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20話

馬車は、ベル家の前で止まらなかった。


けれど、通り過ぎる速度が遅かった。


私は窓の隙間から、その馬車を見ていた。


黒い車体。


王都から来たことを示すような、整った造り。


御者は前を向いたままだった。


そのまま馬車は村の奥へ進み、やがて見えなくなった。


「……まただ」


私が呟くと、後ろから声がした。


「また?」


振り返る。


セシリアが立っていた。


「何でもないわ」


「何か見てた?」


「馬車」


「馬車?」


セシリアが窓の外を見る。


「この村に馬車なんて珍しいね」


「そうね」


私は窓を閉めた。


セシリアは不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。


そのまま台所へ向かう。


「お母さん、何か手伝う?」


「じゃあ、そこにある野菜を洗って」


「はーい」


いつも通りだった。


明るくて。


よく動いて。


何も知らない。


私は、その背中を見つめた。


十五年前。


この子を連れてきた女。


ローザ。


そして、王女の死亡記録。


王宮から送られていた赤ん坊用の物資。


銀の品。


全部がつながっている。


セシリアは、死んだはずの王女だ。


少なくとも私は、そう確信している。


けれど。


本人は知らない。


「リナ?」


「え?」


「ぼんやりしてるよ」


セシリアが笑っていた。


「疲れてる?」


「少しだけ」


「じゃあ、休んでていいよ。私がやるから」


「あなたは働きすぎ」


「リナに言われたくないなあ」


笑い声が出た。


私は笑い返した。


でも、胸の奥は重かった。


この子に伝えるべきなのだろうか。


あなたは王女かもしれない。


十五年前に死んだことになっている。


そう言ったら、この子はどうする。


驚く。


信じない。


泣くかもしれない。


そして何より。


今まで「自分の家」だと思っていた場所を、失うかもしれない。


私はセシリアの顔を見る。


トーマスさんとエミリアさんがいる。


ここが、この子の家だ。


それを私の一言で壊していいのだろうか。


「リナ?」


「何?」


「王都に行ったことある?」


「ないわ」


「私、行ってみたいんだ」


セシリアが野菜を洗いながら言った。


「王都って、やっぱり大きいのかな」


「大きいと思うわ」


「王宮も見てみたい」


その言葉に、私は手を止めた。


「どうして?」


「だって、一度くらい見てみたいじゃない」


セシリアは笑った。


「私には関係ない場所だけどさ」


関係ない。


そう思っている。


今は。


私は何も言えなかった。


その日の夕方。


私は家の外へ出た。


村の入口を見る。


昼間の馬車は、もういない。


けれど、少し離れた場所に男が立っていた。


あの男だ。


最初に見たときと同じ。


村人とは違う服。


こちらを見ている。


私と目が合うと、男はすぐに背を向けた。


「……」


私は追わなかった。


追えば、セシリアの存在を知られたことを相手に教えることになる。


それより。


確かめなければ。


この男は誰なのか。


何のために、この村へ来たのか。


私は家へ戻った。


エミリアさんが夕食の支度をしている。


「リナ、今日は泊まっていく?」


「いえ。明日の朝には戻ります」


「そう」


セシリアが横から顔を出した。


「もう帰るの?」


「明日ね」


「そっか」


少し残念そうに笑う。


その顔を見て、私は決めた。


今は言わない。


少なくとも、今ではない。


証拠はある。


けれど、それを本人に伝える準備ができていない。


それに。


誰かが、この子を探している。


ならば先に確かめる必要がある。


誰が。


なぜ。


どこまで知っているのか。


「セシリア」


「なに?」


「もし、知らない人に何か聞かれても、一人で答えないで」


「え?」


「王都から来た人とか。名前や家のことを聞かれても」


セシリアは首を傾げた。


「どうして?」


「念のためよ」


「……変なの」


「そうね」


私は笑った。


「でも、約束して」


「うん。分かった」


セシリアは素直に頷いた。


私はその手元を見る。


この子は何も知らない。


知らないまま、普通に生きている。


その人生を守るためには。


真実を急いで渡すことが正しいとは限らない。


私は外へ出た。


村の道を歩きながら考える。


ローザ。


十五年前に、この子を連れてきた女。


王宮から来た。


そして、その後、王宮へ戻った。


なら。


あの人が最後にどこへ行ったのか。


それを知れば、もっと分かる。


私は足を止めた。


「……ローザの足取りを調べよう」


誰がこの子をここへ連れてきたのか。


その人が、十五年前に何を見たのか。


そこからなら。


王宮で何が起きたのかにも近づける。


私は村を出る道を見た。


もう一度、王宮へ戻る。


今度は、十五年前の侍女の足跡を追うために。

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