第1章 木漏れ日の街 エピソード3
外側を回っていた強い風が、枝と葉に遮られて細くなる。代わりに、葉擦れの柔らかい音が重なって、遠くのざわめきのように聞こえた。
生活の音も近い。
どこかで木を削る音。器に水を注ぐ音。誰かが笑う声。
ここは、観光客のための場所ではない。
「この辺だったよな」
ランドンが周囲を見回す。
エメリーは頷いた。
視線の先、小さな柵が見える。低く張り出した枝の下に組まれた、簡素な囲い。
その前に、一人の女性が立っていた。
何度も同じ場所を見ては、少し歩いて、また戻る。
落ち着かない動き。
「あの人」
「っぽいな」
近づくと、女性はすぐに気づいて、深く頭を下げた。
「すみません、来ていただいて……」
「大丈夫です。エメリーです」
「ランドン」
軽く手を上げる。
女性は少し安心したように息を吐いた。
「ペットの件で……」
「はい。状況を教えてください」
エメリーは穏やかに促す。
女性は柵の中を見ながら話し始めた。
「フロートモスなんです。ルゥっていうんですけど……いつもはここにいるんです。あまり遠くに行かない子で」
「最後に見たのは?」
「昨日の夕方です。そのときは普通に……」
エメリーは頷きながら、すでに柵の内側を観察していた。
キノコの群生。発光のリズム。地面の湿り気。
(問題なし)
見た限り、異常はない。
「外に出ることは?」
「ほとんどありません。怖がりで……」
「分かりました」
エメリーは一歩、柵の中に入った。
足元を確かめる。
樹皮の感触は安定している。滑る心配はない。
「ランドン、外から見てて」
「了解」
彼はすぐに柵の外側を回り始める。
エメリーはしゃがみ込み、地面を観察する。
キノコの根の間に、わずかな乱れ。
踏まれた跡ではない。軽く触れた程度の変化。
(ここを通ってる)
顔を上げる。
奥の方へ、視線を滑らせる。
光の濃さが、ほんの少しだけ違う場所。
「……いる」
小さく呟く。
「見えたか?」
ランドンの声が外から飛んでくる。
「たぶん」
エメリーは立ち上がり、慎重に進む。
キノコの間を抜けるたびに、光がわずかに揺れる。
その奥。
ふわり、と何かが浮いた。
「いた」
淡い影。
ゆっくりと上下する、小さな生き物。
フロートモス。
「ほら、やっぱ近くにいたな」
ランドンが言う。
女性がほっと息をつくのが分かる。
エメリーは手を伸ばした。
急がない。
驚かせないように、ゆっくりと。
フロートモスは逃げない。
むしろ、少しだけ近づいてくる。
「……捕まえた」
手のひらに、軽い感触。
ふわりとした体が、静かに収まる。
光も安定している。
「よかった……!」
女性の声が震える。
「ありがとうございます、本当に……」
エメリーは軽く頷いた。
「大丈夫そうです。弱ってはいますけど、危険な状態ではないです」
「弱って……?」
「餌、変えました?」
女性は目を瞬かせた。
「え……はい。昨日、新しいのに」
「それが合ってないんだと思います」
エメリーはフロートモスを少し持ち上げて見せる。
「光の出方が少し鈍い。体も軽すぎる」
ランドンが横から覗き込む。
「分かるのか、それ」
「見れば分かる」
「俺には全部同じに見える」
「ちゃんと見てないだけ」
「ひどいな」
女性は少し困ったように笑った。
「前の餌に戻した方がいいですか?」
「はい。それで様子を見てください。たぶんすぐ戻ります」
「分かりました……本当にありがとうございます」
フロートモスを受け取る手が、少し震えている。
大事にしているのが分かる。
エメリーは一歩下がり、柵の外に出た。
ランドンが隣に並ぶ。
「平和な仕事だったな」
「そういうのが普通」
「たしかに」
二人は同時に、少しだけ笑った。
風が通り抜ける。
葉が揺れて、光がまだらに落ちる。
何も変わらない、いつもの街。
エメリーは一瞬だけ、振り返る。
キノコの光は、穏やかに揺れている。
「次、どうする」
ランドンが歩き出しながら言う。
「事務所戻る」
「早いな」
「終わったから」
「まあ、そうだけど」
橋の方へと向かう。
足音が、木の表面に軽く響く。
下の層から、かすかに荷の動く音が聞こえる。
街はいつも通り、ゆっくりと動いていた。




