≪15≫ 秘密
アシュガは冷たいバルコニーの床へ倒れてしまった。
体中の力が抜けて声まで出ない。
「い、いましたー!こちらです!」と従者の叫ぶ声がする。
「アシュ、アシュ!!」と後から息を切らせたディシュルの声がした。
「さ、先程何回もここは探したはず」と震える別の従者の声。
すぐにディシュルが抱き起こしてくれたが、アシュガの体は力が入らなく、首まで据わっていない。
「アシュ、一体どうして?大丈夫か?」とディシュルが抱きしめる。彼の涙がアシュガの顔を伝う。
「ごめん、ディシュ。竜・・」アシュガは声を振り絞った。
「竜?」と繰り返した麗人ははっとして、
「すぐに医務官と竜貧の気付け薬を用意してくれ!貧血だ。きっと竜に乗って血を廻し過ぎたんだ!!」と叫ぶかのように指示をしていた。
アシュガは温かな自分のベッドの上にいた。目を開けると青い瞳が飛び込んだ。
「アシュ」とディシュルに抱きしめられた。「良かった。気がついたかい?」と麗人は顔を撫でて「もう真夜中だよ。このまま朝まで目が覚めないかと思った。」と優しくキスをした。
「まだ瞳に力がないね」と言ってディシュルは薬瓶から一匙液体をすくう。
「苦いシロップだけど」と言ってアシュガに与えた。
「アシュ、大丈夫?」と心配そうに青い瞳が覗き込む。
涙を拭ってくれた。
「うん」とアシュガは言って目を閉じる。
ディシュルは彼女を抱きしめながら
「まだ本調子じゃないんだ。無理をしないで。だけど話せる範囲でいいんだ。舞踏会で何があったの?竜に乗るなんて」と心配そうに聞いてくる。
「魔堂を探検した時に会った人に偶然舞踏会で会って、竜に乗せてくれるって言われて」とアシュガは言った。娘達の話をする勇気はまだ出なかった。
「あの時間に勝手に竜を飛ばすなんて、ビアンカローザの人間ではまずないな。といって、外から勝手に竜をこの城の中へ連れてこれる人間なんて限られている。サントゥアーリオの人間だ!」麗人はアシュガの腕を掴んだ。
「魔堂で会ったって?その話は聞いたことがない?名前は?誰なんだ?」アシュガを握る手に力が入り込む。
「い、痛いよ、ディシュ。名前はシオンって言ってた」とアシュガが答えると、いよいよディシュルは怒りだした。
「僕がつまらないダンスの相手をさせられている時に、君はシオンと竜に乗って逃避行か!彼なら間違いなくファルコを連れて来ているはず。そりゃ竜貧にもなるよ。紅光竜だ!」と物凄い剣幕だ。
「君がそんな浮気をするなんて!」
ディシュルの言葉にアシュガは驚いた。
「浮気なんて、していない」とアシュガが言うとディシュルはすかさず、
「騎士は気に入った娘しか自分の竜に乗せないよ。でも大事にされたかどうかは別さ。訓練もしてない君を余程の確証がない限り大事なら乗せやしない!紅光竜なんて、血がそぐわないならすぐに死んでしまうからね。」と物凄い形相で睨み
「遊ばれてるのも知らずに、ついていくなんて!」と青い瞳がギラりと紫根の目を射抜き「じつに、実に不愉快だ!」と、語気を強めた。
シオンに心を動かされることはなかったが、私はまた遊ばれたのか・・ディシュルといい、自分はからかいの対象になりやすいのかもしれない。
アシュガの瞳が曇る。
「何をしたんだ?」とディシュルが唐突に聞いた。
「え?」とアシュガが返すと
「だから、竜の上で何をしたんだ!」とディシュルが顔を赤らめて聞いてきた。
「落とされたの」とアシュガ。
「え?」と今度はディシュルが返す。
「竜から落とされたの、荒療治だって。騎士は皆その訓練をするって」アシュガの目はさらに遠くをみて「遊ばれたのは本当ね。」と答えた。
アシュガの答えはディシュルの想像したものとはかけ離れていたらしい。
「ファルコはすぐに助けてくれたかい?それともシオンが指示してアシュガを助けたのかわかる?」とディシュル
「ファルコだってシオンが言ってた。私を試すようなことはするなって鳴いてくれたの」とアシュガが話すと麗人の顔色が変わった。
「信じられない、紅光竜がそんなこと。」アシュガを瞳を見つめながら
「それが本当なら君は・・・」と言いかけて止めた。
次の日の朝、朝食を済ませたアシュガは元気もなくソファーに座り外を眺めていた。
力が出ない原因をディシュルは竜貧だと言っていたが、それは違うだろうことを本人は知っている。
原因は間違いなくディシュルだ。
ディシュルを失うかもしれない不安がアシュガの心臓を握りしめ、体中の血を抜き取っている。
ー御方は愛の多い方だから。
ーそうそう、一時期の気まぐれです。
ー貴方だけが特別なんて思わないことよ。
ーディシュル様はベッドの中でいつも・・
ぶるぶるとアシュガは震えた。
考えても仕方ないことだとわかっているのに、悪戯に舞踏会の娘達の言葉が甦る。
今はアシュガに惜しみ無い愛情を注いでくれるディシュルも、いつか自分の元から離れていくのではないだろうか?
考えてみれば、舞踏会に来ていた娘達はみんな綺麗で品も教養も身につけ、貴族たる社会で堂々と渡り歩いている。
そんな世界に、自分は身を置くようにできてはいない。
ディシュルは生粋の貴族で、いずれ自分を疎ましくおもうだろう。
ーどこの馬の骨とも思えない女に、由緒ある系統を汚させるわけがないわ。
娘達に提示された残酷な真実。
アシュガは項垂れた。
ディシュルとは住む世界があまりにも違う。
だけど、今はどうしても離れたくない。
ディシュルの熱い眼差しを、力強い手を、甘い吐息を知ってしまった。
先のない関係だとしても、自分から離れていくのは死ぬよりつらい。
麗人にしがみつくしかない自分がいた。
ディシュルは自分の命になっていた。
アシュガを生かすのも殺すのも、あの麗人次第なのだ。
「アシュガー」と扉が開く音と共にディシュルがバスケットを持って入ってきた。
朝、麗人が訪ねてくるのは珍しい。
「ディシュ、朝からどうしたの?」と驚きを隠せない。
「まだ元気がなさそうだね、大丈夫?」と麗人はアシュガの顔を撫でながら心配する。
「大丈夫だよ、ありがとう」とアシュガは笑ってみせた。
「僕のとっておきの秘密の場所を教えてあげる。そこで今日はのんびりしよう」と手に持っていたバスケットをみせた。
「ピクニック?」とアシュガ
「そうだね、ピクニックかな?」と麗人はアシュガの手を取り、2人は部屋を出た。
アシュガは予想外の訪問に気持ちが上向きに変わる。
今日は朝のお茶会だって聞いたけど、やっぱり違うみたい。
それに1日中ディシュルと一緒にいれるのは、どこへ行こうと嬉しい出来事だった。
アシュガはてっきり外に出るのかと思っていたが、ディシュルは東側の塔へ向かい歩き出した。
「東側?」と聞くアシュガに
「灯台もと暗しってね」と麗人は悪戯っぽく笑う。
すると塔を登る途中の窓からいきなり身を乗り出し、落ちた。
「ディシュ!」とアシュガが驚くと、少し下から白い手がアシュガを引っ張る。
「ええ!!」とアシュガも落ちると、床があった。
「塔の途中にこんなバルコニーがあるなんて、みんな知らないんだ。」と麗人が囁く。見ると辺り一面吹き抜けの遮るものが一切ないパノラマが浮かび上がっていた。
「すごい・・」アシュガは言葉を失う。
「初めてアシュと会った、あの玉座のバルコニーで見た景色みたいだろ?」とディシュル。
「ここなら席の奪い合いをしなくていいし、人もこない。ただし、落ちたら命はないけどね」と言って麗人は笑った。
「え?」と下を見ると柵もないので断崖絶壁の風景が迫る勢いだ。
「ぎょええ!」と思わずアシュガは麗人にしがみつく。
「ははは、大丈夫だよ。僕もまだ落ちた事がない」とアシュガを抱きしめながら、麗人は慣れたように座る。
遠くの山々から竜の鳴き声が聞こえたかと思うと、数匹の竜が姿を表した。
「蒼竜が飛んでいる、野生では珍しいな」とディシュル。
そこへ地をはって歩く斑の竜もいた。
「蒼竜は減るし、飛べない竜は増える、魔女の呪いはいつまで続くのだろう」と独り言のようにディシュルが話す。
「アシュ、ここはね、野生の竜が見れる秘密の場所だよ。僕は小さな時から通っている。」と優しく麗人はアシュガを抱いている。
「魔女の呪いで竜が暴れだすのを何度もみた。特に夜は危険だ。だから、もう勝手に竜の訓練なんてしちゃだめだよ」とディシュルは自分の頭をアシュガに軽く当てた。
「もうしない」とアシュガが言うと
「そんなに竜に興味があるって知らなかったな。今度僕のリヴァイを見せてあげる。ファルコより数倍カッコイイよ。」と言ってアシュガに優しくキスをした。
「婚約者になった暁には一緒にリヴァイに乗ろう。ファルコに乗れたならきっと上手くいくね。みんな驚くだろうな」ニヤリと笑いアシュガを揺らす。
婚約者という言葉がアシュガの胸をチクりと刺す。
ー田舎者サークラなんて、王の側室にもなれないわよ
また嫌な事を思い出してしまった。
「アシュ、目を閉じて」と麗人が囁いた。
言われた通りに目を閉じると、手に何かを持たされた。
「開けていいよ」と言われて手の中の物を見る。
「うわぁ」と思わず声がでた。
アシュガの手の中にサファイアが輝く素敵なコンパクトがのっていた。
「昨日のお渡りで渡そうと思ったもの。舞踏会のお礼にね、母上が大事にされていたものなんだ。」とディシュル。
「こんな大切なもの」と言うアシュガに
「アシュに持っていて貰いたいんだ」とディシュルは優しく言った。そして、アシュガを喰い入るように見る。
「アシュガ、僕の見えるところにいて。舞踏会の時のように離れていかないで。何があっても」その声は真剣だ。
「お願い」とディシュルはアシュガに甘い口づけをする。ゆっくりと何度も何度も。
「もう約束は破らない」とアシュガは返事をした。それは未来を縛るような苦しい約束だった。
アシュガは涙を流していた。
ディシュルは濡れたキスを夢見心地で受けとめた。




