≪13≫ 舞踏会
「どうしたの?アシュ」
とベッドの中で、ディシュルはアシュガを覗き込むように聞いてきた。
「何を考えていたのか、話してよ」
アシュガはまたディシュルに見とれてしまったらしい。
少し照れて
「ディシュルのような金色の髪と青い瞳が欲しかったと思ったの」
アシュガは答える。
ディシュルの顔がぽっと上気した。
「僕はアシュガの濃紺の髪と紫根の瞳が大好きだよ」と笑った。
「なんでサークラなのに金色じゃないのかな?サンタローザさまはじめ、サークラは金色に青い瞳が多いのに」
と落ち込むアシュガに
「ちょっと待って」
とディシュルはベッドチェストから小さな本を取り出した。
「僕のお気に入りの挿し絵だよ」
と栞をとり本を開いて見せてくれる。
そこには額にロザが輝く濃紺の髪と紫根の瞳の美しいサンタローザが描かれている。
アシュガは眼を丸くした。
「僕も紫根の瞳のサークラ様が描かれているのはこの本しか知らない」
とアシュガの頬にキスをして
「この絵をみた時にアシュガに似ていると思ったんだ。それから僕の宝物だよ」
と優しく囁く。
アシュガの髪を撫で瞳を熱く見つめて
「美しい濃紺の髪も魅惑的な紫根の瞳も、全部僕のものだから」
とアシュガを抱き寄せ朝まで離さなかった。
ある日の夕方。
講義が終わり、ディシュルと部屋で寛いでいると、やっとモンテローザから頼んでいた品々が届いたとの知らせがあった。
たくさんの香油やアロマランプ、薔薇のキャンドルにシロップやティーセットが見ているだけでも楽しい。
「本当にあの時の従者頭には驚いたよ」
とディシュルは笑う。
普段は特別に優秀な従者頭が、モンテローザの館で泊まった翌朝、朝食は用意していないわ特産を注文しているだけのディシュルに狼狽えるわ散々だったからだ。
結局、ディシュルの望む最低限の品を集めるだけになった。
「まあ、また成人したら王太子の義で、モンテローザに行かなければ行けないからな。その時のお楽しみにしよう」
とディシュルは言った。
「ま、また行くの!」
アシュガは少し青ざめた。
爽やかに笑う麗人は
「もちろん、アシュガも一緒に行くよ」
と言いながら顔を近づけて
「モンテローザは僕たちの愛の地だからね。馬車旅は長いからいい。だろ?」
と囁く。
「今度はモンテローザの街で直接買い物をしたら?」
アシュガは恥ずかしくなって話をそらした。
「それはいいな、実は僕の大祖父様が大のお気に入りだった老舗があるんだ。一度見てみたい」
と言って独りでに真剣に考えていた。そのうち麗人は運ばれた品々の中から、
「あ、これ」と特にお目当だった紫薔薇の香油を取る。
他よりも少し小さめの瓶は綺麗な薔薇をあしらっていた。
「只でさえ少ない紫の中でも、更に貴重なんだよ」
と言ってアシュガの目の前で蓋を開けた。
「いい香り」とアシュガはうっとりとする。
彼女に回りこみ後ろから抱きしめたディシュルは
「もっと深く香りを楽しんで」
と言って朗かに笑う。素敵な香りを深く吸い込み
「本当にいい香りだね。いつもの香油も好きだけど、これは、なんというか」
とアシュガはさらにうっとりとして
「夢の中にいるような感じになるね。」
と言った。
「この特別な香油は媚薬の代わりにも使えるらしいよ」
と耳元でディシュル。
「え?」と聞き返す前に
「試してみたいよね」と麗人はニヤリとした。
ディシュルの凱旋披露の舞踏会が開かれる当日、アシュガは舞踏会を前に疲れきっていた。朝からたくさんの従者がアシュガの部屋に入り込み、頭から足先までピカピカにされた。
次に髪結い師や着付けや化粧の従者が入り、
「アシュガさま、息を止めてくださいまし」
「アシュガさま、上を、そうです、そのまま」
「アシュガさま、少しの間目を閉じてください。」
等々、為されるがままだ。
それが数時間も続いて疲れてしまった。
しかも予定していたイブニングドレスは変更になっていた。
今朝がた従者がディシュルのサプライズプレゼントを持ってきたのである。
「今夜はこちらを召して頂きたいとのことです」
と従者が箱を開ける。
中は、紫根色の薔薇の形が幾重に編み込まれた上等なレースに片側から青いドレープシフォンをかけ、着れば優雅に舞う型のイブニング、思わず息を飲む美しいドレスだった。
それに合うアクセサリーと手袋と靴までついていた。
まだ袖を通していないイブニングドレスを作ってもらったばかりだったので、アシュガは頑なに麗人のオファーを固辞していたのだが、まさかこんなサプライズがあるなんて。
今日は舞踏会直前までディシュルとは離ればなれだ。
麗人は舞踏会のチェックや朝から要人達の面会、リハーサルに、忙しいはずだ。
アシュガはサプライズのイブニングドレスに触れた。
それは自分の瞳の色とディシュルの瞳の色が合わさったかのような素敵なドレス、麗人の横に立てばより栄えるだろう。
ディシュルに早く会いたい。
アシュガは今夜の舞踏会が楽しみになってきた。
日が沈み、すっかり辺りも暗くなった。
東側回廊の中央照明に灯りが灯る。
アシュガはそろそろ舞踏会ホールに向かう時間だろうと考えていた時に、フラりとディシュルが現れた。
入り口に佇む予想外の訪問客に一瞬言葉を失うアシュガ、それは訪問してきた麗人も同じだったらしい。
ディシュルは青い燕尾のタキシードスーツの正装で胸に薔薇の形をあしらった紫根のラペルピンを幾重にも重ねた同色のチェーンで飾っていた。
「ディシュ」
とアシュガが声をかけると、入り口で止まっていた麗人がはっと我に返ったようだ。アシュガは始め、何か自分が可笑しな格好をして驚かれたのかと思ったが、
無言でアシュガを見つめ、ゆっくりと近づいてきたディシュルは、戸惑いを隠せない様子だ。
アシュガの顔を優しく撫で、やっと発した声は掠れていた。
「驚いた。本当に綺麗だよ。あの挿し絵から紫根のサークラ様が出てきたのかと思った。」
と青い瞳に見つめられた。
それからは背中に羽でも生えたかと思うくらい足取りが軽く、夢見心地で舞踏会を迎える。
王城に来てから一番華やいだ瞬間だった。
ディシュルのエスコートは完璧で、曲が鳴り2人が中央に踊り出ると、余りの華やかさと美しさに誰も踊り出せなかったくらいだ。
重厚でいて軽やかなワルツの序奏が展開が終結が、まるで曲が二人を追いかけるかの様に流れ、2人は曲を体現するかのように華やかに舞っていく。
「綺麗ね、あの方が新しいサークラ様?」
「新しいサークラ様は男性希望でしょ?」
「では、あの方は?」
「お二人ともなんて美しいの」
「正に絵に描いたようだね」
舞踏会場は二人の話で持ちきりだ。
しかし、全く当の本人達は気づかなかった。
アシュガはディシュルを、ディシュルはアシュガがしか見ていなかったから。
体を寄せ合い、優雅にまわり、最後はディシュルに抱きしめられた。
2人は本当に夢中で楽しそうに笑い合った。
曲が終わり、何人かの顔を赤らめた騎士がアシュガに次のダンスのお相手を願いに行こうとしたが、ディシュルはアシュガに見えないようにサッと身を翻して、レディー専用のブースに彼女をエスコートした。
「最後は君とまた踊りたい。ここで待っていて」
と麗人は囁いて、アシュガと別れた。
アシュガは次のダンスに進むディシュルを切なく眺めていると、すぐに後ろから口々に非難の声がする。
「まあ、厚かましい。まだ最前列にいるなんて」
「田舎者だから礼儀作法もろくに習ってこなかったのよ」
「王子の次のお相手は私ですのよ、順番に並んでいただけない?」
と、あれよあれよと後ろに下がるアシュガ。
そこへ何人かの美しい娘達がアシュガの前を囲み、にこやかな脅しで列の最後尾まで押しやった。
一人は見たことがある。
きっと西側の回廊でディシュルにキスをした娘だ。
淑女達はアシュガを取り囲み、見世物を見るかのように不躾な好奇心を顕にした。
「ごきげんよう、サークラさま」
と中央にいた娘が声をかける。
「こ、こんばんは」とアシュガ。
「随分な変わりように、はじめはわかりませんでしたわ。回廊でお会いした時は、小間使いの男の子かと思いましたの。」
とキスの娘。
「そうそう、初めは王様になるつもりだったけど、いつの間にかディシュルさまの気を引くために女性希望に変更なされたって本当?」
「サークラだからって無理をなさらないで。モンテローザの時みたくディシュルさまの足を引っ張られては、愛想を尽かされてしまいますわよ。だって蒼光院で震え上がって散々だったって噂を聞きましたわ。」
と遠慮ない質問が飛ぶが、これはまだ序の口であった。
「それにディシュルさまに随分気に入られていらっしゃるようだけど、御方は愛の多い方だから。」
「そうそう、一時期の気まぐれです。間違っても高貴たるお方が、どこの馬の骨とも思えない女に、由緒ある系統を汚させるわけがないわ。」
「王様になれない田舎者サークラなんて、側室にもなれないわよ」
こんな屈辱には耐えられないと、ケンカもできないアシュガは、ただ逃げ出そうと思った時に
「そういえば、アシュガ様も「お渡り」はもう行きましたの?」と綺麗な娘は意味あり気に質問をした。
「え?」とアシュガの顔は赤くなる。
「そんなに恥ずかしがらないで、ここにいる私たちちもみんな、ディシュルさまの(お渡り)を経験した事があるんだから」
と娘達の言葉に、アシュガの顔は今度は青くなった。
「わかりやすいお方!貴方だけが特別なんて思わないことよ。ディシュル様はベッドの中でいつも私の事を愛しい蝶々と呼ぶわ」
「私はいつも顔を撫でられ、月夜の姫と・・・」
「私はいつもキスをした後に、魅惑の君って、こちらが誘っているようで恥ずかしいわ。」
「みなさま綺麗なお名前で羨ましい。私はただの子猫ちゃんだもの。でもね情熱的なお方だから、朝になってもなかなか帰してくれませんの。」
「子猫なんて可愛らしいじゃありませんか、アシュガ様は豚と呼ばれておりませんでした?」
「う、嘘よ、あんなに紳士なディシュル様が!」
「私は回廊で山猿って呼ばれていらっしゃるのを聞いたわ!」
「そうそう、朝のお茶会の席で話してらした!あなた食事の仕方がドラゴンの餌場にいるような迫力をだすってほんとう?」
アシュガは目の前で話している内容が到底信じられなかった。
ディシュルとは、お互いに想いは通じていると信じていたが、これは自分の勘違いだったということなんだろうか?
「ち、ちがう!ディシュルはそんな事は絶対にしない」
と、アシュガは勇気を振り絞り反論した。
娘達はにこやかに
「ならば明日のお茶会で聞いてみてはいかが?」と言う。
「お、お茶会?」とアシュガ。
「え、まさかお茶会に招待されていませんの?舞踏会のお礼のお茶会ですのよ!選ばれたディシュル様の親しい者達が今日は王城に特別に泊まって・・・」
「そういえば、いつも朝のお茶会にアシュガ様はいないのね?」
「え?もしかして秘密だったかしら?特別なプライベートな集まりだから・・」
アシュガはお茶会なんて知らない。
「そ、そんなお茶会なんて、きっと、しない!」
アシュガは言い切って、力の限り走った。
後ろで華やかな娘達の笑い声がした。
愛しい蝶々・・・
月夜の姫・・・
魅惑の君・・・
子猫ちゃん・・・
彼女達に甘い愛を囁く麗人の姿がありありと浮かび、幾度も再現されて消えてくれない。
ベッドの中でね・・・
いつも顔を撫でて・・・
キスをしたときに・・・
朝はなかなか帰してくれない・・・
ぶんぶん顔を振りながら、アシュガは走っていた。
「そんな、違う」と不安を振り払いながら走るが、この不安は簡単には消えてくれなさそうだ。どうしよう、娘達の話が本当ならば自分は到底耐えられそうにない。
「遊び慣れた僕でも気がつかなかったよ。君が僕の事を欲っしていたなんて。僕に欲情してしまう人は多いんだ。」
モンテローザでディシュルに言われた言葉が急にアシュガに襲いかかった。
「ディシュ・・」名前を呼ぶだけで胸が痛い。誰かに心臓を鷲掴みにされているようだ。
アシュガは急に城から逃げ出したくなった。周りを全部消して、誰も知らない場所に行きたい。
いつもそうだ。
自分は立ち向かって戦えないのだ。
嫌なことから逃げ回るだけ。
アシュガは自分が泣いていた事に気がつく。
知らぬうちにバルコニーの外に出ていたようだ。
うつむいて座り込んでいた。
涼しげな夜風が吹いて、舞踏会の賑やかな喧騒が遠くに聞こえた。
アシュガの頭上に月の光を隠すかの様な影が現れたのを知る。
顔をゆっくり上げると、竜がゆっくり下りてきた。




