第五十七話 理に刻まれた別れ
これは、今から二十余年前の出来事。
ダヴィット・ベニーシェクは桁外れな魔力を持つ男で、十五歳にして魔塔主に就任するという異例の就任を果たした化け物だった。
ただ魔法師として優秀なだけではなかった。彼が就任してからの三年間。魔塔の役割である『世界の観測・記録・調整』はその全てが安定し、世界の均衡が保たれていたのである。
「ウィシュテンバーグ王国で、王太子妃となる娘をご所望だそうだ」
十八歳となったダヴィットよりも、一歳年上のテオドル・ツァレトカがニマニマと笑みを浮かべながら言った。
黄金色の長い髪を真紅の皮ひもで結び、ブルートパーズの瞳を細めて、少々品の無い様子で長椅子に寝そべっている。
無表情のまま、書類を捲りながらダヴィットは頷いた。
「はい、存じておりますよ。ジェハーク家ですね。そろそろ魔塔の者を送らなければならない時期でしたので、丁度良いですね」
魔塔の性質上、各国の王室には必ず観測者を派遣する決まり事があった。そうすることで、役割としての務めを果たす事が出来る。
但し、魔塔に所属している者は政治への関与は認められないという鉄則があった。そこが崩れてしまえば、国や世界の所有権が自ずと魔塔へと移行してしまう。
権力の均衡が崩れ、実質的に支配となってしまうからだ。その為、観測者として就任している期間は、魔塔の所属から外される。
そして、魔塔の所属を外れた者は、魔術の使用を禁じる——それは教会と魔塔の間で結ばれた、古い協定でもあった。
テオドルが肩を竦めた。
「誰を送り込むつもりなんだ? 王太子妃って事は、ゆくゆくは王妃になるわけだろ? 誰もなりたかないと思うぜ? 魔術も取り上げられ、魔塔の所属からも外された上に、観測は行い、ガキを産む為の道具に成り下がるわけだからな。俺、女じゃなくてマジで良かった」
ダヴィットはチラリとラピスラズリの瞳をテオドルに向けた。
「……貴方には妹が二人居ますよね?」
「!?」
テオドルは慌てて起き上がると、首を左右に振った。
「エヴァとローザか!? やめとけやめとけ! あの二人のどちらも王太子妃になんか向いてねぇ!」
「ウィシュテンバーグ王国の王太子、アドルフ・ジェハークは十九歳でしたね。年齢的にも貴方の妹は合います」
テオドルは苦笑いをしながら考えた。
テオドルよりも三歳年下の妹エヴェリーナは、見目は悪くないが、性格に難があり過ぎる。王太子が気に入るとは思えない。
そしてエヴェリーナよりも一つ年下のロザーリア。妹二人は双子かと見間違える程に見た目が似ているものの、性格が真逆だった。
「お兄様ぁーっ!!」
魔塔主の部屋に黄色い声を張り上げて飛び込んで来ると、ロザーリアは癖のある黄金色の髪を揺らめかせながら急き立てられたように言葉を発した。
「わたくし、今日恋をしましてよ!? それはもう、とても素敵な方なのです!! これはきっと運命に違いありませんわっ!!」
——またか……。
と、テオドルは渋い顔をした。
「……相手は誰なんだ?」
「灰色のローブを身に纏っていらっしゃって!」
「魔塔に居る全員が灰色のローブだな」
「目が二つあって!」
「大抵二つだな」
「鼻があって」
「……」
「そう! 笑顔が素敵でしたわ!!」
——全っ然分からねぇっ!!
ダヴィットが無表情な顔をロザーリアへと向けた。
「それは私のことですか?」
「お前、笑ったことねぇよな!?」
テオドルの突っ込みに、ダヴィットは全く理解できていない様子で小首を傾げたが、直ぐに書類へと視線を落とした。
ロザーリアがブルートパーズの瞳をキラキラと輝かせ、テオドルは嫌な予感がしつつ頬をヒク付かせた。
「わたくし、その方と結婚致しますわ!」
——そらきた!!
「お前のその恋愛脳どうにかならねぇのか!?」
「だって、わたくし一目惚れしてしまったのですもの!」
「月一で一目惚れしてんじゃねぇっての!」
喚くテオドルの後ろで、ダヴィットは書類に視線を落としたままポツリと言った。
「……アドルフ・ジェハークと会わせれば問題は解決しそうですね」
「止めろっての!?」
「邪魔するよ」
ロザーリアと瓜二つの顔をした娘、エヴェリーナがずかずかと魔塔主の部屋へと入って来ると、ダヴィットの机の上に書類をどっさりと置いた。
「おい、エヴァ! 魔塔主の部屋なんだからノックくらいしろって!」
「ダヴィット、イルジナが薬を届けに来ているよ。会うか? 一階のいつもの部屋だ」
テオドルを完全に無視してエヴェリーナが言うと、ダヴィットは「そうですね」と言って席を立った。
「さあ、皆ここから出てください。邪魔です」
パチリ、とダヴィットが指を打ち鳴らした途端、視界がぐらりと揺れた。
ハッとした時には、全員が魔塔の一階へと強制的に移動させられていた。
短距離であるとはいえ、魔道具一つ使うことなく四人同時に強制転移させたダヴィットに、テオドルはゾッとして顔をひきつらせた。
「お前だけは敵に回したかねえや……」
「敵に回るつもりなのですか? ならば容赦しませんよ」
「ならねぇよ!?」
ダヴィットはテオドルを無視してスッと廊下を歩いた。
ポツンとツァレトカ三兄妹がその場に取り残されて、テオドルは肩を竦めた。
「やれやれ、仕事に戻れってことか」
ロザーリアがテオドルの服の裾をぐいぐいと引く。
「ねぇお兄様! お式は派手に行いたいの!」
「あー……まずはちゃんと両想いになってからな」
「なんだ、ロザーリア。また脳内がお花畑になっているのか」
エヴェリーナはそう言うと、「私が全て毟り取ってやろうか?」と言葉を続けた。
彼女は魔道具作りを得意としているため、何をされるか分かったものではない。
「あー、もう! お前ら頼むから普通になってくれよ!!」
テオドルは二人のぶっとんだ性格の妹の管理に、いつも難儀していた。
◇◇
ダヴィットは納品書に目を通して小さく頷いた。
「はい、確かに全て揃っていますね」
目の前の椅子に腰掛ける黒髪の女性は、イルジナ・キセラー。東国の生まれだが、薬師である父親と共にこの地へと訪れた。先日起きた海難事故で、薬草の貿易にも携わっていた彼女の父親は帰らぬ人となったばかりだった。
「魔塔主様にお伝えしたいことがあって、それで、エヴァにお会いできるようにとお願いしていたのですが。お聞きになりましたか?」
イルジナがアメジストの瞳をダヴィットへと向け、遠慮がちに言った。
エヴェリーナとイルジナは年齢が同じであるということもあり、親友同士だった。彼女はエヴェリーナの無茶苦茶な行動を、楽しげに笑って受け入れる優しさをもつ、貴重な存在だ。
「いいえ。何も聞いておりません」
納品書にサインを書き入れながら、ダヴィットがサラリと言うと、イルジナは寂しげに瞳を伏せた。
「魔塔主様、私はウィシュテンバーグ王国の取引先の元に、身を寄せる事になりました。小さな薬草店を営んでいるとのことなのですが、跡継ぎも居ないので私に来てほしいと」
「なるほど」
ダヴィットは書類を捲り、次々とサインを書き込んでいった。
「貴女は殆どミスがなく納品物も的確に判断ができるので、助かっていたのですが。残念です」
「あの、魔塔主様はウィシュテンバーグのご出身であるとお伺いしたのですが……」
「はい。王都にもベニーシェク公爵家のタウンハウスがあります。私は次男ですので、こうして自由にさせて貰えていますが。それが何か?」
イルジナがすぅっと青ざめた。
「あ……。魔塔主様は、貴族の方なのですね」
ダヴィットは書類を揃えながら「いつ発つのですか?」と問いかけた。
「明日にでも発とうと思います。後任者への引き継ぎは終えておりますので、魔塔主様のお手を煩わせることはないと思います」
「そうですか、それは助かります。やはり貴女は優秀ですね」
スッと立ち上がると、ダヴィットは僅かに頭を下げた。
「門までお送りしましょう」
「……はい、ありがとうございます」
部屋から出て、無言のまま二人で歩いた。
いつも通りに早足で歩くダヴィットから、イルジナが段々と遅れる。二人の距離が随分と離れたが、ダヴィットは足を止める事も歩調を緩める事もしなかった。
「それではイルジナ。いつかまたどこかで」
魔塔の正門に到着するなり、あっさりとそう告げたダヴィットに、イルジナは深く頭を下げた後、足早に魔塔から離れた。
潮風を感じながら、ダヴィットが彼女の後ろ姿を見送っていると、「おい!」と、背後から肩を強く掴まれた。
テオドルが息を切らせ、慌てたようにブルートパーズの瞳を向けた。
「お前、それでいいのか!? イルジナは、お前の事を想っているんじゃねぇのか!!」
ダヴィットが無表情のまま小首を傾げた。
「何も言われませんでした」
テオドルは苛立ち、ダヴィットの両肩を力任せに掴んで揺さぶった。
「感情が薄いのと無いのとは別物だぞ! 彼女はお前が貴族だから諦めたんだ! 魔塔なら貴族も平民も関係ねぇだろうが! 追いかけろっ!!」
ラピスラズリの瞳をテオドルに向け、ダヴィットはその視線を去っていくイルジナの後ろ姿へと向けた。
次の瞬間パッと駆けて、魔塔主の身分を示す煩わしい長いケープを外し、放り投げた。
だが、魔塔から少し離れたところで、ダヴィットはピタリと足を止めた。
——無駄なことだ。彼女がこの塔を去ることも、自分が追ってはならないことも、既に理の中に刻まれているのだから……。
魔法師として優秀過ぎた彼には、全てのものの理が見えすぎていた。




