34話
「何をしたんですか」
私は聞いた。
王妃は、すぐには答えなかった。
「……そうですね」
やがて、静かに息を吐く。
「話さなければなりませんね」
私は黙って待った。
「セシリアを王宮から出すだけでは、不十分でした」
「どうしてですか」
「王女が生きていると知られれば、必ず探されます」
王妃の声は落ち着いていた。
「誰かが見つければ、あの子は王宮へ戻される。王女として扱われる。そして、ローゼンフェルトの血を理由に、政治の道具にされる可能性がある」
「だから……」
私は言葉を止めた。
王妃がうなずく。
「死んだことにしました」
部屋が静かになった。
「王女は、生まれてすぐに亡くなった」
王妃は、その言葉を自分自身に言い聞かせるように繰り返した。
「そういう記録を作りました」
「……本当の遺体は?」
王妃の目が伏せられる。
「セシリアは生きています」
「それは分かっています」
私は答えた。
「私が聞いているのは、死亡した王女として扱われた赤ん坊のことです」
王妃はしばらく黙っていた。
「近くで亡くなった赤ん坊がいました」
「……自然に?」
「はい」
「その子を?」
「セシリアの遺体として扱いました」
私は息をのんだ。
やはり。
でも、実際に聞くと重かった。
「あなたが、その赤ん坊を殺したわけではない」
「はい」
「それでも、その子を使った」
「……はい」
王妃は否定しなかった。
「王女の死亡記録を作り、出生の記録も整えました。葬儀も行いました」
「全部、本当ではないと知りながら?」
「知っていました」
「国王陛下も?」
王妃の表情がわずかに曇った。
「……すべてを、私と同じようには知りませんでした」
それ以上は聞かなかった。
今、必要なのはそこではない。
「王妃様」
「はい」
「それで、セシリアを守ったんですか」
「……私は、そう思っていました」
「過去形ですか」
王妃は目を伏せた。
「今でも、守りたかったという気持ちは変わりません」
「でも?」
「守るために、あの子の人生を一度消しました」
私は黙った。
「生きているのに、死んだことにした」
「はい」
「王女なのに、王女ではない記録を残した」
「はい」
「家族も、名前も、過去も」
私はそこで言葉を止めた。
セシリアには、ちゃんと家族がいる。
村で十五年、一緒に暮らしてきた人たちがいる。
だから「全部を奪った」というのは違う。
けれど。
知らされなかったものは、確かにある。
「……あなたは、セシリアから選ぶ機会も奪ったんですね」
王妃の顔が揺れた。
「ええ」
小さな声だった。
「その通りです」
私は継承証書を思い出した。
「証書も同じですか」
「はい」
「王家の歴史を隠したことも」
「私の判断です」
王妃ははっきり答えた。
「証書が公になれば、セシリアの血筋と結びつきます。あの子を守るためには、存在そのものを遠ざける必要があると思いました」
「でも、証書を隠している限り、今の王家の歴史も隠されたままになる」
「……分かっています」
王妃の声は小さかった。
「それでも、当時の私は、あの子の命を優先しました」
私は何も言えなかった。
間違っている、と簡単に言うことはできない。
正しい、と言うこともできない。
ただ、その選択によって消えたものがある。
「ローザは?」
王妃が顔を上げた。
「ローザを守ることは、できなかったんですか」
「……」
「あなたが信頼して、娘を託した人ですよね」
「はい」
「どうして、記録から名前まで消えたんですか」
王妃は答えなかった。
その沈黙だけで、十分だった。
「ローザに何か起きる可能性を、あなたは知らなかったんですか」
「知りませんでした」
「本当に?」
王妃は目を閉じた。
「……危険があることを、考えなかったわけではありません」
私は黙った。
「でも、私はセシリアのことばかり考えていました」
「だから、ローザを守れなかった」
「はい」
王妃の声が震えた。
「私は、あの子を守ることに必死で、そのために動いてくれた人を守ることができなかった」
部屋に沈黙が落ちる。
私は、これまで見てきた記録を思い出した。
消された名前。
不自然な退職記録。
そして、ローザがもうどこにもいないこと。
「それでも、十五年間です」
私は言った。
「セシリアを迎えに行く時間は、あったはずです」
王妃は答えなかった。
「一日ではありません」
私は続けた。
「一年でもない」
王妃の目に涙が浮かんだ。
「十五年です」
「……はい」
「どうして迎えに行かなかったんですか」
長い沈黙のあと。
王妃は答えた。
「怖かったのです」
「何が?」
「あの子を連れ戻したら、また王女にしてしまう」
王妃は唇を噛んだ。
「そうなれば、私が十五年前に恐れたものが、全部あの子のところへ戻ってくる」
「だから、迎えに行かなかった」
「はい」
「それも、あなたの判断ですか」
「……はい」
私は王妃を見た。
この人は、セシリアを守ろうとした。
それは本当なのだろう。
けれど。
守るという言葉だけでは、十五年という時間は消えない。
「王妃様」
「はい」
「あなたがセシリアを守ったのは、事実だと思います」
王妃は黙っている。
「でも」
私は言った。
「守ったのは事実です。でも、奪ったものもあります」
王妃は目を閉じた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「……ええ」
否定しなかった。
「私も、そう思っています」
しばらくして、王妃が顔を上げる。
「だから」
その声には、もう迷いがなかった。
「私は、もう一度あの子の人生を、私の都合で決めたくありません」
「……」
「十五年前、私が決めました」
王妃は静かに言った。
「王女として生きるのか。普通の娘として生きるのか」
そして。
「今度は、あの子自身に決めてもらいます」
私は、その言葉を聞いた。
けれど、その前に。
まだ一人、話をしなければならない人がいる。
国王。
この国の王であり、セシリアの父親。
十五年前、何かがおかしいと感じながら、深く追わなかった人。
王妃は、私の考えを読んだように言った。
「レオナールにも、すべてを話します」
私はうなずいた。
十五年前の秘密は、もう一人では抱えられないところまで来ていた。




