9話
ローザ・ミラーの記録には、「帰郷」と書かれていた。
でも。
「帰る場所がない」
私は記録を見つめた。
住所もない。
家族の名前もない。
退職届も見つからない。
それなのに、帰郷したことだけは記録されている。
「……変なの」
私は別の帳簿を開いた。
ローザの勤務記録。
王女様が生まれた日。
その後の日々。
そして、王女様が亡くなったとされる日。
そこから少し後。
私はページを止めた。
「これ……」
小さな記載がある。
私用外出。
日付は、王女様が亡くなった直後だった。
「行き先は……」
空欄。
まただ。
肝心なところだけがない。
私はその記録を写した。
そして、別の帳簿を開く。
ノルデン村。
十五年前。
王宮から送られた物資。
私は日付を確認した。
「近い」
ローザの外出記録と、ノルデン村への物資。
ほとんど同じ時期だった。
私はもう一度、記録を見比べる。
乳児用の衣類。
薬。
布。
生活用品。
誰か一人のためにしては、少し多い。
でも、大きな荷物というほどでもない。
「誰に送ったの?」
名前はない。
送り先はノルデン村。
それだけ。
私は係の人に尋ねた。
「この物資について、詳しい記録はありますか?」
「ノルデン村の分ですか?」
「はい」
「少し待ってください」
係の人は奥から別の帳簿を持ってきた。
「これ以上は、あまり残っていないと思います」
「ありがとうございます」
私はページをめくった。
同じ日付。
同じ村。
物資の内容。
そして、送り出した担当者の欄。
「……名前がある」
私は指を止めた。
でも、ローザではない。
別の王宮職員だった。
「ローザさんの名前はありませんね」
「はい」
係の人は首をかしげた。
「何か問題でも?」
「いえ」
私は帳簿を閉じた。
ローザの外出。
ノルデン村への物資。
どちらも、王女様が亡くなったとされる直後。
偶然かもしれない。
でも、私はそう思えなくなっていた。
私は記録を持って、マルタさんのところへ向かった。
「マルタさん」
「何だい?」
「少し相談があります」
「珍しいね」
マルタさんは手を止めた。
私は机の上に記録を並べた。
「ノルデン村へ行きたいんです」
「……ノルデン村?」
「はい」
「どうしてまた、そんな遠いところへ」
「調べたいことがあります」
マルタさんは記録を見る。
ローザの退職記録。
私用外出。
ノルデン村への物資。
「十五年前、か」
「はい」
マルタさんは黙った。
「何を見つけたんだい?」
「まだ分かりません」
「分からないのに行くのかい?」
「だから、確認したいんです」
マルタさんはため息をついた。
「リナ」
「はい」
「あんた、掃除婦だよ」
「分かっています」
「王宮の外を調べる仕事じゃない」
「それも分かっています」
「なら、どうしてそこまで?」
私は少し考えた。
血の跡。
足跡。
紙。
十五年前。
死んだ王女。
消えた侍女。
ノルデン村。
どれも、私が勝手に作ったものじゃない。
「気になるからです」
それしか言えなかった。
マルタさんは私を見る。
「……あんたらしいね」
「行ってもいいですか?」
「すぐには決めないよ」
「はい」
「行くなら、何を調べるのか、どこへ行くのか、いつ戻るのか。全部まとめなさい」
「分かりました」
「それを見てから考える」
「ありがとうございます」
私は記録を持って戻った。
机の上で、もう一度ローザの勤務記録を開く。
帰郷。
私用外出。
空欄。
私は指で、その空欄をなぞった。
「……ローザさん」
王女様が亡くなったあと。
あなたは、どこへ行ったんですか。
答えは記録にない。
でも。
私はもう一つだけ分かっていた。
ローザの外出と同じ頃。
王宮からノルデン村へ、乳児用の品が送られている。
私は記録を閉じた。
「もしかして……」
言葉の先は、まだ口にできなかった。
ただ。
ローザは王女様が亡くなったあと、どこかへ行った。
その時期に、王宮からノルデン村へ物資が送られた。
私はもう一度、ノルデン村の名前を見た。
明日。
マルタさんに出す書類をまとめよう。
ノルデン村へ行くために。




