第五十五話 綺麗だっ!!
『アレシュ。すみませんが、リーディアの様子を見て来て頂けますか? リダの事で、傷つけてしまいましたので気になっているのです』
ミハルにそう言われて、アレシュは『言う事を聞くのは癪だが、広間に居ても重苦しいだけだから丁度いい』と考えて、休憩室へと向かっていた。
廊下へと出て、騒がしい広間の喧噪から遠ざかると、ホッと息をついた。
——いや、だけど僕が行く必要があるのか? 様子見なら、従者か誰かに頼めば良い話のはずだ。
不愉快そうに腕を組みながら歩き、休憩室の扉の前に到着すると、服に皺が寄ってしまったので念入りに叩いて直した。
サファイアブルーのマントの形を整えて、ロザリオが曲がっていないかを確認する。
今更ながらに、サファイアのタイピンがロザリオの下に隠れていた事に気づき、舌打ちをしてロザリオを外そうかどうしようかと迷っていると、室内から話し声が聞こえてきた。
「本当ね。久しぶりだわ……」
——リーディアの他に誰か居るのか?
「それはダメよ。ミハル様は貴女に会いたいと思いますもの」
——ミハル……? 貴女とは、誰の事だ?
「分かっていますわ。確かにあれは言い過ぎだったと思いますわ」
——……まさか、独り言か!? リダを失った事があまりにショックだったからか!
アレシュは心配になって扉を叩いた。
「えーと、僕だけれど。リーディア、入っても構わないか?」
「え!? アレシュさ……王太子殿下! は、はい。どうぞ!」
そっと扉を開けると、室内には困惑した様子のリーディアが一人だけ立っていて、他には誰の姿も無かった。
——やっぱり独り言か……。
アレシュは溜息を吐くと、チラリとリーディアに視線を向けた。
大人っぽく着飾った彼女の姿にドギマギし、直ぐに視線を外す。
「……その、疲れただろう? 君はまだ社交界デビュー前だから、初めての夜会だろうし」
「え? ええ! そうですわね!!」
リーディアは頷いた後、何故か背後の鏡にチラチラと視線を向けた。何かあるのかとアレシュが覗いてみたが、特に変わった様子は見られない。
——後ろに何か隠しているのか?
歩を進めて室内へと入ってみたが、特に彼女が何かを隠している様子は見受けられなかった。
コホン、と咳払いをする。
「……ミハルに、何か言われたの?」
「えっ!?」
ラピスラズリの瞳を見開いて顔を真っ赤にする彼女を見て、アレシュはムッとした。
「もう少し休憩をした方が良さそうだね」
ぶっきらぼうに言ったアレシュに、リーディアは首を左右に振った。
「あ、平気ですわ! もう回復しましたもの! あまり長く席を外しては失礼にあたりますものね。すぐに戻りますわ」
「……そう」
アレシュは『それなら一緒に戻ろうか』という言葉を言い出せず、室内に残ったまま俯いた。
しん、と室内が静まり返り、気まずい沈黙が流れた。
「あ、あの、王太子殿下。今日の装い、とても素敵ですわ。アイボリーの生地は、殿下の銀髪がとてもよく映えますもの。そのロザリオも……」
「こ、これはリヒャルトの奴が絶対つけろと押し付けたんだよ。僕は嫌だったんだ!」
——君から貰ったサファイアを加工したタイピンが隠れてしまうし!
ポカンとするリーディアを見つめて、アレシュは『しまった』と思ったが、どう取り繕っていいのか困り果てて所在なげに項へ手をやった。
「……わたくしの側に居てくださる為に枢機卿館に身を置いて、アレシュ様にはお辛い想いをさせてしまいましたわ」
「いや、それは僕が自分で望んだことだから……。ああ、そうじゃなくて!!」
意を決して口を開こうと彼女を見つめて、その美しさが眩しく感じ、ピタリと動きを止めて目を逸らし、アレシュはカリカリと項を掻いた。
リーディアが心配そうに言った。
「……お疲れなのですの?」
「綺麗だっ!!」
耳まで真っ赤になりながら、アレシュはそう言い放った。
リーディアは「え」と、小さく声を発し、ラピスラズリの瞳を見開いた。
「その、良く似合っているよ! 以上!! それじゃあ!!」
言い逃げのようにそう言って、アレシュは素早く部屋から出て行った。
リーディアはポツンと一人取り残されて、ふっと足の力が抜けて座り込み、顔を真っ赤に染めた。
◇◇
広間の椅子に戻ったリーディアは、笑みを浮かべながら脳内でリダと言い合いをしていた。
——もう、リダったらそんなに笑わないでくださいな。アレシュ様に失礼ですわよ。
≪だって!! あのウブなお坊ちゃん笑えるだろ!? ああウケるっ!! なに逃げてんだか!!≫
——わたくしは褒めてくださってとても嬉しかったわ!
いじけたように唇をすぼませていると、リヒャルトが心配そうにサファイアブルーの瞳を向けた。
「リーディア、まだ気分が優れぬのですか?」
≪おー、なんだかこいつの憎たらしい面も久々に見ると悪くねぇな≫
「いえ! 大丈夫ですわ。お気遣いくださり感謝致しますわ!」
「……心労がかさむのは理解していますよ。貴女にはこの後、『真の指揮官』を決定する大役が控えているのですから」
≪おーおー、心配するふりして相変わらずえげつねぇ事スパッと言いやがるな。自分でやれよ≫
リーディアは、一瞬沈みかけたところでリダの言葉を聞き、おかしくなって堪えきれず口元に笑みを浮かべた。
奏でられる音楽の曲調が変わった。
参加していた貴族達がダンスのパートナーを物色し始める。
≪お。あんたも踊るのか?≫
——わたくしは、聖女という立場ですもの。踊れませんわ。
リーディアはそう言いながら、初めて目にする皆のダンスを羨ましそうに瞳を細めて見つめた。
揺れるドレスが会場を華やかに彩り、パートナーと見つめ合う情熱的な様子に胸が高鳴る。
——素敵、ですわ……。
「踊りたいのですか?」
リヒャルトに問われて、リーディアは俯いた。
「……憧れますわ。練習以外では踊った事がありませんもの」
——わたくしはもう、決して誰とも踊る事は許されないのかしら……。この先、夜会に参加することはあっても、見ているだけになってしまうのかしら……。
サッとリーディアの前に手を差し伸べられた。
驚いて顔を上げると、アレシュが早くその手を取れと言わんばかりに、真っ直ぐにサファイアブルーの瞳を向けていた。
「アレシュ様……」
戸惑うリーディアに、アレシュが言った。
「僕は王太子で、君の婚約者だ。当然の権利だろう?」
——でも、リヒャルト様がお許しになりませんわ……。
差し伸べるアレシュの手を取りたい気持ちに、必死に抵抗しながら、リーディアは眉を寄せた。
リヒャルトが僅かに笑った。
「……よろしいですよ。主は仰せです。死地へと向かう子羊たちには、一時の『不浄な夢』を見せてあげなさいと。ただし、忘れないように。汝がどれほど彼女と心を重ねようとも、曲が鳴り止んだ後に彼女が戻る場所は、この私の緋色の隣だけなのですから」
そして、リーディアの耳にそっと唇を近づけた。
「……ハンカチのお礼です。踊ってきなさい」
「猊下……!」
「さあ、躊躇うことはありません」
瞳を潤ませて、リーディアはそっと手を伸ばした。
アレシュの手と、自分の手が触れ合う。
胸が熱くなり、唇を噛みしめた。




