第10話 もう麻袋の底が見えてしまったけど...
「タナマサ、そんな隅っこの溝まで雑巾でこすらなくても……もう十分綺麗だよ」
「ダメだ。表面が綺麗に見えるのと、カビが少しでも残ってるとまた増殖してしまう。……というか少年、悪いけどそこ、もう少し丁寧に拭いてくれないか?」
少年の呆れ顔を背中に受けながら、俺は一心不乱に床を磨き続けていた。
自覚はある。俺は、意外にも潔癖なところがある。
もちろん、状況によっては妥協もできるハイブリットタイプだ。外出しない日なら「昨日と同じズボンでいいか」と二日目コースを解禁することも多々あるが、店で買ってきたばかりのパリッとした服を、そのまま着るなんて俺には考えられない。といった感じで、完全潔癖ではなく、中途半端我がまま潔癖に分類されるだろう。
「タナマサ……、実は意外と面倒くさい性格でしょ」
「うるさいな。これは『こだわり』だよ」
床や壁が次第に光沢を取り戻す。
だんだんと、鉄の箱の中が「誰かの使い古し」から「俺の場所」へと上書きされていく感覚。
たまらんねぇ。
*****
少年の協力もあって、夕暮れにはあらかた掃除が済んだ。
窓から差し込む斜光が、長年放置されていた埃の代わりに、少しだけ清潔になった鉄の壁を照らしている。
「少年。マジで助かったわ。礼と言っちゃなんだが、晩飯なんか奢るわ」
「やったね! ……でもタナマサ、そんなお金あるのか?」
図星だった。少年に心配されるなんて情けないが、事実は事実。
俺の所持金の半分以上が、この一日で消し飛んだのだ。
とは言え、ここはケチってはいけないことは重々心得ている。
「少年、気にすんな。あまり大人をなめたらいかんぞ」
「ふーん。じゃあ、お言葉に甘えて……」
俺たちはコンテナハウスを後にし、近くにある郷土料理屋『赤の猪亭』の暖簾をくぐった。
店内は、仕事終わりの職人や冒険者たちの熱気と、香ばしいタレの匂いに満ちていた。
「タナマサ、ここの猪肉はベネフィカでも一番なんだ。脂身が甘いんだよ」
「ほう、そりゃ楽しみだ。……よし、店員さん! その有名な猪の串焼きと煮込みを二人前。それと、俺には一番冷えたやつを頼む」
運ばれてきたのは、炭火でじっくりと焼かれ、真っ赤な肉汁を滴らせる大ぶりの串肉だった。
「……っ、旨い!」
噛みしめた瞬間に溢れ出す力強い肉の旨味。赤毛の猪、恐るべし。
キンキンに冷えた酒でそれを流し込むと、今日一日の疲れが溶けていくようだった。
「……で、タナマサ。明日からどうするつもり?」
少年が串を口に運びながら、さらりと核心を突いてきた。
確かに、魔導士としての『職』、一年ほど無料で住める『家』を手に入れたが、実情は結構厳しい。
忘れてはいけないのは、俺はあくまで『見習い魔導士』で、自ら仕事を受けることはできんのだ。
今こうして口に運んでいる食事もダルクさんがいてこその恩恵にすぎない。
「……明日、ギルドの掲示板でも覗いてみるか。見習いでも受けられる雑用とかあればいいんだけどな」
「うーん。仕事探しに関しては、僕は力になれないからさ……。応援してるよ!」
「少年……。ありがとなぁ」
異世界の残酷な現実に打ちのめされていた心に、少年の無垢な励ましが染みる。
実年齢30歳を過ぎたおじさんが10歳そこらの子供に慰められ、少しばかり目頭が熱くなってしまった。
お恥ずかしい。前世の同僚が見たら、腹を抱えて笑うだろう。
だが、少年はふと思い出したように、悪戯っぽく瞳を輝かせた。
「あ、そうだ。……あまりお勧めはできないけど、頼みの綱にはなるかもしれない方法があるよ」
「……なんだ、その意味深な言い方は」
「僕もあまり深くは知らないんだけど――『裏掲示板』ってのがあるらしいんだ」
「ほう。なんだその怪しげな響きは……。犯罪の片棒でも担がされるのか?」
俺の警戒を余所に、少年は知り得た『裏掲示板』の情報を教えてくれた。
如何せん情報の出所が不明で信憑性に欠ける話であったが、整理してみると、どうやらこういうことらしい。
そもそも『裏掲示板』とは、正規のギルド掲示板から零れ落ちた「落選依頼」の終着点のようなものらしい。
ギルドの依頼には有効期限があり、期限が切れたものは一度依頼主のもとへ戻される。そこで再依頼がなければ取り下げとなるが、どうしても諦めきれない依頼主が再依頼した場合、それらは「有効期限なし」の条件で、ひっそりと別の場所に張り出される。それが『裏掲示板』の実態だ。
つまり、違法な闇仕事というわけではなく、単に「報酬が安すぎる」「内容が面倒くさい」「単純に地味」といった理由で、実力のある魔導士たちから見向きもされなかった『超・不人気依頼』の掃き溜めという事だ。
「なんだ、少年。超魅力的じゃないか」
「……どこに魅力を感じられるの? 変態だね」
「やかましい。やれることからコツコツやる主義なんだよ、俺は」
ひとまず生活を安定させるにはもってこいではないか。
幸いなことに、固定費という最大の敵は『一年間無料』という奇跡によって封じ込めている。
報酬が安くてもいい、地味だって面倒くさくったって構わない。
今の俺に必要なのは、輝かしい手柄ではなく、明日を生きるための確かな小銭と、実績という名の『信頼』の積み重ねなのだから。
「コツコツ依頼を受けて、金を貯める。……よし、方針は決まった」
「あはは。タナマサって、魔導士っていうよりは、なんか商売人みたいだね」
少年は楽しそうに笑いながら、最後の一口を飲み干した。
*****
「……お会計、3,200リースになります」
店員の愛想の良い声が、俺の鼓膜を無慈悲に突き破った。
「…………へ?」
聞き間違いかと思い、俺は指を三本立てて確認した。だが、店員はにこやかに頷くだけだ。
高くね? いや、高すぎるだろ!
今朝食ったオムライスは、スープまでついて、たったの120リースだったではないか。
後ろで「くすくす」という、およそ子供らしかぬ意地の悪い笑い声が聞こえ、俺はすべてを悟った。
……はめられた。
「少年……お前、ここが高級店だって知ってて……」
「だってタナマサ、『大人をなめるな』なんて格好いいこと言うからさ。てっきり、これくらい平気なのかなって」
確信犯だ。このガキ、『大人の見栄』を利用して、最高級の猪肉を存分に堪能しやがったな。
俺は震える手で麻袋を逆さにした。
中から1,000リース金貨を三枚、そして100リース銀貨を二枚、カウンターに並べる。
……もう、袋の底が見えてしまったよ。
「まいど、ありがとうございましたー!」
元気な声に見送られ店を出たが、俺はあまりにも軽くなった麻袋の感触に気を取られ、しばらく無言で夜道を歩いた。
「あー、美味しかった! タナマサ、また来ようね!」
「……ああ、そうだな。……次は、お前とじゃなくて、綺麗な女性とだがな!」
「なんでだよ!!!」
赤毛の猪肉によって温まった心と、反対に空っぽになって風が吹き抜けるような麻袋。
その矛盾した二つを抱えて、俺は明日への決意を新たにする。
何が何でも、明日は稼ぐ。この空っぽの袋を、今度こそ自分の力で満たしてやるんだ。
そんなこんなで、波乱の異世界生活二日目、終了!
ご愛読ありがとうございます!
これにて第1章『無職脱却編』完結です!
来週月曜日から第2章をスタートする予定です。
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