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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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第七十四話 



 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、久しぶりに明るかった。


 雲はある。


 けれど、低く垂れ込める灰色ではなく、薄く、柔らかい白だった。


 朝日はその雲の端を淡く染め、校舎の石壁へ温かい光を落としていた。


 尖塔の影は長く伸び、中庭の芝には夜露が残っている。


 光を受けた雫が、小さくきらめく。


 風は穏やかだった。


 旗が少しだけ揺れ、木々の葉がささやくように動く。


 噴水の水音は、いつもと同じだった。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 ただ、今日のその音は、昨日より少し軽く聞こえた。


 レオン・ヴォルツは、寮の部屋で手帳を開いていた。


 昨夜の最後の一文。


 条件付きでも、確認付きでも、エリシアの判断が判断として受け取られたことは、確かな一歩だった。


 ローゼンベルク家の詳細返答。


 それは、完全な自由ではなかった。


 無条件の承認でもなかった。


 尊重。


 確認。


 条件。


 その三つを伴う返答だった。


 けれど、エリシアの所見は、感情的な関与ではなく、観察と判断として受け止められた。


 第五班との関係が、エリシア本人の冷静な判断を損なっているとは、現時点では判断されなかった。


 通常交流継続に異議なし。


 今後も確認は継続。


 過度な感情的関与や、本人の立場を曖昧にする行動が見られた場合は、学園と協議。


 甘くはない。


 だが、否定ではない。


 エリシアは泣いた。


 よかった、と言った。


 その小さな声が、まだ胸の奥に残っている。


 昨日は、エリシアが少し救われた日だった。


 そのことは、素直に嬉しい。


 フィーネも、アルトも、ユーリスも、きっと同じだろう。


 だが。


 レオンは手帳の上で指を止めた。


 次は、ヴォルツ家。


 父の再判断。


 ローゼンベルク家は、学園所見を尊重した。


 では、ヴォルツ家はどう読むのか。


 公開評価課題の上。


 学園の正式報告。


 協力関係継続を妥当とする所見。


 それらを、父はどう受け取るのか。


 父は、すでに一度言っている。


 即時禁止ではない。


 正式承認ではない。


 学園内限定の継続観察。


 公開評価課題で示せ。


 結果をもって再判断する。


 その“再判断”が、これから来る。


 ローゼンベルク家の返答で、ひとつ救われた。


 だが、その安堵のすぐ横に、次の封の重さがある。


 レオンは今日の最初の一文を書いた。


 ひとつ救われた朝に、次の封はまだ来ない。


 その下に、もう一行。


 誰かの安堵を喜びながら、自分の怖さも隠さない。


 ペンを置く。


 今日は、エリシアの安堵を大切にしたい。


 だが、自分の怖さを押し殺して祝うだけの日にはしたくない。


 それを隠せば、また以前のレオンに戻る。


 誰かのために平気なふりをする。


 守る側を演じる。


 それは、第五班がここまで学んできたことではない。


 だから今日は。


 嬉しい。


 怖い。


 その両方を持って、中庭へ行く。


    ◆


 寮の廊下は、昨日より少し柔らかかった。


 ローゼンベルク家の詳細返答が届いたことは、すでに学園内へ必要範囲で伝わっているようだった。


 生徒たちの声には、安堵が混じっている。


「ローゼンベルク家、通常交流継続に異議なしだって」

「よかったな」

「でも条件付きらしいぞ」

「そりゃそうだろ。家だし」

「エリシア様の所見、判断として受け止められたって聞いた」

「それは大きいな」

「次はヴォルツ家か……」


 次はヴォルツ家。


 その言葉だけ、空気の温度を少し下げた。


 レオンは歩きながら、深く息を吸う。


 そうだ。


 次は自分の家だ。


 廊下の声は悪意ではない。


 むしろ、状況を正しく見ている。


 ローゼンベルク家は一段落。


 ヴォルツ家は未着。


 事実だ。


 事実だからこそ、胸が重くなる。


 レオンは心の中で確認する。


 嬉しい。


 エリシアの安堵が嬉しい。


 怖い。


 父の返答が怖い。


 両方ある。


 両方持ったまま、中庭へ向かう。


    ◆


 中庭には、フィーネ・ルークがいた。


 噴水のそば。


 彼女は今日は手帳を開いていなかった。


 胸に抱え、少しだけ水面を見ていた。


 レオンが近づくと、すぐに振り返る。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


 フィーネの顔は、昨日より明るかった。


 目元にはまだ疲れがある。


 だが、そこには確かな安堵があった。


「昨日、よかったですね」


「ああ」


「エリシア様の所見が、ちゃんと判断として受け止められて」


「ああ」


 フィーネは少しだけ微笑む。


「私、昨日の夜、何度も思い出しました。エリシア様が“よかった”って言ったところ」


「俺もだ」


「本当に、よかったです」


 その言葉は、心からのものだった。


 だが、フィーネはすぐに表情を引き締めた。


「でも、今日の共有です」


「ああ」


「エリシア様が一段落したことが嬉しくて、レオンさんの怖さを見落としそうです」


 レオンは少しだけ目を開いた。


 フィーネは視線を逸らさずに続ける。


「昨日はエリシア様の日でした。でも、今日はレオンさんがヴォルツ家を待つ日でもあります。私、嬉しさでそれを薄めたくありません」


 その言葉が、胸に静かに落ちた。


「ありがとう」


 レオンは短く言った。


 フィーネは頷く。


「嬉しいです。でも、怖さも見ます」


「俺もだ」


    ◆


 アルト・レイヴンは、いつもより少しだけ早く来た。


 顔には安堵がある。


 だが、緊張も残っていた。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 アルトは二人を見ると、すぐに言った。


「昨日、すごく安心しました」


「エリシア様のことか」


「はい」


 彼は深く頷いた。


「エリシア様の言葉が、家にちゃんと届いて。判断として受け止められて。俺、すごく嬉しかったです」


「俺もだ」


「でも……」


 アルトは少し言い淀む。


「その後、レオンさんのことを考えました」


 レオンは彼を見る。


「ローゼンベルク家は、尊重と条件でした。ヴォルツ家は、もっと厳しいかもしれない」


「ああ」


 アルトは手帳を握る。


「今日の共有です。エリシア様が救われて嬉しい。でも、その分、次にレオンさんが厳しい返答を受けた時、どう支えればいいか怖い」


 フィーネが静かに頷く。


 レオンは少し息を吐いた。


「良い共有だ」


「はい」


「まだ、厳しい返答と決まったわけではない」


「はい。わかっています」


「でも、怖いんだな」


「はい」


 アルトは正直に頷いた。


「怖いです」


    ◆


 ユーリス・ベルクは、少し軽い足取りで来た。


 ただし、その軽さは昨日までの重さを抜くためのもののようだった。


 近づくと、彼は片手を上げる。


「おはよう」


「ああ」


「おはようございます」


「おはようございます、ユーリスさん」


 ユーリスは噴水の縁に軽く腰を預けた。


「昨日、エリシア様が笑ったの、よかったな」


「はい」


 フィーネが微笑む。


 アルトも頷く。


「本当に」


 ユーリスは空を見る。


「俺、昨日は“大丈夫って言わなくてよかった”って思った」


「ああ」


「大丈夫って言わなくても、一緒に聞けた。そしたら、ちゃんとよかったって言えた」


 それは、大事なことだった。


 不安を早く消すために大丈夫と言うのではなく。


 不安なまま一緒に聞く。


 その先で、よかったと言う。


 ユーリスは続ける。


「今日の共有。レオンにも、大丈夫って言わないようにする」


 レオンは少しだけ笑った。


「言わないのか」


「言いたくなるけど、言わない。まだわかんないし」


「そうだな」


「でも、一緒に待つ」


 ユーリスはまっすぐ言った。


「昨日、エリシア様にそうしたみたいに」


 レオンは頷いた。


「ありがとう」


    ◆


 四人は噴水のそばで、今日の状態を確認した。


 フィーネ。


 エリシアの安堵が嬉しい。


 でも、レオンの怖さを見落としたくない。


 アルト。


 エリシアが救われて嬉しい。


 でも、次にレオンが厳しい返答を受けた時、どう支えればいいか怖い。


 ユーリス。


 大丈夫とは言わない。


 一緒に待つ。


 レオン。


 エリシアの安堵が嬉しい。


 だが、ヴォルツ家の再判断が近づいている気がして怖い。


 確認し終えると、レオンは言った。


「今日は、エリシアの安堵を喜ぶ」


 フィーネが頷く。


「はい」


「同時に、ヴォルツ家は未着だと確認する」


 アルトも頷く。


「はい」


「俺の怖さも、隠さない」


 ユーリスが軽く頷いた。


「それでいこう」


    ◆


 東棟へ向かう道では、ローゼンベルク家の返答が話題になっていた。


 昨日の白い封書。


 淡い金の封蝋。


 エリシアの所見。


 通常交流継続。


 異議なし。


 ただし確認継続。


 生徒たちは、それぞれの理解で話している。


「ローゼンベルク家、ちゃんとしてるな」

「エリシア様の判断を認めたのすごいよな」

「でも、条件はあるって」

「そりゃ令嬢だしな」

「第五班、ひとまずよかったな」

「でもヴォルツ家はまだだろ」

「そっちが本番かもな」


 そっちが本番。


 その言葉に、胸が少し冷える。


 レオンは足を止めない。


 フィーネが小さく言う。


「今、レオンさんの方を見ました」


「俺も、自分の名前が出た気がした」


 アルトも。


「ヴォルツ家って言葉で緊張しました」


 ユーリスも。


「俺も。大丈夫って言いそうになった」


 レオンは頷く。


「共有できた」


 歩きながら戻る。


 それも、もう第五班の形になっていた。


    ◆


 教室に入ると、カイルとハルトがいた。


 カイルは静かに本を閉じる。


 ハルトは窓際に立っている。


 レオンたちが席へ向かうと、カイルが言った。


「ローゼンベルク家の返答は、かなり良い形だった」


「ああ」


「ただし、条件付きだ」


「わかっている」


「ならいい」


 カイルは続ける。


「今日から、状況はヴォルツ家側へ移る。ローゼンベルク家の安堵を、ヴォルツ家への楽観材料として使いすぎるな」


 レオンは頷いた。


 ハルトが短く言う。


「父親の返答は父親の返答だ」


「ああ」


「ローゼンベルク家とは違う」


「わかっている」


 ハルトはレオンを見た。


「怖いなら怖いって言っとけ」


 レオンは少しだけ息を吐いた。


「怖い」


 即答だった。


 ハルトは一瞬だけ黙り、それから頷いた。


「ならいい」


 それだけ。


 しかし、不思議と少し楽になった。


 カイルはフィーネたちへも視線を向ける。


「周囲は“次はヴォルツ家”と見る。その視線も負荷になる。第五班は、ローゼンベルク家の良い結果で緩みすぎず、ヴォルツ家の未着で硬くなりすぎないこと」


 フィーネが手帳へ書く。


 緩みすぎない。

 硬くなりすぎない。


 今日は、その間を歩く日だった。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ文字を書いた。


 一段落と未着。


 教室が静かになる。


「昨日、ローゼンベルク家より詳細返答が届いた」


 教師は言った。


「内容は、学園所見の尊重、エリシア本人の判断能力の確認、通常交流継続への異議なし。ただし、今後の確認継続および条件付きである」


 教室の生徒たちも、静かに聞いている。


「これは、一段落と言える」


 一拍。


「だが、ヴォルツ家の再判断は未着である」


 その言葉が、レオンの胸に落ちる。


 教師は黒板に書き足す。


 喜ぶ。

 待つ。

 混ぜすぎない。


「良い返答が届いた時、人は安堵する。その安堵を、まだ届いていない返答へ広げてしまうことがある」


 レオンは静かに聞く。


「また逆に、次の未着が怖くて、届いた安堵まで消してしまうこともある」


 それも、わかる。


 ローゼンベルク家の返答を素直に喜びたい。


 だが、ヴォルツ家が怖くて、その喜びを押しつぶしてしまいそうになる。


 教師は続けた。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「今日、第五班がすべき整理は何だ」


 レオンは答える。


「ローゼンベルク家の返答と、ヴォルツ家の未着を分けることです」


 教師は続きを待つ。


「ローゼンベルク家の返答は、エリシア様の判断を尊重し、通常交流継続に異議なしとした。それは事実として喜んでいい」


 一拍。


「一方で、ヴォルツ家の再判断はまだ来ていない。ローゼンベルク家の返答を根拠に、ヴォルツ家も大丈夫と決めつけてはいけない。逆に、ヴォルツ家が怖いからといって、ローゼンベルク家の安堵をなかったことにもしてはいけないと思います」


 教師は頷いた。


「良い」


 そして全体へ言った。


「一つ救われた時、その救いを正しく受け取れ。次の不安で塗り潰すな」


 その言葉は、今日のレオンに必要だった。


    ◆


 午前の演習は、軽い調整課題だった。


 標識一つ。


 護送対象一体。


 魔法人形一体。


 障害壁なし。


 だが、課題前に教師は言った。


「本日の演習目的は、安堵と未着の分離だ。過剰に緩む者、過剰に硬くなる者は、自己申告せよ」


 鐘が鳴る。


 フィーネの報告。


「敵、正面一。護送、左黄色。標識、奥。状態、エリシア様の安堵で少し緩んでいます」


 アルト。


「支援、レオンさんのことを考えて少し硬いです」


 ユーリス。


「大丈夫って言いそうになった。言わずに走る」


 レオン。


「ヴォルツ家へ意識が飛んだ。戻る。護送優先」


 課題は短く終わった。


 評価は良。


 教師は言った。


「良。安堵と未着の両方が行動へ影響したが、共有できた」


 良。


 今日の良は、昨日とはまた違う良だった。


    ◆


 昼休み。


 食堂にエリシアの姿があった。


 それだけで、第五班の空気が少し明るくなる。


 彼女はいつものように静かに座っていた。


 ただ、昨日より少しだけ表情が柔らかい。


 レオンたちに気づくと、彼女は小さく会釈した。


 第五班は食事を持って、少し離れた席に座る。


 無理に近づきすぎない。


 ローゼンベルク家の条件を思い出す。


 対人距離。


 立場。


 通常交流。


 過度な感情的関与ではない。


 ユーリスが小声で言う。


「近づきたくなるけど、今日は距離も大事だな」


「ああ」


 レオンは頷く。


 フィーネも。


「昨日の返答を受けた後だからこそ、普通の距離を大切にしたいです」


 アルトが少し笑う。


「普通の距離って、難しいですね」


「難しいな」


 でも、それも必要だった。


 しばらくして、エリシアがこちらへ歩いてきた。


 静かに。


 急がず。


 距離を保ちながら。


「皆様」


「エリシア様」


 フィーネが返す。


 エリシアは少し微笑んだ。


「昨日は、ありがとうございました」


 レオンは首を振る。


「一緒に聞いただけだ」


「それが、ありがたかったのです」


 エリシアは言った。


「大丈夫と言われなかったことも」


 ユーリスが小さく笑う。


「言いそうだったけどな」


「はい。顔に出ていました」


「出てたか」


「少し」


 そのやり取りに、少し笑いが生まれる。


 エリシアはレオンを見る。


「レオン様」


「ああ」


「今度は、私が一緒に待ちます」


 短い言葉。


 だが、胸に深く届いた。


 レオンは静かに頷いた。


「ありがとう」


    ◆


 放課後。


 中庭には、第五班とエリシアがいた。


 ただし、輪は少し広い。


 距離を詰めすぎない。


 けれど、離れすぎない。


 昨日の返答を受けた後の、新しい距離だった。


 フィーネが手帳を開く。


「通常交流って、こういうことなのでしょうか」


 エリシアが少し考える。


「たぶん、特別に遠ざけることでも、特別に近づきすぎることでもないのだと思います」


 アルトが頷く。


「普通に話す。でも、立場も忘れない」


 ユーリスが肩をすくめる。


「普通ってやっぱり難しいな」


「ユーリスさんの課題ですね」


 フィーネが言うと、ユーリスは笑った。


「普通に走るの次は、普通に話すか」


 エリシアも少し笑う。


 その笑顔に、レオンは少し安心した。


 だが、胸の奥の重さは消えない。


 エリシアがそれに気づいたのか、静かに言った。


「ヴォルツ家のことを考えていますか」


「ああ」


 レオンは隠さなかった。


「怖い」


「はい」


 エリシアは頷く。


「私も、昨日怖かったです」


「知っている」


「だから、大丈夫とは言いません」


 一拍。


「一緒に待ちます」


 朝、ユーリスが言った言葉。


 それが今、エリシアから返ってきた。


 レオンは頷く。


「ありがとう」


    ◆


 その時だった。


 事務棟の方から、職員が一人歩いてきた。


 封書は持っていない。


 だが、こちらへ向かっている。


 全員の空気が変わった。


 フィーネがすぐに言う。


「職員さんがこちらへ。封書は見えません」


 アルトが続ける。


「内容不明」


 ユーリスも。


「ヴォルツ家とは限らない」


 エリシアも。


「段階を飛ばさない」


 レオンは息を吸った。


 職員は近づき、レオンたちの前で止まる。


「レオン・ヴォルツ様」


「はい」


「担当教師より伝言です。明日朝、第二面談室へ来るようにとのことです。第五班各員も同席。詳細は担当教師より説明があります」


 職員はそれだけ告げ、頭を下げた。


 去っていく。


 封書はない。


 だが、呼び出し。


 明日朝。


 第二面談室。


 第五班同席。


 レオンの胸が冷える。


 前にも似た流れがあった。


 ヴォルツ家の正式返答が届いた時。


 呼び出し。


 第二面談室。


 第五班同席。


 フィーネが小さく言う。


「呼び出しは事実」


 アルトが続ける。


「内容は未確認」


 ユーリスも。


「ヴォルツ家かどうかも未確認」


 エリシアも。


「でも、怖い」


 レオンは頷いた。


「怖い」


 一拍。


「明日、聞く」


 誰も大丈夫とは言わなかった。


 ただ、全員がそこにいた。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 第七十四話。


 ひとつ救われた朝に、次の封はまだ来ない。


 朝。

 ローゼンベルク家の詳細返答の翌日。

 エリシアの判断が判断として受け取られた。

 通常交流継続に異議なし。

 尊重。

 確認。

 条件。

 甘くはない。

 だが否定ではない。

 エリシアが少し救われた。

 嬉しい。

 だが、次はヴォルツ家。

 父の再判断。

 ひとつ救われた朝に、次の封はまだ来ない。

 誰かの安堵を喜びながら、自分の怖さも隠さない。


 廊下。

 ローゼンベルク家は一段落。

 次はヴォルツ家。

 その言葉で胸が重くなる。

 嬉しい。

 怖い。

 両方ある。


 フィーネ。

 エリシア様が一段落したことが嬉しくて、レオンさんの怖さを見落としそう。

 嬉しい。

 でも、怖さも見る。


 アルト。

 エリシア様が救われて嬉しい。

 でも、次にレオンさんが厳しい返答を受けた時、どう支えればいいか怖い。

 まだ厳しい返答と決まったわけではない。

 でも怖い。


 ユーリス。

 エリシア様に大丈夫と言わなくてよかった。

 不安なまま一緒に聞けた。

 その先で、よかったと言えた。

 レオンにも大丈夫とは言わない。

 一緒に待つ。


 カイル。

 ローゼンベルク家の安堵を、ヴォルツ家への楽観材料として使いすぎるな。

 ハルト。

 父親の返答は父親の返答だ。

 ローゼンベルク家とは違う。

 怖いなら怖いって言っとけ。

 レオン、怖い。

 ならいい。


 講義。

 一段落と未着。

 ローゼンベルク家は一段落。

 ヴォルツ家の再判断は未着。

 喜ぶ。

 待つ。

 混ぜすぎない。

 良い返答が届いた時、人は安堵する。

 その安堵を、まだ届いていない返答へ広げてしまうことがある。

 逆に、次の未着が怖くて、届いた安堵まで消してしまうこともある。

 第五班がすべき整理。

 ローゼンベルク家の返答と、ヴォルツ家の未着を分けること。

 一つ救われた時、その救いを正しく受け取れ。

 次の不安で塗り潰すな。


 午前演習。

 安堵と未着の分離。

 フィーネ、エリシア様の安堵で少し緩む。

 アルト、レオンさんのことを考えて少し硬い。

 ユーリス、大丈夫って言いそうになった。

 レオン、ヴォルツ家へ意識が飛んだ。

 評価、良。

 安堵と未着の両方が行動へ影響したが、共有できた。


 昼。

 食堂にエリシア様がいる。

 安心。

 ただし距離も大事。

 通常交流。

 近づきすぎず、遠ざけすぎない。

 エリシア様。

 昨日はありがとうございました。

 大丈夫と言われなかったこともありがたかった。

 今度は、私が一緒に待ちます。


 放課後。

 中庭。

 少し広い輪。

 通常交流。

 特別に遠ざけることでも、特別に近づきすぎることでもない。

 普通に話す。でも立場も忘れない。

 普通に走るの次は、普通に話す。

 エリシア様。

 ヴォルツ家のことを考えていますか。

 レオン、怖い。

 エリシア様、大丈夫とは言いません。一緒に待ちます。


 職員。

 封書なし。

 レオン・ヴォルツ様。

 担当教師より伝言。

 明日朝、第二面談室へ。

 第五班各員も同席。

 詳細は担当教師より説明。

 呼び出しは事実。

 内容は未確認。

 ヴォルツ家かどうかも未確認。

 でも怖い。

 明日、聞く。


 レオンはペンを止めた。


 明日。


 第二面談室。


 第五班同席。


 封書は見えなかった。


 ヴォルツ家とは言われていない。


 だが、流れが似ている。


 前にヴォルツ家の正式返答が来た時も、呼び出しだった。


 第二面談室だった。


 第五班同席だった。


 今回も、そうなのか。


 それとも、別件なのか。


 まだわからない。


 内容は未確認。


 だが、怖い。


 今日はエリシアの安堵を喜ぶ日だった。


 確かに、喜べた。


 食堂で彼女の姿を見て安心した。


 中庭で笑えた。


 普通に話すことの難しさも、少し笑いにできた。


 その安堵は本物だった。


 だが、その日の終わりに、次の呼び出しが来た。


 ひとつ救われた朝に。


 次の封はまだ来ないと思っていたのに。


 封は見えないまま、呼び出しだけが来た。


 レオンは最後に一行を書く。


 ひとつ救われた朝に、次の封はまだ来ない。


 その下に、もう一行。


 封が見えなくても、呼び出しの足音だけで怖くなる自分を、明日も隠さず持っていく。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 星は少しだけ見える。


 明日。


 第二面談室。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、エリシアの声を思い出す。


 大丈夫とは言いません。


 一緒に待ちます。


 その言葉が、少しだけ胸を支えた。


 噴水の水音を思い出す。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 明日、何が届いていても。


 まず聞く。


 段階を飛ばさずに。


 怖いまま。


 聞く。

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