第六話 家族になるはずだった日
ベニーシェク公爵家では、お茶会の準備が粛々と行われていた。
開催予定日は随分先の事だというのに、張り切るリーディアの指示でテーブルクロスの色や柄、飾り付けるリボンや花の注文をし、使用人達は念入りに隅々まで掃除に追われている。
皆、『どうせ今回も来ないだろうに、無駄な事を』と考えながらも、公爵家の優秀な使用人達は手を抜かずにこなした。
「ドレスはどんなものが良いかしら? アレシュ様の好みはどのようなお色かしら?」
鏡台で鏡の中のリダに話しかけるリーディアは、夢見る乙女の如く瞳を煌めかせていた。
≪……うざっ≫
リダは悪態をつくと、鏡の中で両腕を組んだ。
≪どうせ来やしないったら。あたしは毎回裏切られてへこんだんだからさぁ。あんただってそうだろう?≫
「でも、今回はいらっしゃるかもしれませんわよ?」
≪無い無い! 絶対に無いっ!!≫
リダの言葉に、リーディアはいじけた様に唇を尖らせた。
「……リダの意地悪」
≪意地悪で言ってるんじゃなくて、事実を言ってんだって。大体、あんただってあいつが来る事なんか想像つかないくせに≫
「そんなことありませんわ!」
瞳を細め、リダは胡散臭そうに鏡の中から胡乱な目を向けた。
≪よく言うよ。あのクソ野郎が花束持って公爵邸を訪れる姿なんか、想像つかねえだろう?≫
リーディアの脳裏に銀髪をキラキラと風に靡かせながら、サファイアブルーの瞳を向けて、『待たせたね』と颯爽と現れるアレシュが思い浮かび、思わず上を向いた。
≪……なに上なんか向いてんの? なんかあるの?≫
「ちょっと、鼻血が出たら困りますもの……」
鏡の中のリダがあからさまに顔を顰めた。
≪……あっそ。もしあいつが来たら絶対くしゃみなんかするんじゃねーぞ。ゾッとするから≫
「勿論ですわ! そんな勿体ない事絶対に嫌ですもの!」
リーディアは気を取り直して手紙の束を鏡台の上に広げた。色とりどりのカードには、差出人ごとに趣向を凝らした意匠が施されていた、その殆どがお茶会への招待状だった。
だが、一通だけひときわ豪華な封筒が入っており、鏡の中からリダが叫んだ。
≪それ! 狩猟大会の招待状だろう!?≫
「え?」
リーディアは白地に金色で縁どられた封筒を見て、ペーパーナイフで封蠟を切った。リダの言う通り、王室主催の狩猟大会の招待状だ。
「わたくし、狩猟には興味ありませんわ」
≪絶対参加しよう!! いや、しないと駄目だ!!≫
鬼気迫る勢いでリダが言い、リーディアは眉を寄せた。
カードを見ると、リーディアがアレシュを誘ったお茶会よりも早い開催日時となっている。
「でも、一人でピクニックに参加してもつまらないわ。アレシュ様は狩猟に参加されるのですもの」
≪そうじゃなくて、あんたも狩りに参加するんだって!≫
リーディアが困った様にため息を吐いた。
「リダ、わたくしはまだデビュタント前ですのよ? 少女らしいドレスで突然狩猟に参加するだなんて、恰好悪いわ」
≪言ってる場合か!? その狩猟大会で、アレシュが大怪我を負うんだ≫
「大怪我……?」
≪利き腕を失う、王太子としては致命的な怪我だ≫
——利き腕を……?
心が完全に壊れてしまった王太子の末路を想像し、リーディアは青ざめて首を左右に振った。
「そんなの、絶対に嫌ですわ!! なんとかできませんの!?」
≪だろ!? あの事件以来、ミハルとの関係もおかしくなっちまった。全ての元凶はそれなんだよ! だから、そんな事態にならないように対策を打たない事には≫
「対策と言っても、どうする気ですの? わたくし、何もできなくてよ?」
≪あたしに任せてよ。腕には自信があるんだ。つるんでた傭兵達からも一目置かれるほどにさ!≫
「リダったら、傭兵の方達と交流がありましたの!? 女性ですのに!!」
≪あたしの生き方にいちゃもんつけられる義理なんか無いね。それより、今はとにかく、狩猟大会への参加は必須だってことだ。あいつを助けたいんだろう?≫
リーディアは心配そうに鏡の中のリダを見つめた。
「本当に、アレシュ様を助けて下さいますの?」
≪勿論だ。絶対に約束する!≫
リダはそう言った後、唇を噛みしめてくしゃりと顔を崩した。
≪もう二度と、あんな未来は繰り返させない。アレシュが、あんたを殺す事になったきっかけ自体を潰すんだ! ミハルの事も、殺させやしない。≫
鏡の中で決意するリダに、リーディアは頷いた。
「分かったわ。それにそうするしかアレシュ様を助ける道は無いのだもの。少しでも彼のお役に立てるなら参加しないわけにはいきませんわ」
≪よっしゃ!!≫
「わたくしも、全力で協力いたしますわ。アレシュ様の痛ましいお姿なんて、絶対に見たくなんかありませんもの」
リーディアは意を決したように招待状への返事を書いた。
ペンを走らせながら、ふと考えた。
——狩猟大会には、お父様もいらっしゃるのかしら……?
≪ああ、当然来るだろうな。だからあまり派手には動けないが≫
リダの言葉に、リーディアは溜息をついた。
「あまりはしたないことはなさらないでね?」
≪うーん、どうかな。狩猟大会だし。まあ、上手くやるさ≫
「絶対に、アレシュ様を救ってね? 約束よ?」
≪わかってるって! 正直あいつを救うのは不本意だけど、自分の為でもあるしな≫
鏡の中でガッツポーズを取るリダを、リーディアは不安げに見つめた。
アレシュを救いたい……。
そう思った時、リーディアは自分に家族ができるはずだった日の事を思い出した。
◇◇◇◇
純白の婚礼衣装に身を包んだリーディアは、まだあどけなさの残る顔に紅を引き、十三歳という年齢よりもずっと大人びた美しさだった。
「わたくし、ついにアレシュ様の妻になれるのね」
瞳を潤ませるリーディアに、彼女の準備を手伝っていた使用人が困った様に微笑んだ。
「お嬢様、お化粧が崩れてしまいます」
「けれど、嬉しくて仕方が無いのですもの。わたくしに家族ができるだなんて」
——もう、たった独りで食事をしなくても良くなるのだわ!
コツコツと扉がノックされ、気難しそうな顔をした男が室内へと入って来た。
「お父様!」
久方ぶりに見る父の顔に、リーディアは満面の笑みを浮かべた。
ダヴィット・ベニーシェク公爵は、宰相として常に国王の側に身を置いていた。リーディアが物心ついて直ぐに妻を亡くし、邸宅にも殆ど帰る事が無かった。
「準備は滞り無い様で安心しました」
ダヴィットは使用人にそう言うと、リーディアに一瞬だけ視線を向けて踵を返した。
「あの、お待ちになってお父様!」
ピタリと足を止め、ダヴィットは溜息をついた。
「リーディア、私が忙しいということは貴方も存じているでしょう」
「分かっていますわ。でも……お父様から祝福のお言葉を頂きたいのです」
ダヴィットはチラリと僅かに振り向くと、「おめでとう」と言った。
リーディアはパッと顔を明るくすると、「はい! ありがとうございますお父様!!」と言って満面の笑みを浮かべた。
ダヴィットが部屋から出ようと扉に手を掛けるや否や、扉を叩く音が聞こえた。煩わしそうに返事をするとすぐさま扉が開き、慌てた様子の使用人と大臣達の数名が、目の前に立っているダヴィットに一瞬驚いたものの、息を切らしながら言葉を発した。
「殿下のお姿が見えません!!」
ダヴィットが淡々と問い返した。
「……姿が見えぬとは、どういうことです?」
「それが、どこを探してもいらっしゃらないのです!!」
「婚姻のお着替えもなさらず、どこかに……」
苛立ちを微塵も顔に表すことなく、ダヴィットが淡々と言葉を発した。
「このようなところで油を売っている暇はありません。陛下をお待たせしてはなりません。直ぐに探し出すのです」
ダヴィットに命じられた使用人と大臣達はパッと駆けて行った。
呆然とするリーディアに声を掛ける事なく、ダヴィットも急ぎその場を後にした。
けたたましい音を立てて閉じる扉にビクリと身体を震わせて、リーディアは眉を寄せた。
「……きっと、殿下はかくれんぼでもなさっているのね」
ポツリと呟いて無理矢理に微笑もうとしたリーディアを見て、使用人が唇を噛みしめた。
アレシュはその翌日に「……忘れていた」と言って帰って来たが、ひどく顔色が悪かった。
しかしそれ以来、二度と恥をかかない為に王室は挙式に対して慎重にならざるを得なくなった。
それ故に、王室はアレシュの意思を確認できないまま、再び挙式の日取りを定めることを避け、リーディアのデビュタントも婚姻が決まるまで見送られた。
——でも、お父様は『おめでとう』と祝福してくださったわ。わたくしには、それだけで十分ですわ。
リーディアは鏡の中の自分を見つめて微笑んだ。
——だから、きっと大丈夫。わたくしはきっと、大丈夫。
鏡の中で満面の笑みを浮かべる自分を見つめながら、リーディアはそう言い聞かせた。




