≪16≫ すれ違い
アシュガは窓にもたれ掛かり、回廊の中央照明を見ている。
手にはコンパクトを大切に持っていた。
サファイアの飾り付けが美しいコンパクトで中を開けると上下ミラーが綺麗な薔薇の装飾と共に輝いていた。
ディシュルの母の形見の代物。
きっと彼は自分を大切にしてくれている。
そんな気持ちがした。
思えばディシュルに会う時はいつも心が満たされる。
先の事を心配してもしょうがない。
未来の気持ちなんて、今ある感情の積み重ねだ。
中央の照明が消えた。
アシュガは立ち上がった。
ディシュルの閨はいつも薔薇の香油の良い香りがする。
金色のサラサラとした髪がアシュガの顔を撫でていた。
「アシュ、こんなに愛しい人、他にない」
ディシュルがうっとりと耳元で囁いた。
アシュガは夢から覚めたようにはっとする。他にないとは、どうしてわかるの?
アシュガは敏感になっていた。
そして我慢ができなくなり、
「ね、ディシュ」
意を決したかのように聞く。
「ん、なに?」と青い瞳が優しく受ける。
「ほ、他にお渡りを受けたことあるの?」とアシュガは自分が思う以上に情けない声が出たのに後悔した。
「え?」と麗人は一瞬驚いたがすぐに、アシュガの首筋に噛みついた。
「いっ、いったい!」とアシュガ。
「閨の場で他の閨の話をするなんて、最大のタブーだよ」と鋭く青い瞳が光る。
「気になって」と怖じ気づく弱気人。
「はあ」とディシュルはため息を隠さずに「過去の話はしたくない」ときっぱり言い切った。
「ごめん」となぜか謝る弱気人。
「アシュが心配する事なんて何もないから。もう二度とそんな質問しないで」と青い冷たい眼差しを受けるのであった。
そしてディシュルはアシュガを強く抱きしめた。
過去の話はしたくないと青い瞳に拒絶されてしまった。
綺麗な瞳が不快感で光るのを、アシュガは見逃さなかった。
ディシュルはやはり、過去にお渡りを受けていたのだろう。
なら過去とはどれくらい過去のことなのか?
胸のモヤモヤはまだ取れそうにない。
朝陽を浴びて部屋は柔らかな光りに満ちていた。
ディシュルの優しい口づけで目を覚ます。
「まだ寝てても大丈夫だよ」とキスを繰り返しながら麗人は言う。
いつもより太陽が高く上がっている気がする。ガバッと起きたアシュガは急いで自分の部屋へ戻ろうとして、ディシュルに引き戻された。
時間はとっくに過ぎていた。
「ははは、心配しないで。今日は特別」と麗人はアシュガの背中で笑う。
「え?戻らなくていいの?」とアシュガは振り向き麗人を見る。
朝陽を浴びて微笑むディシュルは本当に美しい。
少し寂しげにアシュガを引き寄せてそのまま抱きしめた。
「今日はね外せない予定が多くて、夕方まで会えない。ごめんね、アシュ」とアシュガの髪を撫で、青い瞳は尋ねるかのように見つめてきた。
「だから、アシュガはこの部屋で待ってて。僕の部屋の方が広いから退屈しないだろ。自由に使っていいから。」と甘く諭すように麗人が言った。
「え?ディシュルの部屋?なんで?」とアシュガは話がのみ込めていない。
「僕が戻るまで部屋から出ないで待っててほしい。また竜の訓練に行かれても困るし」と麗人の整った顔が近づく
「君が消えた時、発狂しそうだったよ。もうあんな目にはあいたくない」と言って優しく口づけをした。
アシュガは手を伸ばして離れて
「もう勝手に消えたりしないから。部屋に閉じ込めないで」と言った。
「ダメに決まってるだろ。僕は、本当はまだ逃避行に怒っているからね。」ディシュルはアシュガの肩を掴み引き寄せる。
「夕方前に、なるべく早く帰るから」とまたアシュガにキスをしようと顔を近づけるのでアシュガはその綺麗な顔を突っぱねた。
「どうして?自由にさせてよ」と思わず言葉に力が入る。アシュガは無意識に今日のディシュルの予定には、あの舞踏会の娘達に会う事も入っていると確信して嫉妬していた。
それから2人のケンカが始まる。
ディシュルの特大キングサイズのベッドの上をところ狭しと髪を引っ張り、つねり、噛み合いに、引っ掻きとゴロゴロ転がりあった。
アシュガは最終的にベッドがら突きだされて尻餅をついた。
アシュガの鳴き声が響く。
最終的に力押しになるのでディシュルがいつも勝つ。
「客間にも入り口にも、外へ出る可能性があるところ全て衛兵に見張らせる。従者も倍は付けてやるからな!皆にきつく言っておくから絶対に逃げ出せやしない!何が問題だ?ただ半日部屋にいればいいだけだろ!大人しくしていろ!野獣め!」と、どんと体を押されアシュガはベッドに沈んだ。
「ディシュのバカ!暴君!ひねくれ者なんて大嫌い!」とアシュガは思い付く限りの悪口を浴びせたつもりだ。
しかし完璧な麗人だからあんまり出てこなかった。
「好きなように呼ぶといい。僕はするべき事をする。君は淑女が何たるかをまるで理解していない。だから騎士の真似事をさせられるのさ。不細工過ぎて実に不愉快だ!」とアシュガの体に股がり覆い被さろうとした時に扉のベルがなった。
ディシュルは本当にたくさんの見張りの従者と衛兵を残して去った。
ディシュルの部屋は広くて、書斎や遊戯室や訓練場を一通り、たくさんの視線を受けながら見て回った。しかし、今のアシュガの気を引くものなんて皆無だった。
普通であればディシュルの部屋なんて、きっと半日では足りないくらい遊べるだろうが、アシュガの気分は最悪で楽しい気持ちになんて更々なれなかった。
アシュガはベッドに戻り横になった。
天蓋を全て閉めたおかげで個室にいる気分だ。
とにかく一人になりたかった。
髪結い師に持ってきてもらったサファイアのコンパクトを眺めた。
「ディシュのバカ」と思わず声が出た。
ディシュルのベッドは本当に大きい。
アシュガは一人でここのベッドに寝た事がなかったので、急に寂しさが増した。
ふと薔薇の香油の残り香が体に甘く響く。
ベッドボードのアロマランプに目をやった。機能的なベッドボードだ。
まだ何か付いているようだった。
「あれ?」とアシュガはボードの中央に薄く木の跡があるのを発見する。
模様かと思ってみていた丸い窪みをみて、池に沈んだ時に発見した、マンホールと重なった。
薔薇の球体なら填まりそうだ。
ディシュルから奪ってくれば良かったと思った次の瞬間、体を電流が一気に通りすぎたかのような衝撃が走る。
そうだ、とサファイアのコンパクトを填めてみた。
音も無しにベッドボードから扉が開いて出た。その際にコンパクトも落ちたので拾ってみると驚いた。
サファイアから青い光が真っ直ぐ延びている。
扉の中は鏡だ。
青い光が鏡の中を突き抜け真っ直ぐ走る。
ん?この鏡、私の姿を映していないと手をかけた瞬間、ロザに強い衝撃を受け、アシュガは鏡の世界へ入り込んだ。




