第五十八話 幸福の交換条件
イルジナが去って数日後。
ダヴィットは魔塔主の部屋で淡々と仕事をこなしていた。
イルジナの後任はミスが多い。面倒事が増えた。この取引を担当していたところで彼女に逢えるわけでもなし、この雑務はテオドルに押し付けよう——と、考えていると、丁度その仕事の押しつけ先が現れた。
「ダヴィット、ちょっといいか?」
「どうぞ」
いつもの通りサラリと返されて、テオドルは苦笑いを浮かべた。
「……前に言ってた、ウィシュテンバーグの王太子妃の事なんだが……」
「私が妃となりに行ってやろう」
テオドルを押しのけて、エヴェリーナがダヴィットの前へと進み出た。どうだと言わんばかりに堂々としたその様子には、淑女としての恥じらいや淑やかさ、謙虚さが皆無だった。
ダヴィットはチラリとテオドルの方へと視線を向けた。
「良いのですか?」
「本人が言ってるんだから、いいんじゃねぇの?」
「但し、条件がある」
エヴェリーナはそう言うと、びしりとダヴィットに人差し指を突きつけた。
「お前、ロザーリアと結婚しろ」
「いいですよ」
「いいのかよ!?」
あっさりと答えたダヴィットに慌ててテオドルは突っ込みを入れたが、ダヴィットは机から書類を取り出し、「エヴェリーナ、こちらにサインを」と言って促した。
「アドルフ王太子の妃となる為の誓約書です。サインし次第転送致します」
あまりにあっさりとしているので少々怯んだものの、根っからの負けず嫌いのエヴェリーナは宣戦布告でもするかのように書類に署名を書きなぐった。
「契約成立ですね」
ダヴィットはパチリと指を打ち鳴らして、誓約書を転送しながら言った。
「ですが、何故ロザーリアと私の結婚が条件なのですか?」
「普通、契約成立前にそういう事訊かねぇか?」
うんざりしたようにテオドルは言うと、近くの椅子にどっかりと腰を下ろした。
項垂れて、深くため息を吐いた。
「……『時の理』が今日、指した。ロザーリアは長生きできないってな」
『時の理』。魔塔が所有する人の寿命を観測する装置だ。
私用で使うことは基本的に禁止されているが、恐らくロザーリアは本来の寿命から大きく逸脱する者として、観測対象に引っ掛かったのだろう。
テオドルはぎゅっと拳を握った。
「ロザーリアは惚れっぽくて脳内お花畑だが、兄としてあいつにも人並みに幸せになって貰いたい。お前は何考えてるかさっぱり分からねぇが、少なくともロザーリアを傷つけるような奴じゃない」
悔しげに唇を噛むテオドルを見つめた後、エヴェリーナへと視線を向けた。彼女は頷くと、ブルートパーズの瞳をダヴィットへと向けた。
「私も兄様に同意した。だから代わりに嫁に行く事にしたというわけだ」
「あまり割のいい交換条件とは思えませんが。魔塔を抜けた後のリスクは承知していますね?」
ダヴィットの言葉にエヴェリーナは人の悪い笑みを浮かべた。
「そうだとも! だから条件はそれだけではない。私が子を産んだ暁には、再び魔塔に戻れるように手配しろ! それも、魔塔主の椅子をな!!」
びしりと人差し指をつきつけるエヴェリーナを、ダヴィットは眉一つ動かさずに見つめた。
「ちょっ!! は!? お前、何言ってんだ!?」
エヴェリーナのその条件はテオドルにとっても寝耳に水だったらしく、彼は慌てたように裏返った声を放った。
「魔塔主の椅子って、無茶苦茶だろう!? ダヴィット程の才覚もねぇってのに!!」
「魔力は劣るが私は魔道具作成の天才だ。どうとでもなる!」
ダヴィットはエヴェリーナにラピスラズリの瞳を向けたまま、さらりと言った。
「構いませんよ。ジェハーク家は破天荒な貴女が王室に留まり続ける事を好まないでしょうから。ただ、アドルフは女性に欲情する性質ではありません。妃を迎えたところで、世継ぎは望めないと思いますよ」
シン……と、室内が静まり返った後、エヴェリーナの絶叫が魔塔内に轟いた。テオドルが両手で耳を塞ぎ、ダヴィットは平然としている。
「何だそれは!? 貴様、知っていて私を嵌めたのか!?」
「人聞きの悪い。自分から契約をしに来たのでしょう? 心配無用です。世継ぎが中々生まれなければ、妃に問題があると見られ返品されるでしょうから、何もせずともそのうち魔塔に戻れます」
「なんだそれは!! 私のせいではないというのに、不名誉にも程があるぞ!?」
「私に言われても困ります」
淡々と話すダヴィットを、テオドルは顔面蒼白になって見つめた。
「……マジかよ。少なくとも俺は、お前と親友だと思ってたってのに」
「何か問題でもありましたか?」
「大ありだ!! これでも俺は、兄として妹達の幸せを守る義務がある!! 王太子妃になって、エヴェリーナにも幸せになって貰いたいと思っていたんだ!」
「お互い様ですよ。貴方こそ、私の幸せを蔑ろにしようとしたではありませんか」
「……なんだと?」
「寿命が短いと分かっている女性との婚姻を勧めるのは、身勝手な事ではないとでも仰るのですか? 貴方にとって彼女がどれほどに大切な人かは、私には妹という存在が居ませんので理解できませんが、少なくとも貴方は私の幸せよりもロザーリアの幸せを優先させました。私は貴方を友であると思っていたからこそ、この結婚を引き受けたのですよ」
淡々と話すダヴィットを見つめながら、テオドルが握りしめる拳が震えた。
エヴェリーナが気まずそうに目を逸らしながら言った。
「兄様、案ずることはない。私は私で何とかする。子作りが不要ならば、それはそれで王城の生活を満喫してやるとしよう」
エヴェリーナは咳払いをすると、「ところで……」と続けた。
「アドルフ王太子は、どのような顔をしているのだ?」
「気になりますか?」
「当然だろう!? 私の伴侶となる男なのだぞ!? その、もしかしたら……ほ、惚れるかもしれないではないか!」
ダヴィットが眉間に皺を寄せ、口を半開きにした。
その顔を見て、テオドルがポツリと言った。
「……お前、そんな顔ができるのか」
コホン、と咳払いをすると、ダヴィットは顔を元の無表情へと戻し、「絵姿なら返却しました」とサラリと答えた。
「何だと!? 何故返却した!?」
「男の絵姿を持っているのがなんとなく嫌だったからです」
エヴェリーナは涙目になると、ダヴィットに人差し指を突きつけ、テオドルに訴える様に喚いた。
「兄様!! こいつ殺してもいいか!?」
「止めとけ、返り討ちに遭うから!」
テオドルは溜息を吐くと、「顔を見るくらいなんとかならねぇの?」と言ってダヴィットを見た。
「なります」
「なるのかよ!?」
「ただ、盗み見になりますから推奨できません。勿論、ウィシュテンバーグ程も離れた距離の遠隔投影魔術を使用できるのは私しかいませんが。見ますか?」
「無論だ!」
即答したエヴェリーナに頷き、パチリ、とダヴィットが指を打ち鳴らした。
空中に像が浮かび上がる。
雄々しい体つきの銀髪の青年が剣を振る姿だ。アメジストの瞳をしており、剣を振るたび、汗の粒が水晶のように散る姿を、エヴェリーナとテオドルは感心したように見つめた。
「なんだ、割と色男じゃねぇか」
だが、その傍らで熱心に本を読みふけっている少年に、エヴェリーナの目は釘付けとなった。
繊細そうな長い睫毛に、サファイアブルーの瞳。輝くような長い銀髪を束ね、一見少女と見紛うほどに美しい顔立ちをしていた。
「彼は?」
エヴェリーナの問いかけに、ダヴィットはさらりと答えた。
「リヒャルト・ジェハーク。アドルフの五歳下の弟であり、ウィシュテンバーグ王国第二王子ですね。放っておくのが良いと思います」
「放っておく?」
眉を寄せたエヴェリーナに、ダヴィットは淡々と続けた。
「観測によると、彼の身体にはアドルフによって刻まれた焼き印があり、日々凌辱され精神を病んでいます。魔塔としては政治不介入の鉄則と、理に刻まれている事象であるため、手出しできません」
「……なんてこった」
呟く様にそう言ったテオドルとは異なり、エヴェリーナはその儚げな少年を食い入るように見つめながら僅かに喉を鳴らした。




