26話
王妃様の私室を掃除するのは、今日が初めてだった。
「リナ、今日は王妃様の私室をお願い」
マルタからそう言われたとき、私は少しだけ背筋を伸ばした。
「私が、ですか?」
「ええ。いつもの部屋だけじゃないよ。たまには別の場所も見ておきな」
「分かりました」
私は掃除道具を持って、王妃様の私室へ向かった。
部屋は広かった。
窓際には小さな机。
壁際には本棚。
そして、部屋の奥に大きな姿見が置かれている。
古いものだった。
木製の枠には細かな傷がある。
私はまず窓を開けた。
それから床を掃き、机を拭き、本棚の埃を払った。
最後に、姿見へ向かう。
「……」
そこで、手が止まった。
埃の積もり方がおかしい。
鏡の前には薄く埃が残っている。
でも、右側の脚元だけ。
そこだけ、床の埃が途切れていた。
「最近、動いた?」
私はしゃがみ込んだ。
指先で床をなぞる。
埃は薄い。
けれど、姿見の脚を中心に、細い線が残っている。
家具を動かしたときにできる跡に似ていた。
私は左右を見比べた。
左側にはない。
右側だけ。
「……昨日と違う、のかな」
ここは、私が毎日掃除している部屋ではない。
だから昨日の状態までは分からない。
それでも、長い間動かされていない家具なら、埃はもっと均一になる。
私は姿見に手を伸ばした。
けれど、触れる寸前で止めた。
王妃様の私室だ。
勝手に家具を動かすわけにはいかない。
「まずは掃除だけ」
私はそう決めた。
布を持ち、姿見の枠を拭く。
上から下へ。
端まで丁寧に。
そのときだった。
「そこに何かありますか?」
声がして、私は振り返った。
王妃様だった。
「王妃様」
私は立ち上がった。
「申し訳ありません。姿見の周りを掃除しておりました」
「ええ。分かっています」
王妃様は穏やかに笑った。
そして、私の後ろにある姿見へ目を向けた。
一瞬だけ。
本当に一瞬だった。
王妃様の視線が、床の埃の跡に落ちた。
けれど、すぐに私へ戻る。
「丁寧にお願いしますね」
「はい」
私は少し迷ってから尋ねた。
「姿見も動かして、裏まで掃除したほうがよろしいでしょうか」
王妃様の表情が、ほんのわずかに止まった。
けれど、それだけだった。
「……そうですね」
静かな声だった。
「できる範囲で、お願いします」
「分かりました」
王妃様はそのまま部屋を出ていった。
私は姿見を見た。
「……できる範囲、か」
もう一度、脚元を見る。
やはりおかしい。
私は布を床に入れ、隙間を掃いた。
すると、右側だけ妙に深く布が入った。
「……あれ?」
左側より、少しだけ隙間が広い。
私は姿見の枠に手を添えた。
力を入れる。
動かない。
もう一度、少しだけ力を加える。
――ほんのわずかに。
動いた。
私は手を止めた。
「……動く」
ただの家具かもしれない。
掃除のために、少し動かしただけなのかもしれない。
でも。
埃の跡がある。
片側だけ隙間が広い。
そして、今。
確かに動いた。
私は姿見から手を離した。
今日は、これ以上触らない。
けれど明日は。
もう少しだけ、確かめてみようと思った。




