第1章 木漏れ日の街 エピソード4
幹の内側へ入ると、空気が少しひんやりとする。
外側の強い光は届かず、代わりに壁に埋め込まれた光苔が淡く室内を照らしている。道は狭く、ところどころに削り残しのような凹凸がある。
その一角に、小さな看板がかかっていた。
Emery Detective Agency
彫りは浅く、角が少し欠けている。
「……これ、やっぱ直さない?」
ランドンが指で看板を軽く叩く。
乾いた音が鳴った。
「読める」
エメリーは即答する。
「読めるけどさあ、第一印象ってあるだろ」
「困ってる人は看板の状態で判断しない」
「いや、ちょっとはするだろ……」
ランドンは苦笑しながら肩をすくめた。
エメリーは気にせず扉を開ける。
⸻
中は、思ったよりも広い。
ただし整っているわけではない。
中央に大きめの机が一つ。その上には紙束や道具が積み上がり、端にはインク瓶と使いかけの羽ペンが転がっている。
壁際の棚には、分類しきれていない資料が詰め込まれていた。瓶に入った粉、巻かれた布、見たことのない器具もある。
生活と仕事が混ざった空間だった。
「おかえり」
声がした。
机の向こうに座っていた少女が、ゆっくり顔を上げる。
レイブン。
柔らかく波打つ髪を肩のあたりでまとめていて、前髪が少しだけ目にかかっている。淡い色の服はきちんと整えられていて、袖口もきれいに折り返されていた。
彼女は手元の紙を揃えながら、ほっとしたように微笑む。
「ちょっと遅かったね」
「普通」
エメリーは短く答え、鞄を机の端に置く。
レイブンはその位置を見て、さりげなく少しだけ整えた。
「見つかった?」
「うん。近くにいた」
「よかった……」
本当に安心したように、肩の力が抜ける。
ランドンが横から口を挟む。
「依頼主より心配してたんじゃないか?」
「だって、大事にしてる子だったでしょ」
レイブンは小さく首を傾げる。
「いなくなったら、困るよ」
「まあ、それはそうだな」
エメリーはメモを取り出す。
立ったまま、簡潔に書き始める。
「依頼番号三十七。フロートモス一体。回収済み。原因、餌の変更」
「餌かあ……」
レイブンは少しだけ眉を下げた。
「合わなかったんだね」
「そう」
「……びっくりしたと思うな」
エメリーの手が、ほんの一瞬だけ止まる。
だが何も言わず、書き終える。
⸻
奥の扉が、軽く開いた。
「ただいまー」
間延びした声。
アシャだった。
細身で、動きに無駄な力が入っていない。癖のある髪をかき上げながら、ふらりと部屋に入ってくる。
指の間では、小さな金属片がくるくると回っていた。
「お、全員いるじゃん」
そのまま机の端に腰をかける。
椅子は空いているのに、使わない。
「で、どうだったの?」
「迷子探し」
ランドンが答える。
「平和だねえ、それ」
アシャは楽しそうに笑う。
くるり、と金属片が回る。
「でもさ、そういうの一番いいよね」
「退屈」
エメリーが言う。
間を置かずに。
「え、そう?」
アシャは少し身を乗り出した。
「俺は好きだけどな。何も起きない日ってさ」
ひらり、と金属片を宙に投げて、受け取る。
「その分、何か起きたとき面白いじゃん」
「起きなくていい」
「まあまあ、そんな固くならないで」
アシャは軽く笑った。
「全部うまくいくわけじゃないって」
レイブンが小さく頷く。
「でも、できるだけ何もない方がいいよ」
「うん、それも分かる」
アシャはあっさり認める。
「でもさ、ちょっとくらい変なのあった方が楽しくない?」
ランドンが笑う。
「お前はな」
「でしょ?」
⸻
コツン、と音がした。
四人の視線が揃う。
窓際。
小さな鳥型の使い魔が、枝に止まっている。
「来たね」
レイブンがすぐに立ち上がる。
椅子を静かに戻し、窓を開ける。
「お疲れさま」
優しく声をかけながら、足の筒を外す。
「ちゃんと帰れる?」
軽く指先で頭を撫でる。
使い魔は小さく鳴いて、飛び去った。
「はい」
レイブンは紙をアシャに渡す。
アシャはそれを受け取り、片手で広げる。
もう片方の手では、相変わらず金属片が回っている。
視線を走らせて——
口元が少し上がる。
「……へえ」
「何だよ」
ランドンが聞く。
アシャは紙をひらりと揺らした。
「それ、ちょっと面白いじゃん」
エメリーが顔を上げる。
「内容」
アシャは一拍だけ間を置いた。
わざとらしく。
それから言う。
「“光が消える”ってさ」
レイブンの表情が、わずかに曇る。
「……それ、困るね」
「でしょ?」
アシャは楽しそうに言う。
エメリーは立ち上がった。
椅子が軽く音を立てる。
「行く」
「即決だな」
ランドンが笑う。
「まあ、放っとけないだろ」
レイブンも頷く。
「うん、行こう」
アシャは金属片をくるりと回し、ポケットに収めた。
「どう転ぶか、見てみようよ」
部屋の空気が、少しだけ引き締まる。
光苔の明かりは、変わらず穏やかに揺れていた。




