第六十三話
翌朝。
王立グランセル魔導学園の空は、白く霞んでいた。
晴れているのか、曇っているのか。
どちらとも言い切れない淡い空だった。
朝日は雲の奥から薄く広がり、校舎の石壁をやわらかく照らしている。
尖塔の影は細く、中庭の芝には夜露が残っていた。
空気は少し冷たい。
けれど、冬のような刺す冷たさではない。
胸の奥を静かに撫でるような、朝の冷えだった。
噴水の水音は、今日も同じだった。
跳ねて。
落ちて。
また跳ねる。
その音を思い浮かべながら、レオン・ヴォルツは寮の部屋で手帳を開いていた。
昨日の最後の言葉。
見せるために整えた形は、戻る力を少し鈍らせる。
だから本番へ向けて磨くのは、きれいな完成形ではなく、崩れた時に戻る手順だ。
公開評価課題へ向けた準備が始まった。
昨日の公開用配置演習では、全員が硬くなった。
フィーネは報告を整えすぎた。
アルトは支援手順を複雑にしすぎた。
ユーリスは見栄えを意識して、普通に走れなくなった。
レオンは指示を格好よくまとめようとして、必要な言葉が遅れた。
評価は、良。
上ではなかった。
けれど、教師は言った。
良い良。
本番前に硬さを確認できたことに価値がある。
その言葉は、今も胸に残っている。
公開評価で示すべきものは、完璧な完成形ではない。
硬くなっても戻る手順。
崩れても補正する力。
状態共有と相互補正が、成果へ繋がる過程。
それを見せる。
それはわかっている。
だが、今日。
おそらく、公開評価課題の正式な日程と形式が告げられる。
昨日の教師の話では、詳細は調整中だった。
数日内。
指定教師。
一部生徒代表。
観覧。
その言葉だけでも十分に重かった。
しかし、ぼんやりした不安は、確定するとまた別の重さを持つ。
いつ行うのか。
どこで行うのか。
誰が見るのか。
誰が記録するのか。
それが決まった瞬間、空席だった見学席に人の顔が浮かび始める。
レオンは手帳に今日の最初の一文を書いた。
誰に見られるかが決まると、視線は形を持つ。
書いて、少しだけ息を吐いた。
昨日までの見学席は空だった。
それでも圧はあった。
今日、その席に座る者の名前が決まる。
教師。
生徒代表。
記録担当。
場合によっては、上位クラスの代表。
そこに誰がいるかで、胸の重さは変わる。
だが、見られる相手が決まっても、第五班がやることは変わらない。
敵を見る。
護送を見る。
障害を見る。
標識を見る。
班員を見る。
自分を見る。
そして、崩れたら戻る。
レオンは手帳を閉じた。
灰色の制服へ袖を通す。
今日は、視線に名前がつく日だ。
その名前に飲まれないように、いつもの場所へ向かう。
◆
寮の廊下に出ると、空気はすでに少しざわついていた。
公開評価課題の正式日程が今日告げられるかもしれない。
その情報は、学園内にも広がっているようだった。
昨日の噂とは違う。
これは、教師の説明から自然に予測されたものだ。
だが、予測はすぐに噂へ近づく。
「公開評価、明後日らしいぞ」
「いや、三日後って聞いた」
「生徒代表は上位クラスから出るんだろ」
「ハルトとかカイルも見るのかな」
「レオンの家にも記録行くんだろ?」
「そりゃ行くだろ」
「誰が見るかで全然違うよな」
誰が見るかで全然違う。
その通りだ。
だが、まだ正式には告げられていない。
レオンは歩きながら、昨日の学びを思い出す。
噂。
可能性。
事実。
状態。
行動。
現時点で、正式日程は未確認。
観覧者も未確認。
ただし、今日告げられる可能性は高い。
状態。
胸が重い。
行動。
中庭へ向かう。
◆
中庭には、フィーネ・ルークがいた。
噴水のそば。
今日は手帳を開かず、胸に抱えていた。
顔は落ち着いている。
けれど、目元には緊張があった。
レオンが近づくと、彼女は静かに頭を下げた。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
フィーネは少しだけ噴水を見てから言った。
「今日は、誰が見るのかが決まる気がします」
「俺もそう思う」
「昨日は、見学席が空でも硬くなりました」
「ああ」
「今日は、そこに人の名前が入るかもしれないんですよね」
「そうだ」
フィーネは手帳を少し強く抱えた。
「今日の私の共有は、観覧者が決まった瞬間、その人に合わせた報告をしようとしてしまうかもしれない、です」
「合わせた報告?」
「はい。教師が見るなら正確に。上位クラスが見るなら隙なく。記録担当が見るならきれいに。そう考えてしまいそうで」
レオンは頷いた。
フィーネらしい。
相手に合わせようとする。
それは長所でもある。
だが、本番では硬さにもなる。
「報告の相手は、第五班だ」
レオンは言った。
フィーネが顔を上げる。
「評価者に聞こえるように話す必要はある。でも、最初に届ける相手は俺たちだ」
フィーネは少しだけ目を揺らし、それから頷いた。
「はい」
彼女は手帳を開き、書いた。
報告は評価者に見せるものではなく、班へ渡すもの。
聞こえるように。
でも、合わせすぎない。
◆
アルト・レイヴンは、今日は紙片を三枚だけ持って来た。
昨日の昼に決めた、土、水、風。
それ以上は持っていない。
ただ、その三枚を何度も見直したのだろう。
端が少し丸まっている。
「おはようございます」
「ああ」
「おはようございます、アルトさん」
アルトは三枚の紙片を見せた。
「今日は、これだけにしました」
「いいな」
レオンが言うと、アルトは少し嬉しそうに笑った。
「でも、観覧者が決まったら、また増やしたくなると思います」
「なぜ」
「見られる人によって、準備を足したくなりそうで」
アルトは紙片を握る。
「上位クラスの人が見るなら、もっと複雑な支援を見せた方がいいのかなって。教師が見るなら、支援の種類を全部出した方がいいのかなって」
「必要ない」
レオンは即答した。
アルトの目が少し丸くなる。
「必要なのは、今の課題に合う支援だ」
「はい」
「見られる相手に合わせて増やすな」
フィーネも優しく言う。
「アルトさんの支援は、種類の多さではなく、必要な時に必要な強さで出せるところが大事だと思います」
アルトは少しだけ目を潤ませた。
「はい」
そして手帳に書いた。
観覧者で支援を増やさない。
課題に合わせる。
必要な時、必要な強さ。
◆
ユーリス・ベルクは、今日は少しだけ遅れて来た。
いつもの軽さはある。
けれど、彼も周囲の声を拾っていたのだろう。
近づくなり、肩をすくめた。
「おはよう。廊下、公開評価の話ばっかりだな」
「ああ」
「おはようございます」
「おはようございます、ユーリスさん」
ユーリスは三人を見て、すぐに言った。
「今日、観覧者が決まったら、俺たぶん顔を想像する」
「顔?」
「うん。誰が見てるかを頭に浮かべて、走る時にそっちを意識するかもしれない」
フィーネが頷く。
「私も似ています」
「だよな」
ユーリスは手を軽く振る。
「あと、上位クラス代表とかいたら、格好つける可能性が高い」
「昨日も言っていたな」
レオンが返す。
「昨日より具体的になる。名前がつくと、格好つけ度が上がる」
アルトが少し笑う。
「格好つけ度……」
「大事な指標だろ」
ユーリスは真面目な顔で言った。
少しだけ笑いが起きた。
だが、その内容は重要だった。
誰が見るかが決まると、視線が具体化する。
具体的になるほど、人は意識する。
「今日の共有。観覧者の顔を想像して、動きが外向きになるかもしれない」
「良い」
レオンは頷いた。
「動きは外へ見せるのではなく、課題へ向ける」
「了解」
◆
四人は噴水のそばで、今日の確認をした。
フィーネ。
観覧者に合わせた報告をしようとするかもしれない。
アルト。
観覧者によって支援を増やしたくなるかもしれない。
ユーリス。
観覧者の顔を想像して、動きが外向きになるかもしれない。
レオン。
父に届く記録を意識し、指示を評価者向けに整えようとするかもしれない。
レオンは三人を見る。
「評価者は見る。だが、俺たちが最初に向ける相手は課題と班員だ」
フィーネが頷く。
「報告は班へ」
アルトも。
「支援は課題へ」
ユーリスも。
「動きは標識と護送へ」
レオンが締める。
「指示は評価者ではなく、今動くために」
短い確認。
けれど、胸の中の視線が少しだけ整理された。
◆
東棟へ向かう道では、生徒たちの視線が昨日よりさらに具体的だった。
公開評価課題。
その言葉が、学園の中で一つの出来事として形を持ち始めている。
いつ。
誰が。
どこで。
どんな課題で。
それを知りたがる空気がある。
「生徒代表、誰になるんだろ」
「上位クラスから二人って聞いた」
「第五班に近い人は外されるんじゃない?」
「いや、関係を知ってる人が見た方がいいだろ」
「エリシア様は見るのかな」
「当事者だし、どうなんだろ」
エリシア。
その名前が出た瞬間、レオンの胸が少し動いた。
エリシアが見るのか。
見ないのか。
彼女は関係者であり、当事者でもある。
ローゼンベルク家の一次返答にも、本人の認識を尊重するとあった。
彼女の視線は、他の誰よりも重く、同時に支えでもある。
フィーネが小さく言う。
「今、エリシア様のことを考えました」
「俺もだ」
アルトも頷く。
「俺もです」
ユーリスも。
「俺も。エリシア様が見るなら、また少し変わるな」
「まだ未確認だ」
レオンは言った。
三人が頷く。
段階を飛ばさない。
◆
教室に入ると、カイル・ローダンがすでに席にいた。
ハルト・グレイナーは窓際で腕を組んでいる。
今日は、二人ともどこか準備している顔だった。
「今日、形式が発表される」
カイルが言った。
「確定か」
「教師間で昨日のうちに調整が済んだらしい。内容までは知らない」
「そうか」
レオンは頷く。
いよいよ、視線に名前がつく。
ハルトが低く言う。
「誰が見てもやることは同じだ」
「そうだな」
「でも、同じにするのが難しい」
ハルトは珍しく、先に自分で続けた。
「俺なら、見ている奴によって力が入る」
ユーリスが少し笑う。
「ハルトでも?」
「当たり前だ」
ハルトは不機嫌そうに言う。
「見られるのが平気な奴なんていない」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
カイルも頷く。
「重要なのは、見られることに慣れるのではなく、見られている中でも確認手順を保つことだ」
フィーネが手帳へ書く。
見られることに慣れる、ではない。
見られている中でも確認手順を保つ。
レオンも同じ言葉を胸に置いた。
◆
一限目。
教師は教室へ入ると、黒板へ向かった。
書かれた文字は。
形式決定。
教室全体が静まり返った。
「第五班の公開評価課題について、形式が決定した」
ざわめきが起きかけたが、教師の視線で収まる。
「実施は三日後。場所は第三訓練場。観覧者は、担当教師団三名、記録担当二名、生徒代表三名」
三日後。
第三訓練場。
教師団三名。
記録担当二名。
生徒代表三名。
数字が、胸に重く落ちる。
「生徒代表は、上位クラスより二名、同学年一般代表より一名。人選は本日中に告知される」
まだ名前は出ない。
だが、枠が決まった。
「ローゼンベルク家およびヴォルツ家へは、学園より記録報告を行う。外部者の直接観覧はない」
父は来ない。
ローゼンベルク家も来ない。
レオンは少しだけ息を吐いた。
だが、記録は行く。
結局、見られることに変わりはない。
「課題形式は、救援護送・標識移送・複数障害の複合型。詳細は当日直前まで非公開」
教室の空気がまた重くなる。
詳細非公開。
つまり、準備しすぎることができない。
いや、だからこそ戻り方が必要なのだろう。
教師は続けた。
「第五班は、本日より第三訓練場での環境適応演習を行う」
一拍。
「ヴォルツ」
「はい」
レオンは立ち上がる。
「形式が決まった今、第五班が最初に確認すべきことは何だ」
レオンは少しだけ考えた。
「数字と事実です」
教師は続きを待つ。
「三日後。第三訓練場。担当教師団三名、記録担当二名、生徒代表三名。外部者の直接観覧はない。記録報告は行く。課題詳細は当日直前まで非公開」
一拍。
「その上で、状態共有です。名前が未確定でも、観覧者の枠が決まったことで緊張していることを共有する必要があります」
教師は頷いた。
「良い」
そして全体へ言った。
「不安を減らす第一歩は、決まった事実を数えることだ」
◆
第三訓練場。
そこは、普段第五班が使う訓練区画より広かった。
天井も高く、観覧席が常設されている。
石造りの段差が半円状に並び、中央の演習区画を見下ろす形になっていた。
今は誰も座っていない。
それなのに、圧がある。
昨日の仮設見学席とは違う。
本当に人が座る場所。
本当に視線が落ちる場所。
その空席を見た瞬間、アルトが小さく息を呑んだ。
フィーネも手を握る。
ユーリスは笑おうとして、やめた。
レオンも、胸の奥が重くなる。
教師が言った。
「ここが本番会場だ」
声が広い訓練場に反響する。
「本日は環境適応演習を行う。課題難度は高くない。目的は、広さ、音の反響、観覧席の圧に慣れること。ただし、慣れるとは無視することではない。存在を認めた上で課題へ戻ることだ」
レオンは頷いた。
存在を認める。
無視しない。
飲まれない。
第三訓練場の空気は冷たかった。
◆
演習開始前。
四人は中央に立った。
観覧席が見える。
空席なのに、人の気配を想像してしまう。
フィーネが言った。
「声が、いつもより響きそうです」
「そうだな」
アルトも。
「広いです。支援の距離感、ずれそうです」
ユーリスも。
「走る距離が長い。あと、見られてる感じがすごい」
レオンも。
「指示が反響で遅れて聞こえるかもしれない。短くする」
教師が頷く。
「良い。始める」
鐘が鳴った。
広い訓練場に、鐘の音が長く響いた。
◆
課題は単純だった。
標識一つ。
魔法人形二体。
障害壁一つ。
護送対象なし。
だが、広さと反響が難しくしている。
フィーネが初期報告を出す。
「正面前衛、右軽量。障害壁中央。標識奥」
声が響く。
少し遅れて耳に返る。
フィーネ自身が一瞬、その反響に引っ張られた。
「声の反響で少し止まりました。報告は完了」
レオンが指示。
「前衛は俺。ユーリス標識。アルト右軽量。フィーネ、距離確認」
「はい」
「了解」
「はい」
ユーリスが走る。
普段より距離が長い。
少しペースを誤る。
「距離長い。速度上げすぎた。落とす」
アルトの土は、いつもより手前に出た。
「距離感ずれました。土、手前すぎ。次で補正」
フィーネが状況を出す。
「右軽量、土を迂回気配。標識までユーリスさん六歩」
レオンは前衛型を流す。
声が反響するため、指示を短くする。
「右へ補正」
アルトが即座に動く。
「はい」
右軽量を止める。
ユーリスが標識を取る。
観覧席が視界に入ったのか、戻りの足が少し硬くなる。
「席を見た。戻る」
自分で言う。
フィーネが声を出す。
「障害壁、起動気配。左へ」
レオンが指示する。
「左。風弱」
アルトが風を入れる。
「風弱、届きます」
標識を運ぶ。
台座へ。
設置。
鐘が鳴った。
◆
教師が近づいてくる。
「第五班、評価、良」
また良。
しかし、昨日ほど沈まない。
教師は続ける。
「第三訓練場の環境による乱れが出た。声の反響、距離感、観覧席の圧。全員に影響あり」
「はい」
「だが、各員が影響を自覚し、言語化した。環境適応初回としては良い良である」
良い良。
三日連続のように、その言葉に救われている。
教師は言った。
「本番会場では、技術以前に環境が心身へ影響する。今日はそれを知る日だ。明日から調整する」
◆
演習後。
四人は観覧席の下に集まった。
上を見ると、空席が並んでいる。
フィーネが言う。
「声が返ってくるの、思ったより気になります」
「報告が二重に聞こえる感じだな」
レオンが答える。
アルトも。
「距離感が難しいです。いつもの感覚で土を出したら手前でした」
ユーリスが観覧席を見上げる。
「席、空なのに見ちゃうな」
「本番では人が座る」
レオンが言う。
「やめてくれ。想像する」
ユーリスが顔をしかめる。
だが、すぐに笑った。
「いや、想像していいのか。存在を認めた上で戻るんだもんな」
「そうだ」
フィーネが手帳を取り出し、書いた。
反響。
距離。
観覧席。
無視しない。
認めて戻る。
アルトも紙片に。
広い場所では、支援を一呼吸遅らせて距離確認。
ユーリスも。
席を見る。戻る。普通に走る。
レオンも手帳に書いた。
指示は短く。
声の反響を前提に。
観覧席を見たら、見たと言う。
◆
昼休み。
食堂では、形式決定の話題で空気が熱を帯びていた。
「三日後だって」
「第三訓練場」
「生徒代表三人」
「上位クラス二人と一般代表一人か」
「誰になるんだろ」
「外部者は直接来ないけど、記録は家に行くって」
「うわ、重いな」
第五班の席でも、その話になった。
アルトが言う。
「三日後って、近いです」
「近いな」
レオンは頷いた。
フィーネが手帳を開く。
「でも、日程が決まったことで、少しだけ形が見えました」
「怖さも増えたけどな」
ユーリスが言う。
「はい」
フィーネは素直に頷く。
「怖いです。でも、三日後とわかったので、今日、明日、明後日で何をするか考えられます」
アルトが頷く。
「反響と距離は、慣れたいです」
ユーリスも。
「観覧席を見る練習もいるな」
「見る練習?」
「見る。戻る。普通に走る」
ユーリスは紙片を見せた。
その言葉に、三人が少し笑った。
◆
放課後。
中庭には、エリシア・フォン・ローゼンベルクがいた。
彼女もすでに形式決定を聞いているようだった。
手帳を持ち、噴水のそばに立っている。
レオンたちを見ると、静かに会釈した。
「皆様」
「エリシア様」
フィーネが返す。
エリシアは少し緊張した面持ちで言った。
「三日後、と聞きました」
「ああ」
レオンは頷く。
「第三訓練場。観覧者は教師団三名、記録担当二名、生徒代表三名。外部者の直接観覧はなし。記録報告は行く」
エリシアは一つずつ受け取るように頷いた。
「外部者の直接観覧はないのですね」
「はい」
アルトが答える。
「でも、記録は行きます」
「そうですね」
エリシアは少しだけ手帳を握る。
「私が観覧するかどうかは、まだ聞いていません」
フィーネが静かに頷く。
「生徒代表の人選は本日中に告知されるそうです」
「はい」
エリシアは息を吸った。
「もし、私が見ることになったら……皆様は、気になりますか」
その問いに、四人は少し黙った。
気になる。
当然だ。
だが、どう気になるのか。
それを誤魔化したくはなかった。
レオンは答えた。
「気になる」
エリシアの目が揺れる。
「だが、見張られているとは思わない」
一拍。
「見守られていると思う」
フィーネも頷く。
「私も、気になります。でも、エリシア様に良く見せるためではなく、私たちが戻るところを見てもらいたいです」
アルトも。
「俺、緊張します。でも、見てもらえたら嬉しい気持ちもあります」
ユーリスも。
「俺は多分、ちょっと格好つける。でも、言う。格好つけそうって」
エリシアは四人の言葉を聞いて、少しだけ笑った。
「ありがとうございます」
そして手帳を開く。
もし私が見ることになったら。
皆様は気になる。
でも、見張るのではなく、見守る。
良く見せるのではなく、戻るところを見る。
書き終えた彼女は、静かに言った。
「私も、もし見るなら、見張らないようにします」
その言葉に、五人の間の空気が少しだけ柔らかくなった。
◆
その時。
中庭の掲示板の方で、生徒たちが少しざわめいた。
「出たぞ」
「生徒代表」
「誰?」
「上位クラス代表、カイル・ローダン、ハルト・グレイナー」
「一般代表……エリシア・フォン・ローゼンベルク」
空気が止まった。
名前が、出た。
カイル。
ハルト。
エリシア。
観覧者の顔が、一気に具体化した。
レオンは、ゆっくりエリシアを見る。
エリシアも、掲示板の方を見ていた。
彼女の手帳を持つ手が少し震えている。
フィーネが息を吸う。
アルトも口を開きかけて、止まる。
ユーリスが小さく言った。
「……決まったな」
レオンは頷く。
「事実確認」
自分にも言い聞かせる。
「生徒代表は、カイル、ハルト、エリシア様」
フィーネが続ける。
「三日後、第三訓練場」
アルトも。
「教師団三名、記録担当二名、生徒代表三名」
ユーリスも。
「外部者直接観覧なし。記録報告あり」
エリシアは少し震えながら、最後に言った。
「私は、見る側になります」
その言葉は重かった。
だが、逃げてはいない。
レオンはエリシアを見る。
「見守ってください」
短い言葉だった。
エリシアの目が大きく揺れる。
そして、彼女はゆっくり頷いた。
「はい」
一拍。
「見張らず、見守ります」
◆
夜。
学生寮の部屋。
レオンは手帳を開いた。
第六十三話。
誰に見られるかが決まった日、息の仕方を思い出す。
朝。
公開評価課題の正式形式が決まる日。
誰に見られるかが決まると、視線は形を持つ。
見学席に座る者の名前が決まる。
教師。
記録担当。
生徒代表。
見られる相手が決まっても、第五班がやることは変わらない。
敵を見る。
護送を見る。
障害を見る。
標識を見る。
班員を見る。
自分を見る。
崩れたら戻る。
フィーネ。
観覧者が決まった瞬間、その人に合わせた報告をしようとしてしまうかもしれない。
報告は評価者に見せるものではなく、班へ渡すもの。
聞こえるように。
でも、合わせすぎない。
アルト。
観覧者によって支援を増やしたくなるかもしれない。
上位クラスが見るなら複雑な支援を。
教師が見るなら種類を全部。
必要なのは、今の課題に合う支援。
観覧者で支援を増やさない。
課題に合わせる。
必要な時、必要な強さ。
ユーリス。
観覧者の顔を想像して、動きが外向きになるかもしれない。
名前がつくと格好つけ度が上がる。
動きは外へ見せるのではなく、課題へ向ける。
カイル。
今日、形式が発表される。
見られることに慣れるのではなく、見られている中でも確認手順を保つ。
ハルト。
誰が見てもやることは同じ。
でも、同じにするのが難しい。
見られるのが平気な奴なんていない。
講義。
形式決定。
三日後。
第三訓練場。
担当教師団三名。
記録担当二名。
生徒代表三名。
上位クラスより二名。
同学年一般代表より一名。
外部者の直接観覧はなし。
ローゼンベルク家およびヴォルツ家へ記録報告。
課題形式は、救援護送・標識移送・複数障害の複合型。
詳細は当日直前まで非公開。
不安を減らす第一歩は、決まった事実を数えること。
第三訓練場。
広い。
天井が高い。
観覧席が常設。
空席なのに圧がある。
環境適応演習。
広さ。
音の反響。
観覧席の圧。
慣れるとは無視することではない。
存在を認めた上で課題へ戻ること。
演習。
声の反響でフィーネが止まりかける。
ユーリス、距離が長く速度を上げすぎる。
アルト、土が手前すぎる。
レオン、指示を短くする。
ユーリス、観覧席を見て硬くなる。
見た。戻る。
評価、良。
良い良。
本番会場では、技術以前に環境が心身へ影響する。
今日はそれを知る日。
昼。
三日後は近い。
怖さも増えた。
でも、日程が決まったことで、今日、明日、明後日で何をするか考えられる。
反響と距離。
観覧席を見る練習。
見る。戻る。普通に走る。
放課後。
エリシア。
外部者の直接観覧はない。
記録は行く。
自分が観覧するかどうかは未確認。
もし見ることになったら、皆様は気になりますか。
レオン、気になる。だが、見張られているとは思わない。見守られていると思う。
フィーネ、良く見せるためではなく、戻るところを見てもらいたい。
アルト、緊張する。でも見てもらえたら嬉しい気持ちもある。
ユーリス、少し格好つける。でも言う。
エリシア、もし見るなら見張らないようにします。
掲示。
生徒代表決定。
上位クラス代表。
カイル・ローダン。
ハルト・グレイナー。
一般代表。
エリシア・フォン・ローゼンベルク。
観覧者の顔が具体化。
事実確認。
生徒代表は、カイル、ハルト、エリシア様。
三日後、第三訓練場。
教師団三名、記録担当二名、生徒代表三名。
外部者直接観覧なし。記録報告あり。
エリシア、私は見る側になります。
レオン、見守ってください。
エリシア、見張らず、見守ります。
レオンはペンを止めた。
今日、視線に名前がついた。
教師団三名。
記録担当二名。
生徒代表三名。
カイル。
ハルト。
エリシア。
その名前を見た瞬間、胸の奥が重くなった。
同時に、不思議な安堵もあった。
知らない誰かだけではない。
自分たちの積み上げを見てきた者がいる。
カイルは、冷静に見てくれるだろう。
ハルトは、不器用でも正面から見るだろう。
エリシアは、見張らず見守ると言った。
それでも、緊張は消えない。
むしろ、顔がわかった分だけ重い。
だが、今日学んだ。
見られることに慣れる必要はない。
見られている中で、確認手順を保つ。
第三訓練場は広かった。
声が響いた。
距離感がずれた。
観覧席が空なのに、目が向いた。
本番では、そこに人が座る。
その事実は怖い。
けれど、怖いなら怖いと言う。
席を見たなら、見たと言う。
声が反響したなら、反響したと言う。
距離がずれたなら、ずれたと言う。
そうやって戻る。
レオンは最後に一行を書く。
誰に見られるかが決まった日、視線は形を持った。
その下に、もう一行。
だからこそ、見られることを消そうとせず、見た、揺れた、戻る、と声にして進む。
ペンを置く。
窓の外は夜だった。
星は少しだけ見える。
三日後。
第三訓練場。
カイル。
ハルト。
エリシア。
教師団。
記録担当。
そして、その先に届くヴォルツ家とローゼンベルク家への報告。
怖い。
けれど、今は少しだけ息ができる。
見守ってください。
自分で言った言葉を思い出す。
レオンは、誰かにそう頼めるようになった。
それは、以前の自分なら考えられなかったことだ。
手帳を閉じる。
灯りを落とす。
暗闇の中で、エリシアの声が残った。
見張らず、見守ります。
その声を胸に置きながら、レオンは目を閉じた。
噴水の水音を思い出す。
跳ねて。
落ちて。
また跳ねる。
視線が形を持っても。
水音は急がない。
明日も、息の仕方を忘れないように。
戻る。




