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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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62/81

第六十二話



 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、薄く晴れていた。


 昨日の灰色は少し遠ざかり、空には淡い青が戻っている。


 雲は高い。


 白く伸びる雲の端が朝日を受け、校舎の石壁へ柔らかな光を落としていた。


 中庭の芝には夜露が残っている。


 一歩踏み出せば、靴先に小さな水滴が跳ねそうなほどだった。


 風は静かで、まだ朝の空気は冷たい。


 噴水の水音は、今日も変わらず響いていた。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 その音を胸の奥で聞きながら、レオン・ヴォルツは寮の部屋で手帳を開いていた。


 昨日の最後の一文。


 父の言葉は、認めるより先に試してくる。


 ならば、俺一人の強さではなく、第五班で戻る力を示す。


 ヴォルツ家から正式返答が届いた。


 即時禁止ではない。


 正式承認でもない。


 学園内限定の継続観察。


 班内相互補正については、一定の教育的効果を持つものとして記録上は認める。


 そして、公開評価課題。


 協力関係が個人的感情や依存ではなく、実技上の成果と判断能力向上に資するものであることを示すこと。


 結果をもって再判断。


 父の言葉は冷たかった。


 けれど、道はあった。


 認められたわけではない。


 試される。


 示せと言われた。


 そのことが、昨夜からレオンの胸の奥で熱を持っている。


 痛みもある。


 安堵もある。


 そして、火種のような意地もある。


 示す。


 父へ。


 学園へ。


 周囲へ。


 第五班はただの私的感情でも、依存でもない。


 失敗しても戻る。


 それぞれが役割を持ち、互いに修正し、成果へ繋げる。


 それを見せる。


 だが、今朝。


 その“見せる”という言葉が、少しだけ危ういものに感じられた。


 見せようとすると、人は形を整えたくなる。


 よく見せたくなる。


 失敗を隠したくなる。


 無駄を削り、沈黙を減らし、言葉をきれいにし、動きを揃えたくなる。


 けれど、第五班の強さは、最初から整っていることではない。


 崩れた時に戻ること。


 揺れを隠さず、共有し、補正すること。


 その過程にある。


 なら、公開評価課題で見せるべきものは、美しい完成形だけではない。


 むしろ、硬くなった時、どう戻るか。


 失敗しそうになった時、どう言葉にするか。


 そこを見せなければならない。


 レオンは手帳に書いた。


 見せるために整えすぎると、戻る力が鈍る。


 磨くのは形ではなく、戻り方。


 書き終えて、ペンを置く。


 今日から、公開評価課題へ向けた準備が本格的に始まる。


 父の条件。


 学園の評価。


 生徒代表の視線。


 記録。


 そのすべてが、第五班へ向けられる。


 けれど、今日もまずは中庭へ行く。


 フィーネと、アルトと、ユーリスがいる場所へ。


 そこから始める。


    ◆


 寮の廊下に出ると、昨日より空気が少し変わっていた。


 ヴォルツ家からの正式返答と、公開評価課題のことは学園中に広がっている。


 ただし、昨日の噂とは違う。


 これは教師から説明された事実だ。


 だから声には、妙な確かさがある。


「第五班、公開評価やるんだろ」

「ヴォルツ家からの条件らしい」

「即時禁止じゃないけど、承認でもないって」

「学園内限定の継続観察だって聞いた」

「きついな」

「でも、公開で見せられたら一気に流れ変わるんじゃない?」

「逆に失敗したら……」


 失敗したら。


 その言葉は、今日も廊下の空気を冷たくする。


 レオンは歩きながら、軽く息を吐いた。


 事実。


 公開評価課題がある。


 日時詳細は未確定。


 評価内容は、勝敗だけでなく過程も含む。


 状態。


 示したい。


 怖い。


 良く見せようとする危険がある。


 行動。


 形を整えすぎない。


 戻り方を磨く。


 それを繰り返しながら、レオンは中庭へ向かった。


    ◆


 中庭には、フィーネ・ルークがいた。


 噴水のそば。


 今日は手帳を開いていた。


 ページには、すでにいくつかの文字が書かれている。


 レオンが近づくと、フィーネは顔を上げた。


「おはようございます」


「ああ。おはよう」


 彼女の表情は真剣だった。


 昨日までの不安とは少し違う。


 怖さはある。


 だが、それだけではない。


 何かを整えようとしている顔だった。


「今日から、準備ですね」


「ああ」


「私、昨日の夜から、報告の言葉を考えていました」


 フィーネは手帳を見せる。


 そこには、初期報告の文が整然と書かれていた。


 正面前衛一、右軽量一、奥魔法型一。

 護送対象は左、状態黄色。

 障害壁中央、起動条件未確認。

 標識は中央奥。

 初動優先順位、護送対象確認後、標識移送へ。


 かなりきれいだった。


 見やすい。


 わかりやすい。


 だが、少し硬い。


「整っているな」


 レオンが言うと、フィーネは少しだけ頷いた。


「はい。でも……書いている途中で、少し怖くなりました」


「何が」


「本番で、この通りに言えなかったらどうしようって」


 彼女は手帳を閉じかけ、また開いた。


「整えた言葉があると、それを言えなかった時に失敗した気がしそうで」


 レオンは静かに頷いた。


 それは今日の危うさそのものだった。


「今日の共有は、それか」


「はい」


 フィーネは小さく息を吸う。


「見せるために言葉を整えすぎて、本番で戻れなくなるかもしれない」


「良い共有だ」


 レオンは答えた。


「整えた言葉は使っていい。でも、崩れたら崩れたまま報告していい」


「はい」


「第五班は、報告文を暗唱する班じゃない」


 フィーネは少しだけ笑った。


「はい。状態を共有する班です」


    ◆


 アルト・レイヴンは、いつもよりさらに早く来た。


 手帳だけでなく、小さな紙片をいくつも持っている。


 そこには支援の種類やタイミングが書かれていた。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 フィーネが返す。


 アルトはレオンたちの前に来ると、少し恥ずかしそうに紙片を見せた。


「昨日の夜、支援の順番を整理しました」


 土壁。


 足止め。


 風支援。


 水による詠唱妨害。


 弱支援、強支援の切替。


 護送時の揺れ対策。


 びっしり書かれている。


 真面目だ。


 アルトらしい。


 だが、彼の肩には力が入っている。


「すごい量だな」


 ユーリスならそう言いそうなところだが、まだユーリスは来ていない。


 レオンがそう言うと、アルトは慌てて笑った。


「はい。でも、書いてたら止まらなくなって」


「不安で増やしたか」


 レオンが聞くと、アルトは一瞬黙り、それから頷いた。


「はい」


 正直だった。


「公開評価で、俺が支援を失敗したら、第五班全体が悪く見られると思って。だから、全部準備しようとしました」


「全部は無理だ」


「はい」


 アルトは紙片を見下ろす。


「書いたら安心すると思ったんです。でも、逆に紙が増えるほど怖くなりました」


 フィーネが静かに頷く。


「わかります」


 アルトは息を吐く。


「今日の共有は、準備しすぎて支援が重くなる、です」


「良い」


 レオンは言った。


「準備は必要だ。でも全部を持ち込もうとするな」


「はい」


「本番で必要なのは、紙片の全部ではなく、今必要な支援を選ぶことだ」


 アルトはその言葉を手帳へ書いた。


 全部を持ち込まない。

 今必要な支援を選ぶ。


    ◆


 ユーリス・ベルクは、少し遅れてやって来た。


 今日は軽く手を振ったが、すぐに三人の手帳や紙片を見て、目を丸くした。


「おはよう。……なんか、みんな仕上げに来てるな」


「おはようございます」


 フィーネが少し恥ずかしそうに返す。


 アルトも紙片を抱え直す。


 ユーリスは二人を見て、苦笑した。


「俺も昨日、考えたんだよ。公開評価でどう動けば見栄えいいかなって」


「見栄え?」


 レオンが聞く。


「うん。標識持って走る時、無駄なく、軽く、ちゃんと見えるように。あと、軽口も減らした方がいいかなとか」


「それで?」


「紙には書かなかったけど、頭の中で演技みたいになった」


 ユーリスは少しだけ顔をしかめる。


「格好よく動こうとすると、たぶん俺、遅れる」


 その自己分析に、フィーネが微笑む。


「ユーリスさんらしいです」


「褒めてる?」


「はい」


「ならいいけど」


 ユーリスは噴水を見る。


「今日の共有。見栄えを気にして、軽さが演技になるかもしれない」


「良い共有だ」


 レオンは頷いた。


「本番で見せるのは、格好よさじゃない」


「戻る力だろ」


「ああ」


 ユーリスは少し笑った。


「了解。格好つけすぎたら止めてくれ」


    ◆


 四人は噴水のそばで、今日の状態を確認した。


 フィーネ。


 報告文を整えすぎて、崩れた時に戻れなくなるかもしれない。


 アルト。


 準備しすぎて、支援が重くなるかもしれない。


 ユーリス。


 見栄えを気にして、軽さが演技になるかもしれない。


 レオン。


 父へ示そうとして、班全体の形を整えすぎるかもしれない。


 レオンは三人を見る。


「今日は、形ではなく戻り方を見る」


 フィーネが頷く。


「整えた言葉より、崩れた時の共有」


 アルトも。


「全部の支援より、今必要な支援」


 ユーリスも。


「見栄えより、動きやすさ」


「それで行く」


 短い確認。


 だが、朝の緊張が少しだけ整理された。


    ◆


 東棟へ向かう道では、いつもより視線が多かった。


 公開評価課題の話が広がっているからだろう。


 すれ違う生徒たちは、第五班を見る。


 期待。


 不安。


 好奇心。


 同情。


 少しの興奮。


 そのすべてが混ざっている。


「公開評価、いつだろ」

「見学できるのかな」

「生徒代表だけらしいぞ」

「第五班、どう見せるんだろ」

「レオンが中心なら何とかなるんじゃない?」

「いや、第五班で示すって話だろ」


 第五班で示す。


 その言葉が生徒の口から出ていることに、レオンは少しだけ驚いた。


 昨日、自分たちが中庭で言った言葉。


 それが、もう誰かの口に乗っている。


 噂ではない。


 少しずつ広がる理解のようなもの。


 だが、それもまた圧になる。


 フィーネが小さく言う。


「今、きれいに見せなきゃと思いました」


「共有できた」


 アルトも。


「俺もです」


 ユーリスも。


「俺も格好つけそうになった」


 レオンは頷いた。


「今ここ」


 三人も頷く。


「今ここ」


    ◆


 教室に入ると、カイル・ローダンが待っていた。


 ハルト・グレイナーは腕を組んで、いつもより真面目な顔をしている。


「今日から準備だな」


 カイルが言う。


「ああ」


「最初に言っておく。見せるために変えるな」


 レオンは頷いた。


「わかっている」


「わかっていてもやる」


 カイルは淡々と言った。


「公開評価というだけで、人は普段の動きを整えようとする。整えること自体は悪くない。しかし、整えすぎると反応が遅くなる」


 ハルトも口を開く。


「型に入れすぎると、崩れた時に動けない」


「そういうことだ」


 カイルが頷く。


 ユーリスが少し笑う。


「ハルト、今日はわかりやすい」


「いつもわかりやすい」


「それはどうかな」


「ベルク」


「はい」


 少しだけ空気が緩む。


 カイルは続ける。


「本番で求められるのは、おそらく完成形ではない。ヴォルツ家が見たいのは、協力関係が実技上の成果と判断能力向上に繋がるかだ」


「つまり」


 フィーネが言う。


「崩れた時の戻り方も評価対象」


「そうだ」


 アルトが手帳に書く。


 崩れた時の戻り方も評価対象。


 その言葉は、今の第五班にとって重要だった。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ文字を書いた。


 公開準備。


 教室が静まる。


「第五班は、数日内に公開評価課題を行う」


 教師は言った。


「詳細な日時と形式は調整中だが、準備は本日より開始する」


 ざわめきは起きなかった。


 昨日で知っている者が多いのだろう。


 教師は続ける。


「公開評価において最も起きやすい失敗は、通常時の失敗ではない」


 一拍。


「見せるために普段と違うことをし、かえって崩れることだ」


 黒板に三つの言葉が書かれる。


 整える。

 演じる。

 鈍る。


「整えることは悪くない。だが、演じ始めると反応は鈍る」


 レオンは静かに聞いていた。


 今朝から考えていたことそのものだ。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「公開評価へ向け、第五班が磨くべきものは何だ」


 レオンは答えた。


「形ではなく、戻り方です」


 教師は続きを待つ。


「報告をきれいに整えることも、支援手順を準備することも必要です。ですが、本番で崩れた時に、整えた形へ戻ろうとしすぎると遅れます」


 一拍。


「第五班が示すべきなのは、最初から完璧な動きではなく、硬くなっても共有し、補正し、成果へ戻る過程です」


 教師は頷いた。


「良い」


 そして教室全体へ言った。


「評価の場に立つ者は覚えておけ。普段できないことを本番で見せようとするな。普段戻っているなら、その戻り方を磨け」


    ◆


 午前の演習は、公開準備第一段階。


 形式調整演習だった。


 課題そのものは、昨日と同じ複合演習に近い。


 標識移送。


 護送対象。


 魔法人形三体。


 障害壁二つ。


 ただし、今回は“公開用初期配置”として、見学席の位置、開始位置、終了後の報告位置が指定されていた。


 つまり、演習内容だけでなく、見られる形も入ってくる。


 それが、第五班をさらに硬くする。


 区画に入る前、アルトが小さく言った。


「見学席、まだ誰もいないのに見られてる感じがします」


「俺もだ」


 ユーリスが答える。


 フィーネは手帳を持てないため、胸の前で指を組んでいた。


 レオンは三人を見る。


「本番ではない。今日は、見られる形で硬くなる部分を確認する」


 三人が頷く。


 教師の合図。


 鐘が鳴る。


    ◆


 初期報告。


 フィーネは、朝に整えた文を使おうとした。


「正面前衛一、右軽量一、奥魔法型一、護送対象は左、状態黄色、障害壁中央および右、起動条件――」


 少し長い。


 その間に右軽量型が動く。


 フィーネ自身が気づく。


「報告、整えすぎました! 右軽量、接近!」


 レオンが即座に指示する。


「アルト、右軽量。ユーリス、護送対象。俺は前衛」


「はい!」

「了解!」


 アルトが土を出す。


 だが、朝に整理した支援手順を全部思い出そうとしたのか、土の形が複雑になった。


 発動が少し遅れる。


「支援、手順を考えすぎました! 単純足止めに戻します!」


 土が単純な壁へ変わる。


 右軽量が止まる。


 ユーリスは護送対象へ向かう。


 見学席の空席が視界に入り、彼は少し姿勢よく走りすぎた。


 動きが硬い。


「俺、見栄え気にしてる! 普通に走る!」


 姿勢が少し崩れる。


 だが、その方が速い。


 レオンは前衛型を受ける。


 父に見せる。


 記録に残る。


 そう思った瞬間、指示を格好よくまとめようとした。


 だが、フィーネが声を出す。


「レオンさん、言葉を選びすぎています!」


 戻る。


「短く行く。護送優先。標識は後」


 シンプルな指示。


 空気が戻る。


 奥魔法型が詠唱。


 フィーネが言う。


「魔法型、詠唱開始。水で乱せます!」


 アルトが返す。


「水、いきます!」


 詠唱が乱れる。


 ユーリスが護送対象を支える。


「護送黄色、揺れあり。支えすぎず進む」


 フィーネが補足。


「障害壁中央、起動気配。右壁はまだ」


 レオンが判断する。


「中央を避け、左へ。アルト、風弱支援」


「はい!」


 標識確保。


 護送対象を揺らさないように戻る。


 右壁が起動。


 フィーネが叫ぶ。


「右壁起動! 左維持!」


 ユーリスが頷く。


「了解。標識安定、護送少し揺れ」


 アルトが風を弱める。


「風、下げます」


 台座へ到達。


 護送対象、安定。


 標識設置。


 鐘が鳴った。


    ◆


 教師が近づく。


「第五班、評価、良」


 上ではない。


 だが、四人はすぐに崩れなかった。


 昨日も良い良を受け取ったからだ。


 教師は続ける。


「公開用配置による硬さが出た。ルーク、報告を整えすぎた。レイヴン、支援手順を複雑化させた。ベルク、見栄えを意識し動きが硬化した。ヴォルツ、指示を選びすぎた」


「はい」


 四人が答える。


「しかし、全員が課題中に自己申告し、通常の戻り方へ修正した」


 一拍。


「今日の目的は、公開用の美しい形を作ることではない。公開用配置でどこが硬くなるかを知ることだ。その意味では、良い良である」


 良い良。


 また、その言葉。


 レオンは少しだけ息を吐いた。


 今日必要だった評価だ。


 教師は言う。


「明日以降、公開用配置に慣らしていく。ただし、整えるのは外形ではなく、崩れた時の復帰手順だ」


    ◆


 訓練後。


 第五班は端に集まった。


 フィーネが少し肩を落としている。


「報告、長くなりました」


「自分で戻った」


 レオンが言う。


「はい。でも、本番だったらと思うと」


「今日わかったことだ」


 アルトも言う。


「俺も支援を複雑にしすぎました。紙片を全部思い出そうとして」


 ユーリスが苦笑する。


「俺も格好つけ走り、ひどかったな」


「普通に走った方が速かった」


 レオンが言うと、ユーリスは笑った。


「だよな。見栄え、役に立たない」


「まったくではない」


 フィーネが言う。


「見られる場なので、最低限の整えは必要だと思います。でも、それで動けなくなったら違う」


「そこだな」


 レオンは頷いた。


 整えることは悪くない。


 演じると鈍る。


 その線引きを、これから磨かなければならない。


    ◆


 昼休み。


 食堂では、公開評価準備の話題で持ちきりだった。


「第五班、今日も良評価だったって」

「上じゃないのか」

「でも良い良らしいぞ」

「またか」

「公開用配置で硬くなったけど、戻ったんだって」

「本番前に硬さ見つけるの大事だよな」

「見栄え気にして動き硬くなるの、わかるわ」


 第五班の席でも、四人はその話をしていた。


 アルトは紙片を減らしていた。


 全部持つのではなく、三枚だけ選んでいる。


「土、水、風。今日はこれだけにします」


「良い」


 レオンは頷いた。


 フィーネも手帳の報告文に線を引いていた。


「文章ではなく、項目にします。敵、護送、障害、標識。順番だけ」


 ユーリスは紙片に大きく書いた。


 普通に走る。


 それを見て、アルトが少し笑った。


「大事ですね」


「めちゃくちゃ大事」


 ユーリスは真顔で言った。


 少しだけ笑いが生まれる。


 レオンも手帳へ書いた。


 短く指示。

 格好よく言おうとしない。

 必要な言葉を出す。


    ◆


 放課後。


 中庭には、エリシア・フォン・ローゼンベルクがいた。


 今日は噴水のそばで、手帳を開いていた。


 レオンたちを見ると、静かに会釈する。


「皆様」


「エリシア様」


 フィーネが返す。


 エリシアは四人の表情を見て、少しだけ首を傾げた。


「今日は、少し疲れていらっしゃいますね」


「公開用配置で硬くなりました」


 ユーリスが正直に言う。


「見栄えを気にして、普通に走れなくなりました」


 エリシアは少し驚き、それから小さく笑った。


「普通に走ることも、大切なのですね」


「かなり」


 ユーリスは頷く。


 アルトが紙片を見せる。


「俺は準備しすぎて支援が重くなりました」


 フィーネも。


「私は報告を整えすぎました」


 レオンも言う。


「俺は指示を格好よくまとめようとした」


 エリシアは四人を見て、少しだけ柔らかく笑った。


「皆様、見せようとしていたのですね」


「ああ」


 レオンは認めた。


「でも、それでは戻る力が鈍る」


 エリシアは手帳へ視線を落とす。


「見せるために整えすぎると、戻る力が鈍る」


 彼女はそのまま書いた。


「この言葉、私も覚えておきたいです」


 フィーネが聞く。


「エリシア様も?」


「はい」


 エリシアは少しだけ目を伏せた。


「私も、ローゼンベルク家の詳細返答を待つ中で、家にどう見られるかを考えてしまいます。良い婚約者に見えるように、冷静な当事者に見えるように、整えすぎそうになる時があります」


 その言葉に、レオンは静かに息を吸った。


 エリシアもまた、見られる側だった。


 婚約者として。


 ローゼンベルク家の令嬢として。


 当事者として。


 彼女も整えようとしている。


「でも」


 エリシアは続けた。


「整えすぎると、私の怖さや嬉しさが、どこかへ行ってしまいます」


 フィーネが静かに頷く。


「わかります」


「だから、私も戻り方を磨きます」


 エリシアは手帳に書き足す。


 きれいに見せるより、怖い時に怖いと言って戻る。


 その文字を見て、アルトが小さく言った。


「俺たちと同じですね」


「はい」


 エリシアは微笑んだ。


「同じです」


    ◆


 その時、中庭の少し離れた場所で、生徒たちの会話が聞こえた。


「公開評価、第五班なら上手くやるんじゃない?」

「いや、今日良評価だったらしいぞ」

「本番大丈夫か?」

「でも良い良だって」

「良い良って何だよ」

「崩れて戻るやつじゃない?」


 崩れて戻るやつ。


 ずいぶん雑な説明だった。


 だが、間違ってはいない。


 ユーリスが小さく笑った。


「俺たち、崩れて戻るやつらしいぞ」


 アルトも少し笑う。


「雑ですけど、合ってますね」


 フィーネも微笑む。


「はい。合っています」


 レオンも、少しだけ口元を緩めた。


 崩れて戻るやつ。


 格好よくはない。


 だが、第五班らしい。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 第六十二話。


 見せるために整えた形は、戻る力を少し鈍らせる。


 朝。

 公開評価課題へ向けた本格準備。

 示す。

 父へ。

 学園へ。

 周囲へ。

 だが、見せようとすると形を整えたくなる。

 きれいな報告。

 整った支援。

 無駄のない動き。

 格好いい指示。

 しかし、第五班の強さは完成形ではない。

 崩れた時に戻ること。

 見せるために整えすぎると、戻る力が鈍る。

 磨くのは形ではなく、戻り方。


 フィーネ。

 報告文を整えた。

 本番でこの通りに言えなかったら失敗した気がしそう。

 見せるために言葉を整えすぎて、本番で戻れなくなるかもしれない。

 報告文を暗唱する班ではない。

 状態を共有する班。


 アルト。

 支援の紙片を大量に準備。

 不安で増やした。

 全部準備しようとして、紙が増えるほど怖くなる。

 準備しすぎて支援が重くなる。

 全部を持ち込まない。

 今必要な支援を選ぶ。


 ユーリス。

 見栄えを考えた。

 格好よく動こうとすると遅れる。

 見栄えを気にして、軽さが演技になるかもしれない。

 格好つけすぎたら止める。


 レオン。

 父へ示そうとして、班全体の形を整えすぎるかもしれない。

 形ではなく戻り方を見る。


 カイル。

 見せるために変えるな。

 整えること自体は悪くない。

 整えすぎると反応が遅くなる。

 崩れた時の戻り方も評価対象。


 ハルト。

 型に入れすぎると、崩れた時に動けない。


 講義。

 公開準備。

 見せるために普段と違うことをし、かえって崩れる。

 整える。

 演じる。

 鈍る。

 整えることは悪くない。

 だが、演じ始めると反応は鈍る。

 公開評価へ向け、第五班が磨くべきもの。

 形ではなく、戻り方。

 普段できないことを本番で見せようとするな。

 普段戻っているなら、その戻り方を磨け。


 午前演習。

 公開準備第一段階。

 形式調整演習。

 公開用初期配置。

 見学席。

 開始位置。

 終了後報告位置。

 フィーネ、報告を整えすぎて長くなる。

 アルト、支援手順を複雑化。

 ユーリス、見栄えを意識して動きが硬化。

 レオン、指示を選びすぎる。

 全員が自己申告し、通常の戻り方へ修正。

 評価、良。

 良い良。

 公開用配置でどこが硬くなるかを知ることに価値。

 整えるのは外形ではなく、崩れた時の復帰手順。


 昼。

 フィーネ、報告文を項目へ戻す。

 敵、護送、障害、標識。

 アルト、紙片を三枚に減らす。

 土、水、風。

 ユーリス、普通に走る。

 レオン、短く指示。格好よく言おうとしない。


 放課後。

 エリシア。

 皆様、見せようとしていたのですね。

 エリシアも、家にどう見られるかを考えて整えすぎそうになる。

 良い婚約者。

 冷静な当事者。

 整えすぎると、怖さや嬉しさがどこかへ行く。

 きれいに見せるより、怖い時に怖いと言って戻る。

 同じです。


 周囲の声。

 崩れて戻るやつ。

 雑だが、合っている。


 レオンはペンを止めた。


 今日は、上手く見せようとして全員が硬くなった。


 フィーネは報告を整えすぎた。


 アルトは支援を準備しすぎた。


 ユーリスは見栄えを意識した。


 レオンは指示を選びすぎた。


 全員、公開評価を意識していた。


 父に示す。


 学園に示す。


 周囲に示す。


 そう思った瞬間、普段の動きから少しずつ離れていった。


 だが、今日それがわかった。


 本番前にわかった。


 良い良。


 上ではない。


 けれど、今日必要だった評価。


 見せるために整えることは、悪くない。


 見られる場には、最低限の形も必要だ。


 だが、形のために戻れなくなれば意味がない。


 第五班が示すべきなのは、最初から完璧に整った姿ではない。


 崩れた時、どう戻るか。


 硬くなった時、どう言葉にするか。


 支援が重くなった時、どう軽くするか。


 軽さが演技になった時、どう本来の動きへ戻るか。


 それを成果へ繋げることだ。


 レオンは最後に一行を書く。


 見せるために整えた形は、戻る力を少し鈍らせる。


 その下に、もう一行。


 だから本番へ向けて磨くのは、きれいな完成形ではなく、崩れた時に戻る手順だ。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 星は少しだけ見える。


 公開評価課題の日は、まだ正式に決まっていない。


 だが、近い。


 おそらく数日内。


 父の返答。


 学園の評価。


 生徒代表の視線。


 そのすべてが、第五班へ向かってくる。


 怖い。


 だが、今日の怖さは、昨日とは少し違う。


 見せるために整えるのではなく、戻る力を磨く。


 その方向が見えた。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、昼に聞こえた雑な声を思い出す。


 崩れて戻るやつ。


 少し笑いそうになる。


 格好よくはない。


 だが、それでいい。


 第五班は、崩れて戻る。


 それを、今度は公開の場で示す。


 噴水の水音を思い出す。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 整いすぎていない。


 でも、続いている。


 その音のように。


 明日も、戻り方を磨く。

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