【第10話】
窓の向こうに広がる真っ黒い空に、ポッカリと青白い月が浮かぶ。
「ふうー……」
夜中に目を覚ましてしまったユーシアは、窓枠に身体を預けて紫煙を燻らせる。冷たい風が頬を撫で、吐き出した煙を攫っていった。
脳裏をよぎったのは、昼間に考えた平和な世界。
この世に【DOF】がなかったら、もしかしたらユーシアは平穏無事に過ごしていたかもしれない。歳の離れた義妹と養父母とは適度な距離感を持って接して、自分は普通に就職して職場結婚でもしていただろうか。あるいは街で出会った観光客と恋に落ちていたかもしれない。
全て『かもしれない』で終わる仮定の話だ。全て手に入らなくなってしまったが。
「眠れませんか」
「おっと、起こした?」
「起きました。それだけです」
眠りから覚めてしまったらしいリヴが、真っ黒な煙草を吸うユーシアの背中に体当たりしながらも隣に並んでくる。今まで眠っていたのか、彼の横顔はどこか眠そうだ。
ユーシアは元々眠りが浅い方なので、夜中に目覚めてしまうとなかなか眠ることが出来ない厄介な性格だ。浅い眠りを繰り返し、時に悪夢に魘されて起きる羽目になる。今はまだ慣れない土地だから、夜中に起きてしまったら哨戒の仕事をしていれば気が紛れる。
リヴは「で?」とユーシアの顔を見上げ、
「悪夢でも見ましたか」
「いやね、この世に【DOF】がなかったらどうなっていたかなって」
「多少は平和になるんでしょうが、必ずしも死なないとは限りませんね。人生とは死と隣り合わせみたいなものですし」
「そっかぁ」
殺意マシマシで人殺しで生計を立てていたリヴだからこそ言えることである。「人生とは死と隣り合わせ」とはまさにその通りの生き方ではないか。殺して奪って、そして殺されて奪われるような世界に物心ついた頃から身を置いていればそんな考えにもなる。
真っ黒な煙草を燻らせながら、ユーシアは適当に頷く。実に相棒らしい思考回路である。
リヴはユーシアの脇腹を軽く小突くと、
「今日はいつにも増してセンチメンタルですね」
「俺は【DOF】を使わなかったらどんな人生を送ってたかなって思ってさ」
「へえ、そんなことを考えるんですね」
「うん」
ユーシアは紫煙をそっと吐き出し、
「多分だけど、普通につまらない人生を歩んでつまらない死に方をするんだろうね。それか暴動に巻き込まれていたかな? どうだろ、もう【DOF】に手を出す時に常識と一緒に捨ててきちゃった」
「何かなりたいものでもありました?」
「警察官になりたかったんだよね。特殊部隊っての? ああいうのに憧れはあったよ」
昔から銃撃や狙撃といったことは得意だった。記憶の奥底にある実父の家の倉庫に眠っていた、この純白の狙撃銃を見て育ってきたからだろうか。
どうせなら他人を守れるような人物になりたかった。狙撃の才能は他人を殺す為にあるかもしれないけれど、犯人を撃ち殺して市民の平和を守れるのであればそれもいいだろう。手っ取り早い英雄だ。まあ、ユーシアはある意味で英雄にはなったのだが。
リヴは興味なさげに「ふーん」と応じ、
「シア先輩にも夢とかあったんですね」
「そういうリヴ君はなんかあったの」
「海外には憧れがありました。何度かテレビで見たことはありましたし」
意外な回答があった、まさかリヴが海外に憧れを抱いていたとは想定外である。予想していた回答は「いえ、別に。そういうのないです」みたいな素っ気ないものだったが、存外夢や憧れなんてものは誰にでもあるかもしれない。
「でも、それ以上に僕は誰かがほしかったのかもしれませんね」
「誰か?」
「誰でもよかったんです。恋人だろうが、家族だろうが、何でも」
リヴは墨をぶち撒けたような真っ黒い空を見上げて、
「僕は今まで1人きりでしたからね。他人は殺すもの、組織は個人としての能力と戦果しか見ない。いつも1人きりで仕事をするのは、やっぱりどこかで寂しさを感じていたのかもしれませんね」
「寂しさとかリヴ君でも味わうんだね」
「正確には、最近味わうようになりました。昔より断然仕事の効果を発揮しやすいです」
口の端を吊り上げて笑うリヴは、
「きっと、シア先輩が一緒に堕ちてくれるからですかね。意外と気に入ってます、この関係」
「俺も気に入ってるよ、この関係。お前さんの隣は居心地いいからね」
「もったいない褒め言葉ですね」
そう、この関係性は居心地がいい。
1人きりで地獄に堕ちるのであれば、一緒に堕ちるところまで堕ちてくれる人がいてくれた方がいい。この真っ黒てるてる坊主な相棒は、その地獄の旅路まで一緒にいてくれると言ったから信用している。
だから、ユーシアは彼の為に生きるのだ。
「ふあぁ、眠くなってきたな」
「僕が入れ替わりで見張りをしますか?」
「いや、いいよ。どうせ誰かが来たら起きそう」
ユーシアは眠気を払うように欠伸をする。【DOF】を入れたことによって、安心して眠ることが出来そうだ。
どうせ明日も奪って殺しての日々がやってくる。目標だった移動手段の車も見つけたが、動くのか不安なので明日は燃料の確認をしたあとに食料があるところを見つけなければならない。
床に広げていた寝袋にゴロリと身体を横たえると、ユーシアは瞳を閉じる。
「リヴ君も寝なよ、大きくなれないよ」
「…………」
「ぐえッ」
いきなり全身に重たい何かがのしかかってくる。潰されそうな勢いに、ユーシアは思わず目を開けてしまった。
胸の上を見やれば、何故かリヴがユーシアを敷布団代わりに眠っていた。いや、多分これは狸寝入りである。「ぐー、ぐー」とか普通はありえないような寝息が聞こえてくる。
ユーシアはリヴの肩を叩くと、
「リヴ君、重いから退いて」
「ぐー、ぐー」
「リヴ君ってば。何でたびたび俺のことを敷布団代わりにするの」
「すぴー」
「絶対起きてるだろ、この真っ黒てるてる坊主野郎イタッ」
ユーシアが小声でリヴの悪口を言えば、脇腹に手刀を叩き込まれた。地味に痛い。そしてリヴの重量がひしひしと伝わってくる。
こうなったらもう彼は意地でも退かないので、ユーシアは仕方なく寝返りを打ってリヴを滑り落とす。隣にゴロンと転がり落ちたリヴはなおも狸寝入りを決め込むので、ゴロゴロと転がして隣に置かれた寝袋に押しやる。
だが、リヴはゴロゴロと転がってユーシアにピッタリとくっついてきやがった。絶対に狸寝入りをしている。どうしてこうなったのか。
ユーシアはため息を吐くと、
「いいやもう……」
それよりも眠いので、ユーシアはリヴの好きなようにさせることにした。
瞳を閉じると、胸の辺りでモゾモゾと何かが蠢く。薄目を開けるとリヴがユーシアの胸元にスッポリと収まっていたので、もう何も言うことはなかった。
ただ言えることは、リヴの体温が心地よくてよく眠れたことだけである。




