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【第1話】

 朝である。



「んん゛」



 掠れた呻き声を発して、ユーシアは重たい瞼を持ち上げた。


 まだ思考回路が正常に働いておらず、見慣れない天井を前に一瞬だけ「ここはどこだ」と混乱する。そういえば見ず知らずの学校を拠点にしていた学生諸君を蹂躙し、寝袋を占領して寝泊まりをしていたことを思い出した。

 目を擦って起き上がると、何やら変な臭いがする。薬品ではないだろうし、かと言って料理が焦げたようなものでもない。見当のつかない悪臭が鼻孔を掠めて、ユーシアの意識は完全に覚醒した。


 また別の【OD】が攻めてきたのかと思ったが、違う。その原因はすぐ側にあった。



「ネアさーん? 朝ご飯ですよ?」


「やーッ!!」



 教室の隅に逃げ込み、ガタガタと震えるネアは悲鳴を上げた。翡翠の瞳には涙をいっぱいに溜め、突き出される地獄から逃れようと身を縮めている。

 そんな怯える少女に迫るのは、レトルト食品を手にしたスノウリリィである。酷い怯えように少しばかり困惑気味で、開封されたレトルト食品の袋を差し出して「朝ご飯ですよ、食べませんか?」などと声をかけている。


 何故だろう、デジャヴな予感。



「そぉい!!」


「痛ぁ!?」



 生命の危機を察知したユーシアは、思わずスノウリリィの脳天にチョップを叩き落としていた。


 脳天に攻撃を喰らったスノウリリィは、手にしていたレトルト食品を取り落とす。ひっくり返ったレトルト食品の袋からべちゃりと音を立ててこぼれたのは、紫色のドロドロした液体である。それだけなら毒物で済ませるところだが、何故かその紫色のドロドロした液体は自ら床を這い回り始めたのだ。

 これは、ファンタジー小説で言うところのスライムだろうか。ゲームでも何度か見たことあるし、スノウリリィの『ぽいずん☆くっきんぐ』でもお馴染みの代物である。でもまさか、お湯を注いで待てば出来上がるレトルト食品でも同じ現象が起こるとは思わないではないか。


 ユーシアは「何してんの!?」と叫び、



「食べ物に対する冒涜だよ!?」


「そんな、私はちゃんとお湯を入れて5分間待ちましたよ!?」


「じゃあ何でその成れの果てが自分で床を這いずり回る紫色の液体になってんの!!」


「私は何もしてません!!」



 スノウリリィは言いにくそうに、



「ただ、ネアさんが今日もご無事で過ごせるようにとお祈りをしましたが……」


「そうだった、リリィちゃんは邪神信仰してたっけ」


「普通にキリスト教徒ですが!?」


「イエス様はこんな物体を作れって言わないんだよ、聖書のどこにそんな記述があるんだ」



 とりあえず、スノウリリィが生み出してしまったクリーチャーは空っぽの段ボールを被せて見なかったことにする。彼女はまともな食事を作ったと信じてやまないようだが、紫色の液体でドロドロとした状態のまま床を這い回る謎物体Xなどまともではない。

 うっかり寝過ぎたのが悪かった。ユーシアが寝過ぎてしまうと、スノウリリィが勝手に朝ご飯を作ってしまうのだ。今後はレトルト食品はおろか食材全般をスノウリリィに触らせてはダメだと悟る。


 ひっくり返ったレトルト食品の袋――赤飯と書かれたそれを一旦見なかったことにしたユーシアは、



「ネアちゃん、悪いんだけどリヴ君を起こしてくれる? まだ寝てるみたいだからさ」


「うん、わかった」



 それまで教室の隅に逃げ込み、ガタガタと震えていたネアはユーシアのお願いに頷く。それから声まで聞こえ始めた段ボールを避けて、寝袋に未だ丸まっているリヴに乗っかり始めた。

 馬乗りになってゆっさゆっさと上下左右に揺さぶり、飛び跳ね、少々乱暴な手つきでネアはリヴを起こそうと躍起になる。まあ、あれぐらいなら耐えられるだろう。


 ユーシアは昨日のうちに確保しておいたレトルト食品の段ボールを開封し、



「リリィちゃん、食器の準備だけしておいて。料理はしなくていいから」


「は、はい……」



 しょんぼりと肩を落としたスノウリリィは、廊下の水道に向かう。昨日、使用したばかりのスプーンやフォークといった食器を水道近くに干しておいたのだ。ついでにネアへ差し出した赤飯を食べる為に用意されただろうスプーンも持っていく。

 自分の料理の腕前は信じているようだが、ネアからの嫌われようで自覚してほしいところではある。そろそろ本気でネアの命の危機が迫っていた。


 やれやれと肩を竦めたユーシアは、



「ネアちゃん、リヴ君起きた?」


「おにーちゃん、りっちゃんのおくちからちがでた」


「何で?」



 本気でそんな声を上げてしまった。


 見れば、馬乗りになったネアの下でリヴが吐血をしながら天に召されようとしていた。そうだ、紳士を自称する変態ロリコン野郎のリヴにとってネアから『馬乗り状態での起きろコール』は刺激が強すぎたのだ。心底幸せそうな表情である。

 一方のネアは、自分の軽率な行動が引き金になったと勘違いしているようで、泣きそうになりながらもリヴを揺さぶって「おきてよー……」と起床を促す。彼女は何も悪くない。馬乗りで起こすことは確かにちょっと軽率かもしれないのだが、悪いのは変態紳士のリヴである。


 ユーシアは少し考えてから、



「ネアちゃん、今日食べたいレトルト食品を選んでね。選んだら俺にちょうだい」


「うん」


「俺はリヴ君を起こすね」



 ネアと役割を交代し、ユーシアは未だに眠り続ける相棒の真っ黒てるてる坊主を見下ろす。


 さて、どうやって叩き起こしてくれようか。

 方法は色々あるが、この変態紳士にはちょっとばかりお灸を据えてやりたいところだ。せっかくネアが起こそうと頑張っていたのに、吐血で心配させるとは言語道断である。


 なので、



「あらま」



 教室の隅にずるずると移動しつつある段ボールを持ち上げてみると、そこにいたはずの紫色の謎物体Xの存在は消えていた。箱をひっくり返すと底にピッタリとくっついていた。どうやら身を隠す為に箱の底へ飛びついたようである、元々はレトルト食品のくせに自我を持っているとは気持ち悪い。

 未だに何のものなのか分からない悪臭は酷いし、モコモコと箱の底で動き回るので、あの銀髪のメイドは一体何を生み出したのかと頭を抱えたくなる。本当に元々はレトルト食品なのかと疑いたくなる。これもいっそ【OD】の異能力に数えれば最強の類になるだろうが、残念ながらこれはスノウリリィだけしか持ち合わせない才能である。


 ユーシアは箱の底を動き回る紫色のスライムを観察し、



「そいや」



 箱をリヴの頭に被せた。


 被せて数秒、そのあまりにも酷い悪臭によってリヴは「ぶわああああッ」と絶叫を口から迸らせながら飛び起きる。反射的に振り払った段ボールは教室の遥か遠い隅めがけて投げられ、その際に紫色のスライムも一緒に飛び出して床に叩きつけられていた。

 しばしの静寂のあと、リヴはゆっくりとユーシアを見上げる。彼の黒瞳は「何してくれやがってんですかクソ野郎が」という感情が滲み出ていたのだが、知ったこっちゃない事情である。天国から地獄に突き落とされようが自分の変態さ加減を恨むがいい。


 ユーシアは朗らかに笑うと、



「はい、起きたね。おはようリヴ君、自分の変態さにネアちゃんを巻き込まないであげてね」


「この野郎、よくも僕の幸せな時間を邪魔してくれやがりましたね。もう少し堪能させてくれてもいいじゃないですか!!」


「堪能するなって言ってんのよいいから起きろ馬鹿!!」


「嫌だ、ネアちゃんに起こしてもらうまで起きませんからね僕は!!」


「子供でも捏ねない駄々を捏ねるな!!」



 寝袋を引っ張って抵抗するリヴを強制的に叩き起こすべく、ユーシアは寝袋を引っ剥がす為に朝から取っ組み合いの喧嘩に挑むのだった。

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