第十九章 おしまい【完結】
あの日、何があったのか。それをわたしが知ったのは、三日ほどたった時だった。セレモニーホールの爆発について、突然乱入した男によって起こされたこと。そこから、残念ながら遺体が見つかったこと。遺体は三人。損傷が激しく、一人はウエハラユカだと確定したが、他の2人は性別すらわからないらしい。い一応、DNAから調べていたりするらしいが、難航しているそうだ。……最後の仕事として、やったのかな。あいつとコスギナオも、うちの
大江戸事務所の倒産も、爆発事故も、二週間もしたらニュースに昇らず、誰も話題にしない。あんな形で終わって、納得してないのに。結局、誰とも連絡が取れない。所長やヨシカワさん、マキウチさん。ミヤマさんも。アカウントが削除されました、と表示されてしまった。わたしだけ、取り残された気分。
とりあえず、わたしはマキウチさんに、蒙古斑がないという死ぬほどいらないことを言ってしまったことを後悔している。いや、色々後悔しているのだけど、一番それがあんまりだから。忘れてください、とだけ言いたい。
けれど、そんな日は訪れないまま、わたしは推しの引退コンサートの日を迎えることになった。イコマくん、君の雄姿を目に焼き付けるね……。
もういいや、わたしが忘れたらいいのだ。マキウチさんのことも、ちょっとだけ、殺し屋の日常を垣間見たのも。忘れて、なかったことにしちゃえばいい。そうしたら、このもやもやした気持ちだって晴れるはず。ほら、実際、コンサートではボロボロ泣けたじゃないか。
ああ、もう終わっちゃう。アンコールをして、最後の呼びかけが始まった。ああ、これで夢は終わるんだ。目頭が熱くなってきた。
「もうニュースで流れなくなりましたが……先日、セレモニーホールでの爆発という痛ましい事件が起こりました。その被害者の方の中に、僕たちのファンだった子がいたそうです。ここに、来るつもりで仕事を頑張っていたと、ご家族から聞きました」
肝が冷えた。ウエハラユカは、彼らのファンだったのか。そうだよね、君たちは何か事故とか事件があって、その被害者の中にファンがいた、という情報があれば、必ずこういう場で哀悼を示すよね。そういうところが、好きなんだ。
だけど今は、怖い。わたし、実はその子を殺すはずだったんです――なんて言ったら、全部、今ここにあるものはなくなっちゃうな。わたしは何も言えないまま、彼らの言葉を待った。
「僕たちの活動はここで区切りを迎えます。だけど、残されたご家族の悲しみに、終わりはありません。理不尽に命を奪った犯人は、許せません」
無関係なら、きっと涙をこぼして聞けた。だけど、今は。ただ、わたしの心に、タールのように重くて暗いものがのしかかってくる。それが私の気持ちを覆ってしまう。本当は言うべきかも。でも、それを言ったって、犯人は捕まらない。だって、マキウチさんがやったと思うけど、証拠はないのだ。
言ったってどうにもならない。なら、言わない。
その先は、彼らが何を言ったかは聞き取れなかった。耳が言葉として受け取るのを拒絶した、というべきか。わたしは悪人にも、善人にもなれない。あの世界を知ったら、わたしは善ではない。中途半端だ。
ここまで来て、タカヤマさんとはついぞ会わなかったな、と今更思い出した。元気かな。わたしは元気です、って挨拶してもいいかな。
とぼとぼ歩いていたら、すっと、誰かの手がポケットに入った感触がした。スリ、と思って大げさなくらい振り向いたけど、流れるように歩く人だけ。ポケットをあさってみた所、盗られたものはない。代わりに、一つ増えた。小学生の時によくやった、秘密の手紙の折り方をされたメモだ。
慌てて隅によって、中身を見る。そこには、グッドラック、と上手とはいいがたい字で書いてあるのみだった。マキウチさんだ、と直感的に思った。けれど、コンサートに来た人は多すぎて、探せそうにない。
ほかに書いてないかな、と思って目を凝らしたが、何もない。このメモを渡すためだけに、ここに来たの?どうにか探せないかと見まわしたけれど、マキウチさんらしい人はいなかった。そもそも、マキウチさんはどうやってここに。コンサート、抽選だし、チケット無いとはいれないはずなんだけど……。
グッドラック。幸運を祈る。素直に受け取ればいいのかな。でも、わたしは……。メモを元の形に戻して、わたしは家路についた。殺し屋になれなかったのは、わたしが向いてないって思われたから。もしかしたら、カノウさんの件が、後押ししちゃったのかな。無理だって、思われたんだ。
向いてるよって言われるほうが、傷つくはずなのに。あの人には、向いてるって言われたかった。でも、それはもう永遠叶わない。でも、普通に生きていけるのかな。五日、やっぱり君には消えてもらうしかないね、ってマキウチさんが目の前に現れたりするんじゃないかな。
そんなふうに思っていたのに、結局マキウチさんはそれ以来現れなかった。そのまま、一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一か月が過ぎた。さらに月日が流れて、わたしはアラサーから、三十路になった。
あの後、仕事は思いのほかすぐ見つかった。就活したら、真っ先に可哀想、と言われた。二回続けて外れくじひくなんて、とあの人に言われたことと同じことも言われた。不思議と腹は立たなかった。そういうものか、と思った。
とりあえず新しい職場は、普通の仕事の、ごくごく一般的な待遇だった。やった分だけ返ってくる、というのが一番いい。落ち着く。
変化もある。あの葬儀屋さんは、大学時代の元カレだった。枯れ木みたいな姿しか印象になかったので、気づかなかった。そんな、マッシブになってるなんて思うわけないじゃん……。向こうはわたしにすぐ気づいたらしいが。
思わぬ再会で、ぽつぽつ近況を話しているうちに、なんだかよりを戻したような雰囲気になった。一応、そりゃ自然消滅的な別れで、嫌いになったわけじゃないからいいんだけどさあ。向こうは別れたつもりすらなく、わたしが実は。とあの馬鹿のことを恐る恐る言ったら、ショックを受けていた。俺、そんな奴に負けたの?って、オガワさんみたいなこと言うんじゃないよ。勝ち負けとかないし、わたしはわかったときに振ったからさ。
そして、とうとう一年前、入籍した。お母さんが喜んでくれて、嬉しい。結婚式はお互い柄じゃないからと、写真を撮ることにした。向こうが、「式をやりたいわけじゃないが、お前のウエディングドレス姿を見たい」とむずむずするようなことを言ってきたから。幸せって、こういうことなのかな。そういう幸せを積み重ねるのが、人生なのかな。
そんなふうに、人生を送っていた。結婚して、髪型を変えた。ロングヘアを、だいぶバッサリ切った。気分を変えたかったのだ。変えないと、ずっとマキウチさんにとらわれているような気がしたから。
「すみません、いいですか?」
呼びかけられて、立ち止まった。振り向こうとした瞬間、何かが腹に刺さった、というより生えた感触がした。
え?なにこれ。わたしのおなかに何で包丁生えてんの。なんでなんで。血がどくどくとあふれている。グラグラと意識が遠のいていく。誰だ、と思った。顔を見る。忘れられない美人さん。ササオカミヤコ、さん。なんで。
「なんでよ。カブラキは死んじゃったし、オガワさんまであとを追った。それなのに、あんたはひとりだけ幸せになってる!許さない!」
そんな、風に言われても。そして、二人の末路があんまりだと思った。嘘だと言ってよ。わたしのこの状況も、嘘だと言ってほしいけど。そしてササオカさんの顔が、みるみる変わった。違う、と声が震えている。
「あなた、まさか……あの時の」
思い出していただけて光栄です。でも、さすがにリリアちゃんを悲しませた奴に間違えるのはちょっと……。髪型、変えたのが悪かったかなあ。でもDNA鑑定したんじゃ?名前は出たっけ?もうさすがに忘却の彼方です……。
意識が遠のく中で、殺し屋に関わったから、やっぱり幸せになれないんだ、と悲しくなった。マキウチさん、わたしのこと、突き放してくれたけど、隣にいさせてくれた方がよかったのになあ。
もう、わたしの人生はこれで終わり。こんなふうに終わるんだ。でも、仕方ない。人の命を、簡単に奪おうとした代償かも。息ができない。痛いんだけど、痛すぎて感覚が分からない。視界が真っ暗になって、意識が遠のいた。
目を覚ましたら、病院だった。いやそりゃそうだろうけど。なんで生きてるの?結構深く刺されたよね。
「犯人が刃物を抜かなことで、かえって多量出血を避けられたようです。よかったですね」
いやよくはないよ、刺されたんだもん。でも母も旦那も泣きながら、生きててよかったとお医者さんに言うからわたしは何も言えない。そうか、わたし生きてるのか。そして生えた、と思った包丁は、抜けていた。当たり前だけど。
しかしよく見たら、わたしの身体には管がいっぱい繋がっている。命は助かった、でもこの先はわからない、ということか。そう思っていたら、様子見て来週管が抜けるといいですね、と看護師さんが言うので怖い。スパルタだなあ。マキウチさんよりは優しいのかな。
そして放り込まれたのは、ICUだと今更気づいた。なので面会時間も限られている。それゆえ、二人は帰っていった。
「リーちゃん、また明日来るからね……」
「俺も来るからな」
ぐすぐすと泣く母を、旦那が支えて出て行った。頼りになる婿ができてよかったなあ、と他人事みたいに思った。わたしの夫なんですけどね。麻酔が聞いてるのか、思ってるよりは痛くない。むしろ頭がぼうっとして仕方ない。二人の会話も、聞こえているし意味も分かるけど、あんまりちゃんと返事はできてなかったように思う。
寝ようかな、目をつむったとき、誰かが近くに立っているような感覚を覚えた。誰、と思って目を開ける。でも、暗くて見えない。そうか夜だもんな。でもICUって結構明るいイメージなんだけどな。医療ドラマだけの知識だけど。
「キジョウさん、久しぶり」
マキウチさん!?えっ、どうやって入ってきたんですか!?というか、よく覚えてたなわたし……。でも、本当にどうやって入ったんですか。もう面会時間は終わりって聞いてますけど。
「君は本当に運が悪いな。まあ、生きてるから、大丈夫そうだね。お詫びにお金、君の口座に振り込んどくよ。まだ使ってるよね」
使ってるけど、苗字変えたからなあ。振込できるのかな。そのあたり、よくわかっていない。でもマキウチさんなら、たぶんそんなこと、わかってる気がするな。でもお詫びにマキウチさんからお金もらうのは、変な気がする。
「ササオカミヤコのことを、追い詰めたのは、俺たちの始末が悪かったから。カブラキリリアと、オガワさんは、今海外にいる。日本には承認保護プログラムがないからね。一応計画はあるらしいけど……いつになるやら。まあ、それはともかく。彼女に追及されずに誤魔化す方法を、死んだことにする、しか思いつかなかった俺たちが悪いんだ。そのせいで、せっかく堅気に戻ったキジョウさんを巻き込んでしまった」
「あ、あの、わたし、は」
「君はいまだにうじうじ悩んでるのか?すっぱり忘れろよ。旦那さんもできたんだし、君の年ならベイビーを産むこともあるだろ」
なんで英語。でもこんなケガしてもできるものなのかな。というかわたし、親になれるのかな……。想像、全然つかないんですけど。赤ちゃんみたいな穢れ無き存在のお世話、できるかな。
「俺たちの存在は、もとよりないものだから。変わんないよ。俺は俺で、おしろの会のことを公務員として調べるだけ。君は、普通の人に戻った。もうこれで忘れな」
忘れるなんて無理。声がする方に手を伸ばしたけれど、マキウチさんにはちっとも触れられない。そもそもこれ夢じゃないか?走馬灯的な?ということはやっぱり死んだんじゃないかな。うんそうだきっとそう。痛みがないのも、麻酔じゃなくて、死んだから感覚がないんだ。
「グッドラック」
意識が消える直前、そういう声が聞こえた。ぶちん、と電源が切れるみたいに、わたしの意識は消えた。そうか、死ぬときってこういう感じなんだな。ああ、もっとちゃんと……。遠い意識の向こうで、誰かがわたしを呼んでいる。
リエ、リエ。お母さん?名前で呼ばれるの、久々だな。
リエ、しっかりしろ。これは……旦那か。いや、しっかりしろって言われてもね。
ぎゅっとつかまれた感触に驚いて、わたしの意識は覚醒した。目の前には、泣きはらした母と、旦那の顔。どういうこと?さっきのは、夢……?
「あぁ!!リエ!リーちゃん!」
「よかっ……無事っ……」
無事ではないな。刺されてるし。おなか普通にいたい。点滴も管も繋がっている。脇にお医者さんと看護師さんがいて、犯人が刃物を抜かなかったことで多量出血を防げたようです、九死に一生ですねと二人に話していた。じゃああれ予知夢ってやつ?じゃああの人がまた来るのかな?そんなわけないな。
「よかったですね、おなかの赤ちゃんも無事ですよ」
「はっ!?赤ちゃん!?」
どゆこと。わたしも知らんです。母と夫がなんで言わないんだ、と詰め寄ってきたが、わたしも今知りました。看護師さんは呆れた顔で、三か月ですよ、ついでに産婦人科の先生に明日来てもらいますから、と言って出て行った。いや、知らん。
予知夢だ。予言された、ベイビーとか言ってたけど、もうおなかにいたんじゃん。いや気づかなくてごめん。
「お前、生理で気づけよ」
「不順気味だから……」
むしろあんた、よくわかるな。なに、調べてたの?そういや子供は好きだって、大学の頃から言ってたね。その時はへーって聞き流してたけど、あれもしかしてにおわせだったのかな。
「リーちゃん、おめでとう……」
母は号泣している。こんなに泣いてる母は、初めて見た。そして、よかった、と思った。母に、うれし泣きで号泣させることができた。それがちょっとうれしい。おなかをさすってみる。刺されたところが少し痛いくらいで、母親になる実感はない。でも、母と夫の顔を見ていたら、あの時切り捨てられてよかった、と初めて思えた。そうでなければ、二人の子の顔は、見れなかったはずだから。
わたしの日常は、今ここにあるところ。外を見ると、ツバメがヒューっと飛んでいくのが見えた。今三か月目ってことは……生まれるのは秋ぐらいかな。不安で仕方ない。大丈夫?
「大丈夫よ、お母さんがいるからね」
「俺もいるし。なっ」
優しく背中を夫にさすられ、嬉しかった。けれど同時に、かつて願ったことは永遠にかなわなくなったことを、わたしは悟った。




