第五十六話 わたくしの祈る場所
広間の中央へと、アレシュのエスコートで向かう。
——わたくし、本当に踊っても良いのかしら……。
不安げに見つめるリーディアに、アレシュはサファイアブルーの瞳を向けた。
「心配は要らない。僕だけを見ていればいい」
素直に頷くと、アレシュは優しく微笑んだ。
——アレシュ様の手が、温かいわ。
二人の道を皆が開けた。
リーディアは、ワインレッドのドレスのスカートをふわりと広げてアレシュの前で深く膝を折った。
すっと見上げる彼女のラピスラズリの瞳を見つめ、アレシュはアイボリーのダブレットの肘を折り曲げて頭を下げた。
見つめ合ったまま両手をそっと握り、リーディアは静かにアレシュの側へと身体を寄せた。
高鳴る心臓の鼓動で、音楽など耳に入らなかった。
ドレスの裾がふわりと揺れても、アレシュのサファイアブルーのマントが靡いても、互いに見つめ合う目を離す事ができない。
リーディアの左手がアレシュの右肩に添えられると、緊張しながらもアレシュは彼女の腰を右手で引き寄せた。
手の温もりを感じながら、一言も発することなく互いの存在を瞳に刻み込むように見つめ合い続けた。
目が逸らせない。
逸らしたくない。
永遠に、見つめ合っていたかった。
周囲の者など、何も見えない。
はにかむように微笑むアレシュを、リーディアはベルガモットの香りに包まれて、夢の中に居るような気持ちで見つめていた……。
——こんな、幸せがあっていいのかしら。
わたくしは、こんなに……!
わっと拍手が鳴り響いた。
あっという間に、一曲が終わってしまったようだ。
周囲がパートナーに礼を交わす様子に、慌ててリーディアも深く膝を折ろうとした。
——その時——。
銀の杖が大理石の床を三度打つ轟音が響き、皆が驚いて壇上へと視線を向けた。
緋色の聖衣に身を包んだ男が、愁いを帯びた表情を浮かべて立ち上がった。
アレシュと同じ銀髪を揺らし、サファイアブルーの瞳を細める。
シンと静まり返る中、リヒャルトの低く透き通った声が響き渡った。
「皆、聞くのです。主は、私にさらなる重荷を背負えと命じられました」
リーディアの側で、アレシュが僅かに拳を握り締めた。
「宰相、ダヴィット・ベニーシェクの空白を、このリヒャルト・ジェハークに埋めよと仰せなのです」
リヒャルトの緋色の聖衣の隣で、アドルフが眉間に深く皺を寄せている。
その傍らで、ミハルはアドルフに視線を向けた後、戸惑うようにリヒャルトへと向けていた。
「さあ、新たな宰相に祝福の祈りを捧げなさい」
リーディアとアレシュが呆然としている中、周囲の貴族達が皆リヒャルトに平伏し、祈りを捧げた。
≪まじか……。あいつが、宰相だって……? どこまで権力を持てば気が済むんだ!≫
——お父様の席でしたのに……。陛下は、止められなかったのだわ……。
「聖女リーディア」
リヒャルトに声を掛けられて、リーディアはハッとして祈りを捧げようとすると、リヒャルトが手で指し示した。
緋色の聖衣に対照的な純白の手袋が、まるで光を放っているかのように視線を集中させた。
「さあ、審判の刻です。軍旗を掲げるに相応しい『真の指揮官』がどちらなのか、その唇から神の審判を下しなさい」
「……」
広間内がピリピリとした緊張感に包まれ、息苦しい。
タラリと、リーディアの背に汗が流れた。
壇上のリヒャルトから、視線を右側へと向ける。
唇を固く結び、ミハルがまるで自分が罪人であるかのように、全ての罪を受け入れると言わんばかりに瞳を閉じた。
——ミハル様……。リダを傷つけたご自分が赦せないのだわ……。
自分を死地へと送り、アレシュと共に幸せになってくれと言わんばかりに、ミハルは微動だにせずに静かに座って居た。
たった一人、懺悔でもしているかのようだった。
——でも……。
≪……リーディア。大丈夫だ。二人で決めただろう? 大丈夫だから≫
リダが元気づけるように静かに言った。
——ええ。分かったわ、リダ。わたくしには、貴女がついているのですもの。貴女は、聖女なのですもの!
リヒャルトが決めきれない様子のリーディアを見かねたように僅かに笑う。
その隣で、アドルフが咳払いをした。
彼はリヒャルトから退路を断たれる前に、自分から親征を名乗り出ると決めていた。
アドルフが言葉を発しようとした、その時だった。
「……聖女として、ここに宣言いたします」
リーディアが言葉を発し、アドルフがピタリと動きを止めた。
リヒャルトが眉を寄せ、リーディアを見つめる。
ピンと張り詰めた空気の中、リーディアの竪琴の調べのような声が言葉を紡ぐ。
「大地を清め、我が国の未来を切り拓くのは……」
皆が息を呑む気配が、耳元で聞こえるようだった。
「その瞳に揺るぎのない覚悟を宿した青い光である、と」
僅かに拳を握り締め、リーディアは言葉を続けた。
「アレシュ・ジェハーク王太子殿下。貴方に、我が国の運命を。そして、わたくしの祈りを託します」
静寂をざわめきが破った。
リヒャルトがぐっと奥歯を噛みしめる。
アドルフが額に脂汗を浮かべ、視線を落とした。
ミハルが驚愕し、アメジストの瞳をリーディアに向けてゆっくりと首を左右に振った。
——リダ……。
≪ああ。大丈夫≫
リーディアはスッとラピスラズリの瞳をリヒャルトへと向けた。
苛立ったようにリヒャルトが手をさっと掲げると、騒然としていた広間が一瞬のうちに静まり返る。
リーディアが言葉を続けた。
「アレシュ王太子殿下を死地へと送り出し、わたくしだけがこの緋色の檻で安らぐことは、主の御心ではありません」
左手を右手で包み込み、アレシュから贈られた指輪に縋るように触れた。
——アレシュ様……。
ふ……と、息を吐き、リーディアはハッキリとした声で言った。
「戦場に倒れる兵達に光を、そして、殿下の剣に祝福を授ける為、わたくしも聖女として同行いたします」
再び広間は騒然とした。
リヒャルトがサファイアブルーの瞳を細め、歪めた。
アレシュが青ざめてリーディアを見つめた。リーディアも、リヒャルトからアレシュへと視線を移した。
ニコリと微笑む。
「わたくしの祈る場所は、アレシュ様、貴方の隣ですわ」




