ホラーな我が家<3>
――椅子に崩れ落ちたアンナは、しばらくしてからゆっくりと立ち上がった。アンナが助かったのかと、サラが騒ぎ立てるが、立ち上がったアンナはサラの方を見もせずに自分の手のひらを見つめた。
「やったわ、体よ。体を手に入れたんだわ」
それは確かにアンナの声ではあったが、アンナではなかった。アンナの体の中にいるのは間違いなく、アンナ・ホールの方だったのだ。
「……ああ、エヴァンス様! あなたのアニーはここにおりますわ!」
熱に浮かれたような表情でアンナの体を借りたアンナ・ホール……愛称アニーは、ふわりふらりと踊るように部屋を出て行った。
応接室に取り残されたサラは、必死でランプの中で暴れ続けた。どうにかしてアンナの、もしくはフランツやリッツ達の近くに行かねばならない。
いまいち頭の良くないサラとて、これが一大事だということくらい分かるのだ。
「き~~~~~~~っ<」
ランプがちょこっとだけ揺れた。もう一息だ。サラは必死で体を揺すり続ける。最初の揺れが徐々に激しくなって、ごとごととした揺れに変わってきた。
「き~~~~~~~~~~~っ<」
だいぶ時間がかかってその揺れはピークに達した。もう少しで倒れる。サラは力を振り絞ってランプのガラスに体当たりした。
「き~~~~っ! き~?」
ランプは、倒れた。
サラの目的は果たされたが、ランプは思いもよらない方向へと転がっていってしまった。そのままテーブルの端っこまで転がり、床に落っこちたのだ。
「き、き、き~~~~~っ!」
ランプは床に落ち派手な音を立てて、粉々に飛び散った。静まりかえった部屋にその音は響き渡る。
残ったのはガラスを止めていた金具だけ。サラはランプからようやく抜け出した。
そしてサラは思う……というか、困惑した。サラの力では、ドアを開けることは出来そうになかったのだ。
扉の前で考え込むサラは、ようやく思いついた。燃やそう……と。
勿論その後どうなるかは考えたりしない。いくら火トカゲ(サラマンダー)とはいえ、幼生ではそこまで頭が回らないのだ。
大きく口を開けて空気を吸い込み、ドアに向かって炎を吐こうとしたとき、扉が内側に向かって開いた。扉に突き飛ばされるように、サラが後に転がる。
「アンナ!」
リッツだった。
二人は二階の大部分の探査を終え、暖炉の蓋を取るべく屋根に上ろうとしていたところで、ランプの割れる音を聞き、異変に気が付いて駆け戻ってきたのだ。
リッツの後には、勿論必死で付いてきたフランツがいる。
だがそれが分かったとて、サラの炎は急に止まらない。仰向けに転がったサラはそのまま一度吸い込んだ空気を、炎としてリッツに向かって放出してしまう。
「うおぅ!」
不意をつかれたリッツは、何とか紙一重でそれを避けた。食らっていたら大火傷していたところだった。
「あ、あぶねぇ~」
横に避けたリッツは冷や汗をかきつつ部屋の中を見た。そして一点で目が止まる。
「大丈夫か、リッツ!」
後から部屋へ入ったフランツが身構えている。敵かと思ったのだろう。
炎を浴びせられたリッツは、目線の先にあるものを見て固まった。この炎の犯人がいた。
そう、二人の目の前には仰向けにひっくり返ったままのサラがいたのだった。
「今のサラ?」
リッツは、ちゃんとした答えが返ってくるはずもないのを分かっていつつ、思わずサラ本人に確認してしまった。
「リっきーっ! フラきーっ! アンきーっ!」
案の定、分からない。だがサラは何かを伝えようとしているらしい。サラが何を言おうとしているかはさっぱり分からないが、部屋の様子を見れば何となく状況が分かってきた。
床に落ちて割れたランプ、興奮するサラ、そして……消えたアンナ。
「アンナがいない……」
フランツが青ざめながら部屋の中を見渡していた。いないと分かって暖炉の中まで覗いている。
あの体調の悪そうなアンナがサラを置いて一人で出ていくわけがない事ぐらいフランツにも分かるのだろう。となると連れ去られたのだろうか?
リッツは思わずサラを見つめた。唯一全てを見ていたのはサラだけだ。そう、見ていただけ。何があったのかを話してはくれない。
「リッツ、どうするんだ? だからアンナを一人にしていいのかって言ったんだ!」
「落ち着けフランツ。よく考えてみろよ」
「何をだよ」
少々パニック気味のフランツをリッツは理屈で宥めることにした。感情論で落ち着かせるよりもフランツの場合早道だ。
「いいか、俺たちはサラがランプを落とす音を聞いて駆けつけた。その間多くて二分。この間にアンナをこの部屋から連れ去るのは不可能だ。そうだな?」
自分を落ち着かせるためか、フランツは小さく息を吐いて頷いた。慌てたって何の儲けにもならないことは分かっているようだ。
「俺たちはこのランプが割れた音以外に、大きな音を耳にすることがなかった。これもいいな?」
「いいよ」
二人は家を探索しつつも、アンナのいる一階への注意を怠ったりしなかった。だから二人に聞こえるくらい大きな物音はしなかった、と断言できる。とすると、どういう事になるのだろう。
「考えられることは二つだ。一つは、眠っていたアンナを音もなく誰かが連れ去った。だけどなぁ、俺はこれは難しいと思うぞ」
アンナはリッツとフランツの二人に比べると、異常に寝起きがいい。体調が悪いといっても起きないということはないだろう。
「でももし精霊魔法の使い手で、アンナを眠らせられたら?」
「それはない。もしそうなら全てを見ていたサラを、このまま放置しておかないだろうからな」
「そうか……」
となると、可能性は一つしかない。リッツはその可能性が高いと感じていた。だが、理由が全く分からない。
何故アンナが……?
考え込むリッツの表情を見たフランツが、残された可能性に、ようやく思い当たったように声をあげた。
「……アンナが自分で部屋を出て行った?」
「ああ、多分な」
大きな音を立てず、静かにこの部屋から消えてしまう方法は、それしか考えられないのだ。だか疑問が残る。そんなことをする理由がアンナにはない。
「アンナはどうして出ていったんだ?」
腕組みしたまま考え込んでいると、フランツが尋ねてきた。そんなこと言われても、リッツだって分かるわけがない。
「……何でだろう」
「あのね……」
軽口のようなリッツの答えに、フランツは憮然とした。だがいくら頭を捻っても二人には分かるはずがない。考えているだけ時間の無駄だ。ここはアンナを探して直接聞くしかないだろう。
そうと決まれば、こんなところでぐずぐずしている暇はない。
「とにかく、この近くからしらみつぶしに探そう。絶対に屋敷の中にいるはずだからな」
「そうだね」
フランツが金具だけになったランプにサラを入れると、リッツはとりあえず家の図面を広げた。
一階にある部屋は四つ。この応接室、食堂、食堂と一つ続きになった、大きな窓があるサンルーム、書斎だ。それに付随して厨房や配膳室がある。それから勝手口を使って外に出たところに、使用人用の建物が建っているらしい。
「とりあえず、隣の部屋から時計回りで見ていこう」
「じゃあ……ここ?」
フランツが指し示したのは書斎だった。
「そうだ。書斎、調理場関係、食堂、サンルームを廻って、この部屋に戻ってくる、っと」
「それでもしいなかったら?」
不吉なことをついつい考えてしまうフランツらしく、最悪の展開を口にする。後ろ向きだな、という言葉を堪えてリッツは肩をすくめた。
「……二階から外の使用人小屋まで探すさ」
「それでも駄目なら?」
「お前なぁ……」
呆れてフランツを見ると、どうしようもなく弱気になっているのが分かった。だからあえて叱咤する。
「探す前から弱気になって、どうするんだよ」
「そうだね……忘れてくれ」
「……」
黙ったままリッツはフランツの肩を叩いた。確かにこの家には、奇妙な雰囲気がある。フランツが後ろ向きになって当然だろう。
リッツだってこの状況が好きなわけではない。何せこの家にはいるときから少々奇妙だった。突然とれた鎖、丁寧に外されていた入り口の鎖、誰もいないのに開閉するドア……。
不気味で後ろ向きな気持ちになることも分からなくはないが、とにかくアンナを探すしか彼らに残された手段はない。アンナを置いて行くわけにはいかないのだ。
「じゃあ行こうぜ」
わざと明るい声でそう宣言して、リッツは応接室の扉を開けた。廊下はすでに薄暗い。
「フランツ、サラ貸してくれ」
サラのランプを受け取って掲げると、古びた洋館が余計に存在感を持って眼の中に飛び込んでくる。
「これでアンナが俺らを脅かしたりしたら、半殺しだよな」
物騒なことを呟きながらリッツは隣の書斎の扉に手をかけた。
「そうだね」
フランツもその物騒な台詞に同意する。今脅かされたりしたら、フランツの心臓が本当に止まりかねない。
フランツが本当はどれだけ無理しているかなど、ラリアの廃村で怯えていた姿を見たリッツには分かっているのだ。
「開けるぞ?」
「ああ」
一気に開けられたこの部屋には、誰の姿もなかった。書類には書斎と書かれているが、家財道具はほとんど売られてしまったのか、ただの部屋だ。床には足跡がつくほどの埃がたっぷりと積もっている。
この埃の積もり方、アンナがいるとはとても思えない。誰かが最近入ったなら、もう少し埃が拡散しているはずである。
「ハズレだな」
「そうだね」
二人はそっと扉を閉めた。
「じゃ、次は台所周りだな」
再び明るくそういったリッツに、フランツは頷いた。
だが、二人の捜索にもかかわらず、アンナは一階のどこにも見あたらなかった……。
Ⅴ
「おかしいよな……」
再び応接室へ戻った二人は、椅子に腰掛けてぼんやりとしていた。応接室の扉は明け放れたままだ。
フランツはもう気力が尽きたが、どうやらリッツはぼんやりしつつも、扉越しに微かな物音を聞いているようだ。
腹が減ったと言いだしたリッツが、隣で持ってきた食料を食べている。フランツには食欲なんかありはしない。幽霊屋敷で仲間が行方不明なんて状況で、よく食事が咽を通るものだ。そんな図太い神経が羨ましい。
二つ目のサンドイッチを食べ終えたリッツが広げた図面を、正面から覗き込んだ。リッツは小さく指で図面をコツコツと叩きながら何やら思案している。
もしかしたら、顔には出さないだけでリッツも焦っているのだろうか? そう思うと少々落ち着いて図面を見ることができた。
二階からここに来るためには、一通りの道しかない。でもこの応接間からあちこちへ行くことができるから、時間差があればアンナを見ることなくアンナはどこかへ行けるだろう。
でもどうして一人で姿を消さねばならなかったのか、それが分からない。
ふと頭の中にアンナの異様な様子が思い浮かんだ。アンナは『女の人の声が聞こえる』といっていたのだ。フランツには聞こえなかったが、もしかしてその女の声が、夜泣くという幽霊だったとしたら
アンナは幽霊に呼ばれてしまったのではないだろうか?
想像の中で女の幽霊がどことなく影のある微笑みを浮かべながら、アンナに向かって『おいで~、おいで~』と青白い顔で手招きした。
体中を寒気が走った。駄目だ、考えれば考えるほど怖い。腕も恐ろしく鳥肌が立っている。
本当に理解不能な存在は嫌いなのだ。勘弁してくれといいたい。でもアンナを置いて逃げ出すことなど絶対にできるはずなどない。
「……う~ん」
リッツが腕組みをして呻いた。何だか複雑な顔をしている。見ようと思えば、後悔しているようにも見えた。
「どうなってるんだよ、全く」
ため息混じりにそういってため息をつき、フランツが見ているのも忘れたように、頭をばりばりと掻きむしる。おそらくリッツもわけの分からない状況に困惑しているのだ。
フランツは先ほどから減らないサンドイッチを丁寧に包み直し、元のバスケットに戻した。
「もう少し探してみないか? 食欲もないし」
「そうだな」
すでに腹を満たしてしまっていたリッツも、行動再開に異論はないようだ。
「じゃ、行くか」
立ち上がったリッツが、ピタリと動きを止めた。そのままじっと黙り込む。
「何?」
「しっ! 今何か聞こえたぞ」
「え?」
フランツも耳を澄ます。フランツの耳には何も聞こえない。リッツの耳は長さ故に少々他人よりも聞こえがいいのだ。
「……ガラス……食器の音か?」
リッツがそう呟いた。だがフランツには今まで通りの静寂しか分からない。
「僕には聞こえない」
そう呟いたが、リッツはこちらに視線を向けず、真っ直ぐに目的の方向へと歩き出した。
「待ってくれ!」
その後をサラランプを持って追った。ここに一人で置いて行かれるのはごめんだ。
「あの音は、食器を並べる音だ」
一歩先を歩きながら、リッツがそう言った。
「食器?」
「そうだ、配膳室だ。俺の耳に狂いはない」
「な……」
何故配膳室? その言葉をフランツは飲み込んだ。アンナの行きそうなところといえば食堂、配膳室、厨房ではないか。さっきはいなかったが、ついにお腹を空かせてこらえきれずに出てきたのか?
ついそんな風に考えてしまった。
サラランプの不確かな明かりを頼りに、配膳室へ向かう。配置から言うと、玄関ホールから続く廊下を挟んで、右側だ。
配膳室の前に来ると、フランツの耳にもはっきり食器同志がふれあう音が聞こえてきた。陶器の音の他に、金属の音も混じる。まるで食事の準備でもしているようだ。
「開けるぞ」
「ああ」
リッツが音を立てぬよう静かに扉を開いた。フランツの予想では、そこにいるのは少々腹を空かせた、申し訳なさそうなアンナだったのだが、予想は見事に外れた。
「……」
二人は黙ったまま言葉もなくドアの隙間から中を眺めた。彼らに見えるのはメイドの後ろ姿だけだったのだ。
膝上丈のスカートに、白いエプロン、さらりと長いストレートの髪、レースの髪飾り。
その後ろ姿の女性は、燭台にともされた薄明かりの中で、食器を磨いていた。いや、成人女性にしては少々小さいだろうか?
黙って扉を閉め大きくため息をついたリッツの後ろで、幽霊だ、幽霊がいたと、誰にも知られないようフランツは動揺した。
自分の膝が震えているのに気が付いた。どうかリッツに気が付かれないようにと必死で震えを押し隠す。ついに本物を見てしまった。
だがリッツの口から出たのは、全く予想外の言葉だった。
「何で人がいるんだ?」
人!? 幽霊だろ! という言葉はすんでの所で飲み込んで、動揺を押し隠しながら呟く。
「分からないよ」
アンナとは違って、身長の小さいことと体型の幼さを除けば、落ち着きのある後ろ姿に、大人の雰囲気がある。
それにしても分からない。一体何故幽霊がこんなところにいるのだろう。
そこでリッツは何かに気が付いたように顔を上げて、真っ直ぐにフランツを見る。
「……なぁフランツ、よく考えてみたらこの家にメイドがいるわけないよな?」
確認するようにリッツはフランツに尋ねた。何だか嫌な感じがしてきた。
「ああ、そうだね」
「そもそも鎖で封印されてたんだ、人が入ることなどできやしない。これもいいな?」
「ああ」
細く扉を開いて、リッツは後ろ姿の幽霊を指さした。怖かったが、思わずリッツと一緒に覗き込む。
「じゃああそこにいるのは、アンナじゃないと、おかしいってことになる」
「そうだけど……」
頷くと、リッツは思い切り低く、声をひそめた。
「アンナじゃなけりゃ、あれは夜になると泣くって言う……」
「やめてくれ!」
思わず大声で否定したフランツの口を、リッツが慌てて塞いだ。
「ば、馬鹿! 気付かれるだろ!」
だが、時すでに遅しとはこのことだ。
「誰? 誰かいるの?」
しっとりとした大人の女性の口調でメイドが返事をしたのだ……だがその声には聞き覚えがあった。
「今の声……」
「ああ、アンナだよな?」
リッツが静かに配膳室の扉を開いた。あのメイドがこちらを向いている。フランツはリッツの後ろからメイドを見つめる。
さらりとした長いストレートの髪は赤毛だ。そしてこちらを窺う瞳は、緑色……。
「アンナ? お前何やって……」
そう言葉をかけながら近寄ったリッツを、アンナは身を翻して避けた。
「誰? 何をしにきたの?」
「……アンナ?」
なおも近づくリッツをアンナは睨みつけた。その姿形はアンナだったが、持っている雰囲気は全く違って、大人の女性を感じさせた。
いつもの緑の瞳なのに、いつものアンナの顔だというのに、憂いを感じさせる、どことなく色気さえも感じられる目つきだ。
それにこんな風に不信感に満ちたアンナの顔など見たことがない。いつもアンナは騙されても気がつかないお人好しなのに。
いつものアンナとあまりに違うその態度に、流石のリッツもアンナに向かって手を差し伸べたまま凍り付いている。
「リッツ……アンナは一体……?」
呟く言葉は疑問形だが、答えを求めて出たわけではない。無意識に口をついて出たのだ。どうしようもなく血の気が引いて、もう限界で気絶しそうだ。
幽霊も怖いが、こんな風に乗っ取られた仲間を見るのはなお怖い。
「こうしてみるとアンナも年相応の女に見えるな」
リッツの思い切り状況にそぐわない惚けた一言に、思い切り突っ込む。
「違うだろ! あれ、アンナなんだぞ!」
あのアンナだから、余計に怖い。脳天気なアンナの中に幽霊が、しかも大人の女が入ってる。これ以上に怖いことがあるものか。
「……それは分かってるけどよ」
「じゃあ真面目にやってくれ!」
掴みかからんばかりにリッツを睨み上げると、リッツは小さく息をつき、静かな視線を女に向けた。
「お前、誰だ?」
リッツは逃げ腰のフランツとは反対にアンナの体に入っている女に、じりじりと近寄っていった。
「……勝手にこの屋敷へ入ってきた者に名乗る必要はないわ」
「分かった。じゃあもう一つ聞きたい」
「……」
女は答えなかったが、リッツは沈黙を肯定と受け取って、質問を続けた。
「何故アンナの体を使っている?」
「……あなた達、この子の仲間ね?」
「そうだ」
とたんにアンナの表情が変わった。憎しみに彩られた激しい怒りの表情だ。
「あなた達は私とエヴァンス様を引き離すつもりなんでしょう? そのためにこの家に来たのは分かっているわ」
「……何のことだ?」
「しらばっくれないで!」
何か誤解されているらしい。エヴァンスとやらはいったい何なのだ?
「待ってくれ! 俺たちは本当に……」
必死で説明しようとするリッツの言葉も聞かずに、アンナの形をした女は続けた。
「私はこの子の体を貰うわ。あなた達がこの家にやって来た罰よ。エヴァンス様と私を引き裂こうとする報いだわ」
「話を聞け!」
怒鳴るとリッツはアンナの手を取った。一瞬リッツの顔が曇る。アンナの顔をした女は小さく叫んで抗うが、リッツはしっかりとその手を握ったままだ。
抵抗するメイドの体をリッツは引き寄せた。それから自分の胸の中にアンナを包み込むように抱きしめてしまう。
どうなるかとハラハラしていると、リッツがアンナの首筋に手を当てて、しばらく何かを確認し、あからさまにホッとしたような顔をした。何をしているのかさっぱり分からない。
リッツは暴れる女の体を強く抱きしめた。
「何するの! 放しなさい!」
じたばたともがくが、所詮体は小柄なアンナだ。リッツに捕まえられたら逃げられるわけがない。
「いいから聞けって言ってるんだ!」
「嫌! エヴァンス様! エヴァンス様<」
「俺、悪役みたいじゃん……」
がっくりとうなだれつつ呟いたリッツの言葉に、フランツは安堵のため息をついた。軽口が出るくらいなら、何とかなるかもしれない。このままリッツがアンナを抱えてこの家を出て、光の正神殿の神官の元に連れて行けば大丈夫だ。
「大人しくしてくれ。アンナの体から出てくれればいいんだ。俺だってこんな事したくない」
なおも暴れ続ける女を抱きしめたまま、リッツはそう言ったのだが、女はそのリッツのその言葉を聞き入れる様子はなく、益々激しく暴れている。
「おい、いい加減に……」
リッツが怒りを込めてそう女に語りかけた時、生ぬるい風が彼らの周りをまとわりつくように吹き抜けた。
急に膝から吸い取られたように力が抜ける。
「な、何……」
視界がゆっくりと霞んでいく。リッツが目を見開いてこちらを見ているのが分かったが、どうすることもできない。
気をつけろといいたいのに、声も出ない。
「なんだこれは……」
リッツが呟いたとき、その生ぬるい風に乗って、耳に男の声が聞こえた。
低く、そして優しい声……。
『アニー、僕のアニー……戻っておいで……』
「エヴァンス様」
アンナの体の中のアニーと呼ばれた女は、力の入らないらしいリッツの腕から、夢見るようにうっとりと抜け出した。
「待て! アンナを返せ!」
最後の力でアンナの体に手を伸ばしたリッツが、衝撃波のようなものにはじき飛ばされた。
「うっ!」
不意打ちだ。
その衝撃波の先には、アンナの姿がある。今の衝撃波はアンナを守るように働いている。ということは、あの声の主がこれを放った……。
リッツも床に崩れ落ちた。ああ、リッツも駄目かと何となく他人事のようにそう思う。リッツが駄目ならフランツが立ち向かえる相手ではない。
遠くなる意識の中で、声が微かに聞こえた。
「リッツ、フランツ……助けて……」
それはどこから聞こえたのか分からないが、確かにアンナの声だった。
「閣下、リッツさん! しっかりしてください!」
「うっ……」
「大丈夫ですか?」
激しく体を揺さぶられてリッツは目を開けた。窓から差し込む明かりが眩しい。ゆっくりと起きあがりながら、リッツはようやく自分を揺さぶっている人物に気が付いた。
「……ケニーか?」
「そうです」
「フランツは?」
周りを見渡すと、フランツの傍にはファルディナから共に旅してきたケニーの副官ゴードンが付き添っていた。どうやら大丈夫らしい。
「くそ~、不意打ちを食らっちまった」
「不意打ち?」
聞き返すケニーの言葉を返すでもなく、リッツはケニーに尋ねた。
「アンナはこの辺にいないよな?」
「はい。いません」
副官に付き添われて、フランツがようやくリッツの元にやって来た。
「……アンナどうしたらいいんだろう」
憔悴しきった様子でフランツが呟く。
「……手がかりは出来た。とりあえず調べよう」
リッツはそういうと、首を振った。床に長時間倒れていたせいで、首が痛い。
「一体何があったんですか?」
リッツは立ち上がって体をほぐしながら、ケニーに事の次第をかいつまんで説明した。
聞いている間にケニーとゴードンの顔はみるみる青ざめていく。話し終えたときには、彼は真っ青になってしまっていた。
「だからやめておいた方がよろしいと申し上げたではありませんか!」
確かに、軽く考えすぎていたのかもしれない。
だが噂ではこの家の幽霊は、泣くだけではなかったのか? 何だか聞いていたのと印象が違う。
あの幽霊はアンナの体を乗っ取り、そしてあの謎の声は衝撃波をリッツに向けて放った。
何かが違う……。
その違和感がリッツの中に渦巻いていた。もしかしたら王室に寄付されてしばらく経った後、幽霊が何かの力を身につけたのかもしれない。
とりあえず、手がかりは『アニー』と『エヴァンス』の二つの名前だ。ここからこの家に何があったのか調べなければならないだろう。
「ケニー、この家の初めの持ち主の姓は何だ?」
「はっ、クレイトン家です」
「じゃあ、急いでエヴァンス・クレイトンっていう男と、アニーという名前のその家のメイドを捜してくれ」
「急いで……ですか?」
「ああ。今日の夜もう一度乗り込むからな」
「<」
聞いていたケニーとゴードン、そしてフランツが絶句した。
「今晩だって?」
フランツが困惑した声でリッツに確認した。もし捜査が間に合わなかったらどうすると、その顔はリッツを責めている。だがリッツには譲れない部分がある。
「今晩だ」
「無茶だ! せめて一晩は間をおいた方がいい」
フランツも消耗しきっている。できればそうしてやりたいが、リッツはアントン神父に頼まれた以上、アンナに対して責任がある。
それだけではない。リッツはアンナが結構気に入っている。たまに面倒だと思うこともあるが、次に何をするのだろうと思うと、一緒にいて飽きないし、体力もあるから共に旅をするには楽しい相手なのだ。
それに彼女は、リッツと同じように長い寿命を持つ亜人種でもある。リッツにはアンナに対して、微かな同種意識があるのだ。
「……アンナの腕な……冷たかったぞ」
呟くとフランツが暗い顔で黙った。
「……」
「脈はあったし、生きてはいる。だけどもしこのまま長い時間かかれば、仮死状態に陥るかもしれない。そうなると命が危機だ」
ケニーたちも黙り込む。今の状況を理解して貰えたらしい。とにかく時間がない。夜にしか現れない幽霊ならば、今夜もう一度挑戦するしかないのだ。
ふと空耳のようなアンナの声が蘇る。
あの底抜けに元気なアンナが、助けてといっていた。誰にも気付かれぬよう、ちらりと配膳室の奥を見つめる。本当はこうしている時間さえ惜しい。なんとしてでも助け出してやりたい。
「そうだね。今晩だ」
フランツは納得したように頷いた。
「……そんなわけで、頼むぜケニー。エヴァンス・クレイトンとその召使いのアニーだ」
「……かしこまりました。それでは王宮までお送りした後ですぐに……」
頑なな表情でケニーはそういった。
「それじゃ遅い。今すぐに行ってくれ」
「それは出来ません」
「やってくれ頼む」
「出来ません」
まだ一人では歩けないフランツと、憔悴しているリッツを気にかけているのか、ケニーが断言した。アンナのこともフランツのこともケニーは十分分かっているし、彼が共に旅路を来た二人を気に入っているのも確かだ。
だがケニーの役目はあくまでも大臣の護衛だ。だから譲れない部分がある。
そんなケニーの考えを察して、リッツはケニーに向かって微笑んだ。ケニーのように頑なな人物を動かす手段はたった一つだ。しかもリッツが最も嫌いな手しかない。
「ならば大臣の名によって命ずる。査察部小隊長ケニー・フォート。エヴァンス・クレイトンを今すぐに探し出せ」
「<」
「リッツ!」
フランツが非難めいた声をあげたが、あえて無視した。その代わりにじっとケニーを見据える。
「聞けるだろう。命令だ」
「はっ!」
悲壮な表情で顔を上げたケニーは、深々とリッツに向かって頭を下げた。
命令となれば、彼はそれに従うしかない。それは嫌と言うほど、彼の中に染みこんでいる習性だった。それに逆らえるはずがないことなど、リッツにはよく分かっている。
それに自分は、ケニーに護衛を頼んだ侍従長よりも、格上だ。大臣の命令があったなら、侍従長の命令を破ることも致し方ない。
リッツからすれば、自分が命令することで、侍従長にケニーが怒られることを回避するという意味合いもある。
フランツにはまったく通じなかったようだが、ケニーは理解したらしく、苦笑に近い表情を作った。
「了解いたしました」
副官と共に出ていくケニーの後ろ姿に、リッツは言葉を投げかけた。
「悪いな。頼んだぜ、ケニー」
「はい」
フランツの視線を背中に感じながら、リッツは大きく伸びをした。まだ肩のあたりがゴキゴキいっている。
「とりあえず応接室に戻って、残りのサンドイッチを食おうぜ」
「リッツ……ケニーさんにあの言い方はないだろ」
やはり彼の言いたいことはそれだったようだ。
「ん……そうだな……」
「はぐらかえすなよ」
「……そのうちフランツにも分かるさ。結構命令系統っていうのは複雑なもんなんだぜ」
「……分からないな」
なおもしかめ面のフランツを見て、リッツは笑った。
「ま、分からない方が幸せなんだろうけどな」
「……」
フランツはリッツを一瞥してから壁づたいに配膳室を出た。
「おい、手を貸すぞ?」
「……いい」
不機嫌にフランツは壁に手をかけながら歩き出す。どうやら、怒らせてしまったようだ。
「おいって」
「ほっといてくれ」
仕方なく肩をすくめると、フランツの後からのろのろと歩く。相当な時間をかけてようやく応接室に辿り着いて、リッツは残ったサンドイッチを手に取った。
「すっかり堅くなっちまったな」
文句をいってもしょうがないから、そのまま口に運んだ。だがフランツは手に取ることもしない。
ここであれこれ言うのはかえって逆効果であることは分かっているから、フランツにこれ以上勧めることはやめた。
少し腹が満ちたところで、外をぼんやりと眺めているフランツに話しかける。
「とりあえず、王宮に戻るか、応接室で寝てるか二つに一つだが、どうする?」
「ここでいい」
「そうだな」
アンナがここに囚われている以上、リッツはここから出るつもりはなかった。フランツも同じらしい。
「じゃあ、ケニーが何か調べて来るまで休憩だな」
「でも……」
「休めるときに休んでおかないと、後で後悔するぞ」
そういうとソファーに寝ころんでさっさと目を閉じた。こう言うときは先に寝てみせるのが一番効果的なことは分かっている。
長いため息を付いてから、フランツがごそごそと毛布を引っ張り出したのを薄目で確認し、今度こそ本当に目を閉じた。




