第13話 魔獣ガウナーからの逃亡劇
リーゼがこちらに手を向けて、何やら不思議な言葉を紡いでいく。
「――夜を分かつ星の欠片よ、我が掌に集いて灯火となれ。ルミナ・オーブ!」
彼女の手から淡い光の球体が現れ、周囲をふわりと照らした。
「すご。便利だなそれ」
「そうでしょ!これなら洞窟の中でも明るいでしょ!あんたにできる?」
「すみません。できません。参りました」
俺がリーゼに対して情けなく頭を下げた、その時だった。
――ドォォン!
足元を突き上げるような轟音とともに、地響きが走る。
「なんだ!?」
「なに!?この揺れは!」
「リーゼ!その光もっとでかくなんねぇのか?」
「無理!あんたこそなんかいい魔法出してみなさいよ!」
今日はあいにくの曇天だ。月明かりさえ届かないこの暗闇の中で襲われたらたまらない。
ドォォン! ドォォン!
轟音は、確実に俺たちの居場所を狙って距離を詰めてきている。
「タナカ!来るわよ、構えなさい!」
「お、おう......!」
リーゼが腰の剣を抜き放つ。俺も杖を握りしめた。
おい、神の杖よ。頼むから今日は、ただの棒じゃないところを見せてくれよ?
先ほどまで大地を揺らしていた轟音が、不意に消えた。
あたりには、驚くほどの静寂だけが残された。
「おい、どうなってんだこれ……!」
「私にだってわかるわけないでしょ!」
「どうする? このまま走って逃げるか?」
「馬鹿! 走ったらそれこそ居場所がばれて殺されるわよ!」
「...........。」
――ドォォォォン!!
次の一手を考える間もなく、足元の砂が爆発四散した。
そこから飛び出してきたのは、巨大な顎を持つ禍々しい影。
「おいおいおい……マジかよ!」
「まずいわ! 逃げるわよ!」
「結局逃げるんかい!」
ものすごい速度で地面を泳ぎ、こちらへと迫る化け物。
俺とリーゼは、本能のままにでたらめな方向へと駆けだした。
足が砂に深く沈み込み、踏ん張りが効かない。焦燥感だけが背中を突き刺す。
「なんなんだ、あの化け物は!」
「あれは『サンド・ガウナー』よ! この砂地に生息しているのは知っていたけど、まさか出くわすなんて……!」
リーゼは息を切らしながらも、走りながら背後を警戒している。
俺は、足がもつれそうになるのを必死に堪えながら、彼女の背中を追うことしかできない。
こんな気持ち悪い化け物に食われて第二の人生の幕切れなんて勘弁してくれよ!
「リーゼ! お前、あれ切れねぇか?」
「無理よ! ガウナーは魔獣よ! 魔力の少ない私たちじゃ対抗できないわ!」
後に知ったことだが、魔獣とは魔力の塊だ。それを穿つのは同質の力、つまり魔力だけ。
俺の魔法か、リーゼが剣に魔力を纏わせるしかない。
だが、前者の可能性は限りなくゼロに近い。賭けるなら、彼女の力だ。
「リーゼ! 剣に魔力を込めろ! それならあいつにも効くはずだ!」
「無理! さっきの魔法で魔力使い果たしちゃったわよ!」
「お前、魔力くそ雑魚じゃねぇのか!」
「あんたに言われたくないわ! この役立たず!」
痴話喧嘩をしている間に、ガウナーがじりじりと距離を詰めてくる。
リーゼ一人なら逃げ切れるかもしれない。だが、俺という足枷がいる以上、生存率は絶望的だ。
無様すぎないか。なぁ田中よ。転生してから格好がついた試しがないじゃないか。
……もう、一か八かやってやる。どうせ死ぬなら、せめてかっこよく散ってやる!
「なぁ、さっきの魔法、なんて名前だっけ!」
「はあ!? もう、こんな時に何言ってんの! ルミナ・オーブよ!」
魔法の名を聞いた瞬間、俺は砂を蹴って立ち止まった。
振り返れば、地鳴りを伴ってガチガチと凶悪な顎を鳴らすガウナーが目の前に迫っている。
俺は杖を突き出した。これまで何度振っても反応すらなかった、ただの重い棒。
理解不能なこの『役立たず』にすべてを賭けるしかないほど、今の俺は無力だ。
だが、最後に信じてやろう。
……曲がりなりにも、こいつの『前所有者』は神なんだろ?
「何やってんの!タナカ!死ぬわよ!」
俺を心配し、叫びながら立ち止まるリーゼ。
こいつ意外といいやつなのよ。
振り返って、別れの投げキッスでもかましてやろうかと思ったが、残念ながらそんな時間はなかった。
もうガウナーはすぐそばまで来ており、俺を食べようとお口あーん状態だ。気色悪い。
「――ルミナ・オーブッ!!」
意を決して放った言葉がトリガーだった。
杖の先端から「ポコッ」と小さく光の粒が零れ出した直後、ボワンという膨張音と共に、爆発的に巨大化した。
先ほどリーゼが見せた淡い光など、児戯に等しい。眼前に浮かんだのは、小さな太陽かと思うほどの灼熱の球体だった。
「……は?」
あまりの眩しさに驚愕したのか、突進してきたガウナーが砂を巻き上げて急停止する。
先ほどまでの捕食者としての獰猛な覇気は霧散し、その巨大な影は怯えたように後ずさっていた。
「助かった……のか?」
俺の問いかけに答える者はいない。ただ、目の前で渦巻く光球が、バチバチと不気味な火花を散らしているだけだ。
「なによこれ……!?」
リーゼが悲鳴に近い声を上げる。彼女の視線は、俺が握りしめる杖と、宙に浮かぶ巨大な光の塊を交互に行き来していた。
彼女の言葉に俺も激しく同意だ。なんだよこれ!?
豆粒程度だった光の成長が止まらない。てか、止められない。
先ほどまで恐ろしいまでに視界に入り込んでいたガウナーの姿が見えなくなるほどの大きさになっていた。
何これ。どうしたらいいの?
「おい! どうやって止めるんだ、これ!」
「知らないわよ! こんなに巨大な光魔法、見たことも聞いたこともないわよ!」
もうどうにでもなれ。この一言に尽きる。
俺は投げやりに杖を振り上げる。
すると、杖の先端に吸い付いていた光の球体は、まるで重力を無視するようにフワリと浮き上がった。
それは、もはや小さな太陽だった。
曇天の夜空を塗り潰し、月明かりなど比較にならない圧倒的な光量で砂漠を白昼へと変える。
そして、俺はこの事態の重大さを思い知ることになった。
先ほどまでは闇に溶けていたガウナーの全貌が、鮮明に照らし出されたからだ。
「……でっか。おい、こいつ五メートルは優に超えてないか?」
「こんな怪物に襲われて、命があるわけないでしょ! 今のうちよ、さっさと逃げるわよ!」
そうだ、今のうちに逃げなければ……。
そう身構えたが、どうやらその必要はなさそうだった。
「リーゼ、止まれ」
「なによ、死にたいの?」
俺は親指で、その先を指し示した。
そこには、ぶるぶると震えながら、必死に砂を掘り起こす魔獣の姿があった。
そう、あれほど凶悪だったガウナーは、俺たちを襲う気など微塵も失せ、ただひたすらに土中へ逃げ込むことしか頭にない様子だった。
「す、すごい……。あのガウナーが、逃げてる……」
「へっ。俺のおかげだな」
ガウナーが死に物狂いで地中に潜り、砂煙の彼方へ消え去った。
先ほどまでの殺伐とした空気はどこへやら、砂漠には再び静寂が戻る。いや、戻ったはずだった。
俺は杖を握りしめたまま、呆然と目の前の光景を眺めていた。
どういうわけか。凶暴で有名な魔獣ガウナーを、戦うことなく追い払ってしまったようだ。
もしかして、俺の魔導士としての才能が開花し始めたのか……? えへへへへ……。
……なんて、浮かれている場合じゃない。
いつまでもプカプカと浮いているあの熱そうな球体、どうやって消すの?
すげぇまぶしいんだけど。ガウナーよりうざいんだけど……。
誰だよ。こんな迷惑な魔法考えたやつ。




