第七十七話
翌朝。
王立グランセル魔導学園の空は、明るく晴れていた。
雲は白く、遠い。
朝日は校舎の石壁を柔らかく照らし、尖塔の先を淡い金色に染めている。
中庭の芝には夜露が残っていた。
光を受けた雫は、昨日よりも少し強くきらめいているように見える。
風は穏やかで、旗はゆっくり揺れていた。
木々の葉が擦れ合う音は小さく、噴水の水音はいつも通りだった。
跳ねて。
落ちて。
また跳ねる。
その音を胸の奥で聞きながら、レオン・ヴォルツは寮の部屋で手帳を開いていた。
昨夜の最後の一文。
補正を受け取る器量とは、全てを飲み込むことではなく、責任を持って選びながら、それでも他者の声を拒まないことだ。
ローゼンベルク家の詳細返答。
ヴォルツ家の再判断返答。
二つの封書が届いた。
どちらも、無条件の承認ではなかった。
どちらも、甘いだけの言葉ではなかった。
ローゼンベルク家は、エリシア本人の意思と学園所見を尊重した。
通常交流継続に異議なし。
ただし、対人距離や学業、判断、立場が適切に保たれているか、今後も確認。
ヴォルツ家は、第五班の通常活動継続に異議なし。
ただし、正式承認ではなく、学園内における教育的協力関係として継続観察。
過度な依存および責任回避が生じないよう、学園側に監督を求める。
そしてレオンには、判断責任を放棄せず、他者の補正を受け取る器量を求めた。
条件はある。
観察もある。
次回定期報告もある。
だが、第五班は続く。
エリシアとの通常交流も続く。
その事実が、今朝になってようやく少し現実味を持ってきた。
昨日は、父の返答を受け取るだけで精一杯だった。
切られなかった。
正式承認ではない。
問いをもらった。
他者の補正を受け取る器量。
その言葉をどう受け止めるか。
それだけで胸がいっぱいだった。
だが、今日は違う。
今日、学園側から正式に共有されるはずだ。
第五班の通常活動継続。
ローゼンベルク家およびヴォルツ家の返答を踏まえた学園側の扱い。
つまり、周囲の生徒たちにとっても、第五班が“続いていい班”として見える日になる。
疑われた班。
噂された班。
公開評価で示した班。
両家の返答を受けた班。
そして、続いていいと学園から確認される班。
レオンは手帳へ今日の最初の一文を書いた。
続いていいと言われた日、普通の教室が少し眩しい。
その下に、もう一行。
許可の後に戻る日常は、以前と同じ形をしていても、同じ重さではない。
ペンを置く。
今日は、特別な戦いの日ではない。
公開評価でもない。
封書を読む日でもない。
けれど、大切な日だ。
続いていいと言われた後、どう普通へ戻るのか。
普通の教室に入り、普通の演習を受け、普通に会話をする。
それが、今は少し難しい。
レオンは制服へ袖を通した。
灰色の布が肩に乗る。
鏡の中の自分は、昨日より少し落ち着いている。
だが、目の奥に緊張がある。
今日も、その緊張を持って中庭へ行く。
◆
寮の廊下は、昨日より明るかった。
生徒たちの声も、少し増えている。
もう、ひそひそと重く囁くだけの空気ではない。
もちろん、全員が大声で騒ぐわけではない。
だが、第五班に関する言葉には、安堵が混ざっていた。
「第五班、続くんだな」
「学園が今日正式に説明するらしいぞ」
「ローゼンベルク家もヴォルツ家も、条件付きだけど継続異議なしだろ」
「すごいな」
「公開評価、やっぱり意味あったんだな」
「正式承認じゃないってところがヴォルツ家っぽい」
「でも、続くならよかったよ」
続くならよかった。
その言葉は、胸に温かく入った。
だが同時に、少し眩しい。
周囲が安堵している。
よかったと言ってくれている。
それが嬉しい。
けれど、レオンの胸にはまだ、父の問いが残っている。
他者の補正を受け取る器量。
継続観察。
責任回避ではないか。
過度な依存ではないか。
それらはこれからも見られる。
続いていいと言われたから、すべて終わったわけではない。
レオンは歩きながら、状態を確認する。
事実。
第五班は続く。
正式承認ではない。
継続観察。
学園側の共有は今日ある見込み。
状態。
嬉しい。
眩しい。
少し怖い。
行動。
中庭へ行く。
◆
中庭には、フィーネ・ルークがいた。
噴水のそば。
今日は手帳を開いている。
だが、書いているのではなく、昨日までのページを見返しているようだった。
レオンが近づくと、フィーネは顔を上げた。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
フィーネの表情は柔らかかった。
けれど、目元には少しだけ戸惑いがある。
「昨日の夜、手帳を読み返しました」
「公開評価の前からか」
「はい。ローゼンベルク家の一次返答、ヴォルツ家の正式返答、公開評価、正式報告書、詳細返答、再判断返答……」
彼女は少し笑う。
「たくさん待ちましたね」
「ああ」
「そして、たくさん書きました」
「そうだな」
フィーネは手帳を胸に抱えた。
「今日の共有です。続いていいと言われたのに、急に普通に戻るのが怖いです」
「普通に戻るのが?」
「はい」
彼女は噴水を見る。
「今までずっと、何か大きなことがありました。返答を待つ、公開評価へ向ける、報告書を待つ。昨日までは目の前に大きな課題がありました」
一拍。
「でも今日は、普通の授業に戻るんですよね。それが、少し怖いです」
レオンは頷いた。
わかる。
大きな危機の中では、やるべきことが見えやすい。
だが、普通へ戻る時、人は足場を見失う。
「良い共有だ」
レオンは言った。
「俺も、普通の教室が少し眩しい」
フィーネは微笑んだ。
「同じですね」
◆
アルト・レイヴンは、少し早足でやって来た。
顔には明るさがある。
だが、どこか落ち着かない。
「おはようございます」
「ああ」
「おはようございます、アルトさん」
アルトは二人の前で立ち止まると、深く息を吐いた。
「今日、みんなに“よかったね”って言われそうで、嬉しいけど怖いです」
「なぜ怖い」
レオンが聞く。
「続くことになったから、もう大丈夫だと思われるのが怖いです」
フィーネが静かに頷く。
アルトは続ける。
「実際は、継続観察だし、次回定期報告もあります。俺たちもまだ、普通に戻る途中です」
一拍。
「でも、周りから見たら、解決したように見えるかもしれない」
それは確かにある。
外から見れば、第五班は存続した。
ローゼンベルク家もヴォルツ家も、即時解消を求めなかった。
なら、もう終わった。
そう見える。
だが、当事者にとっては、ここから続ける日々がある。
「今日の共有です。周りの“よかったね”に、ちゃんと返したい。でも、もう全部終わったように振る舞うのは怖い」
「良い共有だ」
レオンは頷いた。
「ありがとうは言っていい」
「はい」
「でも、全部終わったわけではないと、自分の中では忘れない」
「はい」
◆
ユーリス・ベルクは、今日は軽い顔で来た。
ただ、その軽さは本当に少し戻ってきたように見えた。
彼は片手を上げる。
「おはよう」
「ああ」
「おはようございます」
「おはようございます、ユーリスさん」
ユーリスは噴水の縁に寄りかかる。
「今日、俺、浮きそう」
最初の一言がそれだった。
フィーネが少し笑う。
「わかりやすいですね」
「わかりやすい方がいいだろ」
ユーリスは肩をすくめる。
「両家の返答が一段落して、第五班続くってなった。正直、嬉しい。だから軽くなりそう」
「悪いことではない」
レオンが言うと、ユーリスは頷く。
「うん。でも、軽くなりすぎると条件を忘れる」
アルトも頷く。
「それ、俺もあります」
「今日の共有。嬉しくて浮きそう。軽口も増えそう。でも、条件は忘れない」
「良い共有だ」
ユーリスは少し笑った。
「あと、普通に話す練習も継続だな」
フィーネが微笑む。
「普通に走る、普通に話す、次は普通に続けるですね」
「難題だな」
◆
少しして、エリシア・フォン・ローゼンベルクが来た。
今日は表情が穏やかだった。
昨日までの緊張が少し解けている。
けれど、彼女もまた、完全に浮かれてはいない。
「おはようございます」
「おはようございます、エリシア様」
フィーネが返す。
レオンも頷く。
「ああ。おはよう」
エリシアは五人の輪に入る。
距離は自然だった。
近すぎず、遠すぎず。
昨日よりも、少しだけ自然にそこへ立てている。
「今日、学園から正式に共有があるそうですね」
「ああ」
レオンは答える。
「第五班の通常活動継続」
「はい」
エリシアは少しだけ微笑む。
「嬉しいです」
「俺もだ」
「でも」
彼女は手帳を胸に抱えた。
「今日の共有です。嬉しいからこそ、普通の距離を雑にしないようにしたいです」
「普通の距離」
「はい。私の家も、レオン様の家も、続けることは認めました。でも、条件があります。だから、続いていいと言われたからといって、近づきすぎるのではなく……」
一拍。
「普通に、丁寧に、続けたいです」
その言葉は、今日の朝の空気によく合っていた。
普通に。
丁寧に。
続ける。
◆
五人は噴水のそばで、今日の状態を確認した。
フィーネ。
続いていいと言われたのに、普通に戻るのが怖い。
アルト。
周りから“もう全部終わった”ように見られるのが怖い。
ユーリス。
嬉しくて浮きそう。
条件を忘れないようにしたい。
エリシア。
嬉しいからこそ、普通の距離を雑にしないようにしたい。
レオン。
続いていいと言われた日常が眩しい。
だが、父の問いはまだ胸にある。
確認し終えると、レオンは言った。
「今日は、続いていいことを受け取る」
フィーネが頷く。
「はい」
「でも、終わったことにはしない」
アルトも頷く。
「はい」
「浮きすぎない」
ユーリスが手を上げる。
「はい」
「距離を雑にしない」
エリシアも頷く。
「はい」
「普通に、丁寧に続ける」
五人の間に、静かな確認が落ちた。
◆
東棟へ向かう道では、これまでよりはっきり声をかけられた。
もう、遠巻きの視線ではない。
かといって、騒がしい冷やかしでもない。
生徒たちは、少し照れたように、少し慎重に声をかけてくる。
「第五班、よかったな」
「続くんだろ」
「おめでとうでいいのかな」
「いや、まだ継続観察か」
「でも、よかったよ」
「公開評価、意味あったな」
「頑張れよ」
頑張れ。
よかったな。
続くんだろ。
その言葉のたびに、第五班は小さく頭を下げる。
フィーネは丁寧に。
アルトは少し照れながら。
ユーリスは軽く返しすぎないように。
エリシアは距離を保ちながら。
レオンは、短く。
「ありがとう」
その一言を、何度も言った。
以前なら、称賛を受け取ること自体が苦手だった。
今も得意ではない。
だが、拒まない。
受け取る。
そして、条件を忘れない。
廊下の先で、別の生徒が言った。
「第五班、なんか前より普通に見えるな」
その言葉に、ユーリスが小さく笑った。
「褒め言葉だな」
「ああ」
レオンは答えた。
前より普通に見える。
それは、きっとかなり大きな変化だった。
◆
教室に入ると、空気が少しだけ変わった。
昨日までの拍手のような熱はない。
だが、クラス全体に柔らかな視線があった。
カイル・ローダンは席で本を閉じている。
ハルト・グレイナーは窓際に立ち、腕を組んでいる。
レオンたちが入ると、カイルが静かに言った。
「今日、学園側から正式共有がある」
「ああ」
「内容は、おそらく必要範囲に限られる。家の詳細文面全てが共有されるわけではない」
「わかっている」
「第五班は、共有された後の周囲の反応を受け取りすぎないように」
レオンは頷いた。
ハルトが言う。
「浮くなよ」
ユーリスが笑う。
「俺に言ってる?」
「全員だ」
「だろうな」
ハルトはレオンを見る。
「お前は逆に固くなるな」
「わかっている」
「本当にか」
「たぶん」
「そこは言い切れ」
「言い切ると嘘になる」
ハルトが一瞬黙る。
そして、少しだけ口元を動かした。
「……ならいい」
カイルが小さく頷く。
「今の方が正確だ」
正確。
それは、今の第五班らしい返答だった。
◆
一限目。
教師は教室へ入ると、黒板の前に立った。
今日は、いつもより少しだけ正式な空気があった。
教師は静かに言った。
「関係各家からの返答を受け、学園側の扱いを共有する」
教室が静まり返る。
レオンは背筋を伸ばした。
フィーネも。
アルトも。
ユーリスも。
エリシアも、別席で静かに座っている。
教師は続けた。
「第五班の協力関係について、公開評価課題正式報告書および関係各家からの返答を踏まえ、学園は通常活動継続を認める」
通常活動継続。
その言葉が、教室に広がる。
生徒たちは静かに聞いている。
「ただし、当該関係は継続観察対象であり、過度な依存、責任回避、対人距離の不適切な曖昧化が生じないよう、担当教師団が引き続き確認する」
条件も、きちんと共有される。
レオンは少しだけ息を吐いた。
良い部分だけではない。
条件も含めての共有。
それがありがたかった。
教師は黒板に書く。
通常活動継続。
継続観察。
日常化。
「本日の主題は、日常化である」
日常化。
その言葉が黒板に置かれる。
「危機を越えた後、関係を日常へ戻すことは簡単ではない。周囲は“終わった”と見る。当人は“まだ続いている”と感じる。その差が負荷になる」
アルトが小さく頷く。
まさに朝の共有だった。
「ヴォルツ」
「はい」
レオンは立ち上がる。
「通常活動継続を認められた後、第五班が注意すべきことは何だ」
レオンは答えた。
「続いていいと言われたことを、終わったことと混同しないことです」
教師は続きを待つ。
「第五班は続きます。エリシア様との通常交流も続きます。それは事実として受け取ります」
一拍。
「ですが、継続観察、条件、次回定期報告は残っています。だから、喜びを否定せず、条件も忘れず、日常の中で丁寧に続けることが必要です」
教師は頷いた。
「良い」
そして教室全体へ言った。
「日常とは、何も考えないことではない。考えすぎず、忘れすぎず、続けることである」
◆
午前の演習は、通常活動継続後の確認課題だった。
大きな課題ではない。
標識一つ。
護送対象一体。
魔法人形一体。
障害壁一つ。
だが、教師は演習前に言った。
「本日は、通常活動として行う。特別な証明をしようとするな。通常活動継続とは、日常の課題を日常として行うことである」
日常の課題を、日常として。
簡単なようで、難しい。
鐘が鳴る。
フィーネが報告する。
「敵、正面一。護送、左黄色。障害、中央未起動。標識、奥。状態、普通に戻ろうとして少し硬いです」
レオンが指示する。
「護送優先。ユーリス左。アルト敵足止め。俺前衛。フィーネ障害」
「はい」
「了解」
「はい」
動き出す。
アルトの支援は少し慎重だった。
「周囲に見られている気がして弱めすぎました。必要量へ戻します」
ユーリスは護送対象へ向かう。
「嬉しくて浮きそう。普通に走る」
フィーネが報告する。
「障害、起動気配。中央閉鎖の可能性。報告をきれいにしようとしました。項目維持」
レオンは前衛型を受ける。
今日こそ普通にやらなければ。
その思いが指示を硬くする。
すぐに言う。
「普通を演じようとした。戻る。左回り」
ユーリスが反応する。
「了解!」
アルトが支援を入れる。
「風弱。護送補助」
標識回収。
護送対象安定。
台座へ設置。
課題終了。
評価は、良。
教師は言った。
「良。特別な上を狙わず、通常活動として課題を終えた。各員、普通を演じようとする傾向があったが、言語化できた」
普通を演じようとする。
やはり、それもあった。
普通へ戻ることすら、演技になりかける。
教師は続けた。
「今日の良は、日常化の良だ」
日常化の良。
レオンはその言葉を、手帳へ書いた。
◆
昼休み。
食堂では、昨日よりもはっきりと空気が変わっていた。
第五班の席が、以前より少し自然に見られている。
遠巻きではない。
過度な注目でもない。
ただ、そこに第五班がいる。
その当たり前が、少しずつ戻ってきている。
フィーネが食事を前にして言った。
「今日は、少し普通です」
「そうだな」
レオンは頷いた。
アルトも周囲を見る。
「でも、前の普通とは違いますね」
「違うな」
ユーリスがパンを持ちながら言う。
「いろいろありすぎたしな」
エリシアは少し離れた席にいる。
だが、時折こちらへ視線を向け、微笑む。
近づきすぎない。
遠ざけすぎない。
通常交流。
ユーリスが小声で言う。
「普通の距離、今日ちょっとできてない?」
「できていると思います」
フィーネが答える。
アルトも。
「普通って、こんなに難しいんですね」
レオンは静かに頷いた。
難しい。
けれど、悪くない。
◆
放課後。
中庭には、第五班が集まった。
エリシアも来た。
カイルとハルトも、少し遅れてやって来た。
いつものように、噴水のそば。
夕方の光が水面に反射し、柔らかく揺れている。
ユーリスが言う。
「今日、正式共有あったな」
「ああ」
レオンは頷く。
フィーネが手帳を開く。
「通常活動継続」
アルトが続ける。
「継続観察」
エリシアも。
「日常化」
カイルが静かに言う。
「学園側の共有としては、妥当だった」
ハルトが腕を組む。
「騒ぎすぎなかったのもよかった」
ユーリスが笑う。
「ハルト的には、今日の教室は合格?」
「別に俺が評価することじゃない」
「でも見てただろ」
「見てた」
「素直」
「うるさい」
少し笑いが起きる。
その笑いが、以前より自然だった。
レオンはその輪を見た。
フィーネ。
アルト。
ユーリス。
エリシア。
カイル。
ハルト。
彼らが、同じ中庭にいる。
条件もある。
観察もある。
家の言葉も残っている。
それでも、今ここにいる。
その事実が、胸に静かに広がった。
エリシアが言う。
「続いていいと言われた日、少しだけ普通に笑えましたね」
フィーネが微笑む。
「はい」
アルトも。
「まだ緊張しますけど」
ユーリスも。
「俺はちょっと浮いた」
「少しだけな」
レオンが言うと、ユーリスは笑った。
「見えてたか」
「ああ」
カイルが言う。
「見えていた」
ハルトも。
「見えてた」
「全員に見られてたのかよ」
ユーリスが肩をすくめる。
また笑いが広がった。
そして、その笑いの後に、レオンは静かに言った。
「続くんだな」
誰もすぐには返さなかった。
ただ、その言葉を受け取った。
フィーネが小さく頷く。
「はい」
アルトも。
「続きます」
ユーリスも。
「続ける」
エリシアも。
「続いていきます」
カイルが静かに言う。
「日常としてな」
ハルトが短く付け加える。
「逃げなければいい」
その言葉に、レオンは少し笑った。
「ああ」
◆
夜。
学生寮の部屋。
レオンは手帳を開いた。
第七十七話。
続いていいと言われた日、普通の教室が少し眩しい。
朝。
両家の返答を受けた翌日。
ローゼンベルク家。
通常交流継続に異議なし。
確認と条件あり。
ヴォルツ家。
通常活動継続に異議なし。
正式承認ではなく継続観察。
監督あり。
次回定期報告あり。
それでも、第五班は続く。
エリシアとの通常交流も続く。
続いていいと言われた日、普通の教室が少し眩しい。
許可の後に戻る日常は、以前と同じ形をしていても、同じ重さではない。
廊下。
第五班、続くんだな。
条件付きだけど継続異議なし。
公開評価、意味あったな。
続くならよかった。
嬉しい。
眩しい。
少し怖い。
中庭。
フィーネ。
続いていいと言われたのに、急に普通に戻るのが怖い。
今まで返答待ち、公開評価、報告書など大きな課題があった。
今日は普通の授業に戻る。
それが少し怖い。
アルト。
周りのよかったねに、ちゃんと返したい。
でも、もう全部終わったように振る舞うのは怖い。
ユーリス。
嬉しくて浮きそう。
軽口も増えそう。
でも条件は忘れない。
エリシア。
嬉しいからこそ、普通の距離を雑にしないようにしたい。
普通に、丁寧に、続けたい。
レオン。
続いていいと言われた日常が眩しい。
でも父の問いは残っている。
続いていいことを受け取る。
終わったことにはしない。
浮きすぎない。
距離を雑にしない。
普通に、丁寧に続ける。
教室。
カイル。
学園側から正式共有がある。
周囲の反応を受け取りすぎないように。
ハルト。
浮くなよ。
お前は逆に固くなるな。
レオン、たぶん。
言い切ると嘘になる。
カイル、今の方が正確。
講義。
関係各家からの返答を受け、学園側の扱いを共有。
第五班の協力関係について、学園は通常活動継続を認める。
ただし、継続観察対象。
過度な依存、責任回避、対人距離の不適切な曖昧化が生じないよう、担当教師団が引き続き確認する。
日常化。
危機を越えた後、関係を日常へ戻すことは簡単ではない。
周囲は終わったと見る。
当人はまだ続いていると感じる。
その差が負荷になる。
通常活動継続を認められた後、第五班が注意すべきこと。
続いていいと言われたことを、終わったことと混同しないこと。
喜びを否定せず、条件も忘れず、日常の中で丁寧に続けること。
日常とは、何も考えないことではない。
考えすぎず、忘れすぎず、続けることである。
午前演習。
通常活動継続後の確認課題。
日常の課題を日常として行う。
フィーネ、普通に戻ろうとして少し硬い。
アルト、周囲に見られている気がして弱めすぎる。
ユーリス、嬉しくて浮きそう。普通に走る。
レオン、普通を演じようとした。戻る。
評価、良。
普通を演じようとする傾向を言語化。
日常化の良。
昼。
食堂。
第五班が以前より自然に見られている。
そこに第五班がいる。
その当たり前が少し戻ってきた。
今日は少し普通。
でも前の普通とは違う。
普通の距離が少しできている。
普通は難しい。
でも悪くない。
放課後。
中庭。
第五班、エリシア、カイル、ハルト。
通常活動継続。
継続観察。
日常化。
騒ぎすぎなかったのもよかった。
ユーリス、少し浮いた。
全員に見られていた。
笑い。
続くんだな。
続きます。
続ける。
続いていきます。
日常として。
逃げなければいい。
レオンはペンを止めた。
今日は、普通の一日だった。
普通の一日だったはずだ。
けれど、とても眩しかった。
学園が正式に、第五班の通常活動継続を認めた。
条件付き。
継続観察。
監督あり。
それでも、認めた。
教室は騒ぎすぎなかった。
廊下では、よかったなと言われた。
食堂では、少し普通に座れた。
中庭では、笑えた。
そのどれもが、以前なら当たり前だったのかもしれない。
だが、今は当たり前ではない。
続いていいと言われた後に戻る普通は、何も知らなかった頃の普通ではない。
ローゼンベルク家の条件を知っている。
ヴォルツ家の問いを知っている。
公開評価で崩れたことも、報告書に残ったことも知っている。
それでも、普通へ戻っていく。
いや。
以前と同じ普通へ戻るのではない。
新しい普通を作っていく。
レオンは最後に一行を書く。
続いていいと言われた日、普通の教室が少し眩しい。
その下に、もう一行。
条件を抱えたまま、考えすぎず、忘れすぎず、続けることが、これからの第五班の日常になる。
ペンを置く。
窓の外は夜だった。
星が見える。
静かな夜だ。
第五班は続く。
明日も授業がある。
演習がある。
中庭で話す。
エリシアとも、普通に挨拶する。
カイルは淡々と刺してくるだろう。
ハルトは不器用に見ているだろう。
フィーネは手帳に書き、アルトは支援を考え、ユーリスは普通に走る。
その日常が、続く。
レオンは手帳を閉じた。
灯りを落とす。
暗闇の中で、噴水の水音を思い出す。
跳ねて。
落ちて。
また跳ねる。
水は、特別な日だけ流れるわけではない。
普通の日にも、同じように流れる。
第五班も、そうだ。
特別な評価の日だけではなく。
封書が届く日だけではなく。
普通の日に、どう続くか。
そこから、また答えていく。




