33話
私は、王妃の顔を見ていた。
さっきまで何度も考えていた言葉が、喉につかえて出てこない。
セシリアは生きている。
王妃は、それを認めた。
なら、次に聞くことは一つしかない。
「どうしてですか」
王妃の指が、膝の上でわずかに動いた。
「どうして、セシリアを王宮から遠ざけたんですか」
しばらく沈黙が続いた。
やがて王妃は、静かに口を開いた。
「……あの子は、ローゼンフェルトの血を引いています」
「ローゼンフェルト」
「ええ」
その名は、もう知っている。
かつての王家。
今の王家が王位につく前、この国を治めていた一族。
そして。
「あなたが見つけた継承証書にも、その血筋が関係しています」
「セシリアが王位を継ぐ資格を持っているからですか」
「血だけで王位が決まるわけではありません」
王妃は首を横に振った。
「けれど、血筋と証書が揃えば話は変わります」
私は黙って聞いた。
「十五年前。私は、それを知りました」
「娘が生まれた時に?」
「……もっと前から、調べていました」
王妃は窓の外へ目を向けた。
「ローゼンフェルト家は、反逆者だった。そう教えられてきました。私も最初は、そう思っていました」
「でも、違った」
「ええ」
短い返事だった。
「古い記録を調べていくうちに、今の王家が隠してきたものがあると知りました」
私は思い出す。
あの証書。
王位継承を示す、古い一枚の紙。
あれが表に出れば、今の王家の歴史そのものが揺らぐ。
「そして、あなたはセシリアが生まれた」
「そうです」
王妃は目を伏せた。
「生まれたばかりの娘を見たとき、私は考えました」
「何を?」
「この子は、王女として育てられるのだろうか、と」
私は何も言わなかった。
「王女になれば、守られると思う人もいるでしょう。でも、私は逆だと思いました」
王妃の声が少しだけ低くなった。
「この子は、利用される」
その言葉だけが、部屋に残った。
「王位を巡る争いに」
「はい」
「血筋を理由に?」
「血筋だけではありません。証書の存在を知る者がいれば、なおさらです」
私は姿見の裏に隠されていた証書を思い出した。
「だから、証書を隠したんですか」
「……はい」
王妃は否定しなかった。
「誰にも見つからない場所へ移しました」
「自分の部屋に」
「ええ」
「どうして?」
「証書が残っていれば、いつか誰かが見つけます」
王妃は、まっすぐ私を見る。
「けれど、私が持っていれば、少なくとも私の知る限りでは誰にも渡りません」
「セシリアを守るために?」
「そうです」
私は少し考えた。
「それなら……セシリアも、隠したんですか」
王妃の表情が固まった。
「……そうです」
「誰に?」
「ローザに」
その名前を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。
ローザ。
記録から名前を消された侍女。
十五年前、王女が死んだ直後に姿を消した女性。
そして、私が追ってきた秘密の中心にいた人。
「ローザに、赤ん坊を託した」
「ええ」
「王宮の外へ?」
「そうです」
「どこへ行くか、知っていたんですか」
「知っていました」
王妃は、ゆっくりとうなずいた。
「遠い村です。王宮から離れた、小さな村でした」
私は息を吐いた。
やはり、そうだった。
王宮から送られていた赤ん坊用の物資。
十五年前に村へ来た女性。
養父母の証言。
そして、セシリア。
全部が一本につながっていく。
「ローザは、あなたに報告したんですね」
「はい」
「セシリアが無事に村へ着いたことを?」
「そうです」
「そのあとも、生きていると知っていた?」
「知っていました」
迷いのない答えだった。
私は王妃から目をそらせなかった。
「では、なぜ」
声が少し震えた。
「なぜ十五年間、迎えに行かなかったんですか」
王妃は答えなかった。
長い沈黙だった。
「王女として迎えれば、あの子を王宮へ戻せます」
「……ええ」
「でも、それをすれば」
王妃の手が、膝の上で強く握られた。
「私は、あの子を守れないと思った」
「だから、何も知らせなかった」
「そうです」
「自分が王女だということも」
「……はい」
私は思い出していた。
村で笑っていたセシリアを。
養父母と食卓を囲んでいた姿を。
何も知らずに、自分の人生を生きていた少女を。
「あなたは、あの子が普通の娘として生きることを選んだ」
「私が選びました」
王妃は言った。
「セシリアには、選ばせませんでした」
その言葉に、私は黙った。
王妃自身も、そのことに気づいている。
だからこそ、声が重かった。
「それでも……あの子を守りたかった」
「……はい」
「ローザに託したのも、証書を隠したのも、そのためです」
私は聞いた。
「王妃様」
「何でしょう」
「十五年前、あなたは何を恐れていたんですか」
王妃はしばらく私を見ていた。
そして、静かに答えた。
「この国が、あの子を理由に壊れることです」
その答えは、思っていたより重かった。
私は掃除婦だ。
王位がどう決まるのかも、貴族たちが何を争うのかも、本当の意味では知らない。
ただ。
セシリアが普通の少女として笑っていたことだけは知っている。
「……守りたかったんですね」
「ええ」
王妃はうなずいた。
「私は、あの子を守りたかった」
その言葉を聞いても、私はすぐには納得できなかった。
守った。
確かに、守ったのかもしれない。
でも。
それだけで終わる話なのだろうか。
「王妃様」
「はい」
「ローザは、どうなったんですか」
王妃の顔から、わずかに血の気が引いた。
私はその変化を見逃さなかった。
「……ローザのことは」
王妃は一度、目を閉じた。
「まだ、話さなければならないことがあります」
「まだ?」
「ええ」
静かな声だった。
「あなたが知ったことは、十五年前に起きたことの一部にすぎません」
胸がざわついた。
「では、残りは?」
王妃は私を見た。
「私が何をしたのか」
その言葉の意味を、私はまだ知らなかった。
「そして」
王妃の声が、わずかに震えた。
「私が、何をしなかったのか」
私は黙って立っていた。
次に聞く話は、きっと今までとは違う。
誰かを守ろうとした話ではない。
そのために、何を犠牲にしたのか。
その話だった。




