≪12≫ 甘い日々
夜もすっかり更けて月が静かに輝いている。花も鳥も虫たちもみんな眠りについたかのようだ。
アシュガは窓から東側回廊の庭の中央にある照明を見ている。
昼間の湖でディシュルと一緒にいたのを思い出していた。
今夜はお渡りできそうかと聞いてきたディシュルは背中越しでもその緊張が伝わってくる。
アシュガは予想外の嬉しい提案に頭が真っ白になりそうだった。
「毎日通うよ」と告げると、ディシュルは頭をガバッとあげて、笑顔になった。
「長く隠れていては侍従に怒られそうだ。早く婚約者になろう、アシュガ」
と後ろから息が出来ないくらいに抱きしめられた。
2人はそれから湖の畔を歩きだし、どちらともなくお互いの体をピッタリと寄せ合わせて、舞踏会用のダンスをするつもりで、ゆっくりゆっくりと回りながら見つめ合う。
ディシュルの顔は少し窶れた感じが残っていたが、青い瞳は力強くアシュガを射抜く。
「あの、昨晩ね、ディシュルが忘れていった短剣が部屋にあるの」とアシュガ。
「今の今まで気が付かなかったよ」
と麗人はふふふと笑う。
「アシュが持っていて。また僕が君を犯しに行った時は切り裂いていいから」
と嘘か本当か言葉の内容とは違い、当人は愛を囁くかのようだ。
「あの短剣は、父上の形見のひとつなんだ。国宝級の代物だよ。魔女の体を八つ裂きにできるくらい、強力な血の保護をも切り裂く剣さ。」
「ディ、ディシュルはそんな剣で」
とアシュガが慌てふためく、ディシュルは気にもせずに
「番いの短剣だったらしいけど、もう片方は盗まれてしまったらしい。そっちはなんでも魔女の魂を粉々にできる魔剣だって」
と言ってアシュガの腰をグイっと持ち上げクルクルと回した。
未成人ながら麗人は素晴らしく力持ちだ。
「やめて、ディシュル」
湖に2人の笑い声がこだまする。
アシュガは夜を映し出す窓に頭を傾けながら、自然と笑みが溢れた。
回廊中央の照明が消えたのを確認した。
心臓が高鳴る。
ナイトガウンを羽織り、アシュガは部屋を出た。
廊下は暗く静まり返っている。
アシュガの足音だけが響いた。
衛兵が立つ部屋の前に進むと、何も言わずに扉を開けてくれた。
中に入ると寝室前の扉に夜営の従者がいて、こちらも何も言わずにアシュガを中に入れた。
アシュガは愛しい人の待つ閨に入った。
天蓋の垂れ幕が優雅に幾重にも重なり、押し分けて中に入ると
「アシュ」と甘い声がした。
ディシュルのベッドはアシュガのものより優に倍はある。
シーツも比べ物にならないくらい上等だ。
そしてベッドボードにはオイルランプが備え付けられていて、薔薇の良い香りがした。
中央に絵画から本物の天使が出てきたかのような美しいディシュルが、ふかふかの枕を背に充て寛いでいた。
艶々とした金色の髪が顔にかかるのも気にせずに青い瞳が魅惑的に輝いていて、少し開いた口元は潤い、何かを欲しているかのようだ。
アシュガが戸惑っていると、ぬっと白い綺麗な手が伸び、アシュガは中へ引き込まれてしまった。
「アシュガ、部屋に入ったら真っ先に僕のところにきて、お待たせディシュルって言うのがマナーなんだよ」
と麗人は笑う
「そうなんだ。じゃ、お待たせディシュ」
とアシュガは言って麗人の顔に近づく。
ディシュルの整いすぎた顔を目前にアシュガの心臓は鼓動の打ち過ぎで倒れそうだ。
顔を赤くして止まってしまったアシュガを見て、ディシュルも顔を真っ赤にしたまま固まっている。
「来てくれて嬉しいよ」
うっとりした声で麗人は言った。
ディシュルと一緒に迎える朝は、アシュガが知る限り今までで最高に甘い一時だ。
時間ギリギリまで、どちらも離れたくない様子でピッタリとお互いに寄り添っている。
アシュガが部屋を出る直前まで、ディシュルは側を離れない。
「アシュ、今夜も、絶対にきて。待ってるから。お願い」
と少し震えた声で言う。
「うん、照明が消えたら、すぐ。待ってて。」
とアシュガの返事を聞いて、名残惜しみながら、送り出した。
本当に時間ギリギリだ。
扉が閉まった後、ディシュルはそのまま床に力なく座り込む。
壁に体を支えてもらい、深い息を吸うと、甘く甘く息を吐き出した。
本来であれば閨の場で次の閨の約束を取り付けるのは貴族社会のタブーとされる。
それは愛人や色街で商売する者と同じとみなされ品のない行為だ。
しかもディシュルは最も高貴な出で、(お渡り)の是非を決める側である。
引く手あまたで許否はしても、自分から頼み込むなんて考えられない。
自分の一言で人が動くのが当たり前。
何度か閨の場で次のお渡りを願い出る貴族の娘達に嫌気がさし、侮蔑を隠さない態度をとった事があった。
貴族たる品位を貶める行為を心底軽蔑した。
そんな風習を重んじる生粋の貴族たる自分が、まさかすがるような真似をするなんて、ディシュルは自分が信じられなかった。しかし、今ここで次の約束を得られないと、不安で押し潰されそうで、それこそ発狂しそうだったのだ。
アシュガは照明が消えたらすぐに行くと約束してくれた。
安堵した柔らかい気持ちが胸を締め付ける。
「アシュ」
と愛しい人の名を甘い吐息と一緒に呼んだ。
アシュガの王城での生活は、ディシュルによって甘く彩られていった。
順調に(お渡り)も進んでいる。
1日の大半を一緒にいるというのに、離れたそばからお互いが恋しくて仕方がない。
回廊の中央の照明が消えるとすぐに必ずアシュガは麗人の元へ行く。
ディシュルはアシュガの姿を見るまで息が詰まりそうになる。
朝は必ずディシュルが眠り姫を起こして、部屋に戻す。
粗相をして(お渡り)の許可が取り消されるのはあってはならない事なのだ。
しかし、麗人は抜かりなくやり通している。
アシュガを抱きしめながら、
「早く婚約者になりたいね、アシュ。朝も気にする事なく、君の胸でゆっくり鼓動を楽しみたい。」
ディシュルがアシュガの身体を我が物のように扱うのは少し抵抗があるが、しかし世界一の宝物を扱うように、彼にとてもとても大事にされた。
優しく恵みの雨が降る。
雨音が王城を包みこんでいる。
まだ昼間だというのに、外は薄暗い。
室内にいても雨の香りを感るのはなぜだろう。
アシュガは食卓に座りディシュルを待っていた。
すぐに扉が開く、ディシュルが少し頭を抱え真面目な顔で入ってきた。
「どうしたの?ディシュ」
とすぐにアシュガは聞いてみる。
ああ、と言いながら席に座る麗人は
「予想以上に今度の舞踏会は盛り上がりそうなんだ。みんな大人しい連中ばかりではないからね。」
とため息混じりに話す。
60年ぶりの生還を果たした王子は、今や国をあげての英雄である。
サンタローザの生き写しとまで言わしめる飛び抜けた美しい容姿、そして薔薇の誉れな騎士であり、貴族の中核である彼の地位も大いに後押し、この非の打ち所のない麗人が、もはや王となれば、魔女の呪いも消し去ることができるのではないか、と竜皇よりも期待し持ち上げる声が、日増しに高まっている。
そして、そんな王子に同世代の子を持つ貴族や豪族が放っておくはずもなく、次の舞踏会ではどうしてもダンスのお相手を勤め上げ、王妃の地位へ他よりも優位に立ちたい者が山ほどいるようなのだ。
麗人には対外的に妻も婚約者もいない。
山ほどの相手を無視はできない状況なのである。
「アシュガと一晩中踊りきろうと思っていたのに」
と麗人は悔しがった。
アシュガはディシュルが他の綺麗な娘をエスコートすると思うと、予想以上に胸がチクリとしたが「仕方がないよ。」と言った。
「でも、最始と最後は必ずアシュガと踊るから」
と優しくアシュガの顔を撫でながら
「他の娘と踊る姿はあんまり見てほしくないけど、僕がわかる場所にいて。必ず君をみるよ。きっと長く感じるだろうな、君がいなかったら、心が折れてしまいそうになるから」
とアシュガの手にキスをした。
本当にたくさんのお相手をしなければいけないようで、レディー達の専用待ちスペースまで作られるそうだ。
「テーブルにアシュの好きな料理をたくさん並べてもらうよ。あ、レディーのスペースは男性禁止だから、入ってくる輩がいたら未成人でも関係なく従者に即刻通報するように」
と言って笑う。
「ああ、でもこんなに相手をしなければならないなんて、最後に踊るときはアシュにカラダを支えて踊ってもらわないと」
と冗談混じりにアシュガに倒れ込んできた。
「ディシュ、重いから離れて」
とアシュガも楽しんでいる。
アシュガの腰に手を回して軽く抱きしめたディシュルはそっと囁いた
「舞踏会の夜だって(お渡り)に来てくれるでしょ?その時に疲れていたくないんだ」
青い目がとても甘くおねだりをした。




