3話
私は、エドガーの質問にすぐには答えなかった。
「……あの部屋で、ですか?」
「はい」
エドガーは静かに頷いた。
「何か気になるものがあれば、教えてください」
その言い方は穏やかだった。
けれど、私は少しだけ警戒した。
昨日、あの部屋で何かが起きた。
そして今日、この人はあの部屋を気にしている。
偶然だろうか。
「どうして、あの部屋を気にされるんですか?」
私が聞くと、エドガーは少し考えた。
「古い記録を扱っていますからね。西棟には、昔のものが多いんです」
「そうですか」
「それに、あの部屋は長く使われていませんから」
エドガーはそこで言葉を切った。
私は、手の中の紙片を思い出した。
――十五年前。
聞いてみようと思った。
「エドガーさん」
「はい」
「十五年前に、王宮で何か大きな出来事がありましたか?」
エドガーの表情が変わった。
ほんの少しだった。
でも、分かった。
何かを知っている。
「……なぜ、十五年前だと思ったんです?」
「紙に書いてありました」
「紙?」
「昨日、あの部屋で見つけた紙片です」
私はそこまで言って、口を閉じた。
エドガーは私を見ている。
「どんな紙ですか?」
「小さな紙片です。そこに『十五年前』と」
「そうですか」
エドガーは何も言わなかった。
少しの沈黙があった。
それから、静かに言った。
「十五年前なら、一つあります」
「何ですか?」
「王女殿下がお亡くなりになった年です」
「……王女?」
私は聞き返した。
「はい」
王女。
その言葉を聞いても、すぐには意味がつながらなかった。
私は王宮で働いている。
当然、王族がいることは知っている。
けれど、十五年前のことを詳しく知っているわけではない。
「王女殿下は……」
「生まれて間もなく、お亡くなりになりました」
私は黙った。
生まれて。
間もなく。
死んだ。
その言葉が頭の中に残った。
私は昨日の紙を思い出した。
――あの子は、生きている。
「……十五年前に亡くなった王女様のことですか?」
「分かりません」
エドガーは答えた。
「その紙に、王女と書いてあったわけではないのでしょう?」
「はい」
「なら、結びつけるのは早いでしょう」
その通りだった。
私は頷いた。
「そうですね」
でも。
偶然にしては、気になる。
私は紙片を見つめた。
「王女様が亡くなったことは、記録に残っていますか?」
「もちろんです」
「では、誰でも確認できるんですか?」
「王宮の記録ですから、誰でもというわけにはいきません」
「そうですか」
エドガーは手に持っていた書類を整えた。
「必要なら、正式な手続きを取ってください」
淡々とした言葉だった。
私は少し考えた。
「エドガーさんは、その記録を見たことがあるんですか?」
「あります」
「十五年前に?」
「当時、私は記録の処理に関わっていました」
私は顔を上げた。
「王女様の死亡記録も?」
「はい」
エドガーは答えた。
「正式な記録として処理しました」
それだけだった。
何かを隠しているようにも見える。
何も隠していないようにも見える。
私には判断できなかった。
「王女様は、どんな方だったんですか?」
聞いてから、少しおかしな質問だったと思った。
生まれて間もなく亡くなったのなら、会ったことのある人は少ない。
エドガーもそう思ったのか、少しだけ目を伏せた。
「生まれたばかりでしたから」
「……そうですよね」
「私が知っているのは、記録に残っていることだけです」
エドガーはそれ以上話さなかった。
そして、
「その紙片は、まだお持ちですか?」
と聞いた。
「……どうしてですか?」
「古い文書かもしれません。確認しておいたほうがいいでしょう」
私は少し迷った。
紙片を見せるだけなら、問題はないかもしれない。
でも。
昨日、血の跡も足跡も消えていた。
今日、机も動かされていた。
そして、この人はあの部屋を気にしている。
「今は、持っています」
「そうですか」
「でも、今日は持ってきていません」
嘘ではない。
紙片は部屋に置いてある。
掃除道具を置く棚の奥。
誰にも見つからないように、布に包んで入れておいた。
エドガーは何も言わなかった。
「分かりました」
そう言って、私の横を通り過ぎる。
「何か分かったら、教えてください」
「はい」
エドガーの姿が廊下の向こうへ消える。
私はその場にしばらく立っていた。
十五年前。
王女が亡くなった。
私は知らなかった。
いや。
正確には、知る必要がなかった。
私は掃除婦だ。
王族の昔話を調べる仕事ではない。
でも、昨日の紙がある。
――あの子は、生きている。
もし、あの紙が王女のことなら。
死んだはずの王女が、生きているという意味になる。
「……そんなこと、あるのかな」
口にしてみても、答えは出ない。
私はそのまま仕事に戻った。
夕方。
仕事を終えて部屋へ戻ると、布に包んだ紙片を取り出した。
小さな紙。
十五年前。
私は机の明かりに近づけて、もう一度見る。
文字はそれだけ。
他には何もない。
そう思った。
けれど。
「……ん?」
紙を少し傾ける。
破れた端の近く。
薄く、別の線が見えた。
私は紙を明かりの下へ持っていく。
そこには。
消えかけた文字が、もう一つ残っていた。
私は息を止めた。
「……これ、何?」
十五年前。
その下に残っていた文字。
それは――。
村の名前だった。




