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呑気な冒険者たち  作者: さかもと希夢
大臣の帰還
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54/224

ホラーな我が家<4>

Ⅵ


「アニーと私がこの屋敷で暮らしていたのは、約四十年ほど前のことです」

 まだ六十代のはずなのに老け込み、白髪となった男はそう話しだした。彼が身に纏っているのは、神官の法衣である。それも、幽霊を払うことの出来る光の精霊魔法の使い手である光神官の法衣だ。

 フランツはその男をじっと見つめていた。

 この屋敷を出て、エヴァンス・クレイトンを探し始めたケニーは、案外早く本人を見つけ出してしまった。王都シアーズの光の神殿の神官の中にエヴァンス・クレイトンの名が記されていたのだそうだ。

 半信半疑で会いに行ってみると、まさに探している本人だったということだった。

 この屋敷で起きている出来事と、それに絡んで少女が一人行方不明になっている、と聞いたエヴァンスは、ケニーに同行を求めて屋敷へ来て、今こうして過去を語っているのだ。

「当時この家には私たち家族三人と、執事、コック、そして数人のメイドが暮らしておりました。アニーはその中の一人で、本名をアンナ・ホールといいます」

「アンナ・ホールか……アンナと同じ名前だな」

 リッツが呟いた。フランツも同意して頷く。アンナと同じ名前だということに意味があるのだろうか。

 エヴァンスはリッツとフランツに目を遣ると、続けてもよろしいかと無言で確認をした。リッツが無言で頷くとエヴァンスは、小さく咳払いをして話を続ける。

「アニーは、この街のスラム街出身ですが、大変に素直で明るくきちんと仕事の出来る女性でした」

 エヴァンスの眼が遠くを見るように揺れた。当時のことを思い出しているのだろうか? 懐かしそうなそのくせ切ない眼差しに、誰もが声をかけることが出来ない。

 しばし間が空いた後、彼は先を続けた。

「当時の私は人付き合いが苦手で、外に出ることもあまりなく家で過ごす人間でした。そしてアニーの主な仕事は、私の身の回りの事でした。私に親しく笑顔で語りかけてくれる、そんな女性は彼女しかいません。ですから私は……」

 額に手を当て、顔を歪めるエヴァンスの表情から、その時の後悔と苦悩が伝わってくる。

「そんな彼女に恋心を抱いてしまったのです」

 そのまま黙り込んでしまったエヴァンスに変わってリッツが口を開いた。

「……なるほど。そこまでは何となく見当が付いてたんだ」

 フランツですらそれに気が付いていた。アンナの体を乗っ取った女性が、エヴァンスの名前を呼ぶときのあの夢見心地な様子や、エヴァンスとの仲を引き裂かれると思いこんで、逆上していたことから明らかだった。

 だが分からないのは、その先だ。

 短い仮眠の後にリッツとこの件を話したとき、すでにエヴァンスは死んでいるだろう、とリッツは言っていた。エヴァンスの幽霊がいるからだ。フランツもその事に異論はなかった。

 だが彼は生きていた。予想はいい方向に裏切られたことになる。

 でもそうすると、アニーがエヴァンスだと思い込んでいる、あの声は何者なのだろう? こっちが幽霊の親玉か……いや、幽霊に親玉やら子分やらがあるわけがない。

 もう頭が混乱するばかりだ。多分この事件の鍵は、噂話の中にもあった『ある日突然メイドが消えた』という日に隠されているのだろう。

「アニーは何故この家から姿を消したんだ? そしてあんたは何故この家を出た?」

 多少詰問口調になって、リッツがエヴァンスに尋ねた。

「愚かな話です。聞いてくださいますか?」

「……聞かせてくれ」

 エヴァンスはしばし黙り込んだ後、ぽつりぽつりと話し始めた。

 エヴァンスの想いはやがてアニーに伝わり、二人はこっそりと愛を育んでいた。

 四十年前と言えば内戦前だ。その頃はまだユリスラで貴族階級が権力を持ち、平民に対し特権を振りかざしていた時代だった。

 今の時代でもスラム街出身者と貴族では釣り合わないというのに、あの時代では決して結ばれてはいけない関係であっただろう。二人も恋は叶わぬ夢なのは重々承知のはずだったのだ。

 密やかな恋は、ある日エヴァンスの両親に知れた。伯爵家とスラムの女性。許されぬ関係に激怒した両親は、激しく怒り狂い、別れるようエヴァンスに通告した。

 だがエヴァンスは良心に従わず、正面からぶつかった。それからというもの、クレイトン家には、毎日喧嘩が絶えなくなった。

 そんな日々の中でエヴァンスはついに、アニーを連れて家を出ることを決意した。

 ところがその決意を、また両親に知られてしまったのだ。何のことはない。信頼していた召使い達に裏切られたのだ。

 あの時代ならばそれで、仕方なかったのかもしれない。使用人が主人を裏切れば、殺しても文句を言われない時代だったのだから。だから使用人であった彼らを、責めることなどエヴァンスには出来ない。

 知られた以上、エヴァンスは一刻も早くこの家を出ようとしたが、自分の部屋が外から閉じられてしまったことに気付いた。騒いでも叫んでもどうすることも出来ない。

 そんな中で、彼はアニーの悲鳴を聞いた。

 窓を開けて見下ろした庭にアニーはいた。数人の男達に追い回されている。エヴァンスは必死に叫んだが、その声が届いたかどうか分からない。

 やがて彼女と男達は彼の視界から姿を消し、庭に静けさが戻った。

 その後、ひときわ高い悲鳴が上がり、男達の怒鳴り合う声が聞こえてきた。何かあったのは確実だった。その後裏庭から慌てた様子で男達が駆け出していくのが見えた。

 彼は必死で窓から外へ出て、アニーの姿が消えた方へと走った。どうやって降りたのか、それさえも覚えていない。

 綺麗な月夜だった。

 家の裏にある、小さな池に丸く月が映り、二つの月に照らされた庭は存外明るかった。

 その時彼が眼にしたのは、月夜に照らされ、立ったまま動かないアニーの姿だった。

 彼は彼女の名を呼んだ。だが彼女はぴくりとも動かなかった。少しずつ近づき、彼はその異様な姿にようやく気が付いた。

 アニーの開いたままの瞳は、ガラスのように空虚だった。明るくてクルクルと楽しそうに踊っていた彼女の瞳に映っていたのは、月明かりだけだった。

 エヴァンスは呆然とそれを見つめた。

 彼女の胸の中心には折れた木が突き刺ささり、串刺しに貫いている。流れ出る血が、足下に血溜まりを作っていた。

 その木は数日前に雷によって真っ二つに折れ、未処理のまま残されていたことを、不意にエヴァンスは思い出したという。

 その後エヴァンスは驚くべき行動に出た。最愛の女性、アニーを串刺しになった木から下ろすことなく逃げ出したのだ。

 彼は最愛の女性の亡骸を、無惨な姿のまま捨てていってしまったのだ。

 今もつきない後悔の種は、まさにそれだった。

「私は逃げたのです。アニーのその姿を見て恐ろしくて、逃げてしまったのです。私は愚かで卑怯な人間です……」

 語り終えたエヴァンスは顔を覆った。きっと彼は長年その後悔を重ねて生きてきたのだろう。そのせいで疲れ果ててしまった。

「何故、光の精霊王の神官に?」

「アニーのために、祈ろうと思ったのです。ですがそう思えるようになるまでに、私は何年もこの国をさすらいました。目を閉じるとあの光景が蘇ってきて、心の中の何かが私を責め立てるのです。お前は逃げたではないかと……」

「……」

 全員が言葉を失った。何を言ったらいいのか全く分からなかったのだ。その後エヴァンスは、父も母も帰る家も失ったことになる。

 神官になった今でも、彼はまだ心の平安を得ていない。

「ですがお話を聞き、ようやく決意いたしました。私が直接アニーに謝罪しようと思うのです。そして彼女が乗っ取ったという少女を、私の手で取り戻したいのです」

 リッツとケニーは顔を見合わせている。エヴァンスが進んでこの屋敷に来たのは、こういう事だったのだ。彼は今、四十年ほど前に出来なかったことを成そうとしている。

 フランツは心の中で深くエヴァンスに同情した。もし自分がエヴァンスの立場だったなら、恋人の無惨な死体を前に何かできたろうか?

 驚愕と恐怖と混乱で、同じように逃げ出すかも知れない。逃げない自信は自分にはない。

 リッツは……どうだろう?

「……分かった。だけどアンナは俺たちの仲間だ。俺たちもその場にいさせて貰うけどいいかな?」

 もっともなリッツの提案に、エヴァンスが頷いた。本当なら彼一人で話したいところだろうが、この状況では仕方ない。

「それともう一つ……アニーの裏に誰かいるぞ」

「なんですと?」

「そいつは多分アニーに『エヴァンス』だと名乗っている。そしてアニーはそれを信じてる」

「……馬鹿な……私はここにいるというのに……」

 絶句するエヴァンスに、もう一人の目撃者であるフランツも頷いてみせた。

「確かにもう一人いた。僕はそいつにやられた」

 そう、リッツはそいつにに衝撃波を食らい、フランツはあのなま暖かい風に力を奪われたのだ。間違いなく何かがいる。

「力を奪う……?」

 エヴァンスには何か心当たりがあるようだ。

「闇の精霊かもしれんな」

「闇の精霊?」

 精霊使いであるフランツは、その言葉を敏感に聞き取り反応した。闇の精霊使いとは戦ったことがあるが、闇の精霊をそのものをを見たことがない。

「なるほど、その可能性もあるか……」

 リッツも呟く。

「私は一度神殿に帰り、支度を調えてきます。よろしいですか?」

「ああ」

 言葉少なにリッツは答える。精霊のプロフェッショナルが言うことに間違いはない。こちらにいる精霊使いはなんと言っても半人前なのだから。

「それでは夕刻に」

 エヴァンスは、少々ふらつきながらも部屋を出て行った。あまりに苦悩に満ちたその後ろ姿に、痛ましいものを感じる。

 彼はこの四十年の後悔を、アンナを救うことで消せるのだろうか?

 ぼんやりとエヴァンスが出ていった扉を見ていると、ケニーがリッツに何かを手渡しているのが目に入った。見るとお弁当らしい。

「これをどうぞ。暖炉に火を入れれば暖かくできます。私も夕刻に参ります」

「ありがとう」

「いえ。ゆっくり休んでください」

 二人になった後、リッツは食事が入った籠を開けて重たいため息をついた。

「何?」

 尋ねるとリッツは苦笑した。

「美味そうだけどさ、もの足りねぇなぁって……」

「……量が?」

 意味が分からず聞き返すと、リッツは疲れたような顔で小さく笑った。

「アンナがいたら喜ぶだろうな、とか思っちまう」

 そういいながら、リッツはバスケットの中から、食事をとりだして、暖炉のそばに置いた。

「そうだね」

「とりあえず軽く食べて残しといてやるか?」

 すぐに救出できる見込みはないのに、リッツがそういうのが不思議だが、その意見には賛成だ。

「ああ」

 黙って食事をとりながら、フランツはリッツの顔を盗み見た。それで初めて気が付く。リッツの眼の下に隈ができているのだ。

 さっきの仮眠の際も、リッツはフランツよりも先に起きて、深刻な顔をして暖炉に当たっていた。もしかして本当は寝ていないのだろうか?

 そう思うと、何だかケニーに厳しくあたったリッツの言葉が分かるような気がしてきた。

 きっとリッツにとってアンナは、いて当たり前の存在になりつつあるのだろう。フランツにとってもそうだ。アンナがいないと、静かだが何だか静かすぎて物足りない気がする。

 それにフランツはアンナに直接触れなかったが、リッツは触れている。そして体が冷たくなっていることを確認しているのだ。フランツよりも内心焦っているのかもしれない。

「リッツ」

「あ?」

「……別に……」

「?」

 だが分かったところでそれをリッツに伝えて、謝ることは出来ないフランツなのだった。

「アンナは無事に戻ってくるかな」

「大丈夫さ。アンナだぞ? あいつは運がいい奴だ。大丈夫さ」

 まるで自分に言い聞かせるように、リッツは呟いた。そのまま黙って食事をとりながら、リッツ窓の外を眺めていた。つられてフランツも外を見る。

 まるで何事もないかのように、外には午後の明るい陽ざしが溢れている。

「とにかく、俺らも少し落ち着いた方がいいな」

「ああ」

 まだ夕刻までにはしばしの時間がある。お腹を満たし、落ち着く時間は二人に十分ありそうだった。


    Ⅶ


 夕刻、ついにリッツ、フランツ、ケニー、ゴードン、エヴァンスの四人は、アンナ救出のために動き出した。

 昨夜リッツ達が調べた結果から、アニーと偽エヴァンスはこの屋敷内にいないことが分かっていた。となると、残されているのは使用人のために立てられていたという離れである。

 リッツを先頭に勝手口から外に出ると、冷たい風がフランツの頬を撫でた。まるで死者に触れられたようでぞっと身震いする。

 アンナを助けたいが、怖いことにはあまり触れたくない。本音を言えば、全て任せて布団をかぶって寝てしまいたい。

 だがそれでも助けようという気持ちが勝った。

 一歩出たここが裏庭だ。エヴァンスの話によると、ここが話に出てきた惨劇の場であるらしい。月が映り込んだという池も、汚れてはいたが存在している。

 だが彼女が串刺しになっていた木は、誰かが切ってしまったのか、もうないとのことだ。内心なくてよかったとホッとした。あったらまたよからぬ想像をして身動き出来なくなってしまう。

「輝く希望と誇りを司る光の精霊王よ……」

 エヴァンスがその木があったらしき場所にしゃがみ込み、短く祈りの言葉を唱えた。彼は早くアニー本人に会い、自分が生きていて、共にある者が偽物であることを伝えねばならない。

 それはおそらく、とてつもなく辛いことだろうとフランツは思う。

「ここか」

 離れの建物は、屋敷に比べるとかなり小さく、管理もされていなかったせいか、ここ四十年の内に寂れきっていた。

「そうです。ここが使用人用の離れです」

「鍵、どれか分かるか?」

 リッツは持っていた鍵束をエヴァンスの前に差し出した。もし知っているなら、いくつかの鍵を試す必要もない。案の定エヴァンスはこの離れの鍵を知っていた。

「これです」

 彼が指し示した鍵は、屋敷の物と比べて多少小さく、使い古されていた。リッツが無造作にその鍵を鍵穴に差し込む。

「じゃあ、開けるぞ」

「ああ」

 何が出てきても大丈夫なように、フランツとケニーとゴードンが身構えた。相手が精霊なら構えても無駄なのだが、何もしないよりましだ。

 エヴァンスも、聖杖を正面に向けて構える。彼だけが対抗する手段を持っているのだ。

 リッツはためらいなく、扉を全開させた。一気に四人で踏み込む。

 古ぼけた小屋には、積み上げられた古い家具と、埃の積もった床、あちらこちらに張り巡らされた蜘蛛の巣しかなかった。

 扉を開けた途端動いた物は、小さな虫たちだけで、特に何も起こらない。

「……」

「……?」

「何の気配も感じねぇけど?」

「そのようですな」

 どうやらここではないらしい。だとしたら一体どこだろう? 話に出てきた場所で怪しいのはこれくらいだと思ったのに。

 隣のリッツを見ると、リッツも同じ考えだったらしく、困惑している。

「おかしいよなぁ……」

 リッツが腕を組んで呟いた。フランツは図面をもう一度思い出してみた。建物はあの屋敷とこの離れだけで、他はない。もしこの敷地内にいるのなら、ここしかあり得ないはずなのに。

 こうなると頼りになるのは、元住人のエヴァンスだけだ。

「エヴァンスさん、他にどこかないんですか?」

 困ったように離れを見渡していたケニーが、そうエヴァンスに尋ねた。

「他にですか……」

 考え込むエヴァンスを他の三人はしばし黙ったまま待った。だが何かを思いつく様子はない。何となく手持ちぶさたらしいリッツが、あの鍵束を手の中でもてあそび始めた。

 じゃらじゃらと鍵束が重たい音を立て、その音だけが響く。沈黙の中で立てられる耳障りの金属音。これは相当気に障る。それでなくとも苛々しているのに。

「リッツ、うるさい」

 我慢しきれなくなってフランツは、その騒音を阻止しようとリッツの手から鍵束を横取りしようと手を伸ばした。

「おっと」

 意表をつかれたリッツが鍵束をとり損なう。派手な音を立てて鍵束は床に落下した。

「あ~あ、急に手を出すなよ」

「リッツがうるさくするからだ」

 小声でぶつぶつ言い合っていると、エヴァンスは何かに気が付いたらしく、小さく声をあげた。

「もしや!」

「……?」

 エヴァンスの視線は、鍵を拾い上げたリッツの手元に釘付けになっている。

「鍵束を見せてくれませんか?」

「ああ、いいけど」

 鍵束を受け取ったエヴァンスは、大きな三つの鍵を見比べている。そういえばケニーがリッツにこの鍵束を渡す時、言っていたような気がする。

 一つは門の鍵、もう一つは玄関の鍵、残りの一つは不明だと……。

 大きい鍵は、外に面した大きな扉につけられるのが普通だ。大きな屋敷に住んでいたフランツにはそれが分かる。

 とするともう一つ、外、もしくはこの庭に面した扉があるということにならないか?

「この鍵は多分私がいなくなった後に作られたものだと思います。見覚えがありません」  

「とすると、アニーが殺された後か……」

 召使いが一人消え、跡取り息子が消え……この家の住人がいなくなるのに、そんなに長い月日があったわけではない。

 となるとアニーの事件と何か絡んでいるのかもしれない。考えをまとめて口に出してみると、エヴァンスが頷いた。

「私もそう考えました。そうしますと、この庭にもう一つこの鍵の必要な扉がある……」

「それじゃ、探すしかないようだな」

 裏庭に限定して捜索を始めた。建物だとしたら簡単に見つかるはずなのだが、どうも見つからない。そんなことがあるのだろうか?

 しばしの探索の後、地下へと降りる階段を発見したのは、探索や捜査を本職とするケニーだった。

「階段がありました!」

「地下か!」

 見つかった階段は暗く、急だった。おざなりにはめ込まれた煉瓦が、この地下室を急拵えで作ったことを物語っている。おそらくここに間違いないだろう。

 地下へ続く階段は、長い年月によって朽ち果てていた。きっと作られた日から誰の目にも触れずに過ぎてきたのだろう。

「降りよう」

「ああ」

 サラのランプを掲げたリッツを先頭に、階段を下りた。突き当たりに頑丈そうな扉がある。リッツは躊躇うことなく、あの大きな鍵の最後の一つを刺した。何の抵抗もなく鍵が廻る。

 やはりここで間違いない。

 頑丈そうな鉄の扉を押し開けると、中から埃と湿ったカビのような匂いが流れてくる。相当長いこと放置されている臭いだ。

 リッツの持っているランプだけでは心許ないので、ケニーも手持ちのランプに火を入れた。これで随分明るくなった。

「アンナ!」

 メイド服のまま床に寝ころんでいるアンナの姿が、フランツの目に飛び込んできた。死んでいるのかと思って慌てて駆け寄ろうとして、布にくるまれた何かにつまづいた。

「……なんだこれ」

 躓いた拍子にその布がめくれて、中身が飛び出してしまった。

「フランツ、触るな!」

 リッツの鋭い声に、思わず布を捲ろうとしていた手が止まった。

「何?」

 尋ねると、リッツは静かにフランツに告げた。

「それは多分死体だ」

「<」 

 思わず手を引っ込めて後ずさる。死体……? 何故そんなものがここに? 

 頭が真っ白になってしまった。死体を見たことがないわけではないが、この状況の死体なんて予想外すぎてどうにもならない。

 後ずさったフランツに変わってケニーがその布の傍にひざまずき、布の端を少し開いた。そこにあったのは、リッツが予想した通り白骨化した遺体だった。

 服の裾からひからびた細い腕が出ているのを見えてしまって、吐きそうなほどの気分の悪さに襲われる。ケニーはそれに気が付いたのか、素早く死体に毛布をかけ直した。

「閣下、エヴァンスさんの話の通りですと、これはアンナ・ホールの死体ということになりますが」

「そうだろうな……」

 冷静に会話する二人の横で、フランツは身震いした。とてもじゃないが平気でいられない。骨になった死体は、まだ服を纏っているのだ。髪の毛もそのまま床に広がっている。

 あまりに現実離れした光景に身の毛がよだつと同時に、この女性がアンナの中にいるのだと思うと、どうしようもなく恐ろしい。

 そんなフランツの横から、ふらりと誰かが死体に近づく。エヴァンスだった。彼は震えながらその死体に歩み寄った。

 フランツのように恐怖しているわけではない。自分が置いて逃げてしまった、その愛おしい人の体がそこにあるのだ。これが冷静でいられるだろうか。あまりにもきつい光景にフランツは目を背けた。

「アニー……アニー」

 愛おしそうに恋人の名を呼ぶその声に、恐る恐るエヴァンスの方へと視線を戻す。ようやくエヴァンスは死体のそばに辿り着き、その傍らに膝をついた。

「こんなところに閉じこめられて……可哀相に……許しておくれ……」

 顔を覆って呻くエヴァンスのその言葉に、誰も何も言えなかった……いや、言えないはずだったのだが、彼の言葉に応えた人間が一人だけいた。

「あなたは何を言っているの?」

「……アンナ! いや、アニーか?」

 床に倒れて眠り込んでいるように見えたアンナの体がゆっくりと起きあがった。視線はアニーの死体に寄り添うエヴァンスに釘付けになっている。

「あなたは誰?」

「……」

 咄嗟に返事の出来ないエヴァンスを、アニーが突き飛ばした。よろめきながら呆然とエヴァンスがアニーを見つめる。

「私のエヴァンス様に触らないで!」

「……アニー、何を言って……」

 アニーは、毛布にくるまれた自分の死体に歩み寄った。

「ここから出ていって! エヴァンス様と私を引き裂かないで!」

 叫ぶアニーを、エヴァンスは何も言えずただただ見つめている。どうやらアニーはこの死体をエヴァンスだと思いこんでいるようだ。

「ちょっと待て、こっちの話も聞いてくれよ」

 何とか本当のことを分からせようとリッツはアニーに話しかけてみた。だが、この間調理場で掴まえられた時の事を覚えているらしく、アニーはリッツを睨みつけた。

「嫌よ。あなたはご主人様が雇ったごろつきでしょう? もう同じ手は喰わないわ」

「ご、ごろつき……」

 確かに、埃まみれで金も持っていなそうなリッツの姿はそう思われても仕方ないだろう。何とも言えずリッツが首をすくめた。

「任せるよ、エヴァンス。俺らじゃきっと話を聞いて貰えない」

「……分かりました」

 エヴァンスは、必死でその死体を守ろうとするアニーの前に跪いた。その突然の行動にアニーは戸惑ったように顔を上げる。

「アニー……私だ、エヴァンスだ」

「……え?」

「……本当に済まない……君を置いて逃げてしまって本当に済まなかった」

「嘘よ……何言っているの? だってエヴァンス様はここに……」

 怯えたように後ずさるアニーの手をエヴァンスは取った。その手を引き寄せ両手で握りしめる。

「よく見て御覧。もうだいぶ年老いたが、私の顔が分からないか?」

「……」

 アニーは嫌々するように目を閉じ、必死でエヴァンスの手から逃れようとしたが、次第に力を失って大人しくなった。

「アニー、よく見て」

 エヴァンスが力強くアニーの肩に手をかけて語りかける。

 きつく閉じられていた目が、恐る恐るといった感じに少しずつ開いた。その視線が真っ直ぐに正面の男へと向けられる。

 彼女の目に映るのは、神官の服を着た年老いた男の顔だった。髪は真っ白で、苦悩の表情と共に刻み込まれてしまった深い皺が、幾筋も刻み込まれている一人の男の。

 強ばっていたアニーの顔が、徐々に融けていくのが見ているこちらにも分かった。アニーの手が皺の刻まれたエヴァンスの頬を撫でる。

「エヴァンス様……なの?」

「そうだよ、アニー」

 だがアニーはにわかに信じられないように、後に庇った死体を見る。

「だって、これはエヴァンス様の死体だって、エヴァンス様がそう……」

「私は君が殺されたあの夜にこの屋敷を出て、それから一度も戻っていない。私は生きている。あれは君の……死体だ」

 アニーはゆっくりと首を振った。信じられない事を聞かされて混乱しているのだ。

「嘘……だって今までいつもエヴァンス様が近くにいて、話しかけてくれてたわ」

「それは私じゃない。私はここにいる」

「嫌!!」

 エヴァンスが死体に目を遣る。実際に彼女に見せるしか手がないと、そう思っているのだろう。フランツもその方がいいとは分かるが、どうしようもなく怖い。 

「済みませんが、その死体の布を取ってはくださいませんか」

 その言葉はリッツとケニーに向けられていた。黙って頷いて、リッツとケニーは静かに死体にかけられていた布を取り除く。

「うっ……」

 死体の姿を見たフランツは一言呻くと後ろを向いた。彼にはやはり正視に耐えないし、じっと見られるほど勇気がない。

 その死体は白骨化しているとはいえ、メイドの服を身につけており、胸の辺りには明らかに刺さっていたと思われる、尖った木が置かれたままになっていた。胸のところには、大量の出血の後が見られる。

「……私なの?」

「そうだよ」

「私の死体なのね? エヴァンス様じゃないのね?」

「ああ、そうだ」

 アニーは自分の死体をじっと眺めていた。何かを思い出すように、頭を抱える。きっとあの日の夜のことを思い出しているのだろう。

 長い沈黙の間を、四人は黙って待ち続けた。彼女には理解する時間が必要だ。それを急かしてはいけない。彼女が自分の死の理由を思い出せば、この死体が自分であることがはっきりするだろう。

「私、ご主人様が雇ったごろつきに追われてた……」

 ポツリとアニーが呟く。

「……ああ」

「一人だったわ。誰も助けてくれなかった」

 その時のことを思い出したのか、アニーは自分を抱きしめるようにして震えだす。記憶は戻ってきていた。

「……追いつめられて躓いた時に、折れた木が胸に突き刺さったのよ」

 エヴァンスの脳裏にも串刺しになったアニーの姿が思い出されたのか、苦しげに眼を閉じ、首を振っている。

 アニーはくずおれるように静かに死体の傍に座った。

「間違いないわ。これは私。どうしてかしらずっとこれはエヴァンス様だって信じてた」

 呟きながらゆっくりと振り返り、アニーはエヴァンスへ振り返った。ゆっくりと両手をあげてエヴァンスの頬に触れた。

「エヴァンス様は生きているのね? それがあなたなのね?」

「そうだよ、アニー」

「よかった……」

 アニーの瞳から、堪えきれないように大粒の涙がこぼれた。愛おしげにエヴァンスの頬を両手で挟み込み、その暖かさを感じようと撫でた。

「……生きてらしたんですね、エヴァンス様」 

「アニー」

「あなたさえ生きていてくだされば、よかったんです。あなたさえ無事でいてくだされば……」

 何も言えずにエヴァンスも涙を流す。

「あの時私は君の死体を見て、怖くなって逃げ出してしまったんだ。何故君を置いて逃げてしまったのか……私は卑怯な男だ」

「いいんです。気になさらなくても。私はあなたも殺されてしまったと……私のせいで殺されたと思っていたんです。それが悲しくて」

「……」

「でも生きていてくださったから」

「アニー」

 アニーは彼がが自分を置いて逃げたことなど、問題ではないようだった。

「一緒に逃げられないなら、あなただけでも自由になって欲しかった。ただ自由に生きていて欲しかったんです。私の願いはそれだけだった」

 だから彼が彼女の死体を見捨てて逃げてしまっても構わなかったのだ、とアニーは言った。

 それはどれだけの自己犠牲だろうと、フランツは思う。

「エヴァンス様……」

 ようやく二人の再会が叶った。

「アニー、済まなかった」

 フランツは死体にもう一度目を遣った。怖いし気持ち悪いかったが、それでも事情を知る前よりは、大丈夫だ。

 それに怖いと思ってしまっては、何となくアニーには申し訳ない気がした。

 今まで意味が分からない幽霊という存在は恐怖でしかないと思っていたが、意味があり、それをフランツが理解できれば相当恐怖は減るのだと言うことを初めて知った。

 だが、問題はここからだ。あの謎の声の正体を探らねばならない。

「エヴァンス、悪いけど再会は後でじっくりと味わってくれ。あの偽物の声が気に掛かる」

「ああ、そうでしたね」

 申し訳なさそうにリッツがそういった。二人の邪魔をするのはフランツも可哀相だと思うが、それよりも最優先すべき事がある。それを解決しなければ、本当の解決にはならない。

 アニーが元に戻ってくれた今、アンナのことは心配ない。じきに解放されるだろう。リッツが改めてアニーに向き合った。

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