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16話

セシリアに、話さなければならない。


そう思ったのは、朝だった。


けれど。


昼になっても、言葉は出てこなかった。


「リナさん?」


「……何?」


「さっきから、ずっと難しい顔してる」


セシリアが首を傾げる。


私は慌てて顔を戻した。


「そう?」


「うん。昨日からずっと」


よく見ている。


人の顔を。


掃除をしていると、床の傷や埃ばかり見ていると思われるけれど。


私は、人の変化にも気づく。


ただ、今は。


気づかれているのは私のほうだった。


「少し考え事をしていただけ」


「王宮のこと?」


「……そうね」


嘘ではない。


王宮のことを考えていた。


ただし、考えているのは王宮そのものではない。


目の前にいる、この少女のことだ。


十五年前に死んだことになっている王女。


その王女と、目の前のセシリアは同じ年齢で、同じ名前を持っている。


王宮の記録。


ベル夫妻の証言。


王家の紋章が入った銀製品。


三つが重なっている。


私は、もう偶然だとは思っていなかった。


だからこそ。


言えなかった。


「ねえ、リナさん」


「何?」


「王都って、やっぱり大きい?」


「大きいわよ」


「どのくらい?」


セシリアが身を乗り出す。


「人も多いし、王宮も大きい。道も広いところがある」


「王宮、見たことある?」


「毎日働いてるから」


「すごい」


セシリアは笑った。


「私、一度でいいから王宮を見てみたいな」


胸の奥が重くなった。


「……どうして?」


「だって、王様がいるんでしょう?」


「いるわ」


「どんな人?」


「それは……」


私は少し考えた。


実際に国王を近くで見たことは何度もある。


けれど、使用人である私が国王について話すのもおかしい。


「静かな人よ」


「へえ」


「それに、王宮にはいろんな人がいる」


「私も行ってみたい」


セシリアは窓の外を見た。


「いつかね」


その横顔を見ていると、言葉が喉につかえた。


――あなたは、王宮に行く資格がある。


そう言ってしまえばいい。


けれど、それは違う。


「王女だから」と伝えた瞬間、この子の今までの生活が変わる。


トーマスさんも。


エミリアさんも。


この家も。


村で過ごした十五年も。


全部。


私は口を閉じた。


「リナさん?」


「何でもないわ」


「変なの」


セシリアは笑った。


そして、奥からエミリアさんの声がした。


「セシリア! 薪を運ぶの手伝って!」


「はーい!」


セシリアはすぐに立ち上がった。


「行ってくるね」


「ええ」


元気よく駆けていく。


その背中を見送りながら、私は思った。


この子は何も知らない。


自分が何者なのか。


なぜここで育ったのか。


なぜ十五年前、一人の女性が赤ん坊を連れてきたのか。


何も。


知らないまま、ここで十五年生きてきた。


それを私が、一言で変えてしまっていいのだろうか。


答えは出なかった。


---


夕方。


私は村の通りを歩いていた。


宿へ戻る前に、少しだけ周囲を見ておこうと思った。


そのときだった。


見慣れない男がいた。


村人ではない。


服装が違う。


旅人にも見えるが、荷物は少ない。


男は村の中央で立ち止まり、近くの農夫に声をかけていた。


「すみません。この辺りにベルという家はありますか?」


私は足を止めた。


ベル。


偶然かもしれない。


この村にベルという姓の家が一軒しかないとは限らない。


それでも。


男の視線が、通りの先へ向いた。


その先には。


セシリアの家がある。


私は何気ない顔をして、男の横を通り過ぎた。


「ベルさんなら、あちらですよ」


農夫が指を示した。


男は礼を言った。


「ありがとうございます」


それだけだった。


男は歩き出した。


私は振り返らなかった。


ただ、足音だけを聞いた。


一歩。


二歩。


三歩。


そして。


足音が止まった。


私は立ち止まった。


背中に視線を感じる。


振り返る。


男はこちらを見ていた。


ほんの一瞬。


目が合った。


男は何も言わなかった。


やがて視線を逸らし、そのまま村の奥へ歩いていった。


私はその場に残った。


嫌な感じがする。


理由は説明できない。


けれど。


私は、こういう小さな違和感を無視しない。


部屋の机が数センチ動いていたときも。


床に新しい傷があったときも。


同じだった。


昨日と違う。


だから、確認する。


私はベル家へ向かった。


けれど、男の姿はなかった。


---


夜。


宿の部屋に戻ってからも、私は窓の外を見ていた。


村は静かだった。


明かりのついた家がいくつか見える。


その中に、ベル家もある。


セシリアは今も、何も知らずに眠るのだろう。


私は椅子に座った。


昼間の会話を思い出す。


――私、一度でいいから王宮を見てみたいな。


もし。


この子が本当に王女なら。


王宮は「見てみたい場所」ではない。


本来なら、自分が生まれた場所だ。


でも。


そのことを本人は知らない。


知らないからこそ、笑っていられる。


私は目を閉じた。


「……どうすればいいの」


誰に聞くでもなく呟く。


答えは返ってこない。


そのとき。


遠くで馬の蹄の音がした。


私は窓を開けた。


村の入口を見る。


暗くて、よく見えない。


けれど、道の上に新しい轍が残っていた。


この村では、あまり見ない深い轍。


王都へ続く道から来たものだった。


私はしばらく、それを見つめていた。


そして。


昼間の男の顔を思い出した。


セシリアは、まだ何も知らない。


けれど。


どうやら、**知らないままでいられる時間は、もう長くないらしい。**

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