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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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第八十話 

翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、よく晴れていた。


 雲は少ない。


 遠く、空の端に薄い白が流れているだけで、頭上には澄んだ青が広がっている。


 朝日は校舎の石壁を明るく照らし、尖塔の先を淡い金色に染めていた。


 中庭の芝には夜露が残っている。


 細かな雫が、光を受けて小さく瞬いていた。


 風は穏やかだった。


 旗はゆっくり揺れ、木々の葉は静かに擦れ合う。


 噴水の水音は、今日も変わらない。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 レオン・ヴォルツは、寮の部屋で手帳を開いていた。


 昨夜の最後の一文。


 関係は、名乗る前に積み重なる。だから今は、名づけるより先に、明日も普通に丁寧に続ける。


 その文字を、しばらく見つめていた。


 いろいろなことがあった。


 最初は、ただ揺れていた。


 フィーネとの関係を疑われた。


 エリシアとの距離を問われた。


 ヴォルツ家とローゼンベルク家からの返答を待った。


 公開評価課題へ向けて、毎日、状態を共有した。


 崩れる練習をした。


 名前のある視線に揺れる練習をした。


 あえて失敗を隠さない練習をした。


 最後に増やさない勇気も学んだ。


 公開評価当日。


 観覧席に人が座った。


 カイルが見ていた。


 ハルトが見ていた。


 エリシアが見ていた。


 教師団が見ていた。


 記録担当が書いていた。


 そして、その先で父が読むことを知っていた。


 怖かった。


 声は震えた。


 報告は詰まった。


 支援は迷った。


 ユーリスは膝をつきかけた。


 レオンは家へ意識が飛び、一人で背負おうとした。


 だが、隠さなかった。


 戻った。


 その結果、公開評価は上だった。


 完全無欠の上ではない。


 崩れて戻る上。


 弱さごと評価された上。


 そして、正式報告書が家へ送られた。


 ローゼンベルク家は、エリシアの判断を判断として受け止めた。


 ヴォルツ家は、正式承認ではないが、通常活動継続に異議なしとした。


 父は、問うた。


 判断責任を放棄せず、他者の補正を受け取る器量を持てるのか。


 その問いは、まだ胸にある。


 そして第五班は、続くことになった。


 条件付きで。


 継続観察で。


 次回定期報告もある。


 それでも、続く。


 レオンは手帳に、今日の最初の一文を書いた。


 名前のない明日へ。


 その下に、もう一行。


 終わりではなく、これから続く日々の最初の区切りとして、今日を歩く。


 ペンを置く。


 今日が何かの終わりだとは、誰も言っていない。


 だが、レオンにはわかっていた。


 これは区切りだ。


 封書と評価と返答に追われた日々の終わり。


 そして、条件を抱えながら日常へ進む日々の始まり。


 レオンは制服へ袖を通した。


 灰色の布が肩に乗る。


 鏡の中の自分を見る。


 以前より、少しだけ柔らかい顔をしていた。


 けれど、目は逃げていない。


 レオンは手帳を鞄に入れ、部屋を出た。


    ◆


 寮の廊下は、普通の朝だった。


 生徒たちの声がある。


 小テストを嘆く声。


 朝食を急ぐ足音。


 誰かの寝癖を笑う声。


 その中に、第五班を見る視線もある。


 けれど、それはもう鋭くなかった。


「あ、レオン」

「おはよう」

「今日も演習か?」

「第五班、頑張れよ」


 レオンは短く頷いた。


「ありがとう」


 ありがとう。


 以前より、その言葉を言うことに抵抗がなくなっていた。


 称賛を受け取ること。


 見守りを受け取ること。


 補正を受け取ること。


 すべて、まだ得意ではない。


 だが、拒まなくなった。


 それもまた、変化だった。


    ◆


 中庭には、フィーネ・ルークがいた。


 噴水のそば。


 今日は手帳を開いていない。


 胸に抱えてもいない。


 片手に持ち、もう片方の手で水面を眺めていた。


 レオンが近づくと、彼女は振り返る。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


 フィーネは柔らかく笑った。


「今日は、手帳を持っているだけです」


「必要になったら開くのか」


「はい」


 彼女は少しだけ誇らしそうだった。


「でも、今は見ていたいので」


 噴水。


 朝日。


 水音。


 その全部を。


 レオンは頷いた。


「良いと思う」


 フィーネは静かに言った。


「レオンさん」


「何だ」


「ここまで、怖かったですね」


 突然の言葉だった。


 だが、レオンはすぐに頷いた。


「ああ」


「でも、ここまで来ましたね」


「ああ」


 フィーネは目を少し潤ませながら、それでも泣かなかった。


「私は、報告係だけではありません」


「知っている」


「手帳を書く人でもあります。でも、手帳を閉じて聞く人にもなれました」


「ああ」


「それを、第五班で知りました」


 レオンは静かに答えた。


「俺も、第五班で知ったことがある」


「何をですか」


「一人で背負わなくても、責任は消えないことだ」


 フィーネは、ゆっくりと頷いた。


    ◆


 アルト・レイヴンは、少し照れた顔で来た。


 紙片はない。


 だが、手は空ではなかった。


 小さな包みを持っている。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 フィーネが返す。


 アルトは包みを見せた。


「朝食の余りです。食堂の焼き菓子、少しもらえたので」


「なぜ」


 レオンが聞くと、アルトは恥ずかしそうに笑った。


「なんとなく、みんなで食べたくて」


 フィーネが目を細める。


「いいですね」


 アルトは言う。


「支援じゃないです」


 一拍。


「でも、こういうのも、何かを支えることになるのかなって」


 レオンは包みを見た。


 小さな焼き菓子。


 何の戦力にもならない。


 評価項目にもならない。


 だが、朝の中庭でそれを差し出すアルトは、確かに誰かの空気を柔らかくしていた。


「なる」


 レオンは答えた。


 アルトの顔が少し明るくなる。


「はい」


    ◆


 ユーリス・ベルクは、いつものように少し軽い足取りで来た。


 ただし、今日は眠そうではない。


 顔に、どこか清々しさがあった。


「おはよう」


「ああ」


「おはようございます」


 ユーリスはアルトの包みを見る。


「何それ」


「焼き菓子です」


「最高じゃん」


 早速一つ取ろうとして、フィーネに軽く止められる。


「皆さんが揃ってからです」


「はい」


 ユーリスは素直に手を引っ込めた。


 レオンは少し笑った。


「素直だな」


「補正を受け取った」


「それは補正なのか」


「空腹への補正」


「雑だな」


 フィーネが笑う。


 アルトも笑う。


 朝の中庭に、自然な笑いが生まれる。


 ユーリスはその笑いの中で、少しだけ真面目な顔をした。


「俺さ、普通に走るって言い続けてよかったと思ってる」


「ああ」


「最初は変な目標だったけどな」


「今でも少し変だ」


「そこは否定しろよ」


 ユーリスは笑う。


 そして、続けた。


「でも、俺にとっては大事だった。格好つけるんじゃなくて、逃げるんじゃなくて、普通に走る。怖くても、普通に」


 一拍。


「たぶんこれからも、俺は普通に走る」


 レオンは頷いた。


「それでいい」


    ◆


 エリシア・フォン・ローゼンベルクが来た。


 朝の光の中、彼女は静かに歩いてくる。


 その距離は、もう自然だった。


 近すぎず。


 遠すぎず。


 条件を忘れず、けれど壁を作りすぎない距離。


「おはようございます」


「おはようございます、エリシア様」


 フィーネが返す。


 レオンも頷いた。


「ああ。おはよう」


 エリシアはアルトの包みに気づき、少し目を瞬かせた。


「それは?」


「焼き菓子です」


 アルトが答える。


「皆さんで食べようと思って」


 エリシアは微笑んだ。


「素敵ですね」


 ユーリスが小声で言う。


「まだ待機中」


 エリシアが少し笑う。


「では、私も待ちます」


 全員が揃った。


 カイルとハルトはまだいない。


 けれど、今日はここにいる五人で、まず一つずつ焼き菓子を取った。


 小さな菓子。


 甘い匂い。


 噴水の水音。


 朝の光。


 レオンはそれを口に入れた。


 甘かった。


 本当に、ただ甘かった。


 それだけのことが、少し胸に染みた。


 エリシアが静かに言う。


「こういう朝を、続けたいですね」


「ああ」


 レオンは答えた。


「普通に、丁寧に」


 エリシアは微笑んだ。


「はい」


    ◆


 東棟へ向かう道で、カイルとハルトが合流した。


 カイルはいつものように本を持ち、ハルトは腕を組んでいる。


 ユーリスが手を上げた。


「おはよう、名前未定の観察者たち」


「まだ言うか」


 ハルトが眉を寄せる。


 カイルは淡々と答える。


「名前未定という点では、昨日より正確だな」


「乗るのかよ」


 ユーリスが笑う。


 アルトが包みを差し出す。


「焼き菓子、あります」


 ハルトが一瞬固まった。


「なぜ俺に」


「皆さんでと思って」


 アルトはまっすぐ言う。


 ハルトは少し目を逸らし、低く言った。


「……もらう」


 ユーリスがにやにやする。


「素直だな」


「うるさい」


 カイルも一つ受け取る。


「ありがとう」


 アルトは嬉しそうに笑った。


 七人で廊下を歩く。


 フィーネ。


 アルト。


 ユーリス。


 エリシア。


 カイル。


 ハルト。


 そしてレオン。


 誰が中心で、誰が周辺か。


 そういう形ではなかった。


 ただ、同じ朝の廊下を歩いていた。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ文字を書いた。


 継続。


 教室が静まり返る。


 けれど、その静けさは重くなかった。


 教師は言った。


「関係各家の返答、公開評価、正式共有を経て、第五班は通常活動継続の段階へ入った」


 一拍。


「本日の主題は、継続である」


 黒板に続けて書かれる。


 特別。

 普通。

 継続。


「特別な場で良い成果を出すことは重要である。だが、それだけでは関係は続かない。普通の日にどう振る舞うか。それが継続を作る」


 レオンは静かに聞いていた。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「今後の第五班に必要なことは何だ」


 レオンは答えた。


「条件を忘れず、でも条件だけで日常を固めすぎず、普通の日を積み重ねることです」


 教師は続きを待つ。


「公開評価で示したことは大切です。家の返答も大切です。でも、これからは毎日の中で、判断責任を持ち、補正を受け取り、必要な距離を保ち、笑うことも禁止せず、続けていく必要があります」


 一拍。


「名前を急がず、でも曖昧に逃げず、日々の振る舞いで関係を作っていくことです」


 教師は静かに頷いた。


「良い」


 そして教室全体へ言った。


「継続とは、昨日の成果を飾ることではない。今日の行動へ下ろすことである」


    ◆


 午前の演習は、これまでと同じような通常課題だった。


 標識二つ。


 護送対象一体。


 魔法人形二体。


 障害壁一つ。


 特別に難しいわけではない。


 だが、簡単でもない。


 いつもの課題。


 教師は言った。


「最後に特別な課題は与えない。通常演習を、通常として行え」


 最後、という言葉はなかった。


 けれど、レオンには不思議と、それが区切りの演習に思えた。


 鐘が鳴る。


 フィーネが報告する。


「敵、正面前衛、右軽量。護送、左黄色。障害、中央未起動。標識、奥と右奥。状態、落ち着いています」


 アルトが土を構える。


「右軽量、必要量で止めます」


 ユーリスが走る。


「左護送、普通に行く」


 レオンは前衛へ踏み込む。


「俺は前衛。護送優先。標識後」


 声は短い。


 だが、冷たくない。


 フィーネが補足する。


「中央障害、起動気配。左回り可能」


 アルトが言う。


「右軽量維持。風弱、護送補助可能」


 ユーリスが返す。


「護送黄色。揺れ小。左回りで進める」


 レオンは選ぶ。


「左回り。護送安定。奥標識先」


 動きは、滑らかだった。


 完璧ではない。


 途中でユーリスが少し足を早めすぎた。


「少し浮いた。速度戻す」


 アルトの土が少し強くなった。


「強めすぎた。弱める」


 フィーネの報告が一拍遅れた。


「報告遅れました。続けます」


 レオンも一瞬、全部をまとめようとした。


「まとめすぎそうになった。分ける」


 いつものように、崩れはあった。


 だが、もうそれは特別な事件ではなかった。


 言って。


 戻る。


 それが第五班の呼吸になっていた。


 護送対象を安定させ、標識二つを設置する。


 鐘が鳴った。


    ◆


 教師が近づいてくる。


「第五班、評価、上」


 上。


 その言葉に、四人は一瞬だけ目を見開いた。


 公開評価のような大きな上ではない。


 良い上とも違う。


 教師は続けた。


「通常演習として上。大きな見せ場はない。だが、小さな揺れを各員が自然に共有し、役割に戻り、課題条件を安定して達成した」


 一拍。


「特別ではない上だ」


 特別ではない上。


 その言葉に、レオンの胸が静かに熱くなる。


 教師は言う。


「公開評価で示したものが、通常演習にも下り始めている。今日の上は、その確認だ」


 フィーネが目を潤ませる。


 アルトが小さく息を吸う。


 ユーリスが笑いそうになって、少しだけ堪える。


 レオンは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 教師は短く頷いた。


「続けろ」


 それだけだった。


 だが、最終話にふさわしい言葉だった。


 続けろ。


    ◆


 昼休み。


 食堂では、第五班の席に柔らかな空気があった。


 特別ではない上。


 その言葉は、すぐに広がった。


「第五班、今日上だったって」

「公開評価じゃなくて普通の演習で?」

「特別じゃない上って先生が言ったらしい」

「それ、すごくない?」

「普通に上ってことか」

「第五班、ほんとに続いてるんだな」


 普通に上。


 その言い方に、ユーリスが少し笑う。


「普通に上って、変な言葉だな」


「でも、嬉しいです」


 アルトが言う。


 フィーネも頷く。


「はい。とても」


 レオンは食堂の賑わいを聞きながら、静かに食事を取った。


 味がした。


 温かかった。


 それが、嬉しかった。


 エリシアが少し離れた席からこちらへ微笑む。


 カイルはいつも通り本を置いて食事をしている。


 ハルトは黙って食べているが、こちらを一度見て、小さく頷いた。


 大げさではない。


 それで十分だった。


    ◆


 放課後。


 中庭には、自然と七人が集まった。


 第五班。


 エリシア。


 カイル。


 ハルト。


 夕方の光が噴水の水面に反射し、きらきらと揺れている。


 風は穏やかだった。


 ユーリスが言った。


「特別じゃない上、か」


「ああ」


 レオンは頷く。


 フィーネが手帳を開く。


「公開評価で示したものが、通常演習にも下り始めている」


 アルトも。


「続けろ」


 エリシアが微笑む。


「とても良い言葉ですね」


 カイルが言う。


「今日の評価は、かなり重要だ」


「公開評価よりか?」


 ユーリスが聞く。


「種類が違う。公開評価は、圧の中で戻れることを示した。今日は、圧が小さい日常でも同じ呼吸ができることを示した」


 ハルトが短く言う。


「本物になるのは、日常でできた時だ」


 レオンはその言葉を受け取った。


 本物になるのは、日常でできた時。


 今日、少しだけできたのかもしれない。


 まだ完全ではない。


 これからも崩れるだろう。


 だが、始まっている。


    ◆


 しばらく、七人は噴水のそばにいた。


 大きな話はしなかった。


 焼き菓子の残りをユーリスが勝手に食べようとしてフィーネに止められた。


 アルトが「今度はちゃんと人数分持ってきます」と言った。


 ハルトが「俺の分はいらない」と言いながら、少し視線を逸らした。


 カイルが「不要なら次回から除外する」と淡々と言い、ハルトが「そこまで言ってない」と返した。


 エリシアが笑った。


 フィーネが笑った。


 アルトが笑った。


 ユーリスが大きめに笑った。


 レオンも笑った。


 声は、夕方の中庭に溶けていく。


 条件はある。


 家の目もある。


 学園の監督もある。


 次回定期報告もある。


 だが、そのすべてを抱えたまま、笑っていた。


 レオンは、ふと噴水を見る。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 ずっと聞いてきた音。


 沈黙の日も。


 公開評価の朝も。


 返答を待つ日も。


 笑う練習の日も。


 この音は続いていた。


 レオンは静かに言った。


「続くんだな」


 昨日も言った言葉。


 だが、今日は少し違う響きだった。


 フィーネが頷く。


「はい。続きます」


 アルトも。


「続けます」


 ユーリスも。


「普通に続く」


 エリシアも。


「丁寧に、続いていきます」


 カイルが静かに言う。


「観察は続ける」


 ユーリスが笑う。


「結局観察者じゃん」


「観察だけではない」


 ハルトが短く言う。


「逃げなければいい」


 レオンは頷いた。


「ああ」


 逃げない。


 背負いすぎない。


 受け取りすぎない。


 拒みすぎない。


 名前を急がない。


 普通に、丁寧に、続ける。


 それが、今の答えだった。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 第八十話。


 名前のない明日へ。


 朝。

 普通の朝。

 封書も呼び出しも公開評価もない。

 それでも区切りの朝。

 ローゼンベルク家、ヴォルツ家、学園の返答を受け、第五班は続く。

 名前のない明日へ。

 終わりではなく、これから続く日々の最初の区切りとして、今日を歩く。


 中庭。

 フィーネ。

 手帳を持っているだけ。

 必要になったら開く。

 今は見ていたい。

 ここまで怖かった。

 でも、ここまで来た。

 手帳を書く人で、手帳を閉じて聞く人にもなった。

 アルト。

 焼き菓子を持ってくる。

 支援じゃない。

 でも、こういうのも何かを支えることになる。

 なる。

 ユーリス。

 普通に走ることは、これからも大事。

 格好つけるんじゃなく、逃げるんじゃなく、怖くても普通に走る。

 エリシア。

 こういう朝を続けたい。

 普通に、丁寧に。

 七人で廊下を歩く。

 中心と周辺ではなく、同じ朝の廊下を歩く。


 講義。

 継続。

 特別な場で良い成果を出すことは重要。

 だが、それだけでは関係は続かない。

 普通の日にどう振る舞うか。

 それが継続を作る。

 今後の第五班に必要なこと。

 条件を忘れず、でも条件だけで日常を固めすぎず、普通の日を積み重ねること。

 公開評価で示したことも、家の返答も大切。

 だが、これからは毎日の中で、判断責任を持ち、補正を受け取り、必要な距離を保ち、笑うことも禁止せず、続けていく。

 名前を急がず、曖昧に逃げず、日々の振る舞いで関係を作っていく。

 継続とは、昨日の成果を飾ることではない。

 今日の行動へ下ろすことである。


 演習。

 最後に特別な課題は与えない。

 通常演習を、通常として行う。

 フィーネ、落ち着いて報告。

 アルト、必要量で支援。

 ユーリス、普通に護送へ走る。

 レオン、短く指示。

 途中で小さく揺れる。

 ユーリス、少し浮いた。速度戻す。

 アルト、強めすぎた。弱める。

 フィーネ、報告遅れました。続けます。

 レオン、まとめすぎそうになった。分ける。

 いつものように、崩れはある。

 だが、もう特別な事件ではない。

 言って、戻る。

 それが第五班の呼吸になっていた。

 評価、上。

 通常演習として上。

 大きな見せ場はない。

 小さな揺れを各員が自然に共有し、役割に戻り、課題条件を安定して達成した。

 特別ではない上。

 公開評価で示したものが、通常演習にも下り始めている。

 続けろ。


 昼。

 特別じゃない上。

 普通に上。

 第五班、ほんとに続いている。

 味がした。

 温かかった。

 それが嬉しかった。


 放課後。

 中庭。

 第五班、エリシア、カイル、ハルト。

 特別じゃない上。

 公開評価は、圧の中で戻れることを示した。

 今日は、圧が小さい日常でも同じ呼吸ができることを示した。

 本物になるのは、日常でできた時。

 焼き菓子。

 人数分。

 ハルトの分はいらない、でも除外までは言っていない。

 笑い。

 条件も、家の目も、学園の監督も、次回定期報告もある。

 それでも笑っていた。

 続くんだな。

 続きます。

 続けます。

 普通に続く。

 丁寧に、続いていきます。

 観察は続ける。

 観察だけではない。

 逃げなければいい。

 逃げない。

 背負いすぎない。

 受け取りすぎない。

 拒みすぎない。

 名前を急がない。

 普通に、丁寧に、続ける。


 レオンはペンを止めた。


 長い時間、手帳を見つめた。


 第八十話。


 名前のない明日へ。


 この言葉が、今の自分たちには合っていると思った。


 終わりではない。


 けれど、区切りではある。


 フィーネは、手帳を閉じて聞けるようになった。


 アルトは、紙片がなくても考えられるようになり、焼き菓子を持ってくるようになった。


 ユーリスは、普通に走る意味を自分の中に持てるようになった。


 エリシアは、立場だけではなく、自分の判断と言葉でここに立つようになった。


 カイルは、観察者だけではなく、所見を残し、助言する存在になった。


 ハルトは、不器用に、でも逃げていないかを見続けてくれる存在になった。


 そしてレオンは。


 一人で背負うことだけが責任ではないと知った。


 他者の補正を受け取ることは、弱さではないと知った。


 けれど、すべてを飲み込むことでもないと知った。


 選ぶ。


 受け取る。


 保留する。


 拒む。


 分ける。


 戻る。


 それらを全部含めて、責任なのだと知った。


 父の問いは、まだ胸にある。


 ローゼンベルク家の条件もある。


 学園の監督もある。


 次回定期報告もある。


 だから、自由になったわけではない。


 何もかも許されたわけではない。


 それでも、明日がある。


 第五班としての明日が。


 名前を急がない関係としての明日が。


 レオンは最後に一行を書く。


 名前のない明日へ。


 その下に、もう一行。


 俺たちはまだ何者かを決めきらない。けれど、明日も同じ場所で会い、崩れたら声にして、戻りながら進む。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 星が静かに光っている。


 レオンは手帳を閉じる。


 そっと、机の上に置いた。


 この手帳には、たくさんの記録が残った。


 恐怖。


 沈黙。


 失敗。


 評価。


 返答。


 条件。


 笑い。


 全部が、ここにある。


 だが、明日はまだ書かれていない。


 それでいい。


 明日は、明日の自分たちが書く。


 レオンは灯りを落とした。


 暗闇の中で、噴水の水音を思い出す。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 落ちることも。


 跳ねることも。


 どちらも、水の音だった。


 第五班も、そうだ。


 崩れることも。


 戻ることも。


 迷うことも。


 笑うことも。


 全部、第五班の音になる。


 名前は、まだ急がない。


 それでも、その音は確かにある。


 明日も。


 その次の日も。


 灰色の制服を着て、同じ中庭へ向かう。


 フィーネが手帳を持っている。


 アルトが少し迷いながら笑う。


 ユーリスが普通に走ると言う。


 エリシアが少し離れた、でも確かな距離で微笑む。


 カイルが淡々と刺す。


 ハルトが不器用に見ている。


 そしてレオンは、そこに立つ。


 一人ではなく。


 背負いすぎず。


 拒みすぎず。


 名前のない明日へ。


 第五班は、続いていく。

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