31話
廊下を歩きながら、私は何度も懐を確かめた。
紙の感触がある。
王位継承証書。
さっきまで、ただの古い紙だと思っていた。
今は違う。
あの文書官長が欲しがっている。
それだけで、この紙がどれほど危険なのか分かった。
「止まってください」
背後から声がした。
振り返る。
見覚えのない男が二人、立っていた。
「何でしょうか」
「文書官長の命令です」
男が一歩近づく。
「証書を渡してください」
私は黙った。
「昨日までは、話し合いだったはずです」
「今は違います」
即答だった。
背中が冷たくなる。
「お断りします」
「掃除婦が持っていていいものではありません」
「では、誰なら持っていていいんですか?」
「それを決めるのは、あなたではありません」
男が手を伸ばした。
私は一歩下がった。
「触らないでください」
「抵抗するつもりですか?」
「渡すつもりがないだけです」
男が私の腕をつかもうとする。
私は横へ逃れた。
けれど、もう一人が前に回り込んでいた。
逃げ道がない。
まずい。
私は廊下の先を見た。
そこには、掃除用具を運ぶための細い通路がある。
普段なら、誰も気にしない場所。
私はそこへ走った。
「待て!」
背後から怒鳴り声が飛んでくる。
私は振り返らなかった。
長い廊下を抜け、角を曲がる。
掃除婦として十年。
私はこの宮殿の表の廊下より、裏側の通路のほうをよく知っている。
狭い扉を開ける。
その先は使用人用の通路だった。
息を整える暇もなく進む。
けれど――。
「そこまでです」
前に男が立っていた。
別の道にも回られている。
私は足を止めた。
「証書を」
「嫌です」
「あなた一人では、守れませんよ」
男が近づいてくる。
私は懐を押さえた。
「それを燃やすんですか?」
「必要なら」
男は淡々と言った。
「こんな古い紙一枚のために、国を揺らす必要はありません」
「紙一枚ではありません」
私は答えた。
「そこに書かれたことが問題なんでしょう」
男の顔がわずかに動いた。
図星だった。
「渡してください」
「嫌です」
男の手が伸びる。
私は後ろへ下がった。
けれど壁だった。
もう逃げられない。
男が私の懐へ手を伸ばす。
私は腕で押さえた。
「離してください!」
「おとなしく――」
「何をしているのです」
別の声が響いた。
全員が振り返った。
そこにいたのは、王妃付きの侍女だった。
男たちの動きが止まる。
「王妃陛下からの命令です」
侍女は私を見た。
「リナ・ベルさんですね」
「はい」
「王妃陛下がお呼びです」
私は男たちを見た。
男たちは黙っている。
「今すぐですか?」
「はい」
侍女はそれだけ答えた。
「こちらへ」
私は動かなかった。
「証書は?」
男が尋ねる。
侍女は静かに男を見る。
「王妃陛下の命令に逆らうということですか?」
男は答えなかった。
しばらくして、手を引いた。
私は懐の証書を確認する。
まだある。
私は侍女の後ろを歩き始めた。
廊下を進む。
王妃の私室へ向かっている。
どうして、今なのか。
頭の中に、さっきのエドガーの言葉が蘇った。
『セシリア』
あの男は、彼女の名前を知っていた。
そして今、王妃が私を呼んでいる。
偶然とは思えなかった。
やがて、大きな扉の前に着いた。
侍女が立ち止まる。
「ここから先は、お一人で」
扉が開いた。
その向こうに、王妃エレノアがいた。
静かにこちらを見ている。
私は一歩、部屋へ入った。
王妃は私の懐へ視線を落とした。
そして、静かに言った。
「その証書を、どこで見つけたのですか」




