4話
次の日。
私は朝から、少し落ち着かなかった。
頭の中に、昨日聞いた言葉が残っている。
――十五年前。
――王女が亡くなった。
そして、あの紙。
――あの子は、生きている。
本当に関係があるのだろうか。
私は掃除を終えると、記録を扱っている場所へ向かった。
王宮には、古い記録がたくさん残っている。
私は詳しいことを知らない。
だから、まずは自分で見てみたかった。
「王女殿下の死亡記録を見たい?」
エドガーが聞き返した。
「はい」
「昨日の話ですね」
「十五年前に亡くなった王女様の記録です」
エドガーは少し考えた。
「どうして見たいんです?」
「昨日、十五年前という紙片を見つけたので」
「なるほど」
エドガーはそれ以上聞かなかった。
棚から一冊の記録を取り出す。
古い。
けれど、表紙はきれいだった。
エドガーが机の上に置いた。
「これです」
私は記録を開いた。
最初に目に入ったのは、王女の名前だった。
生まれた日。
父親と母親の名前。
そして、死亡した日。
確かに記録されている。
「……本当に、亡くなったんですね」
「記録上は、そうなっています」
エドガーの答えは淡々としていた。
私はページをめくった。
何枚かの書類が続いている。
けれど、思っていたより少ない。
「これだけですか?」
「何がです?」
「王女様が亡くなったときの記録です」
私は紙を指で示した。
「もっと詳しい記録があるのかと思っていました」
「十五年前のものですからね」
「でも、王女様ですよね」
「そうですね」
エドガーは答えた。
私はもう一度、記録を見る。
出生については、いくつかの記載がある。
けれど、死亡については簡単だった。
亡くなったという記録。
処理されたという記録。
それだけに見える。
「……変じゃないですか?」
エドガーが私を見る。
「何がです?」
「王女様が亡くなったなら、どうしてこんなに記録が少ないんでしょう」
「当時の担当者が必要な記録を残したのでしょう」
「そうですか」
私は納得しきれなかった。
でも、何が変なのかを説明できない。
掃除なら分かる。
昨日までなかった埃。
動いた机。
新しい傷。
そういうものなら、私は見つけられる。
でも、古い記録は違う。
何が普通なのか分からない。
私はページを戻した。
そして、ある欄で手を止めた。
「ここ……」
死亡について書かれた部分。
そこだけ、妙に簡単だった。
「確認した人の名前は?」
「必要なものは記載されています」
「でも、この記録にはありません」
エドガーは黙った。
私は顔を上げた。
「私、何か変なことを言いましたか?」
「いいえ」
エドガーは記録を閉じた。
「今日はここまでにしましょう」
「え?」
「古い記録です。扱いには注意が必要ですから」
エドガーはそのまま記録を手に取った。
私は少し驚いた。
「それ、もう見られないんですか?」
「必要なら正式な手続きをしてください」
「分かりました」
エドガーは記録を棚へ戻す。
その動作はいつもと変わらない。
落ち着いている。
何もおかしくない。
なのに。
私は、少しだけ気になった。
どうして、あの記録を閉じたのだろう。
私は部屋を出た。
エドガーも後から出てくる。
廊下を歩きながら、私はふと足元を見た。
「……あれ?」
エドガーの靴に、灰色の埃がついていた。
細かい埃。
見覚えがある。
西棟三階。
あの部屋の床に溜まっている埃と同じ色だった。
私は立ち止まった。
エドガーが振り返る。
「どうしました?」
「いえ……」
私はエドガーの靴を見る。
灰色の埃。
昨日の部屋。
足跡。
机の傷。
そして、消えた血の跡。
「何でもありません」
私はそう答えた。
エドガーは少しだけ私を見た。
それから歩き出した。
私はその背中を見送った。
文書を扱う人が、なぜ西棟三階の埃をつけているのだろう。
あの部屋へ行ったのだろうか。
でも。
それだけでは何も分からない。
私は自分に言い聞かせる。
昨日もそうだった。
見つけたものを、すぐに結びつけてはいけない。
まず確認する。
昨日と違うものを見つけたら。
その理由を確かめる。
私は掃除道具を持ち直した。
そして、もう一度だけ、エドガーの靴を見た。
灰色の埃は、まだ残っていた。




