第15話 排他的なハイツ村
翌朝。
それは人生でこれ以上の最悪はないと言い切れる目覚めだった。
身体は冷え切る通り越して、もはや凍りついている。指先一本動かすのも一苦労だ。
関節がキシキシと鳴り、全身が鉛のように重い。
「早く起きなさいよ、タナカ!もう行くわよ!」
「……ざぁぶい……」
「まったく、情けないわね」
こいつは鬼か。いや、悪魔だ。
一応、俺たちはパーティだろう? 普通、極寒の砂漠で凍えそうな男を放り出して、自分だけぬくぬくとテントの中で眠るか?
俺なら間違いなく添い寝の一択だったのに。――まあ、そんな提案をしたら秒で殺されそうだが。
「しょうがないわね。あんたも飲む?」
差し出されたのは、温かな湯気を上げるスープだった。
「あぁ……あぁりがとぉ……」
寒さで唇が凍りついていて、まともに声が出ない。
俺がガタガタと震えながら受け取ると、彼女は呆れたように視線を逸らした。
喉を通る熱が、冷え切った内臓をゆっくりと叩き起こしていく。――生き返る。
こういうちょっとした優しさはあるんだよな。
飴と鞭のバランスをもうちょっと調整してくれると助かるけど。
軽く朝食を済ませた俺たちは、早速ハイツ村に向けて足を向けた。
地平線が白み始め、夜の闇が退こうとする薄明の砂漠。この先どこまで歩いても終わりの見えない砂の海に、正直嫌気がさす。だが、それ以上に不思議と胸が躍っていた。
過酷で、孤独で、そして何より自由なこの道。
――これが冒険者か。
元社畜だった頃の朝の憂鬱とは、まるで違う。
俺は少しだけ深く息を吸い込み、冷たく澄んだ空気を肺に満たした。
◇◇◇◇◇
つい先ほどまで地平線の彼方にあった太陽が、今は俺の頭上で容赦なく輝いている。
夜は極寒なのに、日中は真夏のように暑い。
もうへとへとだ。足は鉛のように重く、全身の水分が蒸発して干物になりそうだ。
おじさん死んじゃうよ。
「ほら、顔を上げて! 見えたわよ!」
リーゼの弾むような声に、俺は重い頭を無理やり持ち上げた。
……嘘だろ。砂漠の果てに、緑の木々が広がっている。
さらに目を凝らせば、小高い丘の上に、こじんまりとした家屋がいくつも立ち並んでいるのが見えた。
「あれが依頼人のいるハイツ村よ!」
その光景を見た瞬間、全身から力が抜けた。
地面にへたり込みたい衝動を必死にこらえ、俺は掠れた声で笑う。
「やっと……やっと着いたか……! 」
俺たちは足早に集落へと向かった。
喉の渇きはすでに限界を超えている。
砂漠の熱風で唇がひび割れ、口の中は砂と塵でザラついているようだ。
遠くから見たときは寂れた村に見えたが、近づいてみると予想以上の戸数がある。
これでは依頼主を探すのは大変そうだ。だが、今はそんなことより水だ。水が必要だ。
俺たちの悲惨な姿を見て、村人たちが遠巻きに観察しているのがわかる。
こちらを警戒しているのか、それともただの物珍しさか。
どちらにせよ、これでは会話のきっかけも掴めない。
コミュ力が足りていないぞ、この村の人たち。
「すみません……水を、水をください」
俺の絞り出した声に、誰も反応しない。
この世界に来てから、人の「親切」によって生きながらえてきた俺にとっては、信じがたい光景だった。
あまりに悲惨な俺たちを見ても、村人たちは知らんぷりを決め込んでいる。
「……ここにいたら死ぬ。村を出るぞ」
俺はリーゼを促し、村から少し離れた森の中へ入った。
草木が生い茂っている以上、どこかに水源があるはずだ。
だが、歩けども歩けども、水は見つからない。
――ドサッ。
背後で鈍い音がした。振り返ると、リーゼが崩れ落ちていた。
確かにおかしいと思った。
いつも先導してくれる彼女が一言も発せず、操り人形のようについてくるだけ。
いくら経験値の高い彼女でも、限界を迎えていたようだ。
せめて木陰で休ませようと駆け寄るが、俺自身の足もすでに限界だった。
視界がぐらりと揺れる。
「うわ、やばっ……」
踏ん張ろうとした足に力が入らず、俺は彼女に覆いかぶさるような形で倒れ込んだ。
意識が急速に遠のいていく。
「だれ……か……たす……け」
◇◇◇◇◇
――バチッ、バチバチ。
暖炉で薪が爆ぜる、心地よい音が音で俺は目覚めた。
ここはどこだ。確か俺たちは、森の中で倒れて……。
「うっ……」
頭がずきずきと痛む。ひどい脱水症状だ。熱中症の類かもしれない。
ゆっくりと視線を巡らせると、そこは木の温もりを感じさせる、広々としたコテージのような空間だった。視界の端に、毛布にくるまってすやすやと寝息を立てるリーゼの姿が見える。
……無事だったか。
正直、ホッとした。自分の命が繋がっていたこともそうだが、何より彼女が息災で良かった。
出会ったばかりの仲だが、ここまで彼女には助けられてばかりだ。もし一人でクエストに出ていた場合、今頃俺は砂漠の砂に溶け込んでいる頃だろう。
「ふぅ……」
小さく安堵のため息を漏らした、その時だった。
奥にある調理場のような場所から、コツコツと足音が響いてきた。
そこから現れたのは、一人の老人だった。
「おや、目が覚めたかな。……気分はどうだい?」
その老人は、穏やかな声に優しい表情、まるで仏様のようだった。
「あ、はい……おかげさまで。……あなたが、私たちを?」
「森で二人が倒れているのを見つけてね。この辺りでは見ない顔だ。……冒険者か何かかい?」
老人が優しい笑みを浮かべて問いかけてくる。
「ええ、まあ……そんなところです。依頼を受けてベネフィカからやってきました。本当に助かりました」
俺は座りながらだが、精一杯の感謝を込めて深々と頭を下げた。
「いいんだよ。体調が戻るまでここでゆっくり休んでいくといい。隣のお嬢さんも、かなり疲弊していたようだしね」
「ありがとうございます……」
老人は再び調理場へ戻り、湯気の立つ温かな飲み物を持ってきてくれた。
「はい、これをどうぞ」
「……すみません。ありがとうございます」
身体の芯から温かさが広がっていく。命の水だ。
落ち着きを取り戻した俺は、礼を言うついでに、喉にひっかかっていた疑問をぶつけることにした。
「……あの。差し支えなければ、この辺りの事情について少し教えていただけないでしょうか?」
「おや、何か気になることでも?」
「ええ。実は少しばかり、腑に落ちないことがありまして」
老人はふむ、と頷き、腰を下ろした。
俺は慎重に言葉を選びながら、この村で感じた違和感について問い始めた。
「この村の人たちはどこかよそよそしくて……最初はただの戸惑いかと思っていましたが、その目を見ていると、どうもそうではない気がして」
俺の問いかけに、老人は一瞬だけ深い影を顔に落とし、重い口を開いた。
「……そうだね。外から来た者にこんな話をするのもどうかと思うが、正直に話そう。この村はある事件をきっかけに、よそ者を拒絶するようになったんだ。全員とは言わないが……中には、外から来る者を『同じ人間』として認識していない村人もいるくらいだよ」
――同じ人間として、認識していない?
村全体を閉鎖的なコミュニティにしてしまうほどの事件ってなんだ。
単なる排他主義という言葉では片付けられない。
この村には、もっと根深い「何か」が根付いている。
俺は背筋を正し、さらに踏み込んだ質問を投げかける。
「その事件って……一体、何があったんですか」
老人は深い沈黙を置いた。暖炉の火がパチリと爆ぜ、影が壁に長く伸びる。
やがて彼は、重々しく口を開いた。
「……あれは、もう何十年も前のことだ......」
老人が語り始めた真実が、俺たちがとんでもない禁忌を侵していたことを告げる――。




