勢が救われるのであれば安い犠牲ではないか。
ところが、
『…………』
『…………』
何を血迷ったか、銃火器や飛び道具系の武器を装備していた連中が次々と武装解除し始めたのだ。手にしていた黒光りする拳銃を投げ捨て、渋柿やきび団子などは地面に放る。
悩んでいたのは一瞬の出来事だったように見える。一瞬の逡巡のあとに、たった1人の仲間を助ける為に武装を解除したのだ。これは「さすがだね」と称賛する他はない。「愚かだね」と馬鹿にするのもおまけだ。
ひび割れたコンクリートの地面に転がる銃火器や飛び道具系の武器を眺め、ユーシアは「へえ」と感心する。
「素直に応じるものだね」
「どうしますか? 殺してみますか?」
「頭を撃ち抜けばどっちが優位か分からせられるよね」
リヴが構えた自動拳銃の引き金を引こうとした、その時である。
『にいた、にいたんッ』
「あ、くまちゃん」
ネアの背後に隠れていた小さな熊が、リヴの足元めがけて突撃する。何をするかと思えば茶色い手袋をした拳でポコポコとリヴを叩いていた。
小さい熊は子供特有の甲高い声で何かを叫びながらリヴの足を叩いているが、肝心のリヴには少しもダメージが入っていない。レインコートのフード下に潜む彼の黒い瞳が僅かに見開かれただけだ。
ユーシアは純白の狙撃銃を構え、
「何て言ってる?」
「『にいたん』としきりに言ってますね。おそらく兄弟なのでしょうか」
「随分と歳の離れた兄弟だね。今だと珍しくもないか」
とはいえ、邪魔をするなら考えものである。ここは早々に眠らせておいた方がいいかもしれない。
ユーシアは小さな熊に照準を合わせたが、遠巻きにこちらの様子を窺う相手に動きがあったことを視界の端で捉える。投げ捨てたはずの銃火器を拾おうと身を屈めていた大人たちが何人かいた。
すぐさま小さな熊に照準していた純白の狙撃銃を跳ね上げ、牽制の為に1発撃ち込む。細く長い銃声が響き渡り、銃弾は武器を拾おうと身を屈めた1人の大人の頬を掠めて地面を穿つ。簡単に反撃を許すほど、ユーシアも馬鹿ではない。
銃声に驚いたらしい小さな熊は、あまりの出来事に腰を抜かしていた。まさか本気で撃つとは思ってもいなかったのか。残念ながらユーシアとリヴに日本の法律は通用しない。
「――人質なら私が代わろう」
流暢な英語が耳朶に触れる。
遠巻きにこちらを眺める集団から出てきたのは、初老の男性である。背筋がピンと真っ直ぐに伸び、白髪混じりの黒髪を後頭部に撫で付けた背広姿の男性だ。どこかの社長と説明されれば納得できる。
両手をひらりと揺らし、武器を持っていないことを主張する。わざわざ人質交代を申し出てくるということは、それなりの地位がある人間か。
少し距離を置いた位置で立ち止まった男は、
「だからその子たちを自由にしてあげなさい。子供には何の罪もないだろう?」
「……確かにその通りだ、子供たちに何の罪もないね」
ユーシアは新たに出てきた人質候補を純白の狙撃銃で狙い、
「でもお断りだよ。お前さんじゃ人質になりやしない」
「では要求を聞こうか。何が望みだい? 食料か? それとも【DOF】かな?」
「安全とでも言っておこうか」
望みはそれだけだ。
大勢の大人に取り囲まれている以上、ユーシアは気が抜けない。リヴも下手に人質である少年と、小さな熊を自由にすることは出来ないのだ。
武装解除をさせたとはいえ、いつ襲われるか分かったものではない。増援が来るかもしれない。常に最悪のことを想定して動いているから、人質交代だなんて生易しい申し出に応じるはずがなかった。
彼らが、ネアとスノウリリィの安全を保証してくれる理由なんてない。ならばユーシアとリヴが守らねばならない。
「悪いね、こっちも女子供を抱えてるんだよ。見つかって、武器を持たれた以上は抵抗する」
自分と、その周りだけ。
極小数を取りこぼさずに、守ることが出来るだけでいい。
ユーシアの言葉に、男は「そうだね」と同意を示してみせた。
「なら、雨風を凌げる安全な場所を提供しよう。どうか武器を納めないかい?」
「その保証は? どこが安全だって?」
「こっちは大規模なコミュニティだ、女性も子供もいる。彼女らも自由に過ごせているし、保証は」
「だから?」
男の言葉を遮って、ユーシアは言う。
「だから、何だって言うの? そっちも女子供を抱えているから仲良くなれるかもしれないって? オタクが抱えてる弱者に虐められでもしたら皆殺しにする自信だってあるよ、俺は」
あらゆる可能性は捨てきれない。仮に雨風を凌げる安全な場所に全員で保護されて、少し目を離した隙に誰かに連れて行かれる可能性は考えなかったか。子供同士でのイジメの可能性はないのか。不利益が生じる場合、よほど信頼できる相手でなければ連む必要性は全くない。
相手を信用できる要素がどこにある。この【OD】だらけの荒れ果てた魔都で、口から出まかせみたいなことを宣うようなお綺麗な男など信用に値する人物か。
そこに、鋭い声が飛んできた。
「あー、待て待て待てユーシア!! そう警戒すんなって、な? な?」
ユーシアの射線上に飛び込んできた青年の姿を認識すると、思わず狙撃銃を引っ込めてしまう。
前髪と後ろ髪で長さの違う黒髪と、女性から放っておかなさそうな精悍な顔つき。ライダースジャケットとスキニージーンズという簡素ながらもお洒落な服装。
すらりと背の高い青年は慌てた口調で「旦那も、お仲間に武装解除を言い渡して話し合いぐらいしましょーや」と説得を試みていた。彼の登場は意外だった。
「ユーリさん、どうして」
「このコミュニティで世話ンなってんだよ」
知り合いの【DOF】調合師であるユーリカ・ブラドックの登場に、ユーシアもリヴもさすがに武器を引っ込めざるを得なかった。




