第六十一話 血よりも確かなもの
貴族達が集まる広間へと戻ると、アドルフが上機嫌で言葉を発した。
「諸君、再び聞くのだ。王太子アレシュ、第二王子ミハル、そして聖女リーディアをも戦場へ送り出す事が決定した」
リーディアはチラリとアレシュへと視線を向けた。彼は未だリーディアが戦地へと赴く事を受け入れきれていない様子で、真っ直ぐに貴族達を見下ろしたままリーディアの方を見ようとはしなかった。
アドルフが言葉を続ける。
「さらに喜ばしい知らせがある。我が弟、リヒャルト枢機卿もまた、新宰相として、王家を支える聖なる杖として、軍に同行することを志願された」
わぁっと歓声が上がった。リヒャルトを称える声が広間内に響き渡った。
リーディアはミハルへと視線を向けた。
彼は今にも壊れてしまいそうな程に青い顔をしており、この現状を傍観者であるかのようにアメジストの瞳に映していた。
「教会と王家、そして魔塔の観測者までもが一つとなり、不浄なるトロッケンを灰にするのだ。今宵、この王都に憂いはない!」
リーディアは傍らに立つリヒャルトを見上げた。
彼はニコリと微笑みを浮かべて、リーディアに視線を返した。その笑みに、僅かに安堵する。
「余は、この揺るぎない王都を、主の代わりに守る『盾』となることを決意した! これより始まるのは葬送ではない。新たなる伝説の幕開けだ。ジェハークの血の輝きを、世界に知らしめてやろうではないか! 王家に、更なる栄光を!!」
貴族達が声を揃えた。
「アドルフ陛下万歳!! ジェハークの光に勝利を!!」
◇◇
晩餐会が閉会し、貴族達が続々と王城を後にする中、ミハルは青い顔のまま広間から出て行った。
リーディアは弾かれたように彼の後を追い、アレシュは黙ってその後ろ姿を見送った。
「ミハル殿下!」
廊下で呼び止めたリーディアに、ミハルは振り返って静かに頭を垂れた。
「リーディア、明日は夜明けとともに発たねばなりません。少しでも身体を休めておいた方が良いですよ」
「……少しだけ、お話できませんかしら。その、誰かにあまり聞かれたい話ではございませんの」
≪おい、リーディア≫
——傷つけられたリダの気持ちも分かるけれど、このまま放っておくのは、いくらなんでもミハル様がお可哀想過ぎますわ!
ミハルは困った様に微笑んだ。
「……艶聞が広まっては、よろしくないかと思います」
リーディアはミハルから贈られたアメジストのネックレスに、指先で僅かに触れた。
「どうか、お願いですわ。ミハル様……」
切実なリーディアの様子に、ミハルは悲しげに瞳を細めた。
「……分かりました。王の祈祷室でご用件を伺いましょう」
ミハルは従者に声を掛けると、リーディアと共に王の祈祷室に居る旨をリヒャルトに伝える様にと言伝した。
ミハルの後ろをついて歩きながら、リーディアはチラリと彼の背を見つめた。
ピンと背筋を伸ばして歩いているものの、どこか寂しげな背中で、いつものように静かに歩く彼だったが、今日は一段と大人しく感じられた。
重厚な扉が開けられて、二人が中へと足を踏み入れると静かに閉じられた。
ミハルは早めに話を切り上げたいようで、振り向きざまに「それで、ご用件とは?」と穏やかながらも悲しげに言った。
ズキリとリーディアの胸が痛む。
唇を噛みしめて、リーディアは『えい』と言わんばかりにミハルの胸へと飛び込んだ。
≪ちょ!? おい!!≫
リーディアに体当たりされ、ミハルは思わず広げた両手をどうすべきか分からず、戸惑ったままリーディアを見下ろした。
「……リーディア? 一体」
ふわりとヘリオトロープの甘い香りがリーディアの鼻をくすぐる。
「……くしゅんっ!」
リーディアのくしゃみに、ミハルは寂しげに唇を噛みしめた。
「……お大事に、リーディア」
ため息を吐いて、眉を下げる。
「貴女がくしゃみをすると、リダが戻るのではと未だに期待してしまう自分に腹立たしく思います。その様な事を願う資格など、私には無いというのに。私は、初めから何の権利も持ち合わせてはおりませんでした」
ミハルは一歩下がると、深々と頭を下げた。漆黒の髪が柔らかに揺れる。
「どうぞ、枢機卿館へお戻りください。猊下がお待ちです。……父上とお呼びして良いのか、私にはまだ整理しきれておりませんが。言われてみれば納得してしまう自分が居るのは確かです。母は……一度も陛下の話を口にした事がありませんでしたので」
違和感を覚えるたび、そんなはずはないと無理矢理に言い聞かせていた。
母の瞳の色を覚えていないはずが無かった。
鏡を見る度に、窓に映り込む度に。屈強な身体のアドルフとは違い、細身の自分の身体が、リヒャルトのそれと重なるのだ。
それでも、縋るしか無かった。
庶子であると、冷遇される居心地の悪い王城で、アドルフの血だけがミハルの心を支える唯一だったのだから。
ミハルは静かに瞳を閉じた。
「私には、何も無かったのです」
——……何も無かった。縋りつく先は、空でしかなかった。後はただ、落ちるだけだ。
アメジストの瞳を向けて、優しく微笑む。
「ご安心ください。必ず、聖女たる貴女を守り抜くとお約束致します」
ミハルは僅かに自嘲した。
「何も残されていない、この身を掛けて……」
「……そんな必要はねぇよ。自分の身くらい、自分で守れる」
リダはそう言うと、真っ直ぐとミハルを見つめた。
「あたしの方が、あんたより強いからな。知ってるだろう? ミハル」
ふん、と鼻を鳴らして腕を組んだ。
「……リダ…………?」
ミハルのアメジストの瞳が揺れた。
「ああ、あんたの顔なんか見たくも無かったけ……」
ミハルがリダをぎゅっと抱きしめた。リダは「ぐえっ!」と声を上げたが、その温もりに顔を赤らめる。
「ちょ! おい、離せっ! あたしはまだ怒ってんだっ!!」
「怒っていてくれて構いません!! 憎んでくれても構いません!!」
ミハルの瞳から涙が零れ落ちた。
「私のこの身が、不浄であると罵って頂いても構いません!!」
「んなこと思ってねぇよ! 血が何だ!! それより離……」
「愛しています!! リダ!!」
「!!!!」
ミハルに抱きしめられながら、リダは唇を噛みしめた。ドキドキと胸が強く鼓動する。
「……ああもう! 腹立たしいな! まだ怒ってるのにっ!!」
「すみません、リダ。本当に。貴女を傷つけた自分を呪い殺してしまいたい!!」
「いや、死ぬなっつーの!」
はあ……と、溜息を吐くと、リダはミハルを見上げた。
「困った奴だよ、本当。どうしようもないくらいにさ。あんたの良い所は『優しさ』じゃねぇか」
リダはミハルの胸を、拳で軽く叩いた。
「もう、無くすなよ?」
アメジストの瞳を細め、ミハルは眉を下げた。
「……はい。貴女の存在を、不要だなどと言ってはなりませんでした。貴女がどれほどに孤独だったか、私は知っていたはずなのに」
「うん。もう言うなよ? 次は絶対に許さないからな」
リダがミハルの頬に手を添えた。
「全く、男が泣くんじゃねぇよ」
「すみません。貴女が帰って来てくれたことがただ、嬉しくて……」
瞳を閉じ、リダはミハルへと唇を近づけた。




