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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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第四十五話 



 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、久しぶりに青かった。


 雲はある。


 けれど、昨日までのように低く垂れ込めてはいない。


 高い場所で薄く伸び、朝日に縁を照らされながら、ゆっくりと流れている。


 中庭の芝には、まだ夜露が残っていた。


 けれど、光を受けた雫は重たく沈むのではなく、小さな粒として葉先で輝いている。


 噴水の水音も、今日は少し近い。


 跳ねて。


 落ちて。


 また跳ねる。


 いつもと同じ音。


 だが、レオン・ヴォルツの胸には、昨日の一次所見の言葉がまだ残っていた。


 完成度の高い安定型の班ではない。


 その言葉は痛かった。


 思い出すだけで、胸の奥に小さな棘が刺さる。


 だが同時に、続く言葉もあった。


 失敗や動揺を班内で修正材料として扱い、次回行動へ反映する力が顕著に伸長している。


 学業上の協力関係として有効性が認められる。


 痛い言葉と、救いになる言葉。


 どちらも書かれていた。


 都合よく飾られていない。


 だからこそ、誠実だった。


 そして昨日、エリシアは言った。


 記録は、皆様を説明するものです。


 でも、皆様の代わりに生きるものではありません。


 レオンは、机の上の手帳を見下ろした。


 昨夜、最後に書いた言葉。


 書かれた言葉を受け取りながら、書かれなかったものを自分たちで忘れずに持つ。


 その言葉を、今朝は何度も読み返した。


 一次所見は外へ出るかもしれない。


 ヴォルツ家が見るかもしれない。


 ローゼンベルク家が見るかもしれない。


 学園の上層部が見るかもしれない。


 そこには、第五班の一部が書かれる。


 失敗。


 動揺。


 修正。


 有効性。


 戻る力。


 だが、そこに書かれた自分たちを演じてはいけない。


 “戻る力のある班”らしく動こうとしすぎれば、きっと不自然になる。


 “有効性が認められる協力関係”らしく振る舞おうとしすぎれば、息が詰まる。


 記録に合わせて自分たちを作るのではない。


 自分たちが積み上げたものが、結果として記録になる。


 その順番を、今日も間違えてはいけない。


 レオンは制服の襟を整えた。


 灰色の制服。


 いつも通りの朝。


 けれど、今日の課題は見えている。


 自然体でいること。


 それは、思ったより難しい。


    ◆


 寮の廊下へ出ると、空気は昨日より穏やかだった。


 一次所見の話はまだ残っている。


 だが、昨夜のうちに多くの生徒が咀嚼したのだろう。


 露骨なざわめきは少ない。


 代わりに、少し距離を置いた評価の声が聞こえる。


「第五班、安定型じゃないけど戻る力があるって所見だったんだろ」

「それ、かなり正直だよな」

「完璧って書かれるより信用できるかも」

「でも本人たちはきついだろ」

「所見を聞いたあと動きが硬くなったらしい」

「そりゃ硬くなるよな。自分たちのこと文字で読まれるんだぞ」


 レオンは歩きながら、その声を聞き流した。


 昨日なら、胸に少し深く刺さっていたかもしれない。


 今日は、少しだけ違った。


 声はある。


 視線もある。


 だが、自分たちの中には、自分たちの記録がある。


 外の声だけで、すべてが決まるわけではない。


 そう思えるようになった分、少しだけ足取りは軽かった。


 完全に軽いわけではない。


 だが、昨日よりは歩ける。


    ◆


 中庭には、フィーネ・ルークがいた。


 噴水の近く。


 手帳を開いている。


 だが、今日は必死に書いているわけではない。


 書いては空を見上げ、また少しだけ書く。


 その動きが、昨日より自然に見えた。


「おはようございます」


 フィーネが顔を上げる。


「ああ。おはよう」


 レオンは隣に立った。


「今日は少し落ち着いているな」


 フィーネは手帳を閉じ、小さく笑った。


「そう見えますか」


「ああ」


「少しだけ、です」


 一拍。


「昨日は、一次所見に合わせてちゃんとしなきゃと思いました。でも、夜に書いていたら、それだとまた声が硬くなると思って」


「そうだな」


「だから今日は、ちゃんとしすぎないようにしようと思います」


 フィーネらしい、少し真面目な矛盾だった。


 ちゃんとしすぎないように、ちゃんとする。


 レオンは少しだけ口元を緩めた。


「難しそうだな」


「はい。すごく難しいです」


 フィーネも少し笑う。


 だが、すぐに表情を整えた。


「でも、昨日の記録に“声が震えた。でも言えた”って書いたんです」


「ああ」


「なら、今日も震えないようにするんじゃなくて、震えても言えるようにしたいです」


 その言葉は、自然だった。


 記録に合わせて作った言葉ではない。


 彼女自身の中から出た言葉だった。


「良い」


 レオンが言うと、フィーネは静かに頷いた。


    ◆


 アルト・レイヴンは、少しだけ息を弾ませてやって来た。


 走ってきたわけではない。


 だが、何かを決めてきたような顔をしていた。


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます、アルトさん」


 フィーネが返す。


 アルトは二人の前で立ち止まり、手帳を開いた。


「今日の目標、書いてきました」


「何だ」


 レオンが聞く。


 アルトは少し恥ずかしそうにしながらも、はっきり読んだ。


「良く見せようとしすぎない。失敗しない支援じゃなくて、戻れる支援をする」


 フィーネが柔らかく微笑む。


「すごくいいですね」


「ありがとうございます」


 アルトは照れながら手帳を閉じる。


「昨日、一次所見を聞いた後、俺、所見に良く残る支援をしなきゃって思いました」


「ああ」


「でも、それだとたぶん、支援が硬くなります」


「なるだろうな」


「だから今日は、いつも通りを目指します」


 アルトはそこで一度言葉を止めた。


「でも、いつも通りって、難しいですね」


「そうだな」


 レオンは頷いた。


 自然体。


 いつも通り。


 それは、意識した瞬間に少し崩れる。


 何も考えない自然体ではない。


 考えた上で、必要以上に自分を飾らないこと。


 それを掴むには、まだ時間がかかる。


「難しいなら、難しいと共有しろ」


 レオンが言う。


 アルトは笑った。


「はい。今日も共有します」


    ◆


 ユーリス・ベルクは、今日は口笛を吹きながら来た。


 あまりに自然な調子だったので、アルトが少し驚いた顔をする。


「おはよう」


「ああ」


「おはようございます」


「おはようございます」


 ユーリスは三人の顔を見る。


「うん。昨日より顔がいいな」


「お前は軽いな」


 レオンが言うと、ユーリスは肩をすくめた。


「今日は必要な軽さの日だと思って」


 フィーネが小さく笑う。


「自分で決めてきたんですか」


「決めてきた。昨日、所見に残る自分を演じるって話になっただろ」


「ああ」


「じゃあ俺が真面目にしすぎると、逆に変だなと思って」


 ユーリスは少し真面目な顔になる。


「もちろん、ふざけるつもりはない。でも、いつもの俺が消えたら、それも第五班じゃないだろ」


 その言葉に、三人は黙った。


 確かにそうだった。


 フィーネの震えながらも出す声。


 アルトの迷いながらも戻る支援。


 ユーリスの必要な軽さ。


 レオンの判断と、時々抱え込みすぎる癖。


 それら全部が第五班だ。


 きれいに整えすぎれば、第五班ではなくなる。


「そうだな」


 レオンは頷いた。


 ユーリスは満足そうに笑う。


「だから今日は、自然体で行く」


「自然体を宣言するのも変だな」


「言うな。俺も思った」


 少し笑いが起きた。


 その笑いは、今日の朝に必要なものだった。


    ◆


 東棟へ向かう道は、いつもより少し明るく感じた。


 実際に空が晴れているからだけではない。


 四人の足取りが、昨日より自然だった。


 もちろん、視線はある。


 一次所見を受けた班。


 ヴォルツ家から条件付きで認められた協力関係。


 ローゼンベルク家の確認対象。


 そういう目で見られている。


 けれど、四人はそれぞれの歩幅を取り戻しつつあった。


 フィーネは無理に背筋を張りすぎていない。


 アルトは手帳を握りしめすぎていない。


 ユーリスは軽口を一つ二つ挟む。


 レオンも、それを止めない。


「今日の課題、なんだろうな」


 ユーリスが言う。


「一次所見の後だから、自然体確認演習とかありそうですね」


 フィーネが冗談めかして言う。


 アルトが少し笑う。


「本当にありそうです」


 レオンは小さく息を吐いた。


「教師ならやるかもしれない」


「やめてくれ。冗談が現実になる」


 ユーリスが言う。


 その時、近くにいた生徒が少し笑った。


 以前なら、第五班の会話に周囲が笑うことは少なかった。


 今は少し違う。


 緊張の中心にいる班。


 だが、ただの噂の対象ではなく、同じ学園で課題に向き合う班として見られ始めている。


 それも、小さな変化だった。


    ◆


 教室に入ると、ハルト・グレイナーがこちらを見た。


 今日は腕を組んでいない。


 机に座り、昨日の紙をまた見ている。


 第七班の妨害記録だろう。


 カイル・ローダンも近くにいる。


「お前たち」


 ハルトが言った。


「昨日よりマシな顔だな」


「お前もな」


 レオンが返す。


 ハルトは少し眉を寄せる。


「俺はいつも通りだ」


「昨日は照れていた」


「忘れろ」


 ユーリスが即座に笑う。


「無理だな。ハルトが照れるって言ったの、かなり貴重だし」


「ベルク」


「はいはい、黙る」


 ユーリスは口を閉じる仕草をした。


 だが、笑っている。


 カイルが静かに言う。


「昨日の一次所見を受けて、今日はどう動くかが重要だ」


「やはりそこか」


 レオンが言う。


「ああ。所見に合わせて動きすぎれば硬くなる。無視すれば同じ失敗を繰り返す」


 カイルはいつも通り冷静だ。


「受け取るが、演じない。その線引きが必要だ」


「受け取るが、演じない」


 フィーネが小さく繰り返す。


「良い言葉ですね」


「事実だ」


 カイルは少しだけ目を逸らした。


 褒められることに慣れていないのは、彼も同じらしい。


 ハルトが口を挟む。


「面倒なら、目の前の課題をやればいい」


「それも必要だ」


 カイルが頷く。


「ただし、目の前だけ見て所見を忘れるのも違う」


「本当に面倒だな」


「だから練習する」


 カイルのその言葉に、レオンは頷いた。


 受け取るが、演じない。


 今日の中心は、それだ。


    ◆


 一限目。


 教師は教室へ入ると、迷わず黒板へ向かった。


 チョークが走る。


 書かれた文字を見た瞬間、ユーリスが小さく肩を震わせた。


 自然体。


 フィーネが目を丸くする。


 アルトがいれば、たぶん同じ顔をしただろう。


 レオンも、思わず少しだけ息を吐いた。


 本当に来た。


 教師は教室を見渡す。


「昨日、一次所見を共有した」


 静かな声。


「所見は受け取るべきものだ。だが、所見に合わせて自分を演じるためのものではない」


 カイルの言葉と重なる。


 受け取るが、演じない。


「自然体とは、何も考えないことではない」


 教師は続ける。


「自分の課題を知った上で、必要以上に飾らず、必要以上に怯えず、今の役割へ戻ることだ」


 教室は静かだった。


 誰も笑わない。


 “自然体”という柔らかい言葉なのに、内容は重い。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「一次所見を受けた後、自然体で動くために必要なことは何だ」


 レオンは少し考えた。


 フィーネの言葉。


 アルトの目標。


 ユーリスの軽さ。


 カイルの助言。


 ハルトの単純さ。


 それらを思い出す。


「所見を無視しないこと」


 まず、そう答えた。


「だが、所見に合わせて良く見せようとしないことです」


 教師は黙って続きを待つ。


「例えば、第五班は戻る力が伸びていると所見を受けました。だからといって、“戻る力のある班らしく”動こうとすれば硬くなります」


 一拍。


「戻る必要がある時に戻る。迷ったら共有する。指摘されたら修正する。それを普段通りに積むことが必要だと思います」


 教師は頷いた。


「良い」


 短い評価。


「全員、覚えておけ。評価された長所を演じ始めた瞬間、その長所は不自然になる」


 その言葉は、教室に深く沈んだ。


    ◆


 午前の課題は、自然体確認演習だった。


 名前を聞いた瞬間、ユーリスは額に手を当てた。


「本当に来た」


 フィーネも少し困ったように笑う。


「予想通りでしたね」


 アルトは下位クラス側から合流し、話を聞いて目を丸くした。


「本当に自然体確認演習なんですか」


「ああ」


 レオンは頷いた。


 課題内容は、一見すると普通の標識移送だった。


 標識一つ。


 魔法人形三体。


 障害壁あり。


 ただし、演習中に教師が一次所見の言葉を読み上げる。


 その言葉を聞いても、自分たちを過剰に変えず、必要な修正だけを行えるかを見る。


 つまり、昨日の一次所見を“意識しすぎない訓練”だった。


 区画へ入る前、レオンは三人を見る。


「今日の成果は、自然体を演じないこと」


 ユーリスが笑う。


「難しい言い方だな」


「だが、そうだ」


 フィーネが頷く。


「震えたら、震えたまま言います」


 アルトも。


「支援が硬くなったら、硬いって言います」


 ユーリスは軽く手を上げる。


「俺は軽さを消しすぎない」


 レオンは頷いた。


「俺は、所見を意識して判断を重くしすぎない」


 四人の目が合う。


 教師の合図。


 演習開始。


    ◆


 標識は中央奥。


 魔法人形三体。


 前衛型、軽量型、魔法型。


 最初の動きは悪くなかった。


 フィーネが声を出す。


「正面前衛一、右奥に魔法型。軽量型は標識付近。障害壁は未起動です」


 アルトが土を出す。


 ユーリスが標識へ向かう。


 レオンが前衛型を受ける。


 その時、教師の声が響いた。


「一次所見。第五班は初期段階で役割認識の不安定さが見られた」


 フィーネの声が一瞬硬くなる。


 アルトの土が少し広がる。


 レオンの判断も一瞬重くなりかける。


 だが、ユーリスが言った。


「今は役割、見えてる」


 短い声。


 軽いようで、的確だった。


 フィーネが息を吸う。


「はい。私、状況共有続けます。軽量型、標識に接近」


 アルトが土を絞る。


「足止め、範囲調整」


 レオンは前衛型を流す。


「ユーリス、標識へ」


「了解」


 動きが戻る。


 教師の声が続く。


「一次所見。外圧への反応が見られる」


 アルトが少し反応する。


 自分のことだと思ったのだろう。


 支援が弱くなりかける。


 だが、彼は自分で言った。


「反応しました。でも支援続けます」


 風が戻る。


 フィーネが声を重ねる。


「アルトさん、支援安定しています」


「はい!」


 魔法型が詠唱を始める。


 ユーリスが標識へ手を伸ばす。


 教師の声。


「一次所見。判断遅延が確認された場面あり」


 今度は、レオンの胸に刺さる。


 B発見時の迷い。


 判断停滞。


 その言葉が戻る。


 前衛型を倒すか、流すか。


 魔法型へ向かうか、標識確保を優先するか。


 一瞬、考えが重くなった。


 その瞬間、フィーネが言う。


「レオンさん、今は魔法型詠唱中。標識確保を優先できます。詠唱完了まで余裕少し」


 情報が入る。


 レオンは戻る。


「アルト、水で詠唱を乱せ。ユーリス、標識確保」


「はい!」

「了解!」


 アルトの水が走る。


 魔法型の詠唱が乱れる。


 ユーリスが標識を取る。


 障害壁が起動。


 戻りの道が塞がれる。


 教師の声。


「一次所見。失敗や動揺を修正材料として扱う力が伸長」


 良い所見。


 だが、それを聞いた瞬間、四人が少しだけ安心しかけた。


 軽量型が横から回り込む。


「軽量型!」


 フィーネが叫ぶ。


 ユーリスが標識を抱え直す。


 レオンが前に出る。


 アルトが風を入れる。


 危ない。


 良い所見に安心して、一瞬見落とした。


 ユーリスが苦笑する。


「褒められて油断した!」


「言わなくていい!」


 フィーネが返す。


 でも、そのやり取りで空気が戻る。


 レオンは軽量型を流す。


 標識が台座へ向かう。


 最後に教師の声。


「一次所見。学業上の協力関係として有効性が認められる」


 その言葉は重く、同時に温かかった。


 アルトの目が揺れる。


 フィーネの声が少し震える。


 ユーリスの足取りが少しだけ軽くなる。


 レオンも胸が動く。


 だが、今は台座。


「最後まで」


 レオンが言う。


 ユーリスが頷く。


「置く」


 標識が台座へ置かれる。


 鐘が鳴った。


    ◆


 訓練棟には、静かな息の音が広がった。


 派手な演習ではない。


 だが、見ていた生徒たちはわかっていた。


 一次所見を読み上げられながら動くことが、どれほど難しいか。


 教師が近づく。


「第五班、評価、上」


 四人が姿勢を整える。


「所見への反応はあった。特に判断遅延、外圧反応、有効性の文言で動揺が見られた」


「はい」


 レオンは答える。


「だが、過剰に演じる方向へは流れなかった。良い所見を受けて安心し、軽量型への反応が遅れた場面は課題」


「はい」


「ただし、その直後の立て直しは良い。ベルクの軽口、ルークの返答、レイヴンの支援復帰、ヴォルツの進路確保。自然な戻りだった」


 自然な戻り。


 その言葉に、四人の胸が少しだけ緩む。


「今日の所見としては」


 教師は続けた。


「第五班は、一次所見を受け取った上で、自分たちを過剰に演じず課題へ戻る力を示した」


 それは、今日欲しかった言葉だった。


    ◆


 訓練後。


 第五班は端に集まった。


 ユーリスが真っ先に息を吐く。


「いや、自然体って難しいな」


「本当に」


 フィーネが頷く。


「私、最初の所見で声が硬くなりました」


「俺も外圧への反応って言われた時、支援が弱くなりました」


 アルトが言う。


 レオンも正直に言った。


「判断遅延で止まりかけた」


 少し沈黙。


 だが、沈みきらない。


 ユーリスが軽く笑う。


「でも、戻ったな」


「ああ」


 フィーネが言う。


「良い所見で安心して油断したのは、反省ですね」


「褒められて油断した」


 ユーリスが自分で繰り返す。


「記録に残ったら嫌だな」


「残るかもしれない」


 レオンが言うと、ユーリスは顔をしかめた。


「やめろよ」


 アルトが小さく笑う。


 その笑いが自然だった。


 フィーネも笑った。


 レオンも、少しだけ肩の力を抜いた。


 この空気は、記録に残らないかもしれない。


 だが、確かに第五班を戻している。


    ◆


 昼休み。


 食堂では、自然体確認演習の話題が広がっていた。


「第五班、一次所見読み上げられながら演習したらしい」

「きつすぎる」

「でも上評価だって」

「所見に合わせて演じなかったって」

「褒められて油断したらしいぞ」

「それはちょっと人間味あるな」

「第五班、最近ちょっと見やすくなったよな」


 見やすくなった。


 その声を聞いて、アルトが少し首を傾げる。


「見やすくなったって、どういう意味でしょう」


 ユーリスがパンを割りながら言う。


「たぶん、完璧な班じゃないってわかったからじゃないか」


「それ、いいことですか?」


「場合によるけど、悪くはないと思う」


 フィーネが頷く。


「完璧に見えるより、戻っているところが見える方が、近く感じるのかもしれません」


 レオンは静かに聞いていた。


 第五班は、注目されている。


 だが、少しずつ見られ方が変わっている。


 噂の対象。


 問題の中心。


 成果を求められる班。


 記録される班。


 そして今は、戻る班。


 その見られ方に飲まれてはいけない。


 だが、悪い変化ではない。


「見られ方に合わせるな」


 レオンは言った。


「だが、見られ方が変わっていることは知っておく」


 三人が頷いた。


    ◆


 放課後。


 中庭の回廊に、エリシア・フォン・ローゼンベルクがいた。


 今日は、昨日より少し表情が明るい。


 けれど、疲れは残っている。


 レオンたちに気づくと、彼女は静かに会釈した。


「皆様」


 フィーネ、アルト、ユーリスも足を止める。


 エリシアは四人を見て、少しだけ微笑んだ。


「今日の演習、見ていました」


「自然体確認演習ですか」


 フィーネが聞く。


「はい」


 エリシアは頷く。


「とても難しそうでした」


 ユーリスが苦笑する。


「難しかったです。自然体って言われると、自然じゃなくなります」


 エリシアは小さく笑った。


「わかる気がします」


 その笑いは、久しぶりに少し柔らかかった。


 アルトが緊張しながらも言う。


「俺、外圧への反応って所見で支援が弱くなりました」


 エリシアは彼を見る。


「でも、戻していましたね」


「はい。なんとか」


「それで良いのだと思います」


 アルトは少しだけ目を開いた。


 エリシアは続ける。


「所見を受け取って、まったく揺れない方が不自然です。揺れて、それでも戻るから、第五班なのだと感じました」


 フィーネの目が揺れる。


 ユーリスも静かに聞いている。


 レオンも、その言葉を受け取った。


 揺れて、それでも戻るから、第五班。


 それは、記録より少し柔らかい言葉だった。


「エリシア様」


 レオンが言う。


「ありがとうございます」


「必要だから、ですね」


「はい」


 エリシアは少しだけ笑う。


「私も、少しずつ慣れてきました」


「何にですか」


「必要だから、という言葉に」


 その言葉に、フィーネが小さく笑う。


 アルトも少しだけ笑った。


 ユーリスは軽く肩をすくめる。


「レオンの口癖みたいになってますからね」


「そうか」


 レオンは少し困った。


 エリシアは穏やかに言う。


「でも、悪い言葉ではありません」


 一拍。


「必要だから、言う。必要だから、書く。必要だから、受け取る」


 そして、少しだけ真面目な顔になる。


「必要だから、無理をしないこともあるのだと思います」


 その言葉に、全員が静かになった。


 無理をしないことも、必要。


 成果を求められ、記録され、所見を受け取る今の第五班にとって、それは大切な言葉だった。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 今日の記録を書く。


 第四十五話。


 自然体でいることが、いちばん難しい日もある。


 朝。

 一次所見に合わせて自分たちを演じない。

 記録に合わせて自分たちを作るのではない。

 自分たちが積み上げたものが、結果として記録になる。


 フィーネ。

 ちゃんとしすぎないようにする。

 震えないようにするのではなく、震えても言えるようにする。


 アルト。

 良く見せようとしすぎない。

 失敗しない支援ではなく、戻れる支援をする。


 ユーリス。

 必要な軽さ。

 いつもの自分が消えたら、それも第五班ではない。


 カイル。

 受け取るが、演じない。


 ハルト。

 目の前の課題をやればいい。

 ただし所見を忘れすぎてもいけない。


 講義。

 自然体。

 何も考えないことではない。

 自分の課題を知った上で、必要以上に飾らず、必要以上に怯えず、今の役割へ戻ること。

 評価された長所を演じ始めた瞬間、その長所は不自然になる。


 午前課題。

 自然体確認演習。

 一次所見の文言を読み上げられながら標識移送。

 役割認識の不安定さ。

 外圧への反応。

 判断遅延。

 修正材料として扱う力。

 有効性。

 それぞれに揺れる。

 良い所見で安心し、軽量型への反応が遅れる。

 でも戻る。

 評価、上。

 一次所見を受け取った上で、自分たちを過剰に演じず課題へ戻る力を示した。


 昼。

 見られ方が変わっている。

 完璧な班ではなく、戻る班として見られ始める。

 合わせすぎない。


 放課後。

 エリシア。

 揺れて、それでも戻るから、第五班なのだと感じた。

 必要だから、無理をしないこともある。


 レオンはペンを止めた。


 自然体でいることが、こんなに難しいとは思わなかった。


 一次所見を無視することはできない。


 だが、所見に合わせて自分を演じることも違う。


 戻る力があると書かれたから、戻る力のある班を演じる。


 有効性が認められたから、有効な協力関係らしく振る舞う。


 そうなった瞬間、自分たちは不自然になる。


 今日の演習では、何度も揺れた。


 悪い所見で硬くなり、良い所見で油断した。


 それでも戻った。


 たぶん、それでいい。


 揺れないことではない。


 揺れても、戻ること。


 それが第五班なのだと、エリシアは言った。


 レオンは最後に一行を書く。


 自然体でいることが、いちばん難しい日もある。


 その下に、もう一行。


 それでも、飾らず、怯えすぎず、今の役割へ戻ることを積み上げていく。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 今日は星が少し見える。


 雲の切れ間から、小さな光が滲んでいる。


 正式記録はまだ完成していない。


 外部への提出も、これからだ。


 ヴォルツ家の注視も続く。


 ローゼンベルク家の確認も終わりきってはいない。


 それでも、今日の第五班は少しだけ自然に戻れた。


 フィーネは震えを消さずに声を出すことを選んだ。


 アルトは失敗しない支援ではなく、戻れる支援を選んだ。


 ユーリスは必要な軽さを残した。


 レオンも、判断遅延の言葉に飲まれかけながら、戻った。


 明日もまた、何かを言われるだろう。


 何かが記録されるだろう。


 何かが書かれずに残るだろう。


 それでも。


 記録に合わせて生きるのではなく。


 自分たちが生きたものを、記録に残していく。


 その順番だけは、忘れないようにしたい。


 レオンは手帳を閉じた。


 灯りを落とす。


 暗闇の中で、今日の中庭の笑い声が微かに残っていた。


 それはきっと、正式記録には残らない。


 けれど、第五班には必要な音だった。

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