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無銘の剣と灰色の制服  作者: 伊佐波瑞樹


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29/81

第二十九話



 翌朝。


 王立グランセル魔導学園の空は、澄んでいた。


 昨日の雨も、勝利の熱も、夜のうちに少しだけ冷えたように見える。


 濡れていた石畳は乾き、朝日を受けて薄く白く光っていた。


 中庭の芝にはまだ雫が残っている。


 噴水の水音は、いつも通り静かだった。


 何も変わらない朝。


 けれど、レオン・ヴォルツは知っていた。


 何も変わらないように見える朝ほど、前日までの変化が静かに沈んでいる。


 昨日、レオンは勝利のあとを受け取った。


 カイルとの模擬戦に勝った翌日、第五班としていつも通り動き、勝利を特別な場所に置きっぱなしにしなかった。


 教師は評価した。


 第五班は乱れていない、と。


 フィーネは安心した。


 ユーリスは、勝った後に調子に乗らないと書いた。


 アルトは、第五班の時間を自分の力にすると書いた。


 エリシアは、レオンが遠くへ行ったのではなく、得たものを持ち帰ったのだと受け取ろうとしていた。


 少しずつ。


 本当に少しずつ。


 勝利の意味は、形を変えながら周囲へ広がっている。


 それは良いことのはずだった。


 評価される。


 理解される。


 認められる。


 自分だけでなく、第五班も。


 けれど、レオンの胸には朝から小さな重さがあった。


 評価が積み上がるほど、逃げ道は消えていく。


 もう、ただの偶然とは言えない。


 たまたま噛み合っただけとも言えない。


 第五班は何度も結果を出した。


 レオンは個人戦でも勝った。


 フィーネは指示役として評価された。


 ユーリスは標識保持と状況判断で安定している。


 アルトは支援役として、記録に残る成果を出した。


 それらが積み上がる。


 積み上がれば積み上がるほど、周囲は次を求める。


 もっと強い第五班を。


 もっと変わったレオンを。


 あるいは、どこかで崩れる瞬間を。


 評価は、時に盾になる。


 だが同時に、逃げ道を塞ぐ壁にもなる。


 レオンは手帳を閉じた。


 今日も、進むしかない。


    ◆


 寮を出ると、廊下はいつもより少し静かだった。


 昨日ほどの熱気はない。


 カイルとの模擬戦の話題も、少し落ち着き始めている。


 だが、完全には消えていない。


「昨日の第五班、普通に動いてたらしい」

「レオン、勝った翌日も前に出すぎなかったって」

「本当に変わったんだな」

「カイルも今日は大人しかったし」

「上位クラス、ちょっと空気変わったよな」


 空気が変わった。


 その言葉が、朝から何度も耳に入る。


 レオンは歩きながら、少しだけ眉を寄せた。


 空気が変わること自体は悪くない。


 だが、変化した空気には必ず反動がある。


 ハルトも変わった。


 カイルも変わろうとしている。


 上位クラスの一部は、それを前向きに受け取り始めている。


 だが、全員がそうではない。


 上位クラスとは、誇りの場でもある。


 順位。


 家柄。


 実績。


 周囲からの評価。


 それらに支えられている者たちにとって、急な変化は脅威にもなる。


 まして、その中心に平民特待生のアルトがいると見られれば、なおさらだ。


 中庭へ出ると、アルトがいた。


 今日も早い。


 最近、彼は本当に早く来るようになった。


 手帳を片手に持ち、噴水の近くで立っている。


 ただ、今日は開いていなかった。


 閉じたまま、胸元で持っている。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 アルトは少しだけ笑った。


 だが、すぐに視線を落とす。


「今日は読まないのか」


 レオンが聞くと、アルトは手帳を見た。


「読みました。部屋で」


「そうか」


「でも、今日は……読むより、持っていたくて」


 その言い方が少し気になった。


 レオンは足を止める。


「何か言われたか」


 アルトは一瞬、迷った顔をした。


 だが、すぐに首を振る。


「今日は、直接は何も」


「なら、なぜ」


「評価が残るのが、少し怖くなりました」


 小さな声だった。


 レオンは黙る。


 アルトは手帳を見つめながら続けた。


「最初は、できたことを書けるのが嬉しかったんです。自分が戦力だって、ちゃんと残せるから」


「ああ」


「でも、書けば書くほど……次もできなきゃって思うようになって」


 その言葉は、レオンの胸に静かに落ちた。


 評価が積み上がる重さ。


 アルトにも来た。


 当然だ。


 彼は支援役として評価された。


 教師に認められた。


 レオンたちにも認められた。


 手帳にも書いた。


 俺は戦力。


 その言葉は支えになる。


 だが同時に、次も戦力でなければならないという圧にもなる。


「昨日の夜、風がうまく出なかったらどうしようって考えてました」


 アルトは苦笑する。


「まだ演習でもないのに」


「当然だ」


 レオンが言う。


 アルトが顔を上げる。


「え?」


「評価された者は、次を考える」


 一拍。


「怖くなるのは、普通だ」


 アルトは少しだけ目を見開いた。


「レオンさんでも、怖くなりますか」


「ああ」


 即答だった。


 以前なら、言わなかったかもしれない。


 だが、今は言える。


「評価されれば、次を求められる。できたことが増えれば、できなかった時の痛みも増える」


 アルトは黙って聞いている。


「だが、それを怖がることと、逃げることは違う」


「逃げること……」


「怖いなら、怖いまま確認すればいい。今日も風を細く出す。水を広げすぎない。土を必要な分だけ使う」


 一拍。


「特別なことをしようとするな」


 アルトは、手帳を握る手の力を少し抜いた。


「……はい」


「手帳は、お前を追い詰めるためのものじゃない」


 レオンは言った。


「戻るためのものだ」


 アルトの表情が揺れる。


 そして、ゆっくり頷いた。


「はい」


 その返事は、少しだけ軽くなっていた。


    ◆


 フィーネとユーリスが合流したのは、そのすぐ後だった。


 フィーネは少しだけ息を弾ませている。


 ユーリスは、いつものように軽く手を振った。


「おはよう」


「おはようございます」


「ああ」


「おはようございます」


 四人が揃う。


 その瞬間、近くを通った生徒たちがまたこちらを見る。


 だが、今日の視線は昨日とは少し違っていた。


 疑いよりも、観察に近い。


 第五班が今日どう動くのか。


 昨日の勝利後も安定したという評価が、本当に続くのか。


 そう見られている。


 フィーネがそれに気づき、少しだけ肩を硬くした。


 レオンは見る。


「フィーネ」


「はい」


「お前もか」


 フィーネは苦笑した。


「わかりますか」


「ああ」


「昨日、勝利後も声を丁寧にって書いたんです。でも、今日になったら……丁寧にしなきゃって思いすぎて」


「言葉が遅れるかもしれない?」


「はい」


 ユーリスが頭を掻く。


「俺も似た感じ。調子に乗らないって書いたら、逆にどこまで軽くしていいかわからなくなった」


「お前もか」


 レオンが言うと、ユーリスは苦笑した。


「評価とか反省って、便利だけど重いな」


「そうだな」


 レオンは頷く。


 本当にそうだ。


 書くことで残る。


 残ることで戻れる。


 だが、残ることで背負う。


 手帳も、評価も、言葉も。


 全部、使い方を間違えると足を重くする。


「今日は、反省を守る日じゃない」


 レオンは言った。


 三人がこちらを見る。


「反省を使う日だ」


 フィーネが少し目を開く。


「使う」


「ああ。丁寧にしなきゃ、ではなく、必要な時に丁寧にする。調子に乗らない、ではなく、場に合わせて軽くする。風を失敗しない、ではなく、風を確認する」


 アルトが小さく呟く。


「守るんじゃなく、使う」


「そうだ」


 ユーリスが笑った。


「それ、いいな。手帳に書きたい」


「食後だ」


「まだ朝だぞ」


「なら後で書け」


 フィーネが小さく笑った。


 アルトも少しだけ表情を緩める。


 空気が戻る。


 完全ではない。


 でも、戻った。


 それでいい。


    ◆


 教室へ向かう途中、上位クラスの廊下にはいつもと違う張りがあった。


 昨日の勝敗が、まだ残っている。


 カイルは敗北を認めた。


 ハルトは次はいずれ自分もやると言った。


 レオンは勝った。


 だが、それだけではない。


 教師が、勝利後と敗北後の受け取り方を講義で扱ったことで、上位クラス全体が少し自分の立ち位置を考え始めている。


 誰かに負けた時、自分はどうするのか。


 誰かが評価された時、自分はどう見るのか。


 誰かが変わった時、それを認められるのか。


 それは簡単な問いではない。


 上位クラスの教室に入ると、ハルトがすでにいた。


 今日はカイルもいる。


 二人は話してはいない。


 だが、昨日までより距離が少し近い。


 同じ敗北を知った者同士。


 そんな空気がある。


 レオンが席へ向かう途中、ハルトが声をかけた。


「ヴォルツ」


「何だ」


「今日、教師が面倒な課題を出すらしい」


「いつもだろ」


「それはそうだが」


 ハルトは少し顔をしかめる。


「昨日の勝利後と敗北後の話を受けて、今日は“評価維持”をやるらしい」


「評価維持」


 レオンはその言葉を繰り返す。


 嫌な予感がした。


 評価を得た後、それをどう維持するか。


 昨日の勝利後より、さらに一段重い。


 カイルが横から言う。


「積み上がった評価を崩さずに動けるか、ということだろう」


 彼の声は落ち着いていた。


 昨日より少しだけ。


「お前は大丈夫か」


 ハルトがカイルに言う。


 カイルは眉を寄せる。


「君に心配される理由はない」


「昨日負けたからな」


「君も第五班に負けているだろう」


「だから言っている」


 ハルトは平然と返す。


 カイルは少し黙り、それから小さく息を吐いた。


「……確かに、今はそういう話か」


 そのやり取りを、レオンは少し不思議な気持ちで見ていた。


 ハルトとカイル。


 少し前なら、互いに意地だけを張っていたかもしれない二人が、今は不器用に同じ課題を見ている。


 変化は、本当に周囲へ広がっている。


 それが良いのか悪いのか。


 まだわからない。


 だが、確かに変わっている。


    ◆


 一限目。


 教師は黒板へ向かい、ゆっくりと文字を書いた。


 評価維持。


 予想通りだった。


 教室が静まる。


「評価は、得るより維持する方が難しい場合がある」


 教師が言う。


「一度できたことは、次もできると思われる」

「一度勝った相手には、次も勝つと思われる」

「一度褒められた役割は、次も果たせると思われる」


 一拍。


「それが圧になる」


 アルトが少しだけ手元を見る。


 フィーネも真剣に聞いている。


 ユーリスは口元から笑みを消していた。


「評価とは、積み上げるものだ。だが、積み上がったものの上に立つには、足場を確認し続ける必要がある」


 教師はチョークを置いた。


「ヴォルツ」


「はい」


 レオンは立ち上がる。


「お前の班は、ここ数日で評価を積み上げている」


「はい」


「その状態で最も危険なことは何だ」


 レオンは考える。


 慢心。


 硬直。


 期待への萎縮。


 いくつか答えが浮かぶ。


 だが、今朝の会話を思い出す。


 手帳を守ろうとするアルト。


 丁寧にしなければと硬くなるフィーネ。


 調子に乗らないことを意識しすぎるユーリス。


 反省を守ろうとして、動きが鈍る。


「評価された形を守ろうとしすぎることです」


 レオンは答えた。


 教師は目を細める。


「続けろ」


「良かった動きを再現しようとすること自体は必要です。ですが、形を守ることが目的になると、課題を見なくなる」


 一拍。


「反省や評価は守るものではなく、使うものです」


 教室が少し静かになる。


 今朝、第五班に言った言葉。


 それをそのまま講義の答えとして出した。


 教師はしばらくレオンを見ていた。


 そして頷く。


「良い答えだ」


 短いが、確かな評価。


「全員、覚えておけ。評価を守るな。評価を使え」


 教師の声が教室に響く。


「過去の成功を守るために動く者は、次の課題を見失う」


 その言葉は、レオンだけでなく教室全体に深く落ちた。


    ◆


 第一訓練棟。


 今日の課題は、評価維持演習だった。


 各班は、これまで評価された役割を中心に配置される。


 そして、その役割に追加条件が与えられる。


 単純に同じことをすればいいわけではない。


 評価された力を、別の状況で使えるか。


 それが問われる。


 第五班の条件はこうだった。


 レオン――前衛。ただし制圧数制限あり。二体以上倒してはならない。


 フィーネ――状況報告。ただし指示も一部担当。


 ユーリス――標識保持。ただし途中で一度標識を別者へ渡す。


 アルト――支援。ただし同じ属性を連続使用禁止。


 魔法人形は四体。


 標識は一つ。


 目的は、標識を指定地点へ移送すること。


 難しい。


 特にアルトの条件が厳しい。


 同じ属性を連続で使えない。


 風で支援した後、また風で調整することができない。


 水や土、火を状況に応じて使う必要がある。


 フィーネも、報告だけでなく指示を混ぜる。


 ユーリスは途中で標識を渡す判断が必要。


 レオンは倒しすぎてはいけない。


 第五班の評価された力を、そのままでは使わせない課題だった。


 開始前。


 四人は短く円を作る。


「条件が嫌らしいな」


 ユーリスが言う。


「教師らしい」


 レオンが返す。


 アルトは手帳を握っていたが、すぐに鞄へしまった。


「今日は、手帳を守るんじゃなく使います」


「そうだ」


 フィーネも頷く。


「私も、丁寧に言おうとしすぎず、必要な言葉を出します」


「俺は調子に乗らないじゃなく、場を軽くする必要がある時は軽くする」


 ユーリスが続ける。


 レオンは三人を見る。


「俺は倒しすぎない。制圧ではなく道を作る」


 一拍。


「行くぞ」


 三人が頷いた。


    ◆


 演習開始。


 魔法人形四体が起動する。


 前衛型二体。


 軽量型一体。


 魔法型一体。


 標識は中央奥。


 レオンは前へ出る。


 倒せる前衛型が来る。


 だが、制圧数制限がある。


 むやみに倒せない。


 腕を打ち、軌道をずらす。


 倒さず道を作る。


「右、軽量型が回ります!」


 フィーネの声。


 少し早い。


 良い。


「アルトさん、風で止めずに土で足元を」


「はい!」


 アルトが土を出す。


 軽量型の足が一瞬遅れる。


 次に魔法型が詠唱。


 アルトは水を出そうとして止まりかける。


 直前が土だったから、水は使える。


 だが、距離がある。


「アルト、水。薄く遠く」


 レオンが言う前に、フィーネが叫んだ。


「水、届く範囲だけで大丈夫です!」


「はい!」


 アルトが水を飛ばす。


 少し足りない。


 だが、魔法型の詠唱がわずかに乱れる。


 ユーリスが標識へ向かう。


 前衛型が追う。


 レオンは倒したい衝動を抑え、体勢だけ崩す。


 一体目はまだ倒さない。


 標識確保。


 ユーリスが抱える。


「ここから渡すタイミングが必要だな」


 ユーリスが言う。


「誰へ渡す」


 レオンが聞く。


「フィーネ嬢」


 ユーリスは即答した。


 フィーネが驚く。


「私ですか?」


「今、視界が一番広い。アルトは支援が必要。レオンは前衛。俺が持ったままだと中央で詰まる」


 良い判断だった。


 レオンは頷く。


「任せる」


 フィーネが息を吸う。


「受けます」


 ユーリスが標識を渡す。


 その瞬間、軽量型が狙う。


 フィーネが標識を持つため、魔法は使えない。


 彼女の目が揺れる。


 だが、声は出た。


「アルトさん、火を薄く! 視線を切ってください!」


 アルトは直前に水を使った。


 火は使える。


「はい!」


 薄い火が揺れる。


 軽量型の感知が乱れる。


 ユーリスが横から流す。


 レオンが前衛型を抑えたまま、魔法型への道を見る。


 ここで一体倒す必要がある。


 魔法型を放置すると危険。


 レオンは踏み込む。


 木剣が魔法型の核を打つ。


 一体制圧。


 残り倒せるのは一体まで。


 ここからが難しい。


    ◆


 フィーネが標識を持って進む。


 彼女の足取りは慎重だ。


 だが遅すぎない。


 ユーリスが横を見る。


 アルトは次の属性を考えている。


 直前は火。


 次は風、水、土が使える。


 軽量型が再起動して回り込む。


 フィーネへ向かう。


 アルトの目が動く。


 風でずらすのが最適。


 使える。


「風、いきます!」


「出せ」


 レオンが返す。


 アルトの風が細く走る。


 軽量型の軌道がずれる。


 ユーリスが足を払う。


 倒せる。


 だが、制圧数はレオンだけではなく班全体か?


 教師の条件はレオンの制圧数制限だった。


 ユーリスが倒してもいい。


 だが、ここで倒すより標識を進める方が早い。


「倒さない!」


 ユーリスが自分で判断し、流すだけにした。


 フィーネが進む。


 魔法人形が追う。


 前衛型二体が中央に集まり始める。


 レオンは片方を抑え、もう片方を流す。


 倒せる。


 だが、倒せない。


 制限があるからではない。


 今は道を作る役だからだ。


 剣を振る。


 強くではなく、広く。


 相手を倒すためではなく、通すために。


「レオンさん、左が詰まります!」


 フィーネの声。


「見えている」


「アルトさん、土は使えますか?」


「使えます!」


「左前衛の足元へ。止めなくていいです、遅らせてください!」


「はい!」


 土が走る。


 前衛型の足元がわずかに重くなる。


 フィーネが標識を抱えたまま抜ける。


 到達地点まであと少し。


 だが、魔法型を失った分、前衛型二体と軽量型が一気に寄る。


 最後の圧。


 レオンは一体を倒せる。


 残り制圧可能数は一。


 どれを倒すか。


 前衛型か。


 軽量型か。


 フィーネを狙う軽量型の方が危険。


 だが前衛型を放置すれば道が塞がる。


 一瞬の判断。


 レオンは前衛型を倒さない。


 体で止める。


 そして叫ぶ。


「アルト、軽量型を止めろ。属性は?」


「水、使えます!」


「足元だけ」


「はい!」


 水が薄く走る。


 軽量型の足が滑る。


 ユーリスがそれを流す。


 レオンは前衛型の一体を、最後に核へ打ち込む。


 二体目制圧。


 制限内。


 道が開く。


 フィーネが走る。


 標識を台座へ置く。


 鐘が鳴った。


 課題達成。


    ◆


 訓練棟に、少し遅れて拍手が起きた。


 派手な勝利ではない。


 だが、難しい条件を越えた。


 評価された力を、そのまま守るのではなく、状況に合わせて使った。


 教師が近づいてくる。


「第五班」


 四人が整列する。


「評価、上」


 アルトが小さく息を吐く。


 フィーネも安心したように肩を下ろす。


 ユーリスは笑っている。


 レオンは教師を見る。


「評価された形を守ろうとしなかった点が良い」


 教師は言う。


「ヴォルツ。制圧数制限の中で、倒す場面と倒さない場面を選べている」


「はい」


「ルーク。標識を受け取った後も、指示が止まらなかった。良い」


「はい」


「ベルク。標識を渡す判断が早い。保持者を固定しなかった点は評価する」


「はい」


「レイヴン。属性連続使用禁止の中で、土、水、火、風を状況に応じて使えている。ただし水の距離感はまだ課題」


「はい!」


「声は良い」


「あ、はい」


 少しだけ笑いが起きた。


 教師は全体へ向いた。


「これが評価を使うということだ。前の成功を真似るのではない。前の成功から得たものを、今の課題へ変換する」


 その言葉は、訓練棟に深く響いた。


    ◆


 課題後。


 第五班は訓練棟の端に集まった。


 アルトは手帳を出そうとして、少しだけ止まる。


「今は書かない」


 レオンが言う前に、アルトが言った。


 レオンは少しだけ目を開く。


「なぜ」


「今は、みんなで話した方がいいと思って」


 成長だ。


 手帳に逃げていない。


 戻る場所として大切にしながらも、今ここにある会話を選んでいる。


 ユーリスが嬉しそうに笑う。


「いいね」


 フィーネも頷く。


「私も、話したいです」


「なら反省だ」


 レオンが言う。


 ユーリスがまず口を開く。


「標識をフィーネ嬢に渡したところは良かったと思う。ただ、渡す前に一言、アルトへ次の支援準備を言ってもよかった」


 アルトが頷く。


「はい。少し遅れました」


 フィーネが言う。


「でも、アルトさんの火が早かったので助かりました」


「火、強くなかったですか?」


「大丈夫でした。薄かったです」


 アルトはほっとする。


 レオンは言う。


「最後の水も良かった。ただ、距離はまだ少し甘い」


「はい」


「でも、足元だけを狙ったのは良い」


「はい」


 アルトの表情が明るくなる。


 フィーネが少し迷ってから言う。


「私は、標識を持った時に少し怖かったです。でも、声は止めたくないと思って」


「止まらなかった」


 レオンが言う。


「はい」


 フィーネは嬉しそうに頷いた。


 ユーリスがレオンを見る。


「レオンは?」


「倒したくなった」


 正直に言う。


 三人が少し笑う。


「だろうな」


 ユーリスが言う。


「だが、倒さない方が良い場面が増えている」


「それ、前なら絶対言わなかったよな」


「そうだな」


 レオンは認める。


「以前なら、倒せるなら倒した」


 フィーネが静かに言う。


「でも、今日のレオンさんは道を作っていました」


「ああ」


 道を作る。


 倒すだけではなく。


 通すために剣を使う。


 その感覚は、最近少しずつ増えている。


 レオンは自分の手を見た。


 剣の意味が、少しずつ変わっている。


    ◆


 昼休み。


 食堂では、今日の評価維持演習の話が広がっていた。


「第五班、また上評価」

「でも今日は条件厳しかったらしいぞ」

「アルト、属性連続禁止だったんだろ?」

「それでいけたのか」

「フィーネが標識持っても指示してたらしい」

「ユーリスが標識渡した判断も良かったって」

「レオン、二体までしか倒せない条件でちゃんと抑えたらしい」

「やっぱ第五班、安定してきたな」


 安定。


 その言葉もまた、重い。


 安定していると言われれば、次も安定を求められる。


 だが、今日の第五班は少し違った。


 その重さを、ただ背負うのではなく、使おうとしている。


 食堂の席で、アルトは食後に手帳を開いた。


「書きます」


「書け」


 レオンが言う。


 アルトは少し考えながら書いた。


 評価を守らない。

 評価を使う。

 手帳は逃げる場所じゃなく、戻る場所。


 フィーネも書く。


 標識を持っても声を止めない。


 ユーリスは。


 標識は持ち続けるものじゃなく、渡すものでもある。


 レオンは手帳に書く。


 剣は倒すためだけではない。

 道を作るためにも使える。


 その一文を書いた時、少しだけ胸の奥が静かになった。


    ◆


 放課後。


 今日は第五班で少しだけ自主練をすることになった。


 内容は派手なものではない。


 標識の受け渡し。


 支援属性の切り替え。


 レオンの制圧制限。


 つまり、今日の課題で見えたものを、軽く確認する。


 訓練棟の片隅。


 夕暮れの光が高い窓から差し込む。


 他にも数班が残っている。


 カイルの第三班も、少し離れた場所で修正練習をしていた。


 ハルトの第七班もいる。


 最近、放課後の訓練棟には残る生徒が増えた。


 合同課題演習が、確実に何かを変えている。


 レオンはその光景を見ながら、少しだけ思う。


 このまま変われるのなら。


 学園は、もっと良くなるのかもしれない。


 だが、その考えはすぐに消えた。


 変化には反動がある。


 今見えているのは、前向きな変化だけではない。


 貴族側の違和感。


 エリシアの不安。


 評価に潰されかけるアルト。


 嫉妬や反発。


 それらも同時に育っている。


「レオンさん」


 フィーネの声で、思考が戻る。


「次、受け渡しお願いします」


「ああ」


 ユーリスが標識を持つ。


 フィーネへ渡す。


 アルトが支援位置を変える。


 レオンが魔法人形役として進路を塞ぐ。


 地味な練習。


 だが、大切だ。


 何度も繰り返す。


 少しずつ滑らかになる。


 ユーリスが途中で言う。


「これ、かなり班っぽい練習だよな」


「班だからな」


 レオンが返す。


「そうなんだけどさ」


 ユーリスは笑う。


「最初は、ここまでやると思ってなかった」


 アルトが頷く。


「俺もです」


 フィーネも静かに言う。


「私も」


 レオンは少しだけ黙った。


「俺もだ」


 その一言に、三人が少し驚いた顔をした。


 レオンは視線を逸らす。


「何だ」


「いや」


 ユーリスが笑う。


「素直になったなって」


「何度も言うな」


「何度でも言いたくなる」


 フィーネが小さく笑う。


 アルトも。


 その笑いが、訓練棟の夕暮れに溶けた。


    ◆


 帰り道。


 中庭には淡い夕日が落ちていた。


 雨上がりの名残はほとんど消え、石畳は乾いている。


 空は橙色から紫へ変わり始めていた。


 四人で歩く。


 最近、本当に自然になった。


 誰かが無理に合わせているわけではない。


 歩幅が少しずつ揃ってきただけだ。


 分かれ道の手前で、アルトが言った。


「今日、少しわかりました」


「何がだ」


「評価って、持ち上げられるものだと思ってました」


 アルトは手帳を軽く叩く。


「でも、使うものなんですね」


「ああ」


「重いけど、使えたら力になる」


 その言葉は、今日のアルト自身の答えだった。


 フィーネが頷く。


「私も、怖いままでも声を出せば、次に繋がるんだと思いました」


 ユーリスも言う。


「俺は、軽さも使い方次第だな。真面目に軽くする」


「意味がわかりにくい」


 レオンが言うと、ユーリスは笑った。


「でも合ってるだろ?」


「まあな」


 四人の間に、穏やかな空気が流れる。


 その時、回廊の向こうにエリシアの姿が見えた。


 彼女はこちらに気づいた。


 少しだけ足を止める。


 だが今日は近づいてこなかった。


 遠くから、静かに会釈するだけ。


 レオンも会釈を返す。


 距離はある。


 だが、拒絶ではない。


 見守るような距離。


 その距離が、今は少しだけありがたかった。


 フィーネはそれを見て、何も言わなかった。


 ユーリスも。


 アルトも。


 ただ四人は、また歩き出した。


    ◆


 夜。


 学生寮の部屋。


 レオンは手帳を開いた。


 今日の記録を書く。


 評価維持。


 評価を守るな。

 評価を使え。


 アルト。

 評価が残るのが怖い。

 手帳は追い詰めるものではなく、戻る場所。

 属性連続使用禁止。

 土、水、火、風を切り替え。

 水の距離感は課題。

 評価を使う。


 フィーネ。

 丁寧にしなければと硬くなる。

 標識保持中も指示を出せた。

 声を止めない。


 ユーリス。

 調子に乗らないを意識しすぎる。

 標識を渡す判断。

 持ち続けるだけが保持ではない。


 レオン。

 制圧数制限。

 倒しすぎない。

 道を作る剣。


 教師の言葉。


 前の成功を真似るのではない。

 前の成功から得たものを、今の課題へ変換する。


 エリシア。

 遠くから会釈。

 近づかない距離。

 拒絶ではない。


 レオンはペンを止めた。


 今日も、多くのものが積み上がった。


 勝利の余韻はまだ残っている。


 だが、そこに評価維持の重さが重なった。


 アルトは、自分の評価に怖さを覚えた。


 フィーネも、良かった声を守ろうとして硬くなった。


 ユーリスも、自分の軽さの扱いに迷った。


 レオン自身も、勝利後の評価をどう使うか考え続けている。


 評価は、ただ嬉しいものではない。


 積み上がるほど、重くなる。


 しかし、重いから捨てるのではない。


 使う。


 それが今日の答えだった。


 レオンは最後に一行を書く。


 評価が積み上がるほど、逃げ道は少しずつ消えていく。


 その下に、もう一行。


 だが、逃げ道が消えた先で立つために、積み上げたものは使える。


 ペンを置く。


 窓の外は夜だった。


 学園の灯りが静かに揺れている。


 今日も何かが積まれた。


 それは強さでもあり、重さでもある。


 このまま積み上がれば、いつか支えきれなくなる日が来るのかもしれない。


 そんな不安もある。


 けれど今は、まだ崩れていない。


 第五班は進んでいる。


 レオンも、進んでいる。


 エリシアも、自分なりの距離で見ようとしている。


 カイルも、敗北を抱えて考えている。


 ハルトも、次を見ている。


 すべてが少しずつ動いている。


 その動きの先に何があるのか。


 まだわからない。


 ただ、レオン・ヴォルツは確かに感じていた。


 もう、何も知らなかった頃の場所には戻れない。


 評価も、勝利も、信頼も、怖さも。


 全部が積み上がっていく。


 そしてその積み上がったものの上で、明日もまた剣を握るのだと。


 重い。


 けれど。


 その重さを、今はまだ手放したくなかった。

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