23話
ローザは、故郷へ帰ったことになっていた。
私は、その記録を何度も見直していた。
「退職。帰郷……」
台帳には、そう書かれている。
けれど。
故郷の名前はない。
住所もない。
退職理由もない。
「マルタさん」
「何だい?」
「ローザが帰った場所って、分からないんですか?」
「記録には残ってないね」
「でも、帰郷したことにはなっています」
「そうだね」
マルタさんが腕を組む。
「変だと思わないかい?」
「思います」
私は別の記録を開いた。
退職者の一覧。
そこにもローザの名前がある。
――退職。
――帰郷。
それだけだった。
「普通は、もう少し書くんですよね」
「少なくとも、どこへ帰るかくらいはね」
「じゃあ、どうして……」
言葉が止まった。
そのとき、私は別のページに気づいた。
「これ」
「何だい?」
ローザの名前の横。
小さな文字が残っていた。
――死亡。
「……死亡?」
マルタさんが顔を近づける。
「そんな記録、前にあったかい?」
「ありません」
私は首を振った。
「昨日まで見た台帳には、ありませんでした」
私はその文字を見つめた。
退職。
帰郷。
そして。
死亡。
三つの言葉が、同じ人間について残っている。
「どっちなんでしょう」
「分からないね」
マルタさんは慎重に答えた。
「でも、少なくとも普通じゃない」
私は別の記録を探した。
退職者に支払われた旅費。
故郷へ戻る使用人には、少額の旅費が出る。
ローザの名前を探す。
ない。
「ありません」
「何が?」
「旅費の記録です」
私はページをめくった。
「ローザが退職したときの旅費がありません」
「……」
マルタさんが黙った。
私はさらに探した。
退職の届け。
荷物の記録。
紹介状。
どれにも、ローザの名前がない。
あるのは。
「帰郷した」という一行だけ。
私は背筋が冷たくなるのを感じた。
「帰ってない……?」
「そこまでは言えないよ」
「はい」
まだ分からない。
でも。
帰った証拠がない。
それだけは確かだった。
「マルタさん」
「うん」
「この死亡という記録は、いつ書かれたものですか?」
マルタさんは帳面を傾けた。
「筆跡が違うね」
「違いますか?」
「元の記録を書いた人とは違う」
「後から書かれた?」
「その可能性はある」
私は黙った。
ローザの名前は、最初からきれいに消されたわけじゃない。
残っている。
でも。
残った記録同士が、噛み合っていない。
退職した。
故郷へ帰った。
その一方で。
死亡した。
「……どうして、こんなことを」
思わず口に出た。
「分からないね」
マルタさんは答えなかった。
私も答えを出せなかった。
ただ。
十五年前の出来事を、もう一度思い出す。
王女が死んだ。
ローザが王宮を出た。
ノルデン村へ行った。
赤ん坊を連れていた。
王宮へ戻った。
王妃へ報告した。
そして。
ローザ自身の記録が、おかしくなっている。
「……ローザは」
私は呟いた。
「何かを知っていたんでしょうか」
「そうかもしれない」
「だから、記録から消された?」
「それも、まだ分からない」
マルタさんの言葉は正しかった。
何も証明できていない。
でも。
私は、あの部屋に残されていた紙を思い出した。
――あの子は、生きている。
ローザが赤ん坊を村へ連れていった。
そして、王宮へ戻って王妃へ報告した。
その後。
ローザの人生だけが、記録の中から消え始めている。
偶然とは思えなかった。
「マルタさん」
「何だい?」
「ローザは、本当に故郷へ帰ったんでしょうか」
マルタさんは答えなかった。
しばらくして。
「調べるしかないね」
そう言った。
私は頷いた。
退職した日。
王宮を出た日。
そのあと。
どこへ行ったのか。
誰に会ったのか。
それを調べればいい。
私はローザの名前が残っている最後の記録を探した。
けれど。
そこで、また手が止まった。
最後の記録の日付は。
王女の死から、それほど離れていなかった。
「……このあとがない」
ローザは、ここから先にいない。
帰郷した記録もない。
死亡した記録もない。
ただ。
いなくなっている。
私は台帳を閉じた。
「ローザは……帰ったんじゃない」
小さく呟く。
「帰ったことにされたんじゃないか」
その瞬間。
廊下の向こうから、誰かの足音が聞こえた。
私は顔を上げた。
足音は止まらない。
こちらへ近づいてくる。
私は台帳を閉じた。
ローザが消えた理由。
そして。
ローザを消した人間。
それを確かめなければならない。




