35話
「……エレノア」
国王の声が、静かな部屋に落ちた。
私は壁際に立っていた。
目の前には、国王レオナールと王妃エレノア。
二人の間には、長い沈黙があった。
エレノアが口を開く。
「あなたに、話さなければならないことがあります」
「十五年前のことか」
エレノアの指が、わずかに震えた。
「……はい」
国王は目を伏せた。
「やはり、あの時のことだったか」
私は顔を上げた。
「あの時、というのは?」
レオナールが私を見る。
「王女が死んだとされた、あの日だ」
エレノアが続けた。
「セシリアは……生きています」
国王の表情は変わらなかった。
けれど、握った手だけが強くなった。
「知っていた」
「はい」
「十五年間」
「……はい」
私は黙って二人を見ていた。
そしてエレノアが、ゆっくり話し始めた。
「私は、セシリアを王宮から遠ざけました」
「なぜだ」
「この子には、ローゼンフェルトの血が流れているからです」
レオナールが目を閉じた。
「王位継承証書も、そのためか」
「はい」
私は息を止めた。
エレノアは続けた。
「証書が公になれば、セシリアはただの王女ではいられません。旧王家の血を持つ者として、王位を巡る争いに巻き込まれる」
「だから、死んだことにしたのか」
「……はい」
短い答えだった。
それだけで、胸が重くなった。
「別の赤ん坊の遺体を使いました。出生と死亡の記録も変えました。葬儀も行いました」
レオナールは何も言わなかった。
「私は、娘を守りたかった」
「では、なぜ私に相談しなかった」
エレノアの顔が強張った。
「……あなたなら、止めると思ったからです」
「当然だ」
静かな声だった。
責める声ではない。
だからこそ、重かった。
「私は王だった。お前一人で決めることではなかった」
「分かっています」
「では、なぜ十五年間も迎えに行かなかった」
エレノアは答えなかった。
私は、その沈黙を見ていた。
やがてエレノアが言った。
「怖かったのです」
「何が?」
「連れ戻せば、また王女にしてしまう。王宮に戻せば、あの子の人生を私たちが決めてしまう」
声が震えていた。
「だから……そのままにしました」
私は口を開いた。
「でも、それもエレノア様が決めたことですよね」
エレノアが私を見る。
「……はい」
「守ったのは事実です」
私は続けた。
「でも、奪ったものもあります」
部屋が静かになった。
「十五年という時間です」
エレノアは目を伏せた。
否定しなかった。
レオナールも、しばらく何も言わなかった。
やがて国王が立ち上がった。
「私にも責任がある」
エレノアが顔を上げる。
「あなたが?」
「十五年前、私は何かがおかしいと感じていた」
その言葉に、私は国王を見る。
「だが、深く追わなかった。王女の死を受け入れた」
レオナールは窓の外を見た。
「王として、それでよいと思っていたのかもしれない」
そして、振り返った。
「違った」
静かな声だった。
「もう、秘密を守るために誰かを犠牲にすることはしない」
私はエドガーの顔を思い出した。
証書を奪おうとした男。
セシリアを探していた男。
「では、文書官長は?」
私が尋ねる。
レオナールの表情が変わった。
「エドガーについては、私が調べる」
「証書を消されるかもしれません」
「だからこそ、先に保全する」
「セシリアのことも知られています」
「分かっている」
国王は迷わなかった。
「エドガーを拘束する」
エレノアが息を呑む。
「レオナール……」
「これ以上、彼に記録を消させるわけにはいかない」
国王は私の持つ証書へ目を向けた。
「それも保管する。誰にも勝手に処分させない」
私は証書を握り直した。
「公表するのですか?」
レオナールは少し考えた。
「事実を隠し続けるつもりはない」
それから、エレノアを見る。
「だが、順番を間違えてはいけない」
「順番?」
「まず、本人だ」
私は顔を上げた。
レオナールが言った。
「セシリアは、自分が王女だと知っているのか?」
「いいえ」
私が答えた。
「何も知りません」
国王は目を閉じた。
長い沈黙のあと、静かに言った。
「ならば」
目を開く。
「次に決めるのは、私たちではない」
エレノアが小さく息を呑んだ。
「セシリア自身に、決めてもらおう」
私は、その言葉を聞いていた。
十五年前。
大人たちは、少女の人生を決めた。
死んだことにすることも。
遠くへ送ることも。
迎えに行かないことも。
そして今。
ようやく、その人生を本人に返そうとしている。
私は窓の外を見た。
王宮の向こうに、王都がある。
その先には、ノルデン村がある。
そこには、何も知らずに暮らしている少女がいる。
セシリア。
次に伝えるべき秘密は、もう決まっていた。




